第58話 俺、復帰戦
「私の美しい華、落ち着いて」
パドックでとんでも事件、事件か?俺的には事件だから事件でいいか、事件に巻き込まれた俺だがあの後は特に何事もなくゲート入りまで終わった、今日は5枠9番とやや外寄り。
復帰戦ということで何となくテンションが上がってしまう俺、チャカチャカチャカチャカリズミカルに動く俺の首をロメロが落ち着かせようと撫でて来る。
プヒィーン
俺としたことが元人間としてちょっと恥ずかしい浮かれ具合だった、落ち着いて、深呼吸スウウウブフーン。
忙しなく動いていた気配がひとつまたひとつと少なくなって行く、枠入りは順調らしいそうなるといよいよ発走だ、落ち着いていつも通り、いつも通り。
人間が端へと避けて行く、スターターがタイミングを計りゲートを開く、それに合わせて前へと駆け出す何度となく繰り返して来た動作。
そう何度だって繰り返した、いつも通りのはずだった、出るまでは問題なかったんだ。
他のどの馬より早く飛び出した自信はある、ただその直後俺の体は無意識のうちに強張った、まるで宙を掻くような不確かな感覚……足は止まらなかったがいつもの勢いはなくハナを取ることも出来ず集団に飲まれる。
チクショウチクショウチクショウ!!!!!
牧場で、トレセンで、ゲートからの発馬もしっかりやっていた!だがこの場では、G1という本番ではダメだった!前回の記憶が、感覚が、狂わせやがった!!!
「大丈夫だ!急がなくていい、君は強い、そうだろう?」
焦って前へ行こうとする俺をロメロが手綱を引いて留まるように指示する、鋭い聴覚だからこそ聞こえる周りに聞こえるほどの声量ではない声で俺に話しかけ。
そうだまずは落ち着け、焦ったってもう過ぎたことは変わらない、今やるべきは最善を選ぶことでその最善に導いてくれるのはロメロ、ロメロの指示に従え。
『落ち着け、落ち着け、落ち着け……前に馬居るのスッゲー嫌だなぁ!?』
1頭の逃げ馬が先頭に立ち俺は先行集団の前目の位置、以前にも思ったことがあるが俺は先頭が好きで前に馬がいることはわりと許せないタイプなんだよ、これは俺の馬としての本能!先頭はいつだって俺がいい!
それにこの集団にいることが嫌な理由は他にもひとつ、斜め後ろにソテが居る……コイツ先行馬だったのか。
1、2コーナーの奥に設けられた引き込み線からスタートするこのレース、スタート直後から侵入するカーブを曲がったあとの直線を駆ける馬群、感覚的にやや遅い……俺の感覚でそうということは一般的には速い可能性が高い。
脚を緩めることなく駆ける先頭の馬、引き離されないように、むしろ俺の普段のペースへと引き上げるように徐々に速度を上げて行く、道中の速度とスタミナ配分では負ける気しねぇんだよ!
坂を上り切るとゆるやかな下りで出来たコーナー、ずっと思ってるんだけどなんで競馬のコースってアップダウンあるんだ?平坦でよくない?まあ純粋な速さだけを競うならそれこそ1000m直線とかでいいわけでこういったのがあってこその俺達のレースになるのか。
遠心力に負けないように地を蹴りながらロメロの指示に従ってコーナーを曲がり切ると2度目の坂が待っている、駆け上がる余力は十分馬群が一気に動き出し騎手と馬たちの気迫が辺りを包み大きなひとつの熱となってゴールを目指す。
ここまで先頭を率いていた馬を捉えた脚色はこちらの方がいい問題なくその横を追い抜く俺、しかしそれについて来る馬がもう1頭、ソテだ。
出走直後から感じていたソテとは別にずっとこちらを窺っていた存在、それはソテの鞍上、俺はマークされていたのだろう。
それでも関係ない俺はただ走るのみ駆け上がった先残すは平坦な直線、一度取った先頭を譲る気はない!!!
『自分が勝ってみせる!!!!!!!』
『俺が勝つんだ!!!!!!!!!!!!!!!!』
直線を2頭で競り合い駆け抜ける、後ろの馬の足音も近い、外から一気に迫って来る気配も感じる、それでも今日負けるわけには行かない!
単純な加速力ではソテに負けるかもしれない、それでもありあまる負けん気と根性で脚を伸ばし併走する、ロメロの馴染んだ追い動作、前回の不甲斐なさ悔しさ全てを力に変えろ!
今の俺の全力の走り、1年近く味わっていない勝利の味を求めて前へ前へと体を突き動かす、伸ばした頭の先はゴール板だった。
だがそれは俺だけではない同じようにゴールへと到達するソテの姿を左目で確認する、半馬身ない所には他の馬たちもいる、大混戦のゴール前。
一気にゴール板を越えた馬たちは徐々にスピードを落として行く。
『負……けた…………?』
本能的に感じ取った負け、呆然と立ち尽くした俺にロメロが撫でながらなにか声を掛けているが届かない。
……、つらい。




