第零章:日常
第零章:日常
「……それで、大地が皆に思い切り笑われたり、通知表をもらった時の大地の顔
ときたら、おもしろいのなんのって」
笑いながら、朝の出来事を美潮に話して聞かせる。
美潮も笑いながら言う。
「ひっどーい!言っといてって言ったじゃない」
そんなに笑いながら言われたら、説得力の欠片も無かった。
笑いすぎてお腹を押さえて反論する。
「だって、ムカついたからさ。それに、シオもそんなに笑ってるじゃないか」
美潮も笑いすぎのせいか、目を擦りながら言う。
「仕方ないじゃない!にしても、陸条くん、今日は災難ね」
その一言に、二人ともすごい勢いで笑う。
……やっぱり、これが僕なんだ。いつも僕とシオと大地の三人組で、こうやって
日常をただの中学生として、謳歌するだけ。剣の特訓したり、たまに帰って来た父
さんや母さんと出かけたりして。こんな平凡な日常を僕は心から大切に思っている
んだ。でも、その歯車が、別の方向に回り始めようとしている気がしてならないん
だ。今朝から、僕の世界が変わり始めているような気が。
「シオ。今日部活なかったよね?」
二人してひとしきり笑った後、空が美潮に聞く。
「うん。夏休みも練習ある日があるからって先生が珍しくネ」
美潮はテニス部に所属していて、キャプテンの先輩に見込まれているらしい。
「すごいよね。シオは。一年でスタメンになれるかもなんでしょ?」
美潮は少し謙遜するように言う。
「そんなことないよ。それにソラだって運動神経いいんだから、何か部活に入れば
けっこー活躍できるでしょ」
話の矛先が自分に向く。
「だっておもしろそうな部活が……よっと!」
道端の少し高くなっている所に飛び乗りバランスを取りながら続ける。
「ないんだよねぇ」
「外国の師匠さんに剣教わったとか言ってなかった?剣道部に入れば?」
また始まった。美潮は、色々と僕の事を気にしてくれる。
つまりお節介。
「あんな形を縛られるのは、退屈。練習試合やらせてもらったけど、皆弱かったし
。それに、先輩も嫌な感じ……っと!だったしサ」
少し長めの距離をジャンプで次の段差に飛び移りながら言う。
そう。僕は、低レベルなのも、縛られるのも嫌だ。僕だって、楽しくて、思い切り
身体を動かしたい。そんな事ができる場所が欲しい。心からそう思うよ。
少し考え込んだ後、美潮が言う。
「じゃあ、なんで剣なんか持ってるの?」
美潮がバットを入れる袋を指差す。
「これは。ていうか、剣とか言わないでよ。銃刀法違反してるみたいじゃないか」
苦笑いしながら指摘する。
「違うの?アタシ、チラッと見たことあるよ?」
確かに少し前に、素振りをして、鞘にしまう所を見られたことがある。
空は慌てて否定する。
「違うよ。この剣、切っ先をつぶしてあるんだよ。だから物を切ることも出来ない
し、木刀と同じなんだ」
空は袋から二本入ってる剣の内の一本を取り出して見せる。
美潮は驚きと疑問の混じったような顔で空に問いかける。
「それこそわかんないわよ。何でそんな剣もどきなんか持ってるの?」
「もどきって。」
苦笑いを隠せ切れずに、とっさに言い訳を考える。
「それは、トレーニングだよ。素振りとかも木刀みたいな軽いの使ってたら、しっ
くり来なくて。ほ、ほら。これって結構重いでしょ?」
美潮が不審げな表情で空を見る。
そ、そんな疑う?ふつう。あー、そういえば僕、嘘つくの下手って言われるしね。
「ま、まあそんな疑わないで。どっか遊びに行こう?せっかくの夏休み前日なんだ
しさ。休みに入ったら、シオ部活あるんだから。あんまり遊べなくなるでしょ?」
そこでやっと美潮が笑う。
「そうだね!どこ行く?カラオケ、ボーリング?あ、あとゲーセンとか・・・」
適当なタイミングで相槌を打ちながらうつむく。
僕は、何も。
頭の中を苦い記憶がのた打ち回る。
クソッ。
「ソラ?早く行こう!」
美潮に声をかけられ、無理やり記憶を追い払い、急いで返答する。
「う、うん!行こ」
美潮と遊んだ帰り道。夕日を見ながら空はうかない顔で歩く。
その様子を察したのか。美潮が空に話しかける。
「ボーリング、楽しかったね!ゲーセンはもう少しいたかったなぁ」
「うん。また行こう。あ、でも部活でなかなか行けないか」
美潮の気を遣う様子に、微笑みながら答える。
ダメだ。シオに心配かけちゃ。
「大地も陸上部があるだろうし。父さんたちがチケット送ってきたんだ」
空が美潮に財布から紙切れを取り出して見せる。
「飛行機のチケット?」
美潮がチケットを見て問いかける。
「うん。僕の故郷行き。三週間弱居れるらしい」
両親からの手紙の内容を思い出す。
「故郷って、ロンドンのはずれの町、だったっけ?」
美潮が問う。
「うん。小さな町だけど。自然も豊富でいい所だよ」
空の嬉しそうな顔を見て、美潮がすねた表情で言う。
「いいなぁ。アタシ、外国行ったこと無いんだよね」
空が苦笑する。
そんな事言われてもなぁ。
言いかけた言葉を呑み込む。
「まぁ、向こうには師匠もいるし、思い切り遊べそうだし、明日には出ようと思っ
てるんだ」
「そんな急に行っちゃうの!?」
よほど驚いたのか、急に大声を出す。
「わ!耳元でそんな大声出さないでよ」
耳の痛みを抑えて続ける。
「確かに僕がもっと早く言えばよかったね。ゴメン」
うつむいて謝る。
その様子を見て、美潮が言う。
「そんな申し訳なさそうな人、怒れないじゃない」
美潮は笑って続ける。
「じゃあ、陸条くんも呼んでご飯食べようよ」
急いで美潮がケータイを取り出そうとするのを止める。
「い、いいよ別に。二度と会えない訳じゃないんだから。仕度もしなきゃだし」
美潮が目に見えて残念な顔をする。
「あ、いや、ありがと。でも、本当にいいんだ」
笑いながら手を振る。
「ちょっと!ソラ!!」
大声で美潮が呼び止める。
「ちょくちょくメールするよ!一ヶ月後にまた!」
早歩きから小走りになる。
「帰ってきたらまた遊びに行こう!」
走るスピードを上げて美潮の話も聞かずに走り去る。
「ああ、もう!何でいつもこうなのかしら……」
やっとあきらめたか、と思った矢先。
「ソラ! 行ってらっしゃい!!」
美潮が叫ぶ。笑顔で手を振ってくる。
シオ。ありがとう。
いつもいつもそうやって送り出してくれる。
「うん!行ってきます!!」
自分も笑顔で手を振り返して走り出す。
夜、夕食を済ました後。
「さ~て!とっとと荷物まとめちゃうかな」
大きめの旅行バックを取ってくる。
明日、出発か。
シオ。気を悪くしてないといいけど。
最後に交わした言葉。その直前の美潮の顔を思い出して手を止める。
あの日。僕は……。
また、苦い記憶が頭に浮かぶ。
くそっ!
首を振って記憶を追い出そうとする。
「ダメだ。考えるな。早く荷作りを済ますんだ」
自分に言い聞かせて手を動かし始める。
集中してやると、思ってたより早く終った。
「よしっ。明日は寝坊できないぞ~。早く寝よう」
伸びをした後、あくびをする。
「ガサッ」
突然の物音に身構える。
あれ?今、何か。
気配がある。それを感じ取り目で追う。
「誰だっ!?」
声を上げる。その途端に人影が逃げ出すように動き出す。
「これは?」
自分も反射的に動く。
玄関に向かってる?外か!
「待って!君は、今朝の?」
人影を追おうとして気付く。
違う。今朝の女の子とは違う。それに、この感じ、ワクワクしてる?
今朝と同じ、胸が躍るような感覚に戸惑う。
なんだろう……。これから、すっごくおもしろい事が待ってる。そんな気がする
んだ!
「よく、わかんないけど、こういう時は。……直感で動く!」
よく見えない人影の方へ走り出す。
「おっと!ちょい待ち」
急いで家に戻り、ケータイと剣の入った袋を手に取る。
なんか、持って行かなきゃならない気がする!
走る。こんなに走ったのは久しぶりだった。
息が上がる。
「ハァ、ハァ。どこまで行く気なんだ?」
一人でつぶやく。
この道は、神社の方なのか?
この町にある小さくて古い神社。
「確か、あそこって、神隠しが起こるって聞いた事があるような」
そう。小学のときに噂で聞いたんだっけ。
何年か前の記憶を探る。
あの神社に行った人がどんどん行方不明になったとかで。
「タッ」
物音。それは神社に向かう足音。
「逃がすか!」
頂上に向かって走り出す。その瞬間気付く……
笑ってる?
自分が笑ってることに。
「この感覚は?」
再び自分の感情に疑問を抱く。
少し、頭が痛い。
階段を駆け上がる。
さっきの人影と、今朝のあの子は違う人だった。でも、なんだか関係がある気がす
るんだ。
「この人について行けば、今朝の女の子に会えるような気がするんだ」
その時、自分の言っている事に笑う。
さっきから、‘気がする’ってばっかりだな。
笑いをこらえて、息を吸う。
「ペースが落ちてきてる……。一気に追いつく!」
息を吐いてニヤッと笑う。
そう。「流れに任せろ」ってのも、師匠の教えだ!
思い切り息を吸う。
「チェストーーー!」
力の限り駆ける。
流れに任せて。
タッ、タッ、タッ。
もうどのくらい走ったんだ?
何故だか、かなり長い時間がたった気がした。
前を見ても暗闇しか見えない。
立ち止まってケータイを見る。
「十一時!?家を出たのは九時くらいなのに」
歩き出す。
どういう事だ?
その時、階段の上から光が見える。
やっと着いたか?
一気に駆け上がる。その時あることに気付く。
明るい?こんな古い神社がこんな時間に、どうしたんだろ?
少しまぶしい位の光に疑問を抱く。
なんだろう?この先に進めば、元の、いつもの生活ができなくなるような……そ
んな気がする。
階段の頂上に向かって歩きながら、急に自分の心にまとわりつく感覚に戸惑う。
「なんなんだ。今日一日わからない事だらけだ」
珍しく不安な思いに囚われ、足を止めて振り返る。
えっ!?
目の前の光景に息がつまる。
階段の下。つまり、上り始めた地面が見えない。
いくら暗いからって、電灯だってあるはずなのに。
その景色はまるで、先が見えないほどの長い階段を上がって来たみたいだった。
これは!?
その時、急に頭が痛くなる。
「うっ。この感じ、今朝と……また…」
今朝と同じような頭痛に顔を歪ませる。
「お前は、何をしにここへ来た?」
急に声が聞こえる。
今朝の温かくて明るい声とは似てもつかない、深く、暗い声。
「誰だ!」
今度はなんだ?
これは。この背筋が凍りそうな寒気。まるで……。
死を目の当たりにしているような。死の気配?
とっさに袋から鞘ごと二本の内の一本の剣を取り出して身構える。
「質問に答えよう。だが、私に名はない。‘ゲート・キーパー’とでも呼んでもら
おうか」
声が答える。辺りは明るいのに、声からは底なしの闇を感じる。
ゲート・キーパー?
外国暮らしで培った英語力で、単語を考え、思い出す。
「それって、門番って意味……?」
しゃがれた笑い声が辺りに響く。
「門番、か。確かに私はここで門を守っている」
その時、光のかすかに輝く。その光の先から、巨大な門が現れる。
な、なんだこれ!デカイ!!
後ずさりををして門を見上げる。
こんな門!見たことない。それにさっきの階段も。何のビックリショーだ?
「狭き世界の少年よ。お前は何故ここへ来た?」
再び声が問う。
なんて答えれば……。
少し考えてから答える。
「僕は、人影を追っている内にここに来た!」
考えた末、本当の事を話す。
「なるほど。お前が選ばれし者か。ならば、門番としての役目を果たさねばなるま
い」
何を言ってるんだ?選ばれし?
声の言ってる事がよくわからない。
「それでは、これより試練を行う」
目の前に、黒い塊ができる。
鈍く光る、混じりけの無い闇。
「ちょっと!試練って何!?」
黒い塊が、人の形ををしてるような形になって行く。
人、じゃないな。なんだ?この気配。
「改めて名乗ろう。私の名はゲート・キーパー。この門を守る存在だ!」
その瞬間、ゲート・キーパーと名乗る者から、鋭い影のようなものが伸びてくる。
反射的にそれを避けようとするが、伸びてきた内の避けきれずに一つが左肩をかす
める。
瞬間的な痛みに、影がかすめた左肩に手を当てる。
えっ?血!?
手を当てた左肩には、浅いが、細く長い切り傷があった。
服に血がしみ込んでくる感覚が気持ち悪い。
次の攻撃が殺到する。
とっさに鞘から剣を抜く。
この影、当ると切れるのか!
「どうした?選ばれし者よ。私には見えるぞ。お前の恐れが」
ゲート・キーパーは空の心を見抜いたように言う。
攻撃を避けている間に足がどんどん重くなっていく。
まずいな。押され始めてる。どうにか攻勢に出なきゃ……。
再び影が空を狙う。
その時、、空は自らの手にしている剣で影を受け止める。
闇の塊が驚きの表情を浮かべる。
空がニヤッと不敵な笑みを見せる。
剣が有効なら!
「恐れ?僕は、決めたんだ。もう二度と屈したりしないんだ。お前なんかにも。自
分にも。負けない。恐れたりなんかしない!」
重い足を踏ん張って、息を吸う。
空が黒い影に飛びかかる。
剣が当るかと思った瞬間、ゲート・キーパーの姿が消える。
狙っていた物が突然消えた事で、勢い余ってつんのめってしまう。
「いっつ~。って、どこ行った!?」
大声で問いかける。
「合格だ」
姿は見えないのに、再び声が頭に響く。
合格?さっき言ってた‘試練’ってやつか。
ゲート・キーパーと名乗る声が言っていたことを思い出す。
「何で?僕はまだ一撃も……」
結局、僕は。
うつむいて手を握り締める。
暗い声の主から、やけに楽しげな笑い声に聞こえた。
闇が空の疑問に答える。
「何を言っている?最初からそんなことは、試していない。最後の瞬間、お前の頭
には、少しも恐れなどなかった」
ゲート・キーパーのが言うことに再び疑問を持つが巨大な門から放たれる光の眩し
さに言葉を呑み込む。
この光は、今朝見た光と同じ?
空の疑問を気にもしない様子でゲート・キーパーは続ける。
「お前は、この門をくぐる資格がある。さあ、行け。進め。歩き出せ」
門が音を立てて開き始める。
空は腕で光を遮りながら叫ぶ。
「ちょっと待って!この門はどこへ!?」
ゲート・キーパーは空の言葉を聞かなかったように更に続ける。
「さらばだ、少年よ。お前はこの先の世界で、大いなる事を成し遂げるだろう」
最後のささやきのような小さな声は、今までとは違う、優しい声だった。
その時、門が完全に開く。
風が門の方向へと吹く。
その風は、まるですさまじい勢いの風が、空を門へと押しているようだ。
まずい!飛ばされる。どこかつかまるところは・・・。
辺りを見渡しながら、剣を鞘に戻して袋に入れる。
更に風が強くなる。
「やば…い、って……、うわぁぁぁぁ!!」
そうして空は門に吸い込まれるようにそれをくぐる。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
その数分前。
美潮は、風呂あがり、パジャマに着替えて自室でリラックスしていた。
ソラ、もう寝てるよね。明日出発だし。
時計を見て、チケットに書いてあった時間を思い出す。
「確か、九時半発だったはず」
つい、タメ息をつく。自分の部活が八時からある。
あーあ。見送りに行けないか。
近くに置いてあるケータイを手に取る。
「メールしてみて、起きてるか確かめるだけなら……」
メールを打ち始める。その時ケータイが鳴る。
で、電話!もしかして!。
ある期待を持って、慌ててボタンを押す。
「もしもし!?」
「うおっ!ビックリすんだろ~。波内ィ~~」
「陸…条くん?」
「おう。悪いな。こんな時間に」
美潮は肩を落として食いかかる。
「何の用よ!もうアタシ寝るんだけど!」
ケータイ越しにビックリしたように聞く。
「な、何だよ。機嫌悪ィなぁ」
大地の声を聞いて、申し訳なくなる。
「ゴメン。それで、何の用?」
「いや、明日暇か?俺は部活無いんだけど、青空も誘ってさぁ~」
「遠慮しとくわ。明日は、朝から練習試合なの」
今度は、大地が残念そうに続ける。
「そか。そういえば、青空に電話が繋がんないだが、アイツもう寝たかな?」
美潮は不思議そうにたずねる。
「陸条くん、ソラから聞いてないの?ソラ、明日の朝、外国に向かうのよ?」
えっ、と大地は驚きを隠しきれずに言う。
「ちょっと待て。聞いてねぇよ?」
大地の言うことに、美潮は苦笑いをして言う。
「アタシに言われても……。でも、たぶんもう寝てるよ?明日の午前発だし」
大地はまた残念そうに続ける。
「なら仕方ないな。んじゃ、とりあえずメールしてみるな」
「うん。おやすみ」
「おう!じゃな」
「ブチッ」
ケータイを置いてタメ息をつく。
元気だなぁ……。陸条くん。でも、クヨクヨしてたってダメだよね!
手を握り締めて、ゆっくり呼吸をする。
明日、早いし寝よう。明日メールすればいい。
そう決めて、部屋の電気を消す。
そのまま美潮は眠りにつく。
親友がどうなっているかも知らずに。