王の命は絶対です。
その後の練習は、更に非道なものだった。
人権なんてあったもんじゃない。
骨を砕かれ、肺は潰され、意識が落ちる直前──魔力で発生させた水をブチかけられる。
三途の川を渡る頃、悪魔が無表情でやってくる。
回復魔法をぶっ放ち、俺の身体を“復活”させる。
──息つく間もなく
骨を砕かれ、肺は潰され……無慈悲攻撃、エンドレス。
夕餉の時間。
さすがにあの威張り腐った兄上様でさえ、生ける屍と化した俺を見て、苦笑混じりに「……ヴァルター、お前」と呟くのみだった。
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その夜、俺は泣いた。
ヴァルがそっぽ向く中、怒りの限りを叫ぶ。
「鬼! この人でなし! 悪魔!! ヴィラン!!」
「……ギル様、それ悪口になってませんよ」
「うるさい!もう寝る!!」
毛布を頭まで引っ掛け、潜り込む俺。
案の定、ヴァルは非道に告げる。
「明日、午前八時。魔術基礎理論。昼餉はなし。午後は攻撃呪文の──」
『あーーーーっ!』
毛布にくるまり、大声で耳を塞ぐ。
そんな俺の耳に微かに届いたヴァルの声に、ビクッと身体が反応する。
目元まで毛布を下げ、おそるおそる確かめる。
「ヴァル、今なんて言った?」
「────ですから、明日、鍛錬が終わり次第、罪人の断罪を行っていただきます」
「無理むり無理むり無理………………」
転生して二日目、俺のメンタルは早々にして崩壊を遂げた。
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次の日──
この世界に来て、初めての座学。
机を挟んで、一対一の対面授業。
ここでも、奴は容赦ない。
「姿勢が悪い」と背中に電流。
「覚えが悪い」と見えない拳。
寝ようものなら──命はない。
午後の鍛錬後、満身創痍の身体で俺は逃げた。
北に南に、西、東。
ありとあらゆるところへ逃げ惑った。
だが、しかし、奴の追っ手は緩まない。
生い茂った森の中。木の上に隠れた俺は、ヴァルの放った風圧魔法に吹き飛ばされた。
使用人に紛れても、皆が一歩下がって俺を振り向き、頭を垂れる。これぞまさに、ドーナツ化現象。
遠くで手を振るヴァルに、俺も爽やかに手を振った。
花壇の陰に身を潜め、息を殺す。
発光する草花の隙間から、奴の動きを探り見る。
「本当にしつこい方ですね」
不意に隣から声がした。
「全くです」
囁き返して、気付く────
隣でそっと微笑むヴァルを見て、俺は一目散に駆け出した。
撒いたと思った食糧庫。
俺は、扉をそっと閉め、缶詰の棚に紛れ込む。
──5分後、ひんやりとした空気が、火照った身体に気持ちいい。
──10分後、なぜだか身体が震え出す。濡れたシャツが冷たく凍る。
──20分後、歯がガチガチと震え始め、吸い込む空気が肺を刺す。
──30分後、寒さに堪えきれず、凍った身体を無理やり動かし、俺は食糧庫を飛び出した。
ヴァルが優しく出迎え、ふわりと毛布を掛けてくれる。
まるで、弱ったメンタルが見せる蜃気楼。
砂漠の中のオアシス──
彼の優しさに、俺は思わず涙ぐんだ。
「……ヴァルって、こんなにあったかいんだね」
鈍った思考の俺に、彼はにこやかな笑顔で告げる。
「マイナス45度までよく耐えました。お疲れさまです。さあ、参りましょう」
スワイプするように動かす彼の指先から、現れる透明な縄。
左手首をグルグルと巻かれ、俺の脳はフリーズしたまま、地下牢へと導かれた。
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地下牢への階段を降りた頃には、思考はすでに回復していた。
見えない縄が、左手首を締め付ける。
「ねぇ、ヴァル。この縄解いてよ」
「それは承諾できません」
「何でだよ。もう逃げないって」
「……直に分かります」
その言葉の意味を知るのに、そう長くはかからなかった。
地下牢の重厚な扉を開けた瞬間──
むせ返るような汚臭が全身を刺した。
「ごほっごほっ……おぇ……」
込み上げる嘔吐をなんとか抑え、頭を上げて周囲を見渡す。
誰もが想像するであろう、魔王城の地下牢。
その表現がぴったりだ。
薄暗い通路の両脇には鉄格子が並び、奥にはいくつかの扉が確認できる。
血のこびりついた壁や床。
かつての囚人のものだろうか。破れた衣服の破片が散らばっている。
一番手前、灯りのついた管理室の小窓から、看守が顔を覗かせた。俺たちの姿を認めるや否や、慌てて扉を開き、二人の看守が深く頭を下げる。
「ギルバート殿下、お待ちしておりました。ヴァルター卿、仰せの通り、準備は整えております」
「案内を」
ヴァルが短く告げ、俺たちは看守の先導で奥の扉へと足を進めた。
それは、まさに地獄だった。
やせ細った囚人が、鎖に繋がれている。
それぞれの檻には、排水溝が設置され、水桶だけが置かれている。
終始、聞こえる、すすり泣きやうめき声。
その中の一人とチラリと視線が交わり、俺は顔をしかめながら俯いた。
「殿下の御前だ、目を伏せろ!」
看守が腕を振り上げ、見えない鞭が囚人を打つ。
逃げたくても逃げられない。
繋がれた縄が、ぎゅっと手首を締め付ける。
仕方なく、俺はヴァルの後ろにピタリとついて行った。
──ガンッ!!
突然、激しい音とともに鉄格子が揺れた。
囚人が身を乗り出し、俺の腕を掴む。
「……え!?」
恐れ慄き、息を乱す。
助けたい──そんな勇気は、微塵も湧かなかった。
窪んだ瞳。その細い腕に似つかわしくない必死な力。
俺のちっぽけな正義感なんて、恐怖の前では無力だった。
ただ、ただ、恐ろしかった……
瞬時にヴァルの指先から光が迸り、腕は離れ、囚人は後方へ吹き飛ばされた。
壁からぬるっと縄が現れ、囚人を壁へ張り付け拘束する。
「……どういうことだ?なぜ囚人の鎖が外れている?」
ヴァルの鋭く低い声が、地下牢に響き渡る。
「管理はどうなっている。ギルバート殿下に身の危険があってはならぬ。……お前は、この責任をどう取る」
「申し訳ございません……っ!」
看守が必死に頭を下げ続ける。
そんなヴァルの背後で、俺は身を竦めながら怯えきっていた。
「看守、処分は追って知らせる。まずは、ギルバート殿下の行動を妨げるな。案内せよ」
「はっ……!」
看守は素早く背筋を伸ばし、震える手で扉を開く準備を始めた。
最奥の扉が開かれる。
その部屋は、地下牢とは思えないほど、清潔に保たれていた。
壁にかけられた拘束具や様々な器具、中央の異質な台さえ存在しなければ、この場所は、城の客間としても違和感ない。
戸惑う俺を見て、ヴァルが声を落とした。
「皇族専用の断罪の間です」
黙り込む俺を背に、看守が部屋を去った。
間もなく、看守に引かれるように囚人がやってきた。
もとの世界の俺と変わらないくらいの年頃の青年。
裸体に傷の滲む若き青年が、俺を怯えた瞳で見つめる。
看守が台に青年をうつ伏せに寝かせ、その身体を縛り付けたのを確認し、ヴァルが告げる。
「これより、王の命により、ギルバート殿下による断罪を始める。看守は、扉の外に控えよ」
「はっ……!」
彼が去った後、俺は台のそばに立たされた。
手には透明に鋭く光る鞭を握らされている。
こんなの、どう考えても無理だ。
俺には出来ない。
微動だにしない俺に痺れを切らしたヴァルが、細めた瞳で、詠唱を始めた。
俺の繋がれた左腕が、頭上へと引っ張られ、風を切り裂くように素早く振り下ろされる。
激しい打音が部屋に響く。同時に青年が大声で呻いた。
腕に伝わる感触とともに、全身に悪寒が走る。
……無理だ……こんなの、できない
呼吸は荒くなり、脈がドクドクと速まる。
「やめて……」
俺の哀願に、ヴァルは無情に首を振る。
「王の命は絶対です。逆らうことは、国家への反逆となります」
……目の前の青年。
この人はただ、掃除をしただけだ。
乾かし方が甘かった?
……いや、それだって怪しい。
やっぱり俺には、皇族の緩みを正すためのただの見せしめ──青年の犠牲を介した、皇族の教育にしか見えない。
次に腕を引っ張り上げられたとき。
ドクンッ!
────心臓が激しく跳ねた。
瞬時に血流が暴走を始める。急速に血液が左腕に鬱滞していく。
焼けるように熱い左腕を、右手で必死に掴む。
また、これだ……。
ダメだ……この部屋全体を吹き飛ばしてしまう。
あれを放てば、この青年の命はない。
震える俺の左腕に視線を寄せるヴァルの瞳が、俺を牽制する。
それなのに……腕の鎖は外れない。
そして、また腕が振り下ろされた。
その瞬間、俺の左腕から、魔力が光の奔流となって放たれた。
迸った閃光は、狙う場所を求め、頭上を荒れ狂う。
彷徨う光は周囲に飛散し、激しい爆風を巻き起こす。
────部屋の一切が吹き飛ばされる。
突然、迫り上がる嗚咽に耐えきれず、俺は右手で口元を押さえた。
青年の安否を確かめる余裕さえない。
「……ゴボッ」
むせ返る俺の手が受け止めたのは、自分の身体から漏れ出た──大量の血だった。
次の時には、俺の意識はもう、闇の中に閉ざされていた。
目を覚ますと、俺は自室のベッドで横たわっていた。
上から覗くヴァルを見て、俺の記憶が瞬時に戻る。
彼の肩をぎゅっと掴み、俺は起き上がった。
「あの人は!?俺……」
呼吸が震える。吐き気がする。
頭が脈打つように痛み、身体に力が入らない。
ヴァルは動揺する俺をそっと寝かせ、真面目な表情を浮かべた。
常に冷静なヴァル。
その彼が今、眉を寄せている。
どうやら本気で心配してくれているらしい。
……何だよ。いつも俺のこと、半殺しにするくせに。
でも、その表情に、なぜか俺は、あっちの世界の父さんや母さん、妹の顔を思い出し、胸がきゅっとなった。
ヴァルは、俺が少しだけ落ち着いたのを確認し、言葉を落とした。
「ご安心ください。魔力が放たれる瞬間、あの囚人にも守護術式を施しました。無事です。
ですが、ギル様……。貴方の今の感情による魔力増幅は危険すぎます。その力は、敵や味方関係なく攻撃する。そして、それはギル様自身にも向けられています」
ヴァルの言ってることが、よくわかる。
この左腕。今もまだジンジンと脈打つように疼く。内臓が締め上げられるような痛みも続いている……。
……もし、あの時、ヴァルがいなければ
「私に考えがあります。また後日、お話します。今日はもうご休息ください」
ヴァルの優しい言葉に包まれて、俺はそのまま眠りについた。
その夜、夢を見た。
学校から帰ってきた俺が玄関を開けると、そこには、父さん、母さん、妹の楓がいた。
「おかえり」
「皆でお出迎えなんて珍しいね〜。苦しゅうない、苦しゅうない」
俺は王子様気分で、リビングに入る。
扉の向こうには、見覚えのある制服の少女が立っていた。
なんだか懐かしい。
俺の大切な人のはずなのに、名前が出てこない……。
「祐希、おかえり」
その声を聞いた瞬間、胸の奥にわずかな痛みが広がった。
「ただいま」
そしてその隣には──
一人の男がソファに腰を下ろしている。
誰だっけ?家にいるんだし、おそらく俺の家族だろう。
「おかえりなさいませ、ギル様」
「…………」
俺の視線が彼の手元に吸い寄せられる。
彼は優しい笑顔で、何かを差し出した。
愛と優しさの詰まった、悪魔の贈り物。
まさか、この贈り物が正夢になろうとは……。
この夜の俺は──夢にも思っていなかった。




