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高校生編

 かおるの幼馴染は、まぶしくて遠い。まるで彗星みたいに。

 ――と思っていたのは、すこしまえまでのこと。

 

 高校二年生の春である。

 馨は悩んでいた。

 中学校の卒業式のすったもんだのあと、幼馴染の鹿乃子かのこと付き合いはじめて、一年とすこしが過ぎた。

 四月は鹿乃子の誕生日だ。

 付き合いだしてひと月目だった去年は、高校の帰り道、鹿乃子に街のショッピングモールに入っている雑貨屋さんに連行された。


 鹿乃子は友だちとよく行っている店のようで、慣れたようすでくるくると店内を見て回ったあと、壁際にぽつねんと立っている馨の腕を引き、「わたし、これが欲しい!」とバレッタを指した。淡い黄色のミモザの刺繍が入った楕円形のバレッタで、確かにミモザの明るい色合いは鹿乃子に似合いそうに思えた。


「わ、わかった」


 うなずき、馨は鹿乃子から受け取ったバレッタを買った。

 正直、ミモザのバレッタ以外は、狭い店内にぎゅうぎゅうに陳列されたアクセサリーや雑貨を壊しそうでひやひやしたことしか覚えていない。

 馨にはすごく華奢に思えるバレッタを店員さんにラッピングしてもらい、これもまたちいさすぎるように思える紙袋に入れてもらって、店の外で待っていた鹿乃子に渡した。自分で選んだものだけど、「かわいい! センスがいい!」と鹿乃子はたいそう喜んだ。そのあとは、ふたりでいつものように商店街に入っている店の揚げたてコロッケを食べて帰った。


 馨にとっては大切な思い出だけど、もし全国高校生彼氏テストがあったら、二十五点の赤点だと思う。鹿乃子にぜんぶお膳立てしてもらっているのだ。

 付き合いだして、二度目の誕生日。

 ――次はちゃんと自分で選ぼう、と馨は思っている。



「……なに、馨くん?」


 二週間後に迫った誕生日プレゼントについて考えていると、隣に座る鹿乃子が顔をのぞきこんだ。

 馨と鹿乃子は、バスを乗り継いで同じ高校に通っており、特に中継地になるバス停は、次のバスが来るまで待たされることが多い。屋根つきのちいさなバスの待合所で、ふたりは並んでベンチに腰掛け、よく取り留めのない話をしていた。


「え?」

「なんだか、今日は特にぼうっとしているから」

「そうだった?」

「うん」


 散り際の桜の花が、待合所の屋根にかかっている。

 アスファルトに白い花びらが落ちて、まるで一幅の絵画のようだ。

 馨はしばらく切り出しかたを考えたあと、口をひらく。


「かの、最近欲しいものとかある?」


 切り出しかたを悩んだわりに、ほぼ直球の問いかけだった。

 馨はもともと、婉曲的な言い回しや本音と建前の使い分けみたいな会話術が得意ではない。素直に訊いてしまうし、素直に答えてしまう。


「欲しいもの? ……あっ足袋が欲しいな! わたしの穴があいちゃって。あとマジックテープ帯!」


 高校に入学すると、鹿乃子はそれまでの陸上部から一転、弓道部に入部した。

 本人は、馨くんが神事のとき袴はいているの見ていいなと思った、と言っていた。

 家が神社の馨からすると、着物も袴も子どもの頃からふつうに着るものなので、新鮮に思う人間もいるのか、とふしぎなかんじである。

 入部動機は袴への憧れだったが、やりはじめるとやはり鹿乃子らしく、めきめき上達し、年明けにはさっそく新人大会に出場して好成績をおさめていた。今は地区大会に向けて練習に明け暮れている。

 

「足袋とマジックテープ帯……」


 もちろん、弓道部で使うあれこれである。

 鹿乃子が欲しいならそれでいいのかもしれないけれど、誕生日プレゼントっぽさには欠ける気がする。全国高校生彼氏テスト二十五点なので、いまひとつ自分の感覚にも自信がなかったけれど……。


「ケーキがいいな。馨くんの手作りの」


 ううんと馨が難しい顔で考え込んでいると、ふいに鹿乃子が見透かすような声で言ってきた。

 瞬きをして振り返る。鹿乃子はにこにことうれしそうに頬を緩めている。


「わたしの彼氏がわたしの誕生日のことずっと考えてくれて、うれしいなー?」


 なんできづかれているんだと馨はびっくりしてしまう。

 何も言っていないのに、鹿乃子にはぜんぶお見通しらしい。


「……ケーキがいいの?」

「うん。クリスマスにも作ってくれたじゃん、ブッシュドノエル。かわいくておいしかった」


 鹿乃子はべつになんということもないようすで、すらすらと述べる。 

 幼稚園時代は滑り台のうえの女帝として君臨し、小学生になると児童会長として民主制を敷き、中学生になってからは恋がしたい!と奔走していた鹿乃子は、すったもんだあった卒業式のあと、馨と付き合い始めるや、ぱっとかわいくてすてきな彼女に転身した。

 なんだかとても自然である。

 付き合い始めの頃、火曜と木曜は部活がないから一緒に帰ろう、と言いだしたのも鹿乃子だし、付き合ってしばらく経った頃、帰り道にえいっと手をつないできたのも鹿乃子だ。馨は内心とても驚いて、自分よりずっとちいさく感じてしまう鹿乃子の手をそっと握り返すので精一杯だった。

 鹿乃子は、どきどきする、と言って、機嫌よさそうにわらった。

 初夏の風が隣を歩く鹿乃子の髪をふわっと流していき、胸がきゅっとなった。

 それは、ずっと片想いをしていたときとちがう、ざらめ糖のような甘さも含んだせつなさだった。


 それにしても、鹿乃子のこの自然な彼女っぷりはどういうことなのだろう。

 昔から、滑り台のうえの女帝になったり、児童会長になったり、中学では全国放送コンテストでグランプリを獲ったり、バイタリティがありすぎる鹿乃子だから、彼女に転身するくらい簡単なことなのかもしれないけれど、馨のほうは適応力も器用さもないから、何もかもがとっても難しい。同じくらい、新鮮な驚きもたくさんあったけれど……。


 今日の鹿乃子は放送委員の仕事で遅くなるというので、馨はひとりで下校した。

 途中で思いつき、バスを乗り継いで、ショッピングモールのほうへ出てみる。

 記憶を頼りに鹿乃子に以前連れて行かれた雑貨屋を探し出すと、春らんまんフェアと店先にポスターが貼られていた。中にいるのは女子ばかりだったが、とりあえず、そーっと端のほうから店内をうかがう。花をかたどったブローチやバレッタがやはりぎゅうぎゅうに陳列されている。

 バレッタは去年贈ったから、まず選択肢から除外。

 ブローチは鹿乃子がつけているのを見たことがないけれど、どうなのだろう?

 イヤリングコーナーはときどきピアスとノンホールピアスが混じっていてよくわからない。ノンホールピアスって結局穴はあける必要があるのかないのか、どっちなんだろう……?

 考え込みながら、うろうろと店内をさまよっているうちに端までたどり着いてしまった。


「――かのちゃんへのプレゼント?」


 後ろからぽんと肩を叩かれ、「わっ」と馨は大仰な反応をした。

 はずみに指輪コーナーに激突しかけて、なんとか横の壁によける。


水原みずはらさん?」


 鹿乃子の小学校からの友人の水原(とも)だ。すこし癖のある猫っ毛をポニーテールにしている。馨とちがって一度帰宅したあと来たらしく、私服のニットにジーンズをはいていた。


「ごめん、驚かせて。今日はかのちゃん、一緒じゃないんだ?」

「放送委員会の仕事のあと、部活に出るって言ってた」

「相変わらずパワフルな生活してるよねえ」


 中学生のときは一緒に放送委員をやっていたらしいが、高校生になると、朋は委員会には入らずショッピングモールの飲食店でバイトをしていると鹿乃子から聞いた。ちなみに馨は中学も高校も帰宅部だ。早く帰ったときはだいたい、家の神社の掃除や事務の手伝いをしている。


「もしかして、かのちゃんの誕生日プレゼント選んでるの?」

「……うん。俺、そんなにわかりやすい?」

「というか、坂上さかがみくんこういうお店入らなそうだから、それ以外考えられない」


 そういうものなのか、と馨は腑に落ちた。

 確かに鹿乃子と付き合わなければ、一生入ることはなかっただろう。

 母親にも誕生日プレゼントは贈るけれど、幼い頃は肩たたきを、お小遣いを溜めるようになってからは、一升瓶を所望される。

 

「指輪? 買うの?」


 ちょうど馨がいたのは店の最奥の指輪コーナーだった。

 硝子のケースに並んだ指輪を見て、馨はぶんぶんと首を横に振った。


「さすがに、それはまだ買えない……」

「『まだ』なんだ?」


 訊かれた意味がよくわからなかったが、「うん」と馨はうなずく。

 まだ買えない。


「付き合って一年くらい経つ? ふたり、すごく仲良しだよねえ」

「……そう見える?」

「見えるよ。かのちゃん、高校に入学してから、クラスでも委員会でも部活でも、坂上馨くんが彼氏です!世界でいちばん好きです!って宣言してるからね」

「ええっ」


 クラスもちがうし、馨は委員会にも部活にも所属していないから知らなかった。

 もしかして、ときどき鹿乃子のクラスの男子とか放送委員会の先輩が馨のクラスにやってきて、「坂上ってやついる?」などと呼びだすのはだからか。彼らはいつも、馨を上から下まで眺めて、少々不可解そうな顔をしたあと帰っていった。

 何しに来たんだろう?と馨はふしぎに思っていたが、あれは鹿乃子の彼氏を見に来ていたのだ。ほんとうに信じたのかは謎だが。

 

「かの、そんなこと言ってたんだ……」

「かのちゃんモテるから、先に言っておかないと、勝手に好きになられたり、告白されたりしちゃうじゃん。それで坂上くんとのあいだがおかしくなったら困るでしょ?」

「うん……?」


 馨の人生ではおよそ考えたことがない配慮なので、いまひとつピンとこない声が出てしまう。

 でも確かに鹿乃子は中学生のときも、よくクラスメートや委員会の先輩から告白されていた。そんな話を境内にやってきて、馨に対して打ち明けるのだ。馨はいつももやもやしたけど、でも鹿乃子のことなのに横から口を出すのもおかしい気がして、がまんして話を聞いていた。鹿乃子は明るくてパワフルで、そこにいるだけでぱっと目を惹かれる女の子で、いろんなひとが鹿乃子を好きになる。

 なのに、鹿乃子は馨のことをいちばん好きだと言ってくれたのだ。

 

「裏で坂上くんに何かしようものなら、かのちゃんの制裁がくだるしね……。とにかくかのちゃんは、坂上くんがすごく好きだから、きっと何をあげても喜ぶよ」

「……ほんとうは、かのからはケーキ焼いてって言われたんだけど」

「ええー、なら焼けばいいじゃんケーキ。すてきだよ」

「うん」


 たぶん朋の言うとおり、鹿乃子は馨が言われたとおりケーキを焼いても喜んでくれるだろう。雑貨屋で何を選んでも、それがたとえ鹿乃子の趣味とはちがっても、目を輝かせて受け取ってくれるだろう。

 すこし迷ったあと、でも今年はここはやめよう、と馨は思い直した。

 今年は自分で考えて選んだものを鹿乃子にあげよう。

 全国高校生彼氏テストでは赤点かもしれないけれど、でも難問は自分で解くから意味があるのだ。たとえ、ほかのひとより、うまくできなくても。



 鹿乃子の誕生日当日はあいにくの雨で、しかも残念ながら、放送委員会の集まりの日だった。


「今日に限って、会議が伸びるなんて最悪だよ……」


 バスの待合所のベンチに座った鹿乃子は、めずらしくご機嫌斜めである。

 夕暮れどきで、外は暗くなりはじめている。待合所には馨と鹿乃子以外おらず、屋根に落ちる雨音がひっきりなしにしていた。濡れた二本の傘をベンチに立てかけている。


「今日は馨くんとたくさんおしゃべりしようと思っていたのに。あっ、誕生日ケーキ作ってくれた?」

「うん。家の冷蔵庫に入れてある」

「そっかあ。じゃあ、馨くんのおかあさんとか、うちの親とか、みんなで食べよう。蝋燭十七本ある?」

「家の中のかき集めたら、ちょうどあったよ」


 鹿乃子は目に見えてうきうきしている。日曜にデートの約束をしていたけれど、今日は平日なので、両家まじえての誕生日祝いである。ふたりが付き合っていることは、どちらの親も知っていた。そもそも、家が近所なので隠せるわけがない。

 馨は雨粒が落ちるアスファルトを見つめた。


「――かの、誕生日おめでとう」

「うん? うん、ありがとう!」


 あらためて口にした馨に、鹿乃子はちょっとふしぎそうな顔をしたあと大きくうなずいた。はずみに左右の三つ編みが跳ねるように揺れる。

 馨は通学用のリュックから、教科書のあいだに挟んでおいた封筒を取り出す。折れていないのを確認したあと、「はい!」と恥ずかしくなるまえに鹿乃子に渡した。


「誕生日プレゼント!」

「えっ! ケーキだけじゃないの!?」

「ケーキは誕生日ごはんのほうだから」

「ふたつもくれるの? ……手紙?」

「ううん」


 ひらいた封筒から、鹿乃子の手のうえに落ちたのは一枚の栞だ。

 長方形のそれを目のまえにかざすようにして、鹿乃子が口をひらく。


「クローバー? 四葉の?」

「うん」

「これ、自分で作ったの?」

「……うん」

「探してくれたの? クローバー、馨くんが探してくれたの!?」


 大きくひらいた鹿乃子の眸がきらきらと輝きを増す。

 たぶん、ふつうの彼氏が贈るようなすてきなかんじじゃなくて、すごく不安だった。もごもごとそういうことを言おうかと思ったけれど、鹿乃子が頬を上気させて栞を見つめているのでやめた。

 喜んでくれている、とわかったからだ。

 それから、俺が大好きになった女の子は、こういうときにまっすぐ喜んでくれるひとなんだ、と思って、急に泣きたくなった。大好きの気持ちがまた膨らんだ。


「ありがとう。すごくすごくうれしいよ! 家宝にするよ!」


 そんなに、と思わず馨はわらってしまった。

 緊張がゆるんで、引き合うように目が合う。

 鹿乃子は臆することなくわらい返して、栞を持っていないほうの手をつないできた。一度握ったあと、指を絡め合う。馨がすこし腰を浮かせて、鹿乃子の頬に触れると、プレゼントで興奮していたせいか、ちょっと熱い。

 鹿乃子が目を瞑った。長い睫毛のふるえも、微かな吐息も聞こえてきそうで、どきどきした。いつも、心臓がこわいくらい打ち鳴って、つい早くに目を瞑ってしまうのだ。


「…………」


 唇が触れ合う。

 ちょっとズレる。


(あっ)


 ちょっとズレてしまうのだ。いつも!

 またやってしまった……としょぼくれていると、


「ふふっ」


 こらえきれなかったようすで鹿乃子がわらいだした。

 

「もう、わたしの彼氏がかわいすぎる」

「ええ!?」


 笑みの余韻を残したまま、鹿乃子は馨にまっすぐ目を合わせて、今度は自分のほうからくちづけてきた。

 また鼓動が跳ねる。

 まるで春風が舞い込んだみたいなくちづけだった。

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