第12話:合理的聖域の完成――そして俺は、静かに紅茶を淹れる(最終回)
第12話:合理的聖域の完成――そして俺は、静かに紅茶を淹れる(最終回)
眩い白光が収束し、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
鼻腔をくすぐったのは、焦げ付いた鉄の臭いでも、黄金の機械の油の臭いでもなかった。
それは、柔らかい陽光に温められた草木の香りと、微かに漂うベルガモットの芳香。
「……目覚めましたか、オズ様」
視界に飛び込んできたのは、吸い込まれるような瑠璃色の瞳。
膝の上に頭を乗せていたらしい。リリが、聖女としての仮面ではない、一人の年相応の少女としての、蕩けるような笑顔で俺を覗き込んでいた。
「ここは……」
「ルナールの街の、いつもの広場です。空を見てください。あんなに、穏やかですよ」
体を起こし、空を仰ぐ。
アイテールが構築した偽りの黄金は消え去り、そこには突き抜けるような青空が広がっていた。
【構造解析】を起動する。視界に流れ込むログは、これまでになく静謐で、合理的だった。
【世界OS:再起動完了】
【管理者権限:オズヴァルドへ完全譲渡】
【ステータス:全バグ(不条理)の自動デバッグ・プロセス稼働中】
【評価:極めて良好。これより「真の休息」フェーズへ移行します】
「……そうか。終わったんだな」
俺は、手のひらを握り、開いた。
前世から俺を縛り続けてきた「我慢」という名の重圧は、もうどこにもない。アイテールという名の「無能な最高経営責任者」を解任し、俺は世界のシステムそのものを、誰もが正当に報われる構造へと書き換えたのだ。
「オズ様! 無事だったのか!」
向こうから、セラフィナやグリム、エレノアたちが駆け寄ってくるのが見える。
彼らの顔には、もう怯えも、絶望もない。ただ、自分たちの足で立ち、自分たちの明日を信じる者だけが持つ、力強い輝きがあった。
「ああ、セラフィナ。街の損害状況は?」
「損害? 何を言っている。お前が放ったあの光が、壊れた建物を、そして傷ついた者たちの体までをも、完璧に修復してしまったんだぞ。……本当に、お前という男は、どこまで底が知れないんだ」
セラフィナが呆れたように、しかし深い敬意を込めて笑う。
「……単なる、リソースの再配分ですよ。あの日まで世界が溜め込んできた余剰エネルギーを、最も効率的な場所へ戻しただけです」
俺は立ち上がり、服の襟を正した。
23歳の若々しい体に宿る、40歳分の理知。俺はもう、誰かのためにボロボロになるまで働く「盾」ではない。この聖域の、すべての歯車を正しく回す「支配者」なのだ。
――数ヶ月後。
新しく構築された「合理的聖域」ルナールは、大陸で最も豊かで、最も平和な場所として知られていた。
ここでは、不当な搾取も、精神論による追い込みもない。
働いた分だけ報われ、休むべき時には誰もが等しく安らぎを得る。俺が導入した【貢献度ログ】と【自動最適化魔法】が、人々の生活を完璧にサポートしているからだ。
街の喧騒から少し離れた、見晴らしの良い丘の上のテラス。
俺は、お気に入りの椅子に深く腰掛けていた。
「オズ様、お待たせいたしました」
リリが、丁寧に淹れた紅茶をテーブルに置く。
かつて彼女を焼いていた魔力の暴走は、俺との【完全同期】によって、今やこの街のインフラを支えるクリーンな動力源へと変換されている。
「ありがとう、リリ。……うん、完璧な温度だ」
一口含み、深く息を吐く。
前世では、自販機のぬるい缶コーヒーを流し込むのが精一杯だった。
今は、誰にも邪魔されない時間がある。愛する者が隣で微笑んでいる。
「オズ様。教団の残党や、周辺国の使者たちが、また貴方の『知恵』を求めて門列をなしているそうですよ」
リリがいたずらっぽく笑う。
「……放っておけ。今は、定時後の休憩時間だ。緊急性のない案件は、すべて自動返信魔法で『仕様書を読み直せ』と送っておけと言ったはずだぞ」
「ふふ、相変わらずですね。でも、そんな冷徹な貴方に、みんな命を預けているんです。……もちろん、私も含めて」
リリが、俺の腕にそっと自分の手を重ねる。
その体温が、俺がこの世界を選び、書き換えたことが正解だったと教えてくれる。
俺はもう、死ぬまで我慢なんてしない。
理不尽には論理で返し、不条理には力で応える。
世界を支配するのではない。
ただ、俺の愛する者たちが、二度と「我慢」をしなくて済むように、俺がこの世界のルールであり続けるだけだ。
「……さて。紅茶をおかわりしたら、次はリリと一緒に、新しく導入した農園の自動収穫プロトコルの検品に行こうか」
「はい、オズ様。どこまでもお供いたします!」
空はどこまでも高く、青い。
俺の新しい人生は、今、最高に合理的で、最高に幸せな軌道に乗って走り出したばかりだ。
【最終ステータス:合理的聖域、構築完了】
【報酬:最愛のパートナーと、永遠の安息】
【――「これにて、監査終了」】




