第6章:仮の同行者たち
― 6-1話「濡れた道と声を持つ獣」
午後の空は、重たい雲に覆われていた。
森を抜けたばかりの山道。ぬかるんだ獣道を、レオたちは無言で歩いていた。
風が湿っている。
「……来るな、これ」
レオが空を見上げて呟くと、メイリアが軽く頷く。
「ええ、雷のにおいがする」
彼女のローブが、風にあおられて揺れた。
その隣でハルグが肩をすくめる。
「だったらちょうどいい。あそこ、小屋がある」
道の先、森の外れにぽつんと建つ廃屋。
傾きかけた屋根。苔むした壁。けれど、雨風をしのぐには十分だった。
ハルグがずかずかと先に入る。レオとメイリアが続き、最後にガルドが周囲を警戒しながら入り口付近に腰を下ろした。
小さくなっていたその体は、犬のように見える。だが目は、誰よりも冷静に外を見ている。
「……賢い子ね」
メイリアがぽつりと言った。
「人語は話さないのね?」
「ああ。話す魔物は基本、人型だけらしい。ガルドは、そういうのとは……違う」
レオが答えた。
「魔族に近い連中は言葉を持ってるって話も聞いたことがあるわ。模倣じゃない、ちゃんと考えて話す“魔物”……」
メイリアは言いかけて、黙る。
ハルグが手を振った。「雨が降りそうな時に物騒な話すんなっての」
外では、ぽつぽつと音が降り始めていた。
***
「なあ、あの“魔族の言葉”って……聞いたことあるか?」
ハルグが干し肉をかじりながら呟いた。
「言語体系として確立されてる、らしいわよ。解析した学者もいるって」
メイリアがぼそぼそと応じる。
レオは窓際に座り、手元の地図を見ていた。
どこか、周囲の音が妙にこもっている気がする。
「……静かすぎる」
そう言ったときだった。
――トンッ。トンッ。
扉の向こう、軽い音がした。
何かが、小さく何度か叩いたような、妙な“間”のある音。
レオが扉に近づこうとした瞬間――ガルドが立ち上がった。
背を丸め、低く唸る。敵意ではない。だが、強い警戒。
「下がって」
メイリアが即座に結界の詠唱に入る。
レオは扉の隙間から、外を覗いた。
いたのは、獣だった。
狼に似た姿だが、毛並みは荒れ、目がどこか濁っている。
左肩に傷があり、足を引きずっている。人語は話さない。だが――その目は、こちらを見ていた。
一歩踏み出したとき、レオは気づいた。
その獣が、口を半開きにして何かを「まねて」いることに。
「……た、す……け……」
音としては人語に近い。けれど、意味はない。
断片的に聞き覚えのある言葉を、喉の奥で真似ているだけだ。
「知性はない」
メイリアが冷静に言った。
「話す魔物ってのは、人型に限られてる。そいつは模倣してるだけ。意味を知らずに口にしてるだけよ」
「それでも……」
レオは腰の袋から薬草を取り出し、小屋の縁に置いた。
「来るなら、取ればいい」
獣は、しばらくじっとしていたが――
やがて一歩ずつ近づき、草をくわえ、静かに森へと戻っていった。
去り際に、ほんの一度だけ振り返り、濁った目でレオを見た。
***
「……不思議なもんだな」
ハルグがぼそりと漏らす。
「言葉を真似るだけの魔物に、あんな目されると……こっちが変に考えちまう」
「模倣でも、意味がなくても……言葉ってのは届くのね」
メイリアがかすかに呟いた。
レオは何も言わず、扉の外――獣が消えていった森の奥を見つめていた。