エピローグ
エナの奴が依頼に赴いて、今日で八日目。今頃、あいつらは迎えのヘリに乗ってこっちに帰ってきているんだろう。到着は確か、昼過ぎ頃だったか。
そんなことを思いながら、俺は校長室へ向かった。
校長室の扉をノックをすると、部屋の中から間延びした返事が聞こえてきた。
「は~い、どうぞぉ~」
この間抜けな応対が、世界で随一の暗殺者の口から出ているのだと思うと、まったく呆れてしまう。
ため息とともに扉を開き、入室する。
「ああ、リックか。どうかした?」
師匠は手元の資料を見つめたまま、俺に対応する。俺が師匠の弟子とはいえ、対応が雑過ぎではないか。今更そのことを不服に思ったり、口にしたりはしないが。俺と師匠は気心知れた仲と言えば聞こえはいいが、師匠からすれば俺はただの弟子で、その関係性を除けば他人なんだ。
「いや、暇だから来た。ところで、今日でエナが帰ってくるんだよな?」
そう言うと、師匠は顔を上げ、鼻息荒く口にする。
「ああそうなんだ!ようやく信長が帰ってくる!今日まで長かった‥‥‥まさに一日千秋と言うやつだった」
いくらノブナガが師匠の血縁だからと言って、この扱いの差は如何なものか。暗殺者の素質がまるでないあいつが、この人に好まれている事実が腹立たしくて仕方ない。師匠は、あいつのどこにそこまでほれ込んでいるんだ?
「なあ師匠、あんたは何でノブナガに肩入れするんだよ?」
「ん?気になるかい?」
「ああ、気になるね。悪いが俺は信長にこれっぽっちも希少価値を見出せない。あいつは凡人にすぎない。それなのに、あいつの何があんたを引き付ける?教えてくれよ」
「そうか~、気になるか~。そうだねえ、どうしよっか~」
師匠は散々もったいぶって、聞かなきゃよかったと後悔し始めた頃に、ようやく俺の求める回答を口にする。
「あの子はね、幼い頃に両親を殺されてるんだ。それも暗殺者にね‥‥‥ふふっ、驚いたって顔してるね」
「チッ」
図星だった。俺はあいつの過去を知っているわけでは無い。しかし、あいつが醸し出す腑抜けた雰囲気から、どうせ大した過去を抱えていないだろうと踏んでいた。
そんな予想に反して、ノブナガの過去はそれなりに過酷と呼べるものらしい。癪だが、驚いてしまうのも無理はないだろう。
「あの子の両親が殺された日、私はあの子の元に駆け付けた。実を言うと、それまで私は信長のことを大事だなんて思ってなかったんだ。強いて言えば、赤ん坊のころから知ってるだけの腐れ縁って感じかな」
「てことは、その日に何かがあったのか。あんたがノブナガへの認識を変えるだけのことが」
師匠は笑顔のまま頷いた。
「信長は三歳か、四歳くらいだったかな。年相応に両親と可愛らしい約束をしていたらしいんだ。『ずっと一緒にいよう』なんて、むず痒い約束をね。なのに、両親は亡くなった。ずっと一緒にいることは叶わなかった。あの子は悲しんでたよ。呼吸困難になるんじゃないかってくらい泣きじゃくってたのが印象的だった」
すると師匠は、声のトーンを上げた。
「さて問題です。信長は何を悲しんでいたでしょうか?」
「ふざけてるのかあんた」
「いいからいいから。聞いてばかりじゃ退屈だろう?」
面倒な工程にうんざりしながら、渋々師匠の言葉に従うことにした。
とはいえ、両親の存在が子供にとってどれほどのものなのか。俺やエナは知る由もない。
何故なら、俺たちに親と呼べる者は居ないからだ。俺たちは、どことも知れない薄汚い路地裏で野垂れ死にかけていたところを、師匠に拾われた。
しかし言い換えれば、師匠は俺たちの親代わりとも言える。そんな師匠が死んだとなれば、俺はどう思うだろうか。
怒るだろう。師匠を殺したやつを一生をかけて探し求めて、手にかけようと思うに違いない。
エナならば、悲しむだろう。あいつは暗殺者にならざるを得なかっただけで、暗殺者になりたかったわけでは無い。復讐に命を燃やすほど血の気が多い奴ではない。そういう意味では、エナは凡人寄りの感性を持っている。
そう考えれば、当時の信長の思いは想像に難くない。
「親が死んだことが悲しかったんだろうな」
俺の答えに、師匠はにやついていた、
「何だよ。正解か不正解か、早く言えよ」
「ぶっぶー。不正解だよ」
師匠は胸の前で大きくバツを作って言った。
「なら何で泣いてたんだよ」
苛立ち交じりに訊くと、師匠は穏やかな顔つきで答える。
「あの子は、約束を反故にされたことを悲しんでいたんだよ」
「はあ?」
思いもよらない解答だった。
「なんだそれは。そんなことを気にして泣いたっていうのか」
「そうさ。『一緒にいよう』っていう約束が守られなかったことに、そこはかとない悲しみを覚えていたんだよ」
師匠は至って真面目に話しているが、俺にはピンと来なかった。約束が守られなかったから泣くなんて、ナイーブすぎる奴だ。それくらいにしか思わなかった。
と、俺が理解しきれていないことを感じ取ったのか、師匠は訂正する。
「ああ、悪い。少し言い方が迂遠だった。どうやらリックは勘違いをしている。その様子だと、言葉通りの意味だけをそのまま鵜呑みにしてしまってる」
「どういうことだ?あいつは両親との約束が守られなくて泣いた。それだけだろ?」
「まあ、確かにそうだけど。たったそれだけの理由じゃ、私は信長を特別に思ったりしないよ」
ちっちっち、と人差し指を左右に振る師匠。どこまでも遠回りな言い方をする彼女に、俺は僅かに怒りを感じていた。
「じゃあ、教えてくれ。あんたがノブナガを特別に思った要因を」
「あの子は、両親の死を悲しんでいなかった。それどころか、亡くなった両親に失望していた。あの時の信長の目は、暗澹としていたよ」
「なっ‥‥‥」
言葉が出なかった。師匠の言葉が本当だとすれば、信長の精神性は冷酷や残酷なんて言葉では足りないほどに、振り切れてしまっている。
「信長の中ではね、信頼に勝るものは無いんだ。相手との交友関係なんて度外視。付き合いがどれだけ長かろうと、約束を破ったのなら、その者を容易く切り捨てる。裏切り者は許さない。しかし同時に、例え相手が初対面だったとしても、分け隔てなく全幅の信頼を置く。それがあの子の在り方だ」
「‥‥‥歪だ」
口に出来たのは、そんな感想だけだった。
「信用を失った暗殺者が許容されないのは、暗殺者は信用を重んじるという心構えがあってこそだ。他の暗殺者がそうしているからそれに倣っている。あくまで心構え、知識に過ぎない。個々人の信条にはなり得ない。
だけど、信長はそうじゃない。信用、信頼、約束といった物事はあの子にとって至上の命題だ。約束が果たされれば喜ぶし、破られれば悲しむ。そこには感情が介在する。これはこの学校では絶対に身に着かない習性だ」
師匠は自らの腕で、自らを抱き、身をよじらせた。
「素晴らしいだろう?たまらないだろう?信長の在り方は私たち暗殺者の理想形、私ですら辿り着けない境地だ。だからこそ、私はあの子を特別に思っている。血縁でありながら、あの子を思えば体が火照るくらいに、ね」
冗談めかして師匠は言うが、俺はというとこの話を冗談なんて言葉で片づけることは出来なかった。ノブナガも、この師匠も、どちらも狂気を宿している。そのことを受け入れるには、まだ時間が必要だ。
「さてと、そろそろ時間かな」
時計は十二時三十分を示している。もうすぐエナが帰ってくる。いや、ひょっとしたらもうすでにこっちに着いているのかもしれない。もちろん、ノブナガもだ。
扉が外側からノックされた。
「お姉ちゃん、居る?」
「入っていいよ」
部屋に入ってきたのはノブナガだった。いつもと変わらない腑抜けた雰囲気を纏っている。師匠の話を聞いた今では、それが嫌に不気味だ。
「とりあえず、初めての依頼の内容を教えてくれる?」
「うん。僕も話さないといけないって思ってた」
俺が部屋にいることを気にせず、二人だけの会話が始まる。俺はその会話に聞き耳を立てる以外にすることは無かった。
「話したいことは色々あるんだけどね、依頼の中で友達の一人、才蔵って言うんだけど、その子が怪我をしたんだ。それも何者かに襲われて」
「で、才蔵に怪我を負わせたのはね、かすみちゃんだったんだよ」
「かすみちゃんの狙いはね、僕だったんだよ。お父さんとお母さんが亡くなった後、かすみちゃんと仲良くなったけど、あれも仕事の一貫だったみたい。彼女の依頼主に言われて、すぐそばで僕を監視するよう言われてたんだって」
「それから十二年間、僕はただの観察対象だったけど、ここ最近で暗殺対象に変わっちゃったみたいなんだ。僕とお姉ちゃんに血のつながりがあるって知られたことが原因らしいよ。そのせいで、これまではいつでも殺せるって認識から、お姉ちゃんに邪魔される前に殺さないといけないってことになったんだ」
「元々この学校に僕を誘った理由は、いつでも僕を殺せるようにするためだったんだ。依頼中なら、同級生の殺害は不問にされるからね」
「そんな時に、僕が依頼を受けるって言いだした。かすみちゃんにしてみればこれ以上ないチャンスだよね。彼女はその依頼内で、僕の暗殺を計画した」
「まず協力している暗殺者に僕たちを襲わせる。最初の襲撃で僕が殺されれば最善。僕たちが襲撃者に打ち勝った場合、僕なら襲撃者を殺す判断をしないって考えてたみたい。それにその場合は僕らの間で、窮地を乗り越えた安心感から油断が生まれる。そうなれば、才蔵かジャックさんのどちらかを襲って、その疑いをエナに被せて仲間内に混乱を生じさせる」
「そして二度目の襲撃。自分が人質に取られれば、僕が代わりを名乗り出るだろうから、その時に僕を撃つ。そうして、僕の暗殺成功って算段」
「かすみちゃん、伊達に僕と十二年一緒に居ないね。僕、彼女の思い通りに動いちゃったよ。人質を名乗り出て、あと少しで殺されるところだったんだけど、そこを才蔵が助けてくれて」
「そうそう、才蔵は襲われた後、エナに会いに行ったみたいなんだ。かすみちゃんの狙いを看破した才蔵は、それをエナに伝えた。そしてエナは才蔵に応急処置を施した後、才蔵に外で待機するよう指示した。その指示が功を奏して、僕は救われた。エナには感謝してもし切れないよ」
信長は、まるで旅行でもしてきたかのように語った。その語り口とは対照的に、内容は決して明るいものでは無かった。
黙って話を聞いていた俺は、そこで初めて信長に話しかける。
「なあ、お前はその話を一体誰から聞いたんだ。かすみとやらの行動に関して、あまりにも詳しすぎる」
「ああ、聞き出したんだよ。本人から、全部」
またも朗らかに言ってのける。
「聞き出したって、どうやって」
「簡単だよ。自分の命と信用、どっちを選ぶかを訊いたら、かすみちゃんは自分が助かる方を選んだ。それだけの話だよ」
強制的な二択を突き付けて脅すなんて、中々えげつないことをする。
「そうだ。僕のお父さんとお母さんを殺したのは、かすみちゃんと同じ野呂家の一人らしいよ。それを依頼したのは、啓子叔母さんだって。それと、今回僕を監視して、必要なら殺すよう依頼したのも叔母さんだって。『芦屋財閥』の莫大な財産を横取りしたかったみたい」
自分の両親の死の全貌を、信長は何でもないことの様に話す。自らが命を狙われていたことさえも、取るに足らないことの様に笑って言う。
「いや、ちょっと待て。そのかすみってやつは、依頼主の情報を漏らしたのか?」
それは暗殺者の間ではタブーだ。この男は、暗殺者相手にそのタブーを犯させたというのか。
「うん。つまびらかに教えてくれたよ」
信長はなおも笑う。そして俺に向けていた視線を、師匠の方に向ける。
「それで僕、お願いがあるんだ」
「なに?お姉ちゃん、信長の頼みなら何でもしちゃうよ?」
「ううん。お姉ちゃんとしてじゃないよ。暗殺者ルナにお願いがあるんだ」
「へえ。いいよ、聞かせて」
「啓子叔母さんを懲らしめてほしい。報酬は、僕が啓子叔母さんに預けてる両親の遺産全て、でどう?」
「ちなみに、どうして私なのかな?」
師匠は艶美な微笑みを浮かべる。
「頼ることも立派な戦略、でしょ?」
「‥‥‥いいよ、承った。暗殺者ルナとして、信長の依頼を請け負うよ」
その返答を聞いて、信長の顔には喜びの色が浮かぶ。
「そっか!ありがとう!それじゃあ、僕みんなのところに行くから。またね」
そう言って席を立つ信長だったが、部屋を出る前に、俺に話しかけてきた。
「そうだ、ライリック君。僕、まだ君の足元にも及ばないかもしれないけど、いつか絶対君を追い抜いて見せるから」
そう言い残し、信長は部屋を後にした。
「らしいけど、リック的にはどう?」
「確かに、あいつの考え方に驚かされたのは事実だ。あんたですら辿り着けない境地、その言葉には納得する。
ただ、その上で言わせてもらう。あいつじゃ俺には勝てない、絶対に」
信頼至上主義の考え方は、確かに俺には習得できないものだ。
だが、奴は知らない。俺たちがスラムで培った掃き溜めでの生き方、野良犬の矜持、感情と根性で心臓を拍動させ、明日まで命を繋ぐ日々を。
「本気で何かを成し遂げるなら、泥水すすってでも進まなけりゃならない。いつまでも学校で友達ごっこをしてるあいつには出来ないことだ」
だからこそ芦屋信長、お前は俺には勝てない。
✕✕✕
お姉ちゃんとの話を終えて、校長室を出ると、そこには才蔵がいた。
「信長殿、お話は終わりましたか?」
「うん。それじゃあ行こうか」
僕と才蔵は横並びで廊下を歩いた。
「この後は何か予定は?」
「無いよ。依頼終わりで疲れたし、今日はもうゆっくり休むよ」
「そうですね。それがいいでしょう」
雑談を交わしながら歩き続けて、僕たちは学校から出た。すると正門には人影があった。かすみちゃんだ。彼女は、僕に気付くとゆっくりと近づいてきた。
「のぶくん‥‥‥わたし、この学校辞めることになった」
「えっ、そんな突然に?」
「依頼を失敗して、挙句に依頼主の情報も漏らしたんだから当然だよ。多分、野呂家から追放されることになると思う」
彼女は今にも泣きそうな顔をしていた。
僕はそんな彼女に笑いかける。
「この学校に来たのはかすみちゃんの誘いだったけど、僕は来てよかったって思う。たくさん友達が出来たし、目標だって出来た。これからも、何とかうまくやっていける気がする。頑張れるって思うんだ」
「のぶくん‥‥‥」
「だから、かすみちゃんも頑張ってね」
せめてもの激励、だったつもりがかすみちゃんの表情には怒りが滲んでいた。その後、彼女は顔を伏せて僕たちが来た道を歩いて行った。
「ねえ、才蔵。才蔵は最初からかすみちゃんが僕を狙ってたって気付いてたんじゃないの?」
ふと、そんな質問をした。
すると才蔵は、冷静にこくりと頷いた。
「はい。確信はありませんでした。しかし野呂家と聞いて、もしやと思ったのです。最初のうちは奴に対する警戒を緩めることは無かったのですが、中々怪しい行動を起こさないため、いつの間にか警戒を緩めてしまい、依頼内ではまんまと一服盛られてしまいました」
申し訳なさそうに口にする彼女に、僕は笑いかける。
「そっか。この一か月の間、才蔵には迷惑をかけちゃったね」
それに多分、お姉ちゃんにも。お姉ちゃんも才蔵と同じで、最初からかすみちゃんの目的に気付いてたんじゃないかな。彼女が一か月も行動を起こせなかったのは、お姉ちゃんと才蔵の二人が居たからなんじゃないだろうか。
「いえっ、そんなことは。迷惑などとおやめください。拙にとっては、信長殿のお役に立てることこそ至上の喜びなのですから」
才蔵は慌てながら矢継ぎ早に口にした。
そんな彼女に、僕は一つの約束を掲げる。
「僕、自分の身を守れるくらいには強くなるよ。才蔵、手伝ってくれる?」
そう言うと、彼女は微笑み、そして深く頷いた。
ここで一区切りです。
需要がありそうなら、続き書くかもしれません。