15 囮と呪いと
顔面に投げたはずの枕を返され、志乃は暫く何も言えなかった。
ふつふつと湧き上がってくる感情に、体中の血が逆流しているようだ。
「……いいわよ。受けて立つわ!」
立ち上がり、志乃は再び枕を手に取った。
透も溜息をつきながら立ち上がった。
「投げたところで、同じことだ」
「さっきは手加減したんだから」
志乃は枕を構え、大きく振り上げ、力いっぱい透に向けて投げつけた。
それを透は同じように腕を振り、志乃に返す。
またしても志乃の顔面に枕が直撃した。
「あ、あんたね……!」
「お前はもっと訓練しなければならないな」
「え……」
訓練…透の口から出た言葉に、志乃は驚愕した。
透は訓練を積んでいたというのか。
この世界には「枕投げ」が正式な競技として盛んなのだろうか。
まして、帝の直系である九族云々の透が嗜む程だ。
日本で言う所の剣道や柔道に当たる伝統的な武芸なのかもしれない。
「そんな……枕投げがこの世界の伝統武芸だなんて」
「……相変わらず、会話が成り立たないな」
「だって、訓練って」
「そんなお粗末な身体能力では、討伐に出ても足手まといだ」
ああ、そういうことか。
志乃は枕投げが伝統武芸でないことに少し落胆した。
それと同時に、色々と言われたことに対し、またもや腹が立ってきた。
お粗末な身体能力。
小学校の頃から続けている剣道のお陰か、志乃はクラスでも割と運動神経が良い方だった。
反復横とびはクラスでも2番目の成績だ。
反射神経も動体視力もそこそこ良いつもりだったのだが。
だが…透には到底、敵いそうにない。
志乃の中で、何とか負かしたい気持ちもあるのだが、枕投げでも勝てなければ、他で勝つことが出来ない気がする。
圧勝できるのは、針の糸通し勝負ぐらいだろうか。
「朝食を食べたら、訓練だ」
何も言えず、項垂れていた志乃に透は無表情のまま、そう告げた。
「……鬼将軍」
「何か言ったか?」
「イイエ、クジョウショウグン」
こうして志乃は、みっちりと朝から透にしごかれることとなった。
「疲れたー」
広い部屋の真ん中で、志乃は刀を投げ、大の字になって寝転がった。
志乃がいた世界は五月だった。
こちらの世界は、それよりも少し後の季節なのだろうか。
軽く動くとすぐに汗ばむし、夜風も寒いというより心地良かった。
透の特訓は昼食後も続き、夕方前にようやく終わりだ、と言われた。
部活の合宿のようだった。
広い道場のような場所で、ひたすら訓練していたのだが……
透が教えてくれるのは、こういう風に避けろ、だとか、こう逃げろ、という身を守る方法ばかりだった。
しかも攻撃を受ける、というより、交わす、逃げる方面での特訓だった。
「逃げる練習ばっかり……」
特技・逃走の人物を討伐に連れていってどうするつもりなのだろう。
志乃は大の字のまま、目を瞑って考えた。
その答えはすぐに出てきた。
「……おとり?」
がばっと起き上がり、志乃は思いついた答えを口にする。
特技・逃走では、囮以外に使えないのではないか。
宝刀が使えるから云々と言われ、連れて行かれることになった怪の討伐とやら。
そもそも、この朝霧の宝刀とは一体何なのか。
使える人間が決まっている、と言っていたが……この宝刀の力とは何なのか。
悪い怪を引き寄せる、呪われた刀ではないのか。
「そんな……呪いの刀だなんて」
一度手にしたら、その呪いが遣い手にも移るのではないか。
悪いものを引き寄せてしまうのではないか……
志乃は青ざめた顔で傍に置いていたその刀を手にした。
「透の曾祖母が……命を削って作った、呪いの刀!」
触るのも恐くなり、志乃は刀をそのまま手から離した。
ゴト、と鈍い音と共に刀は畳の上に落ちる。
志乃の手を離れると、刀はたちまち黒い錆に覆われてしまう。
今更ながら、その様が不気味に思えてきた。
「……ど、どうしよう!」
志乃が刀から遠ざかろうとした瞬間だった。
部屋の戸が勢い良く開いた。
「の、呪いが……!」
「何の話だ」
叫び声を上げ、逃げようとする志乃の前に立ちはだかったのは……呆れ顔の透だった。
「呪いの刀なんて、使えない!」
「呪い?」
「透の曾祖母が命を削って作った……呪いの刀!」
「一体、どこからそんな話が出て来たんだ」
はあ、と溜息をつきながら、透は畳の上に投げ出されていた刀を手に取った。
「曾祖母が削ったのは、神族としての命だ」
「……何それ」
「神族と人の子であった曾祖母は、人としての寿命より、遥かに長い寿命を持っていた。だが、曾祖母は人として死ぬことを選び、刀に力と神族としての長い寿命をつぎ込んだ」
「じゃあ……」
「人並みに生きて死んだ」
なんだ、呪いの刀じゃ無かったのか。
志乃は安堵の息を漏らした。
それでも、疑問は残ったままだ。
どうして、逃げる訓練ばかりさせられるのか。
「…私のこと、囮にするつもりなの?」
「…それも何の話だ」
相変わらず会話が突拍子も無い場所から出てくる。
どこをどうやったら「囮」という発想に至るのだろうか。
その発想に至るまでの間が分からない為、透には志乃の思考が全く読めなかった。
「だって、逃げる訓練ばっかり…囮に使うつもりならはっきり言って!」
「お前は素人だろう。何かあった時は逃げる方が賢明だからだ。それに囮なんて使わなくても、ヤツらは極上の餌の元に集まるものだ」
囮でないと分かって一先ずは安心出来た志乃だったが。
極上の餌、という言葉に再び恐怖を感じた。
怪という化物、あれは人間を餌として捉えているのだろう。
共存出来るような存在では無い。
戦わなければ、倒さなければ…自分たちが食われるのだろう。
「…この世界って、恐いのね」
「代わりに人同士の争いは無いがな」
確かに、志乃の世界では人と人の争いが絶えない。
怪という生活を脅かす存在はいないが、代わりに、絶えない戦争の歴史を刻んでいる。
透の口調は、まるでそれを知っているかのようだ。
志乃の世界のことを。
「人同士の争いって…?」
「別世界思想を説いた女性が言っていたそうだ。バクマツで世は混乱している、人と人が争い、時代を作ろうとしていると」
あー別世界思想……
そう言えば、霧島さんから聞かされた。
それで透は、別の世界ではよくある「人同士の争い」ってやつを知っているんだ。
選択の数だけ異なる世界が生まれる、っていう、あれは別世界から来た女性が説いた話だとか…
でも、何だか聞いたことのある単語がさらっと流れてきたような。
世が混乱している……その前。
「……ばくまつ?」
まさか…江戸末期のあれ?幕末?教科書とかに載ってる、アレ?
志乃は目を丸くして、隣に立つ透を見た。




