03 ヘレーネ叔母さんの家にて
叔母さんが暮らしているはずの村を訪れる。
この国での典型的な地方の農村だ。
小さな教会、まばらな民家、近くから遠くにいくつか見える畑。荒れている畑もある。
ああいう場所を耕す代わりに使わせてくれないかしら。
私の【植物魔法】、そういえば植物を動かすとか、そういうのはやったことがない。
でも前世のファンタジーだとむしろ、植物を操作して武器にする方が定番よね。
労働力の代わりに植物を操作したりできないかな?
……出力の問題で出来なそう。
公爵家の血筋だからか、私の魔力量は多いと聞いたことがあるのだけど。
これまでの経験から【植物魔法】自体にその魔力量を反映するキャパシティがない気がする。
とにかくできそうなことは片っ端から試していきたいわね。
「……ここだわ」
一つの民家の前に立つ。六年以上前の記憶、一度だけ訪れたことのある家。
ヘレーネ叔母さんの容姿は母に似ていたはずだ。
緊張をほぐすように息を整える。
少し気になる点は、家が少し寂れている気がすること。
コンコンと不快にならないような音でノックし、中の様子をうかがった。
「あのー……。ご在宅ですかぁ……?」
どこの訪問販売だという声をかける。声が小さかっただろうか。
アポのない突然の訪問なので居留守を使われそうだ。
しかし、私の方はそれでは困る。
ここまで来た以上、話ぐらいはしなければ。
私の人生が懸かっているのである。
「叔母さぁん……? いますかぁ? アーシェラです。姪のアーシェラでぇす!」
扉越しに名乗りを上げる。幸い周囲に村人はいない。恥ずかしさも軽減される。
「…………」
返事ないな。いないのかな。ちょっとホッとする。私って結構、小心者ね。
でも、どうしようか。
叔母さんとの接触をあきらめて移動する? それもどうなのか。
ふぅっと息を吐いたあとだ。
ゴトッ。
と。家の中から小さな音が聞こえた。
それだけで中に人がいることがわかる。
居留守だったか。
でも、ただの訪問者を警戒して家の中で息を潜める必要ある?
叔母さんがいるなら私は名乗ったわけだし、出てきてくれてもいいような。
そう思うことが図々しいのかな。
でも、中に人がいるとわかってしまった以上引けなかった。
「ヘレーネ叔母さん……。話だけでも聞いてもらえないですか? 姪のアーシェラです」
再度、扉越しに声をかけてみる。決して威圧的な態度にならないように。
しかし、再度の声かけから時間が経っても中の人が動く気配はない。
もしかして勘違い? でも、音がしたのは確かだと思う。風だろうか。
私は迷う。ここで粘るべきか、それともあきらめて去るべきか。
人生を懸けた選択だ。
資金は無尽蔵ではない。ここに来るまでに結構使ってしまった。
教会に世話になるにしてもヘレーネ叔母さんと話してからの方がいいだろう。
「ヘレーネ叔母さん……」
再度、あちらが出てきてくれないかと希望を託して声をかけた。
だが、やはり無反応だった。応対もしたくないのかな。
厄介事の自覚はある。あきらめるしかないならそれはもう仕方ないか……。
ガタリ。
すると、また音が聞こえた。
「叔母さん……?」
なにか様子がおかしくない? 気のせいだろうか。
自分が迷惑だから出てこないのかと思ったが、或いは中で問題が起きている可能性が?
「あの、叔母さん? 大丈夫ですか?」
注意深く耳を澄ませて中の様子をうかがう。
最初は感じなかったが、人の気配があるような気はする。
でも、なんというか息を潜めて外の様子をうかがっているような気配ではない?
「叔母さん……その、少し、失礼します?」
私は叔母さんの家の扉を見る。木製の扉に金属のリングノブの作りだ。
ガチャリと回すようなドアノブではない。日本のような引き戸でもない。
意を決し、リングノブを引いてみた。すると、あっさりと扉は開く。
この時点で何やら嫌な予感がした。
田舎の民家では家の鍵をかけないことも多いが、それは前世の話。
果たしてこの国でも同様の文化なのだろうか。
「叔母さん……お邪魔します、アーシェラです。中、入りますよ……?」
不法侵入にならないように声をかけつつ、名乗りながら、おそるおそる入っていく。
家の中の空気は、かび臭く感じる
他人の家特有の空気というより、これは。
「もしかして、人が住んでない?」
そう。なんというか、廃墟に足を踏み入れたような気配なのだ。
しかし、家の中から音が聞こえたのは事実だった。
だから家の中には人がいるはずなのだが。
叔母さんが家の中にいたなら、無断で入ってきた私に対して何か反応があるはずだろう。
けれど、そんな反応もなくて。
思わず私はゴクリと唾を飲み込む。いったい、中に誰がいるの?
もしかして、それこそ不法侵入者?
叔母さんが家の中にいるとは到底思えなくなってきた。
「誰かいるの……?」
私は家の中にいる何者かに声をかけつつ、慎重に進む。
そこまで広くはない家だ。
だから探索はあっという間に終わる。そして。
「……え?」
そこにいたのはヘレーネ叔母さんじゃあなかった。
けれど不審者でもない。
「だ、大丈夫⁉」
奥の部屋に……子供が倒れていたのだ。
おそらく私が聞いた音の正体だろう。
倒れていた子供に私は慌てて駆け寄る。
もしかしてヘレーネ叔母さんの子供?
私は倒れている子供の様子を見て、額に触れる。
「この子、熱がある!」
家に子供一人だから、そもそも熱があるから、まともに対応ができなかったのか!
「大変!」
私は慌てつつも、倒れている子供の頭を揺らさないようにゆっくりと抱き起こす。
うつ伏せに倒れていたため、少しでも呼吸がしやすい姿勢に。
せめてベッドに運ぼうと思ったが、見るとベッドには埃が積もっているようだった。
「これは……」
家の中の状況からよくない雰囲気を読み取る。でも、そんなのはあとだ。
「──浄化」
生活魔法を用い、ベッドや子供……少年だと思う……の衣服を浄化する。
衣服とベッドを清潔にしてから、改めて少年を揺らさないようにゆっくりと抱きかかえ、ベッドに移動させた。簡素な作りのベッドだ。
少年の身体が軽い。きちんと食べていないのだろうか。
痩せ衰えている様子だった。
かなり危険な状態のように思う。
見る限り、まだ十歳にもなっていないような子供なのだ。
下手な対応をすれば命に関わる。
すぐにでも医者に診せたいところだが、小さな村だった。
医者がこの村に常駐しているとは思えず、また私は余所者の厄介者だ。
ヘレーネ叔母さんがいない以上、この少年との関係を説明することもできない。
そもそも、この少年が何者なのかさえ不明で、私が勝手に家に上がり込んでいる状態だ。
私について、とやかく問答している時間の余裕は今この少年にはないように思う。
今は応急処置だけでも、このまま私の手で行うべきだ。
「……だれ……?」
「あ、気がついたのね。いいのよ、起きないで。寝たままで」
幸い、少年は目を覚ました。生きている。
先程までの状態を考えると、寝ていたのではなく気を失っていたのかもしれない。
「……だれ……」
「私はアーシェラ。この家に……その、住んでいた? 叔母さんを訪ねてきたの。あやしい者じゃないわ。あ、叔母さんの名前はヘレーネよ。私はヘレーネ叔母さんのお姉さんの娘なの」
「……お母さん、の、お姉さんの……むすめ」
「あなた、ヘレーネ叔母さんの子供なのね? そう、私はあなたの親戚よ。家族みたいなもの。だから、悪いようにしないからあなたの看病をさせてちょうだい」
「…………」
少年はおそらく意識も朦朧としているだろう。熱があるのだ。
「とにかく今はこのまま休んで……いえ、水をくんでくるわ。水を飲んで、そのまま寝ていて、ね」
「…………うん」
幸い、少年は私を素直に受け入れてくれた。
もちろん今だけ、きちんとした判断ではないかもしれないが、見知らぬ他人を警戒できる状態ではないのだろう。
私は少年をベッドに寝かしつけたあと、すぐに家の中を見回す。
家の中にあった水瓶を見つけ、コップに水をくもうとする。
「ほとんどないじゃない」
また嫌な予感がした。
この家、ヘレーネ叔母さんが生活している痕跡がないのだ。
小さな子供はいるけれど、叔母さんも一緒に暮らしていたら、こうなってはいないんじゃないだろうか。
廃墟の中に少年一人が辛うじて暮らしていたような、そんな気配。
ベッドにさえ埃が積もっていた様子に戦々恐々となる。
「……詮索はあとよ」
生活魔法で飲み水を少しだけ注ぎ足しておく。加えて浄化をかけた。
私は魔法出力が低いので水瓶を完全に満たすのは時間がかかるから、それはあと回しだ。
少年に飲ませるための水をくみ、ベッドに戻る。
また少年をゆっくりと抱き起こし、なんとか水を口に含ませていく。
「ゆっくり、ゆっくりでいいからね。水はいくらでも用意出来るから遠慮も要らないのよ」
「…………」
少年は熱が出ていて汗もかいていた。
もしかしたら脱水症状もあるかもしれない。
流行り病なのだとしたらどうにもならないかもしれないが、ただの風邪なら水を飲んで清潔にしていれば快復の見込みもあるはずだ。
できればスープなども用意してあげたい。
少年の様子と、家の中の状況を考えると、彼がいつから一人なのか聞くのも怖かった。
食事さえ満足にできていないのではないかと。
そう思えるほどに少年は痩せている。
「ゆっくり、水を飲んだら……スープを作ってあげるからね。寝られるなら寝ていいのよ」
私は必死になって少年の看病を始めた。




