12 初めての笑顔
「なんだ、そのボロ布は」
食事の為にと用意された隣室に入ると、早速透からの暴言が飛んできた。
「体操服よ!」
「3-5 九条」の文字が背中で大きく主張している。それを見た透が少し息を吐きながら笑った。
黙って透と志乃の食事の準備をしていた使用人たちは、その様に目を丸くし、動きを止めた。
そう言えば……この世界に来て、透がこんなにも表情を崩したのは初めてではないか。
志乃も一瞬呆けてしまった程だ。
透もあんな風に笑うことがあるんだ、なんて。
だが、自分のことで笑われているとなれば、話は別だ。
「失礼ね!何笑ってるのよ」
「お前のその可笑しな格好を、だ。何だその背中の文字は。滑稽な衣装だ」
「滑稽ってね……」
言い返してやろう、と思ったが。透の表情がいつに無く柔らかだったので、志乃はそれ以上何も言わないことにした。
「服はちゃんと用意しておいただろう。気に入らないのか」
「……あんな高級な着物、着れないわよ」
「だからってその格好は無いな」
せっかく美味しく食べていた食事すら不味くさせる透の言葉。ぎり、っと箸を噛みそうになるのを堪え、志乃は一つ息を吸った。
「和装じゃなくてさ、洋装みたいなのは無いの?」
「洋装?」
「透も着てたじゃない。あの森で会った時に」
あの時、透が身に着けていたのは、動きやすそうな黒のズボンと黒の半そでTシャツのような服装だった。何の飾りも無い、全身黒で腰に刀を差す為のベルトのような革の帯を巻いているだけだった。地味、とは思ったが、どうせならそっちの方がありがたい。
「あれは討伐に出る際に着る服だ。普段はもっと楽な格好をしろ」
「私はあっちの方が楽だけど」
うーん、と唸りながら志乃は周りの使用人たちの服を見た。
志乃に用意されていたのは、それこそ成人式なんかで着そうな袖も長めの着物だった。そんな着物は着た事が無いから、窮屈極まりないだろう。
だが、ここの使用人たちや、今、透が身に着けているような羽織袴なら。
剣道をしていた志乃にとっては、慣れ親しんだ格好でもある。
「じゃあ、羽織袴がいい。剣道してるから、そっちの方が楽だと思う」
「剣道……?」
透が椀を手に、怪訝そうにこちらを見てくる。
この世界には、日本と似通った文化があるのだが……どこからどこまでが一緒なのか、何があって無いのか。志乃は分からなかった。
きっと、剣道という競技はこの世界には無いのだろう。
「あー、運動よ。竹刀振り回すの」
「そうか。まあいい。なら、羽織袴を用意させよう」
説明するにしても、竹刀が通じるのか、籠手や胴なんて部位も。
どこまで通じるのかが分からなかった。それに説明も上手く出来る気がしないので、ざっくりとしたことだけを伝えておいた。
そんな志乃の説明では何なのか理解することは出来なかった透であったが。多分、聞いても分からないだろう、とそれ以上聞くことはしなかった。
食後。
お風呂にも入り、志乃はふかふかの布団の上で横になっていた。
あれよあれよと言う間に、桃が布団を敷いてくれ、燭台の明かりも灯してくれた。
「おやすみなさいませ、志乃様」
全ての仕事を終えた桃は、綺麗に三つ指をつき、頭を下げた。布団の中から、志乃もそれに答える。
「おやすみ、ありがとうね」
桃は嬉しそうな笑みを浮かべ、部屋の扉をすっと閉めた。
夜の静寂が部屋に訪れる。
一つ部屋を挟んだ向こうは透の部屋だ。
だが、この奥屋敷は何の物音も聞こえない。
誰もいないかのように静まり返っていた。




