表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

中学生編(前編)

 鹿乃子かのこの大好きなおばあちゃんはつねづね言っていた。

 恋はとってもすてきなもの。女の子も男の子もきらきら輝かせてくれる。

 だけど、かのちゃん。取り扱いには要注意よ。

 恋はいたずら好きの妖精みたいに、気まぐれでいじわる。

 うっかりすると、大惨事になるからね――……。


 祖母の忠告を胸に、鹿乃子は満開の桜に祝われ、ひよどり中学校に入学した。

 滑り台のうえの女帝として君臨した幼稚園時代、児童会長として民主制を敷いた小学校時代を経て、中学時代の鹿乃子は、恋に生きる少女として再度、華麗なる転身を遂げた。

 目標は、すてきな恋をして、その相手とお付き合いをすることである。

 ひとまず、中学一年生のあいだに相手を見つけて恋に落ち、中学二年生までに告白をして、中学三年生はすてきなお付き合いライフを送ると計画を立てた。

 何事も、壮大な目標と綿密な計画が大事である。ちなみに、なぜこの計画時期にしたかというと、鹿乃子が小学生の頃から愛読する少女漫画のヒロインたちは、みんな中学生になると恋をしてお付き合いしていたからである。

 彼女たちにあやかって、わたしも恋をしよう!と入学式の日、薄紅色の桜が舞う中、鹿乃子は決意した。


 鹿乃子は昔から、目標のために努力を惜しまない性格である。

 決意を固めるや、さっそく、ずっとおばあちゃんからもらっていたお年玉をはたいて、隣町の美容院に行き、髪をきれいにカットしてもらった。ただのセミロングだったが、美容師さんの手にかかると、ふわっとして、さらっとして、いいかんじである。すごくかわいくなった!と鹿乃子は満足した。


 物を言いすぎる性格は直せないので、べつにいいや、と思ったが、無駄にえらぶるのはやめた。幼稚園時代、女帝として君臨した名残で、小学生のときも少々、えらそうにふるまっていた自覚はあるが、一部の級友にはこわがられていたし、えらぶるのにも飽きたので、ふつうにしゃべることにした。

 そして、毎日イメトレは欠かさない。

 何のイメトレかといえば、恋をするイメトレである。

 きっと鹿乃子の運命のひとは、出会った瞬間に、背景に花が咲くと思うのだ。

 薔薇かもしれない。いや、日本風に桜かも。シロツメクサやツユクサの可能性もあるので、見落とさないように日々気を付けている。


 しかし。

 しかしである。

 中学二年生の夏。ちょうど中学校生活の折り返し地点。

 なんと、鹿乃子はお付き合いはおろか、告白もおろか、まだ恋にさえ落ちていない。

 これはゆゆしき事態である。

 たいへん、ゆゆしき事態である。

 どうしてこうなったのだろう? 

 進捗遅れは目標の未達成へとつながる恐れがある!

 十四歳の鹿乃子には、計画の軌道修正と改善が求められていた……。

 

「それは、かのちゃんがいけないと思うなー」


 現状について訴えると、小学生の頃から仲良しの水原みずはらともちゃんが、芋けんぴをぽりぽり食べながら言った。

 ふたりは今、放課後の放送室で、あしたの放送原稿の確認をしている。

 朋ちゃんとは入学したとき、一緒に放送委員会に入った。学級委員は小学生のときさんざんやったので、今度は別のことがやりたくなったのだ。一度決めたら興奮した猪のように邁進するが、鹿乃子はわりあい飽きっぽい性格だ。好奇心旺盛なので、あれもやりたいし、これもやりたくなる。

 中学生の鹿乃子の三本柱は、恋と放送委員と陸上部だ。


「どうして? 悪いのわたし?」


 鹿乃子は心外そうに唇を尖らせる。

 そうだよ、と朋ちゃんは呆れた顔をした。芋けんぴが入った袋を鹿乃子にも勧める。


「おとといも西園寺先輩の告白、すげなく断ってたじゃん」

「だって、西園寺先輩は背景に花咲かなかったし……」

「花? なに?」

「恋をすると背景に咲くはずの花です」

「いつもそれ言っているよね……」


 西園寺先輩は同じ放送委員で、一個上の先輩だ。やさしくて、言葉選びが丁寧で、きっと付き合ったらすてきなんだろうけど、目を凝らしても、背にはツユクサもシロツメクサも舞っていなかった。好きって言われたのに、ぜんぜんどきどきもしなくて、これはちがう気がする、と判断し、鹿乃子は誠実にごめんなさいをした。いくら計画の進捗遅れを憂いていても、好きじゃないひとと付き合うのは不誠実だ。


「わたし、実は見る目ない? それか恋愛の才能がない?」


 入学時からしっかり目標と計画を立て、毎日努力やイメトレをしているにもかかわらず、一年半経ってもこのありさまなのだ。たとえば運動音痴という言葉があるから、恋愛にも恋愛音痴というものがあるのかもしれない。もちろん、音痴をリカバリーするための努力を重ね、計画はここで見直しをかけるつもりだ。


「かのちゃんに告白する男子はときどきいるじゃん。ぜんぶ振ってるだけで」

「……もしかしてわたし、悪女というやつ?」

「バックに花舞ってなくても付き合っちゃったら?」

「それはほんとうの悪女でしょ!」


 言い合いながら、原稿の添削を進める。今日中に完成させて、先輩に提出しなければならない。

 窓の外では蝉がジージー鳴き、夏の苛烈な陽射しが遮光カーテン越しにも感じ取れる。期末テストも終わって、あと一週間で夏休みだ。といっても、陸上部の鹿乃子は変わらず部活の練習が続くのだが。

 

「じゃあ、あの子は?」

 

 思いついたようすで朋ちゃんが言った。


「かのちゃんの幼馴染の……ええと、坂『下』くん!」

「もしかして坂上さかがみかおるくんのこと?」

「そうそう、その馨くん。小学生の頃、仲良かったよね。悪口言ってきたやつとかのちゃんが喧嘩したとき、止めに入ったり……」

 

 ――坂上馨くんというのは、鹿乃子の同い年の幼馴染である。

 家が近所で、赤子の頃から一緒に育った。幼稚園も、小学校も、中学校も同じだ。

 といっても、とくべつ仲良くしているかというと、そうでもない。

 活動的で交友関係も広い鹿乃子に対し、馨は教室の隅でひっそりと授業を受けて、放課後はひとりで校舎裏の花壇の世話をしているような物静かな男の子だ。友だちがいないわけではないし、訊かれたらしっかりと自分の意見を述べるのだが、逆にことさら主張することもなく、基本的には草木のように静かという印象を受ける。


 かつて、小学五年生の鹿乃子が児童会長に立候補したとき、級友のちょっとした悪口やそれに反撃した鹿乃子のせいでクラス内で騒動が起きた。あのとき、クラスメートにつかみかかった鹿乃子を止めようとした馨は、落ちてきた大きな分度器に押しつぶされて、怪我をしたのである。喧嘩に巻き込んで、ひどいことをしてしまったと思う。

 けれど帰り道、馨は児童会選挙で鹿乃子に一票を入れると言ってくれた。

 鹿乃子がかもめ第一小学校でいちばんかっこいいとも……。


「馨くんは……」


 難しい顔をして鹿乃子は首をひねった。


「そういう対象では、ない……」

「そうなの?」

「だって、赤ちゃんの頃からそばにいるんだよ。わたしが滑り台のうえでえらぶっていたのとか、三輪車を横転させてわあわあ泣いたのとか、ぜんぶ見てるんだよ? 人生の恥部をさらしすぎている」


 何より、馨の背景でも花が舞ったことないし。

 たぶん、馨の目から見ても、鹿乃子の背景では花が舞っていないだろうし。


「やっぱり計画見直しかなあ……」


 芋けんぴをぽりぽり食べつつぼやいていると、「意外と近くのものってきづかないよねえ……」と朋ちゃんが遠い目をした。



 その日の帰り、鹿乃子は久しぶりに馨の家が営む神社に寄った。

 小学生時代、六年間美化委員をしていた馨は、中学に上がると、委員会にも部活にも所属せず、放課後はすぐに帰宅するようになった。母親が神主をする神社の手伝いにいそしんでいるのだ。

 馨の家には、父親がいない。馨が母親のお腹にいた頃、事故で亡くなったと聞いている。

 だからなのか、馨は子どもの頃から神社や家事の手伝いをごく自然にやっていた。


「馨くん」


 蝉が染み入るように鳴く、鬱蒼と木々が生い茂った神社の石段をのぼると、落ち葉を掃いている馨の背中をすぐに見つけた。陽がすこし弱まるこの時間、馨はよく境内の落ち葉掃きをしている。神事のときでもなければ、袴や着物は着ないので、Tシャツにハーフパンツというラフな格好である。


「ああ、かの。おかえり」


 すぐにきづいて、馨は落ち葉を掃く手を止めた。

 小学生のときより声は一段低くなり、中学に入ってから急に背も伸びた。鹿乃子のほうは反対に小学校を卒業後、成長がぴたりと止まったので、今では馨のほうがすこし目線が高い。といっても、まだ数センチ程度だが。


「もしかして、おばさんの差し入れ?」

「今日はちがーう。コンビニでアイス買うと、もうひとつくれる日だったから。食べる?」

「うん。何アイス?」

「ソーダアイスと、ソーダミルクアイス」


 棒アイスが入ったビニール袋を差し出し、鹿乃子は境内の隅にある木製のベンチに座った。

 このベンチは、毎日お参りに来る近所のおじいさんとおばあさんの休憩用に置かれるようになったものだ。ベンチのそばには、大きな楠が生えていて、陽射しよけになってくれる。


「どっちがいい?」

「じゃあ、牛乳が入っているほう」


 箒をベンチの背に立てかけて、馨は水色と白がマーブルになっているアイスのほうを受け取った。

 ずっと外で作業をしていたせいで、汗みずくになっていて、肩にかけたタオルで顎を伝う汗を拭いている。よく日に焼けた手足だ。毎朝、毎夕の落ち葉掃きなんて、鹿乃子だったら絶対いやになるけど、馨がいやそうに仕事をしているすがたを見たことがない。


 コンビニからすこし時間がかかったせいで、アイスは表面がやわらかくなっていた。

 ベンチに座って、ソーダアイスとソーダミルクアイスをそれぞれ黙々と食べる。

 馨は余計なことをあまりしゃべらないので、流れる空気はとても静かだ。


「……何かあった?」


 アイスを食べ終えたあと、馨が尋ねた。


「え?」

「何かあるとここに来るじゃん、かの」

「そうだっけ!?」

 

 まったく意識していなかったので、鹿乃子は驚いてしまった。

 自分としてはいつも気まぐれに足を運んでいるつもりだったが、そういえば、美容院で前髪を切られすぎてショックを受けたときとか、英語のテストで回答欄をすべて一段ズレて書いて赤点を取ったときとか、ここに来ていた気がする。

 あとは大好きなおばあちゃんの入院が決まったときとか……。

 しょんぼりとベンチに座り続けている鹿乃子に、馨は近くの自販機からホットドリンクを買ってきてくれた。かじかんだ手にペットボトルを握らせると、あとは何を訊くでもなく、ずっと隣に座っていた。鹿乃子の気が済んで、やがて立ち上がれるようになるまで。


「……べつに今日は何もないよ」

「そうなんだ」


 うなずいたあと、馨はおもむろに自分の足をぺんと叩いた。

 一瞬不可解に思ったが、すぐにきづく。このあたりは蚊が多いのだ。

 

「境内は殺傷禁止なんじゃないの?」

「かあさんは許すって言ってるけど、だいたいうまく仕留められない……」


 なんだか馨らしくて、鹿乃子はちょっとわらってしまった。

 アイスの棒をビニール袋に入れて、ぎゅっと口を結ぶ。


「それでさ、馨くん、聞いてくれる?」

「……話、あるんじゃん」


 馨はすこし呆れた顔をした。


「うん、ごめん、一個あった。今思い出したの」

「なに?」

「わたし、中学一年生のあいだに恋に落ちて、中学二年生までに告白をして、中学三年生はすてきなお付き合いライフを送るという計画を入学したとき立てたんだけど、今、たいへん進捗が遅れていて、そのことにショックを受けている」

「そういえば入学したとき、そんなこと言ってたけど……続いてたんだ」

「わたし、馨くんにこの話したっけ!?」

「うん、した」


 馨はなんということもないようすでうなずいた。

 鹿乃子とちがって、馨は誰のどんな話でも真剣に耳を傾けるし、話の内容もよく覚えている。毎朝、参拝にやってくる近所のおばあちゃんが繰り返す話にも、いつもうんうんと真面目に耳を傾けているくらいだ。鹿乃子のほうは自分が何の話をしたのかも結構忘れてしまうので、すこし申し訳なくなった。

 鹿乃子は楠の影が落ちた足元に目を落とした。


「わたしね……おととい西園寺先輩に告白されたんだけど、でも、なんかちがうなって思って」

「ちがったの?」

「うん、なんかちがった」


 話しながら、鹿乃子は少々迷走してくる。

 わたしは馨くんにいったい何の話をしているのだ。

 馨くんに何を聞いてほしいのだ。

 そして、どんな言葉を聞きたいのだろう……。


「馨くんはさ」

「うん」

「好きなひととかいないの?」


 鹿乃子の観測域で、この十四年間、馨が誰かと付き合っていた気配はない。

 観測漏れの可能性はあったが、しかし馨である。

 幼稚園の頃は花のお世話係をまっとうし、小学生時代は美化委員をつとめあげ、中学に上がってからは神社と家の手伝いにいそしんでいる馨である。どうせ鹿乃子と同じで、恋をしたり、告白をしたり、お付き合いをしているわけがない。

 半ば確信をもって尋ねたのだが、馨からはすぐに答えが返ってこない。

 ふしぎに思って顔を上げ、鹿乃子は瞬きをした。

 馨はびっくりしたようすで固まったまま、頬を真っ赤にしていた。

 鹿乃子が生まれてから一度も見たことがない表情だ。

 十四年間、一度も見たことがない表情だ。

 ――いったい何が起きている!?

 思わず絶句してしまうと、馨はもどかしげに視線をさまよわせたすえ、目を伏せた。

 それから、決然と顔を上げる。


「好きなひとは、いる」


(あっ)


 鹿乃子は今さら自分の失態にきづいた。

 これは、軽々しく訊いてはいけなかったやつだ。

 本気だ。

 本気の言葉だ。

 馨は嘘をつかない。適当なことを言わない。ごまかさない。昔からそうだ。


 馨にはすごくすきな女の子がいるのだ!

 なぜ今まできづかなかったのだろう!?


 羞恥が伝染したみたいに、鹿乃子も真っ赤になった。

 ほかの友だち相手なら、「そうなんだ、誰?」とか「いつから好きなの?」とか根掘り葉掘り聞けたのに、唇がふるえただけで何も言えなかった。

「そ、そうなんだー」とまるで心のない言葉を棒読みし、「じゃあ、もうすぐ夕飯だから、わたし帰る」とさらに棒読みで言い放ち、鹿乃子は脱兎のごとくきびすを返した。馨がそれに対してなんと言ったかはわからない。


(きづかなかった! きづかなかった!!)


 赤銅色に染まった石段を一段飛ばしで駆けるあいだも、いましがたの衝撃が鹿乃子の胸を貫いていた。

 

(馨くんにはすきなひとがいるんだ!)

(そのひとのことが、ずっと、すごくすきなんだ!)


 考えると、胸がきゅうと引き締められる。

 聞かなければよかった、と心の底から鹿乃子は後悔した。

 自分のほうはべらべら話して聞いてもらっておいて薄情な話だ。

 でも、聞かなければよかった。

 馨の好きなひとの話なんて、聞きたくなかった。


 だって、馨は一度好きになったら、絶対ずっと、そのひとのことが好きなんだろうなって、訊かなくてもわかるから。


 鹿乃子の大好きなおばあちゃんはつねづね言っていた。

 恋はとってもすてきなもの。女の子も男の子もきらきら輝かせてくれる。

 だけど、かのちゃん。取り扱いには要注意よ。

 恋はいたずら好きの妖精みたいに、気まぐれでいじわる。

 うっかりすると、大惨事になるからね――……。


 鹿乃子の瞼の裏で、今、花は散っている。

 舞っているのではなく、散っている。


 どうしよう。進捗遅れどころの話ではない。

 計画は総崩れだ! 目標設定がはなから大間違いだ!


(わたし、馨くんが好きだったんだ!)

 

 うっかりしていた。あたりまえに側にいすぎて、きづかなかった。

 

(わたし、いま、失恋したの!?)


 はずみに蹴った石がどこかにすっ飛んでいき、鹿乃子は空を仰いで途方に暮れた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ