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初依頼


 入学から一か月、きっかけはその頃。授業にもそれなりに慣れ始めて、昼食をゆっくり食べる癖が付き始めた時のこと。

 その日の昼食を食べ終えた僕は右腕に視線を落としながら呟く。

「ちょっとだけ体痺れてるかも‥‥‥」

 どうやらゆっくり食べても、必ずしも毒が効かないという訳では無いみたいだ。

「あはは、こればっかりは時間が経たないとどうにもならないよ」

「それよりもノブナガ、次はナイフ術だよね?一緒に行こうよ」

「うん、いいよ」

「拙もお供します」

 微かな痺れを感じながら、僕は才蔵とリメイ君、そしてかすみちゃんと一緒に運動場に向かった。

 その途中で、練馬君が話題に上がる。

「そういえば、マサナオのことあまり見ないね」

「練馬君は、英語学とトラップ術しか受けてないみたいだよ。僕も英語学受けてるから、その時に聞いたんだ」

「少ないね。他に受けたい授業とか無かったのかな」

「いや、単純に楽したいって言ってたよ」

 まあ、極端な話をすれば授業を受けなくても依頼を達成していけば卒業できるわけだから、練馬君のスタンスは理にかなってるとも言える。ただし、学生としてあるべき姿からは遠くかけ離れてるけど。

 そんなやりとりを交わしていると、前方から仲間内で会話を弾ませる三人の女生徒が歩いてきた。彼女たちとすれ違う瞬間、話している内容が耳に入る。

「ねえ、聞いた?ライリック様、もう依頼を五件も達成したらしいよ」

「マジ?すっご。イケメンで実力もあるなんて、さすがルナ様の弟子って感じ」

「そう言えば、ルナ様の血縁がいるって聞いたけど、どんな人なんだろね?」

「分かんな~い。でも、血がつながってるなら顔もいいし、きっと暗殺者としても凄いに違いないよ!」

 キャー、と声を上げる女子の皆さん。

 あの、ルナ様の血縁、今すれ違いましたよ。

 いや、それよりも、

「ねえ、かすみちゃん。さっきの人たち、ライリック君が依頼を五件達成したって言ってたけど、それってどのくらい凄いの?」

 かすみちゃんは唇に人差し指をあてて考える仕草を見せた。

「うーんとね、一か月で五件ってペースは多分、在校生の中でもトップクラスだろうね」

 全校生徒でもトップクラス。そんな相手に入学二日目で宣戦布告したんだ、僕。

「ライリック君、凄いよね。ボクなんかとは大違いだよ」

 かすみちゃんの言葉に続いて、リメイ君が言う。

「ライリック君って。そんなに有名なの?」

「そうだよ。あのキリッとした目付き、憧れちゃうな」

 リメイ君は遠くを見つめて、恍惚とした表情を浮かべる。

 その様子を尻目に、僕の中には焦りが生まれた。

 もしかして、ライリック君と僕、とんでもない差が生まれてるのでは?

 学校生活に慣れ始めて、現状に満足してたけどそれだけじゃ駄目なのかもしれない。僕も次のステップに進まないと。



「ということなんだけど、何をどう準備すればいいのかわかりません。どうしたらいいでしょうか、校長先生」

 ライリック君が大躍進しているらしいと聞いたその日のうちに、僕は助言を求めてお姉ちゃんの元にやってきた。

「信長、『校長先生』じゃないでしょ?」

「‥‥‥」

「お姉ちゃん。ほら、言ってみて」

「お、姉ちゃん‥‥‥」

「チッ」

 ライリック君が怨嗟を込めて舌打ちした。こういう反応されるって分かってたから、校長先生呼びしてたんだけどなぁ。

「だいたい、それを本人の前で言うか」

 ライリック君がそう言うのも無理はない。彼が依頼を五件達成したことを耳にしたこと、それを聞いて僕も負けられないと思ったことを、本人の前でつらつらと語ったのだから。

「リック、落ち着いて。可愛い信長が私を頼ってくれたんだから、応えてあげないと」

「リックって呼ばれてるんだ」

 渾名とか嫌いそうなタイプなのに、意外だ。

「意外そうな目で俺を見るな。お前にだけは呼ばせんぞ」

 残念、僕もリック呼びしたかったんだけどな。

「はい、脇道はそこまで。信長、そろそろ構ってくれないとお姉ちゃん死んじゃうかも」

 お姉ちゃんの揶揄うような口ぶりに、ライリック君はため息を吐いた。

「なら俺は出る。あんたらの話に聞き耳を立てても仕方ないからな」

 そう言って、ライリック君は校長室を後にする。彼が完全に校長室を出るまで待ってから、僕とお姉ちゃんは会話を再開した。

「で、信長は依頼を受けたいんだってね」

「うん。でも、どんな依頼を受ければいいのかとか、どんな準備をしておけばいいとか、分からないことだらけで」

「うんうん、なるほど」

 お姉ちゃんは、その顔に微笑みを浮かべながら、二度三度と頷く。その後、真っすぐ僕の姿を見据えながら、その口を開く。

「入学式の話は覚えてる?」

「入学式‥‥‥?」

 お姉ちゃんは右手の人差し指と中指を立てて見せる。

「そう。依頼は大きく分けて二種類、暗殺と護衛があるって話」

 ああ、教頭先生が説明してくれたことか。僕は頷いた。

「単刀直入に言うけど、初めて依頼を受けるなら護衛依頼が良いかな」

「どうして?」

「理由は単純に人数だよ。暗殺依頼は基本的に一人で遂行しなくちゃいけない。多くても三、四人。それ以上数を増やしても、仲間内で連携を取るのが難しくなって、結果的に失敗することが多い。それに、ターゲットに気取られる可能性も高くなるしね。

 逆に、護衛依頼なら人は多ければ多い程いい。もちろん、なかには一人で護衛した方が効率がいいってタイプの人もいるよ?どっちかというと私もそうだし。でも、信長たちはまだこの学校に入学して間もない一年生。護衛は一人でいいなんてこだわりを持ってる人はそういないだろうし、単純に精神的な余裕も出来る」

 お姉ちゃんは最後に笑って、「簡単な話でしょ?」と付け足した。

 確かに、お姉ちゃんの言ってることは理にかなってる気がする。お姉ちゃんの言う通り、味方してくれる人が多ければ、それだけプレッシャーも感じなくて済む。それと、さっきの話では出なかったけど、人を殺めるんじゃなく守る仕事だって考えると頑張れる気がする。

「分かった、護衛依頼を受けることにするよ。それで、どんな準備をすればいいかな」

 問題はここ。準備すべきものが何なのか。言うまでもなく、僕は自前の銃やナイフなんてものは持っていない。果たしてそれを買う必要があるのか。そもそも買えるのか。

 銃やナイフだけじゃない。他にも何か揃えた方がいいものがあるのか。

かすみちゃんたちに聞いてもいいけど、ここはベテランのお姉ちゃんに聞くのが最適に違いない。

そんな、かなり重要度の高い質問に、お姉ちゃんは、

「え、いらないんじゃない?」

 あっけらかんとした表情と声で言った。

「い、いらないって。そんなテキトーな感じに‥‥‥」

「う~ん、こればっかりは人によるからね。例えばそうだなぁ、信長の同じクラスに、練馬正直って男子生徒がいたでしょ?罠使いの」

 問いかけに頷いて返す。

「彼が依頼を受けたなら、罠を用意する。何故なら、彼は罠を扱うことに長けているから。そんな風に、ナイフが得意ならナイフを準備するし、狙撃が得意なら狙撃銃を準備する。逆に言えばそれ以外に武器は持っていかない。持ち物は必要最低限、これ鉄則」

 つまり、お姉ちゃんはこう言いたいんだ。

 僕はまだ銃もナイフも満足に使えないから特段必要なものは無い、と。

 正論、正論なんだけど‥‥‥ちょっと悲しい。

「そうなると、他力本願になっちゃうなぁ」

 僕は自分の実力不足と、非情な現実に対する嘆きを口にした。

 その呟きに、お姉ちゃんは「何か不満?」と首を傾げる。

「だって、人に頼り切りっていうのはなんて言うか…‥‥卑怯だよ」

 自分は安全な場所にいて、人を動かして目的を達成する。僕は、そんな卑怯な方法は取りたくない。出来ることなら、自分の力で依頼を成し遂げたい。

 しかし、お姉ちゃんは僕の考えとは正反対の意見を口にする。

「いいんだよ、卑怯で。私たちは暗殺者、どれだけ凄かろうと日陰者だよ?卑怯でも、狡猾でも、酷薄でも、臆病でも結構。

 それとも、信長はいつか自分に実力がつくまで依頼を受けるの先延ばしにする?そのいつかを待ってるうちに、リックとの差は圧倒的になってるかもしれないよ。もしくは、この学校を卒業してるかも知れないし、ひょっとすると命を落としてるかもしれない。それでも依頼を先延ばしにする?」

 確かに、手遅れになってからじゃ駄目だ。少しでも経験値を得られる機会があるなら逃したくない。だから、依頼を受けるっていう決断を先延ばしにするつもりは無い。

「だけど‥‥‥」

 だけど、やっぱり卑怯なんじゃないか。そう思ってしまう。

 そんな僕の考えを見透かしたように、お姉ちゃんは続ける。

「それとね信長、人を頼ることを卑怯だなんて言うのは、自分に力を貸してくれる人たちに失礼だよ。私だって、出来る限り信長に力を貸してあげたいって思ってるんだし」

「それは‥‥‥ごめん‥‥‥」

「人に頼ること、それは立派な戦術だよ。それに、それこそが信長の武器なんだから」

「武器‥‥‥?」

「そう、信長には人を引き付けて離さない不思議な力がある。信長の武器は、その不思議な魅力と、そのおかげで出来た人脈。これを使わない手はないよ」

 お姉ちゃんは、その顔に柔和な笑みを浮かべる。

「信長には頼もしい友達もいるみたいだしね」

「‥‥‥うん、そうだね。リメイ君、才蔵、練馬君、それにかすみちゃん、みんな頼れる友達だもんね。僕、みんなに話してみるよ。それで一緒に依頼を受けてくれるように相談してみる」

 僕の出した結論を、お姉ちゃんはじっくり吟味してから言い放つ。

「‥‥‥うん、いいと思う。でも、やっぱり不安だなあ。出来るなら私が信長に付き添ってあげたいけど、そこまであからさまな贔屓は出来ないし」

「いいよ、相談に乗ってくれただけでも十分だよ」

 これ以上の手助けは必要ないと伝えたものの、お姉ちゃんには届いていないようで、しばらくの間、頭を悩ませてから、ある結論を出した。

「そうだ、エナを連れて行って。あの子もリックと同じくらいの実力だから、戦力としては申し分ないと思う。あと弟子が信長守ってくれるなら私も安心だしね」

 エナ、というとエナシアさんのことだろう。お姉ちゃんは彼女のことを僕の初依頼に同行させるつもりらしい。

「え、ちょっと、そんな勝手に決めたらエナシアさんも迷惑だろうし‥‥‥」

 何とか絞り出した反論に対し、お姉ちゃんは涼しい顔で、

「そうだね。じゃあエナ、信長を守って欲しいんだけど、いい?」

 僕、というより僕の後ろに目をやりながら問いかける。

でも、この部屋にはエナシアさんはいないから、お姉ちゃんの質問に答えが返ってくるはず無いんだけど。

なんて思っていたのも束の間。

「分かった‥‥‥‥‥‥」

 僕の背後から、澄んだ声音が響いた。その声の正体はエナシアさん、僕が校長室に入ってきた時はいなかったはずなのに、いつの間にか室内にいたエナシアさんだった。

 突然のことに、僕は驚きを抑えることが出来なかった。

「うわぁ!」

 何で音も立てずに入ってきてるの⁉癖になってるの⁉

「よしよし、エナも承諾してくれたし、これでひとまず安心かな」

 心臓バクバクの僕のことなど素知らぬ風に、お姉ちゃんは満足そうに頷いた。どうやらエナシアさんが僕に着いてくるのは確定したらしい。

 少し間を空けて、ようやっと落ち着きを取り戻した僕は、エナシアさんを目に留める。

 とりあえず、成り行きとはいえエナシアさんとは一緒に依頼を受けることになるっぽいから、挨拶くらいはしておかないと。

「よろしくね、エナシアさん」

「エナ、でいい‥‥‥」

「分かった、エナ」

 呼び捨てを要求されて素直に受け止められるのは、才蔵という前例があるからだろう。

 僕たちが簡単な自己紹介を行っていると、横からお姉ちゃんが割り込んでくる。

「ねえ信長、私は信長の役に立ったかな?」

「うん、ありがとう」

「ならご褒美をもらおうかな」

「ご褒美?」

 首を傾げる僕にお姉ちゃんは両手を大きく広げる。抱き着かせて、ということなんだろう。

 それに応じようか迷っていると、エナに腕を引かれた。

「まずは‥‥‥協力してくれる人を集めないと‥‥‥」

「え、でもお姉ちゃんが」

「依頼の方が大事‥‥‥」

 彼女に連れられるまま、校長室を退室する。

その直後、室内からはお姉ちゃんの「あれ?」という声が聞こえてきた。



 護衛依頼を受ける。

 お姉ちゃんと相談し、そのことを決めた僕は放課後、いつものメンツにエナを加えて集まっていた。

「いや、集まるのは良いんだけどよ。なんで俺の部屋に集まる必要があんだよ!」

 練馬君は眉間にしわを寄せて言った。

 集合場所に選ばれたのは学生寮の、練馬君の部屋だった。

 経緯は簡単。僕がかすみちゃんに、全員で集まって話したいことがある、と打ち明けると彼女はにこやかに、

「じゃあ、練馬君の部屋に集まろう!」

 と発言したからに他ならない。

 練馬君はその結論に不満を抱いている。まあ部屋の主を抜きにして勝手に決めたことなのだから、彼が不満を持つのは至極真っ当なことだ。

 だけど、かすみちゃんは臆さずに言い放つ。

「だって、練馬君って中々学校で会えないんだもん。だったら直接訪ねるしか手段は無いでしょ?」

「いや、あるだろ。俺と信長は英語学で一緒なんだから、その時に話せば良かっただろ」

 異を唱える練馬君。

 しかしながら、それに対する反論は僕が持ち合わせている。

「でも練馬君、最近英語学に顔出してないよね?」

「ぐっ、まさか授業に出ないとこんな弊害があるとは思わなかった‥‥‥」

 痛いところを突かれた、という風に練馬君は吐き捨てた。その後、降参を示すように両手を上げて見せた。その様子を見るに、渋々ながら彼は僕たちに自室を使わせることを承諾してくれたらしい。

 これで本題に入れる。その思いとは裏腹に、今度は才蔵が不満を口にする。

「信長殿、一つお聞きしたい」

「ん?どうしたの才蔵」

「野呂かすみには百歩譲るとして、何故この女がここに居るのでしょうか」

 彼女の目線は、僕ではなくエナに向かっていた。

「えっと、それも話せば分かるから、まずは僕の話を‥‥‥」

「わたしも気になってたんだよね。どうしてエナシアさんが居るの?」

 そこで才蔵に思わぬ援護をするかすみちゃん。普段はいがみ合っている二人が、何故かこの場では同調して僕を問い質す。

いや、よく考えたらかすみちゃんのほうは交流会の時にエナに辛酸をなめされたんだから、心中穏やかでは無いのも仕方ないか。

「エナについてもしっかり説明するから‥‥‥」

「「エナ⁉」」

 僕がエナと呼んでいることに食いついた二人は、ずいっと顔を近づけてきた。

 なんだか迂闊なことは言えない雰囲気だ。ここは僕ではなく、本人から説明してもらった方が良いかもしれない。

「エ、エナの方から説明してくれる‥‥‥?」

「私は…‥‥ノブナガの傍にいなければいけないから‥‥‥ここに居る‥‥‥」

 エナの一言は火に油を注いだ。ごうごうと燃え盛るような視線が二つ、かすみちゃんと才蔵から向けられる。こんな状態だと落ち着いて話すことも出来ない。

「まあまあ、二人とも落ち着こうよ。そんなに詰め寄られたら、ノブナガも説明できないでしょ?」

 そんな僕の意を汲んでくれたのは、他でもないリメイ君だった。彼はヒートアップする二人を宥めると、僕の方を見て微笑んだ。まるで救いの手を差し伸べる女神様のようだ。

 リメイ君のおかげで、何とかその場は落ち着きを取り戻した。僕は本題に入るべく、こほんと咳込んで、

「実はさ、僕、依頼を受けようと思うんだ」

 そう切り出して、依頼を受けようと思い至るまでのあらましを伝える。そして結びに、

「だから、護衛依頼を受けるために、みんなの力を貸してほしいんだ」

 そう言って、頭を下げた。

「なるほどね。じゃあエナシアさんはルナ先生に言われてのぶくんと同行することになったんだね」

 こくり、僕は頷いた。

「ま、いいんじゃねえか。依頼を達成できるに越したことは無いだろうしよ」

 最初に練馬君が僕の意見に賛同してくれた。それを皮切りに、他のみんなも同様の反応を見せる。

「ボクも賛成。まあボクなんかが力になれるかは分かんないけどね」

「ううん、ありがとうリメイ君」

「拙もお供いたします。そこのエナシアなる輩との格の違いを見せつけるいい機会です」

「うん、協力してくれると嬉しいかな」

 僕は胸を撫でおろした。何せ、依頼に赴くということはつまり、その身を危険に晒すということだ。それを友達に承諾してもらえるかどうか不安だった。

 しかしどうやら杞憂だったようで、ほぼ全員から色よい返事をもらうことが出来た。

そして答えを出していないのは、かすみちゃん一人となった。自然、彼女に視線が集まる。

 その視線に応じるように、彼女は答える。

「いいけど、エナシアさんが同伴するのは反対」

 冷たい声音。発した言葉の内容は半分同意、半分反対。

「え?」

 まさかの反応を見せた彼女に、僕は唖然とした。

「どうして?理由があるなら教えて欲しいんだけど」

「理由は一つ、信用できないから。一か月近く一緒にいて、森さんやリメイ君や練馬君は気心知れてるからいい。だけど、エナシアさんはそうじゃない。そんな人に背中を預けるなんて出来ない」

 護衛依頼は複数人で行う。その時、かすみちゃんの言うように信用というのは最も大事な要素になる。

 慎重になるかすみちゃんの気持ちはよく分かる。

 けど、エナを疑うことは、彼女の師であるお姉ちゃんを疑うことのようで、僕には出来ない。

「大丈夫だよ。さっきも言ったけど、お姉ちゃんが僕を心配して、それでエナをつけてくれたんだから」

「のぶくん、そう言う問題じゃ‥‥‥」

「まあいいじゃねえか。疑り深いのは結構だが、それで築けるはずだった信用を失うのは本末転倒ってもんだろ。いざとなったら、俺ら全員で何とかすりゃいい。さすがのルナの弟子っつっても、俺ら全員を相手取って勝てるほど並はずれちゃいねえだろうしよ」

「うむ。師の命は絶対、これ忍の掟。その点で言えば、自らの師の言葉に従っているエナシア殿は信頼できる」

「ボクも、せっかくなら仲良くしたいかな」

 僕たち四人の反論に、かすみちゃんはこめかみを抑える。

「ほら、エナからも何か言って」

「私はあなたたちに危害は加えない‥‥‥約束する‥‥‥」

 その発言を耳にして、かすみちゃんは呆れたようにため息を吐く。

「もう‥‥‥分かった。じゃあ、約束だからね」

 渋々了解するかすみちゃん。

「良かった。それじゃあ、ここに居る全員で依頼を受けるってことで」

 僕がそう言うと、練馬君が挙手をする。

「そのことに異論は無いけどよ、若干バランスが悪いと思わねえか。才蔵とエナシア以外は近接戦闘が得意ってわけじゃねえ。特にリメイと信長は全然だ。それと、援護が出来る後衛もいない。正直なことを言えばもう少し戦力になる人間が欲しい」

「なっ、本来ならば拙一人でも事足りるのだぞ。このままでも問題ないであろう!」

「念には念を。どれだけ備えても、備えすぎってことはねえだろ。で、どうだ。俺の意見に賛成の奴はどれくらいだ?」

 その問いかけに頷く人は居なかったけど、真っ当な反論をする人も居なかった。沈黙を賛成と受け取った練馬君はその場の全員に向けて、

「それじゃ、戦力の補充が最優先だな。まあ、当分は放課後に集まって作戦会議しようぜ。場所はまあ、今日と同じで俺の部屋でいいだろ」

 かすみちゃんは、この際信用できない相手が一人や二人増えても変わらないとでも思ったのか、練馬君の意見には反対しなかった。


 みんなとの話し合いで、まずは戦力の補充が最優先ということになった日から数日後、狙撃術の時間。狙撃術は、二回目以降はもっぱら狙撃訓練ばかり。僕は、ここ一か月でシモン君に指南を受けるのが当たり前になっていた。そして才蔵は、僕の射撃が上手くいったら言葉を尽くしておだててくる賑やかしと化していた。

 今日も狙撃訓練ということで、僕と才蔵とシモン君の三人で授業を受けると思っていたのだが‥‥‥。

「それだと当たらない‥‥‥あと二ミリ左にずらして‥‥‥」

 今日はエナも一緒だった。彼女は僕たちと一緒に依頼を受けてくれる人を探すためにここに居る。そんな彼女は銃を構える僕に、そうじゃないこうじゃないと指導してくれている。

「こ、こう?」

「行き過ぎ‥‥‥」

 ほんの僅かの調整が難しい。この絶妙な感覚を身に着けるには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 すると突然、両手にひんやりとした感触を覚えた。というのも、銃を持つ僕の手に、エナが自分の手を重ねたからだ。

「そうじゃなくて‥‥‥こう」

 エナは正確に狙いを定めるため、僕と視線を合わせる。自然と、彼女の横顔は至近距離に寄せられ、彼女の凛とした声が耳元で囁かれる。

 これはいけません!狙撃に集中するなんて出来ません!

 動転する気を紛らわせるために、僕は一つ質問を投げかけた。

「あ、あの、エナっ。ちょっといい?」

 彼女はきょとんと首を傾げると同時に、僕に触れていた手と近づけていた顔を離した。僕は一度、深く呼吸をし、気を休めてから彼女に向き直る。

「エナはこの時間は授業無いの?」

 何となく気がかりだったことだ。

 仮に自分のスケジュールを変更してまで僕の狙撃訓練に付き合ってくれてるなら、それは申し訳ない。もちろん、エナの目的が僕に銃の指導をすることじゃないというのは分かってるけど。

「無い‥‥‥」

 エナはあっさりと答える。

「ならいいんだけど、もし授業が入ってたり、用事があるならそっちを優先していいからね。人探しは僕一人で頑張るから」

 すると彼女はふるふると首を振った。

「無い‥‥‥」

「無いって、何が?」

「授業受けてないから‥‥‥気にしなくていい‥‥‥」

 途端、その発言が脳内でリピートされた。

 いやまあ、確かに依頼をこなして単位を取れれば、授業に出る必要は無い。練馬君はそれをいいことに授業はそんなに取っていない。

 だけど、本当に授業を全く取らない人が居るなんて思わなかった。

「えっと、じゃあ普段は何してるの?」

「リックと二人で依頼を受けてる‥‥‥」

 話を聞くと、どうやらライリック君が達成したという五件の依頼は、姉弟二人で取り掛かったらしい。

「その、ライリック君も同じような感じなの?」

「同じような感じって?」

「エナと同じで授業取って無いのかなって」

 彼女は頷いた。

 一か月で五件。かすみちゃんに言わせれば、ハイペースらしい。

 しかしなるほど。そのハイペースを成し遂げられたのは授業を取っていないことも理由の一つなのかもしれない。

 そんな会話を繰り広げていると、シモン君が疑問を漏らす。

「ノブナガ。何故、エナシア・ペイルロードが、ここに居る?」

「それがな、エナシア殿とは共に依頼を受けることになったのだ」

 才蔵が簡単な説明をしてくれた。ただ、それだけじゃ要領を得ないだろうと、僕は補足する。

「そうか。依頼を、受けるための、人手が欲しいのか」

「うん。でも、僕にはツテが無いからさ。割と八方ふさがりというか」

「なら、俺が、着いていこう」

「お姉ちゃんに人脈が武器って言われたのに情けない限りってえぇ⁉」

 あまりにサラッとした発言だったから気付くのが遅れたけど、シモン君、依頼に着いてきてくれるって言った?

 思わぬ収穫に内心舞い上がる。それは僕だけじゃないようで、才蔵もまた目を見開いている。

「どうした?俺では、実力不足か?」

「いや、ううん!むしろこっちからお願いしたいくらいだよ!」

 一緒に狙撃術を受けて、彼のスナイパーとしての腕前が他生徒よりも抜きん出ていることは承知している。そのことを鑑みれば、僕たちが彼の申し出を断る理由は無い。

「最後に確認するけど、本当にいいの?」

 依頼の中で怪我をするかもしれない、もしかしたらそれ以上のことが起こるかもしれない。それでも着いてきてくれるのか。

「構わない。いずれは、依頼を受けることに、なってた」

「ありがとう!シモン君!」

 シモン君と握手を交わし、才蔵と喜びを分かち合った。そして、一歩引いたところでこちらに目を向けているエナに、

「エナ、やったね!」

 そう声をかけると、いつもは伏し目がちな彼女の表情に微かな笑みが浮かんだ気がした。



「僕たちに協力してくれるシモン・ドナ君です!」

 練馬君の部屋。依頼のための作戦会議の場で、僕はみんなにシモン君を紹介した。当のシモン君は「よろしく」と一言告げて、軽く会釈して見せる。

「シモン・ドナか、銃の扱いに長けてるってのは知ってる。そういや、才蔵と交流会でやり合ってたな」

「うむ。中々厄介であった。そんな男が味方となるなら、それほど頼もしいことはない」

 腕を組んで、うんうんと頷く才蔵。そんな彼女に、かすみちゃんが怪訝そうな目を向ける。

「なあに、森さん。わたしにはあんな態度取るくせに、エナシアさんやシモン君は受け入れるの早いね。なんでかな?」

「拙は相手がよほど軽薄でない限りは、それ相応の態度を取る」

「そ・れ・は、わたしが軽薄だってこと?」

「拙の主に近づく者は、そう呼んで差し支えないだろうな」

「二人とも、脱線してるよ。戻ってきて」

 火花を散らす二人をリメイ君が宥める。もうお馴染みの光景だ。

「それで練馬君、どうかな?」

 彼は顎に手を当てて、考える素振りを見せる。

「そうだな。あと一人、ってとこか。そしたら心強いな」

 それを聞いて、思わずため息が漏れた。思った以上に、依頼を受けるまでの道のりは遠い。

 しかし、練馬君はそんな僕を嘲笑うように、というか嘲笑っていた。

「というところで、俺の方からも紹介したい奴が居るんだ、信長君?」

 愉快そうな声で言うと、それに続いて部屋のドアが開いた。部屋に入ってきたその人は、姿を見せた。

「呼び出されて来てみれば合図があるまでは入るなって、なんでそんな面倒なことするのよ。部屋の外で待たされるの、すっごく不快なんだけど」

 切れるナイフのような舌先、そこから放たれるのはやはり鋭い言葉の数々。

彼女の登場と共に、練馬君は紹介する。

「はい、俺が紹介するのはジャック・シーラ。信長が連れてきたシモンと同じ、俺たちの協力者だ」

 彼は口の端を吊り上げて言う。

「これで次の段階に進めるな」



 後日、ナイフ術の時間。練馬君とシモン君以外の全員が集うこの授業。僕の周りはとても賑やかなことになっていた。

「いつの間にか大所帯になってるね」

「これも信長殿の人望が厚いからであると思われます」

 僕の独り言に、そう付け足す才蔵。人望厚い、かなぁ?

 まあ僕の人望はともかく、みんなが和気あいあいとしてるのは喜ばしいことだ。

 とはいえ直近で繋がりが出来たエナやジャックさんとは、ふとした時に他人行儀になりがちだ。ここは積極的に会話をして、依頼までに出来る限り親睦を深めた方が良いだろう。

 そんな考えを胸に、僕はエナにそれと無く話しかける。

「エナはナイフ術は得意なの?」

「人並み‥‥‥」

 本人はこう言ってるけど、実際は疑わしいところだ。何と言ってもお姉ちゃんの弟子で、ライリック君の姉なんだ。その技能は卓越しているに違いない。

 ナイフ術を話の接穂に、今度はジャックさんを見る。

「ジャックさんは、ナイフを使うのが得意な家系なんだよね?」

「そんなことわざわざ聞かなくても、あの男から聞いてるんでしょ」

 あの男、とは練馬君のことだろう。確かに彼から得られる情報は多い。多分、この学校の大体の生徒の情報は彼が握っているだろう。僕の過去についても知られてるかもしれない。

 少し憂鬱な気分になりつつ、ジャックさんとの会話を続ける。

「それにしても、貴方たちはお気楽ね」

「お気楽って?」

「依頼を受けるっていうのに、緊張感が一切感じられない。もっと気を引き締めた方が良いんじゃないの?」

 手厳しい正論に言葉が詰まる。確かに、メンバーが集まったことで浮かれていたかもしれない。

図星を突かれた僕を尻目に、ジャックさんは言う。

「いよいよ依頼を受けることになるんだから、この辺りで意識を切り替えるべきよ。みんな仲良く授業に参加するんじゃなく、例えば‥‥‥そうね、メンバーの実力の程を確かめるなんていうのもいいかもしれないわね」

 実力を確かめる。どこか穏やかではない雰囲気を醸し出すその一言に食いついた人が一人。才蔵である。

「ほう、それは興味深い。拙もエナシア殿の実力が気になっていたのだ」

「へぇ、まるで自分が上みたいな言い方。ニンジャというのは、思いの外冗談が上手いのね」

 ああ、これはもう完全に火がついてしまっている。僕が何を言っても止まらない。

 悟った僕は、せめて二人の邪魔にならないよう、距離を取った。

「どうしたの、ノブナガ?あの二人、凄い睨み合ってるけど」

 少し離れたところにいたリメイ君に、そう声をかけられた。

「実力を確かめたい、だってさ」

 相槌を打つリメイ君に続いてかすみちゃんが言う。

「へぇ、ちょっと興味あるかも」

「カスミは参加しないの?」

 リメイ君の問いかけに、かすみちゃんはかぶりを振る。

「ううん。私は見ておくよ」

 憮然とした態度で、彼女はそう言った。

 かくして才蔵とジャックさんの対決が始まった。

 ジャックさんが手に持つのはバタフライナイフ。対する才蔵はクナイを握る。両者、腰を低く落として向かい合う。

 開始の合図を任された僕は、右手を上げて、

「始め!」

 瞬間、二人は運動野と感覚野のアクセルを思い切り踏み込み、肉体的にも感覚的にも最高速度を発揮する。

 程なくして接敵した彼女たちは、一切の手心を加えることなく、手に持つ刃を相手に向けて、振るう。

 ナイフ少女の扱う短刀は、まるで手と一体化しているのではと見紛うほど自由自在、縦横無尽に空間を切り裂く。刃に反射した陽の光が弧を描き、そこには光の鞭と形容できる光景だった。

「ジャックさん、さすがにナイフを扱うのが上手いね」

 入学から一か月。まだかじった程度のナイフ術の知識でも、彼女の凄さははっきりと分かった。

「それだけじゃないよ。彼女、肩甲骨が柔らかいみたい。おかげで肩の可動域が常人離れしてる。だからあんな風に、ナイフを意のままに操れるんだろうね」

 僕の感想に、かすみちゃんが細かな分析を付け加える。それを聞いて、まるでナイフを握るために生まれてきたような人だな、なんて思った。

 そんなジャックさんを相手取る忍の少女はしなやかかつ軽快な身のこなしで、回避と攻撃を同時に行う攻防一体のスタンスを取っている。地に足を着け真っ向から挑むこともあれば、時には風に舞う葉のように跳躍し、時には地を這うかのように姿勢を低くする。三次元を存分に活用した戦術は、さしものナイフ術の申し子とはいえ、そう簡単に対応できるものではないらしい。

 そんな二人によって、凄まじい速度で展開されていく決闘は、収束するのもまた迅速で、対決開始から二分も経たない内に二人は互いに距離を取り、臨戦態勢を解いた。

「やるわね、貴方」

「そちらこそ」

 肩で息をする二人。実力を見極める勝負が終わると、互いに称え合う。

「それじゃあ、二人の実力はほぼ互角ってことでいいね?」

 かすみちゃんが言うと、二人は頷いた。

「それにしても、二人とも凄かったよ!」

「うん、僕もびっくりしちゃった」

「信長殿‥‥‥もったいないお言葉」

 才蔵は嬉々とした表情を浮かべ、ジャックさんは鼻を鳴らしてそっぽを向く。そこにあるのはいつもの二人の姿。先ほどまでの鬼気迫る雰囲気が嘘のようだ。

かと思いきや、才蔵とジャックさんは手の中で自分の得物を遊ばせている。まるで、不完全燃焼を訴えるように。

その様子に苦笑していると、後ろから袖を引っ張られた。振り向くと、エナがこちらを見上げている。

「どうしたの?」

「私も混ざりたい‥‥‥」

「え?」

 僕が聞き返すとほぼ同時、鳴りを潜めていた二つの闘争心に再び火が灯ったのが分かった。

「ふむ、実を言えば拙もエナシア殿の腕が如何ほどか、確かめたいと思っておった」

「あたしも。学年トップクラスだか何だか知らないけど、自分より上かも知れない相手ってどうにも気になるのよね」

 言葉の節々に滲み出る殺気に、僕は身震いした。

「依頼を受ける前に怪我したらどうするの」

 僕が問いかけると、エナは静かに言い放つ。

「大丈夫‥‥‥怪我させないようにするから‥‥‥」

 この場では自分が頂点だということを信じて疑わないその発言に、才蔵とジャックさんのボルテージは最高潮。その後の展開は、語るまでも無いだろう。

 一応、結果だけ言っておくと、エナがダントツ。才蔵とジャックさんは同率という感じだった。



「う~ん‥‥‥」

 僕は一年棟の掲示板前で頭を悩ませていた。

 そんな僕の後ろで、練馬君がヤジを飛ばす。

「なあ信長、そんな悩むことねえって」

「でも、依頼ってそれなりに危険なわけだし、そんなに簡単に決めて良いものじゃないと思うんだ」

 低く唸る僕に、練馬君はため息を吐く。

「あのな、他の連中も言ってただろ?思い出してみろよ」

 僕と練馬君がここに来る少し前。僕たちはいつも通り作戦会議を行っていた。

 その中で次にすべきことは、どの依頼を受けるのか決めることだという結論が出た。そこで、一人ひとりに何か希望があるかをアンケートしてみた。

 ただ、今回依頼を受けようと提案したのは僕だったということで、基本的には僕に一存するとのことだった。

 良く言えば、どんな依頼を受けようと僕の自由だということ。

 しかしそれは、全員の身の危険を一身に担う行為と同義である気がしてならない。

 そう考えると、どの依頼を受けるか決断するにも慎重になるというものだ。

 掲示板を見てみると、そこには元は整然と貼り出されていたのだろうが、誰かが剥がしたり、貼り直したりして雑然としてしまった依頼の数々が並んでいる。

 それらの依頼の内、護衛依頼に焦点を絞って内容を見比べてみる。記載されているのは護衛対象、護衛期間、場所、依頼達成によって得られる報酬金と単位といった具体的な依頼内容。ものによっては人数指定や、教師から推薦を受けた者に限るなどの条件が付いている。

 当たり前のことながら、一つとして同じものは無い。だからこそ、どれを選べばいいのか悩んでいる。

「ねえ、練馬君。プロの人はどんな風に依頼を決めてるんだろうね」

「え、金」

 僕の純粋な質問に、練馬君は不純な返答をした。

「おい、そんな目で俺を見んな。金で選ぶのは本当の話なんだからよ」

 おっと、こっちは真剣なのにふざけないで欲しい、という思いが視線に現れていたみたいだ。

「でも、そんなにお金って大事?僕としては命の方が大事だと思うんだけど」

「何言ってんだ。この世界じゃ名を上げねえと野垂れ死ぬだけだぜ。保身に走った奴なんて、暗殺者の風上にも置けねえ。

どれだけ稼いだか、それは暗殺者としての価値に直結する。どうせなら一発どでかい依頼こなして、一気に名を上げてえじゃねえか」

僕の考えが甘っちょろいと言わんばかりに、練馬君は口にする。

「それじゃあ、ここでも報酬金額で選んだ方が良いのかな」

「いや、それはちょっと待った方が良い。ざっとそこにある依頼の報酬金額見てみろ」

 言われるがまま、僕は報酬金額を確認する。大まかに、上は五十万円、下は十万円とちょっとくらいだ。

ただ、額面通りに受け取ると痛い目を見る。でかでかと五十万円と書かれているものと、十万円と書かれているものでは、思わず前者を選び取ってしまいたくなる。

しかし、前者はよく見ると五十万円を山分けと書かれている。対して後者は、一人頭十万円と書かれている。こうなると、選ぶべきは後者の依頼ということになる。

「なるほど。山分けっていう落とし穴もあるんだね」

 そう呟くと、練馬君が「違う違う」と指摘する。

「そこは別に大きな問題じゃない。重要なのは、どの依頼も三桁万円いかねえってとこだ」

「え?実際の相場ってどれくらいなの?」

「下は百、上は計り知れねえ。手練れであればあるほど、依頼料は高くつくからな。それこそお前の姉さんなんかは千万は下らねえだろうし、下手すりゃ億いってるかもしれねえぜ」

 す、凄い。ここに並ぶ依頼とは比べものにならない額だ。

「だけど、何でそんなに差がついてるんだろう」

「そりゃ、ここが学校で、この依頼受けんのは学生だからに決まってんだろ」

 練馬君は掲示板をとんとんと叩きながら言った。

「十万、二十万程度じゃ命張るには安すぎる。とはいえ、俺たちはプロじゃねえ。アマチュアだ。金額は安くとも、文句垂れても仕方ねえってこった。

 つまりだ。みみっちい差はあれど総じて安い報酬なんだから、結局どれ選んだって変わりは無い」

 それを聞いて、僕は頷いた。

 と、依頼について色々と説明してくれた練馬君は、何やら悪そうな笑みを浮かべた。

「だからよ、こんなのはテキトーに選んじまえば良いんだよ!」

 そう言うと、依頼内容を確認することなく、数ある依頼の中から無作為に一つを選び取った。

「あーっ!ちょっと何してるの!」

「そう深刻そうな顔しなくて大丈夫だって。さて俺が取ったのは‥‥‥護衛依頼だな。よっしゃ、これで決まり」

 飄々とする彼とは対照的に、僕は肩を落とした。



 翌日。僕たちは依頼用紙を持って、教頭先生の元を訪れた。目的は依頼を受けるための手続きを行うためである。

 聞くところによると、依頼を受けるには、依頼用紙を持参し、依頼に参加するメンバー全員を引き連れた上で教頭先生から許可を得る必要があるとのこと。

 教頭室では、ダークブラウンの高級感溢れるデスクと、革製のデスクチェアが置いてある。部屋の主である教頭先生は、その椅子に深々と腰掛けて、そして僕が提出した依頼用紙をまじまじと見つめている。

一通り目を通した後で、今度は僕たちを一瞥する。

「ふむ。良いだろう。では私が直々に依頼人に連絡しておく。君たちは準備を怠ることの無いようにするんだ」

 こうして僕たちが受ける依頼が決まった。

 護衛対象は、とある大企業の幹部。期間は七日間。場所は南米、熱帯雨林にある別荘。

 そして、出発は三日後と相成った。



「何でボクが女の子用の水着を着なきゃいけないの⁉」

「いいからいいから。ぜってえ似合うって」

「野呂かすみよ、貴様それを着て我が主に近づくでないぞ?」

「わたしが何をしようとわたしの勝手でしょ?ケチをつけられる謂れはないよっ」

「騒がしいわね。店の迷惑とか考えられないのかしら」

「俺も、水着を、見ておくかな」

「ノブナガ‥‥‥どうしたの‥‥‥?」

「いや、どうしてこんなことになったのかなって」

 ぐったりとしながら、僕は意識を数時間前に飛ばした。



 依頼が二日後に迫ったその日。僕たちは、島内にある大型ショッピングモールに集まった。

「ごめん待たせちゃって!」

「のぶくん、遅いよ」

 かすみちゃん、リメイ君、練馬君、才蔵、シモン君、ジャックさん、そしてエナ。みんなより少し遅れて集合場所に着いた僕は、かすみちゃんにどやされてしまった。

 その様子を見届けた練馬君は、その場の全員に向けて言う。

「よし、全員集まったな。んじゃ、色々と必要なもんを買い足していくとすっか」

 練馬君の呼びかけに応じ、僕たちはショッピングモールに入店した。

 店内はまさに大型商業施設という感じの内装で、かなり馴染み深い印象を受ける。広々とした店内を歩きながら、僕たちは会話を交わす。

「しっかし、何で森の中に別荘なんて建てるかね」

 練馬君が、両手を頭の後ろで組みながら言った。

「熱帯雨林だぞ?そこらの山なんかとは比べものにならねえ大自然だ。別荘とはいえ、よくもまあそんなとこに居を構えようと思ったもんだ」

「う~ん、暗殺者に狙われにくいとか?」

「それでも不思議だよ。確かに見つかりにくくていいかもしれないけど、逆に見つかっちゃったら逃げ場は無いんだから」

 僕の推測を、かすみちゃんが切って捨てた。

「立地が悪いなんてことは暗殺者でもない第三者からしても分かることだわ。こうして護衛を依頼するくらいなんだから、依頼主が一番理解してるんじゃないかしら」

「それじゃますます理由が分かんねえよ」

「単純に自然が好きだった、とかじゃないのかな?」

「だとしたら、かなり酔狂な人だね」

 そこで雑談は一区切り。僕は練馬君に尋ねる。

「それで、今日は何買うの?」

 訊くと、彼は指折り数えながら入用の物を列挙する。

「そうだな。とりあえず携帯食は必要だろうな。それと水。熱帯雨林なんて大自然の、なにが泳いでんのか分かんねえ水を直飲みするわけにはいかねえからな」

「そういうのって、依頼主の人から貰えたりしないかな」

「どうだろうな。それは経験者に聞いてみればどうだ?」

 練馬君は視線をエナに向けた。

 確か、エナはライリック君と一緒に依頼を受けてたはず。なら質問する相手として適任だ。

「どうなの?」

「場合による‥‥‥仮にそうだったとしても、移動中とかに携帯食や水は必要‥‥‥」

 備えあれば憂いなし、ということか。

「携帯食と水は必須。後は色々見て回りながら必要だと思った物を買うことにするか」

「それじゃあ、四人ずつで別れようよ。そしたら効率もいいでしょ?」

「ふむ、貴様にしては良い判断だ。拙と信長殿は確定として、後は残った者達で決めるといい」

「勝手な判断は慎んでくれる?森さん」

 この買い物の方針が決まると、次は四人グループに分かれることに。かすみちゃんと才蔵のいがみ合いが挟まりながらも、何とか二つに分かれることが出来た。僕はエナ、シモン君、才蔵と一緒になって店内を回ることに決まった。

「そんじゃ、一時間後にまたここに集合ってことで」

 練馬君が言うと、僕たちは二手に分かれた。

 それから一時間、たっぷりと店内を練り歩いた。必需品と思われる物を買いながら、気になったお店にも立ち寄るなどして、集合までの時間を過ごした。

そうした中で驚いたのは、ブティックや靴屋などと並んで、ガンショップや毒薬が販売しているお店などが置かれていることだ。異質過ぎるお店の並びに度肝を抜かれた僕とは対照的に、他の三人は平然としていた。

あっという間に一時間が経過し、二手に分かれていた僕たちは再度集合する。

「どうだ?必要なもんは買えたか?」

「うん。問題ないよ」

 それぞれ買ったものを見せ合い、不備が無いかを入念にチェックする。問題が無いことが分かると、リメイ君がとある提案をする。

「ねえ、用事が済んだなら、もう少し遊んでいこうよ」

 彼の発言に、あからさまな反発を示したのはジャックさんだった。

「あたしは嫌よ。依頼が目前に迫ってる今は、各自で準備をするべきよ」

 口調の強い指摘を受けて、リメイ君の表情には怯えが現れた。自分の意見を述べるために「でも、でも」と口にしているけど、ジャックさんに気圧されて続きの言葉を言い出すことが出来ない。

 そんなリメイ君に助け舟を出したのは、練馬君だった。

「落ち着けよジャック。準備ってんなら、英気を養うのだって立派な準備だ。遊んで精神的な余裕を作るのは大事だと思うぜ」

 練馬君が言うと、ジャックさんは言葉に詰まり、リメイ君の表情が明るくなった。

「うん、僕もいいと思うよ。僕もこの島に来てからは環境に振り回されてばっかりで、学生っぽく遊ぶ暇が無かったから、少し息抜きしたいかも」

「信長殿が言うならば、拙も同意致します」

 賛成意見が聞こえてくると、ジャックさんは分が悪いと思ったのか諦念を込めてため息を吐いた。

「分かったわよ、しょうがないわね。で、何をするの?」

「ウインドウショッピング!」

 リメイ君が元気よく口にすると、かすみちゃんが思い出したように、

「そうだ。新しい水着欲しいと思ってたんだ。見に行ってもいいかな」

 と言って、結果、僕たちは水着を見に行くことになった。



 そして現在に至る。

 夏の季節に先んじて、水着を販売しているそのお店で僕たちはウインドウショッピングとは程遠い光景を繰り広げていた。

 右では、リメイ君が練馬君に女性用水着を着せられそうになっている。左の試着室の前では、自分が選んだ水着を片手に睨み合うかすみちゃんと才蔵。その様子を呆れたように傍観するジャックさんと、ひとり悠々と水着選びを始めるシモン君。

 がっくりと肩を落とすと、傍にいたエナが見つめてくる。

「ノブナガ、具合悪い‥‥‥?」

「ううん。大丈夫だよ」

 とりあえず、リメイ君を助けよう。僕は、リメイ君と練馬君の元へ向かった。後ろからはエナが着いてくる。

「練馬君、揶揄うのはその辺でやめてあげて」

「‥‥‥っ‥‥‥ノブナガぁ」

 練馬君を制止する僕の背にリメイ君が隠れた。

 注意された練馬君は、不満そうな顔をする。

「んだよ、いいだろ?人間、似合う服を着るべきだ」

 まるでもっともらしい抗弁をする練馬君。その意見を否定する気は無いけど、異性用の水着にまで反映させるのは無理があると思う。

 背中にリメイ君の体温を感じながら、僕は依然として練馬君の前に立ちはだかる。

 しかし、練馬君はそう簡単には諦めない。

「おいおい信長、気にならねえか?」

「何のこと?」

「リメイのビキニ姿だよ。想像してみろよ」

 ビキニを着たリメイ君。きっと顔を赤くして、もじもじしながらその姿を披露するんだろうなぁ‥‥‥じゃない!

 僕としてはビキニよりもワンピース水着とか、スクール水着の方が‥‥‥そうでも無くて!

「とにかく!リメイ君をこれ以上困らせちゃダメ!」

「チッ。分かったよ」

 頑として訴えると、練馬君はようやく諦めてくれた。

 ほっと一息つく僕に、リメイ君が胸に手を置いて口にする。

「ありがとうノブナガ。助かったよ」

 純粋な感謝を述べるリメイ君を見て、僕は無意識のうちにスクール水着を着た彼の姿を幻視する。

「い、いや!大丈夫だから!」

 言い淀む僕を見て、リメイ君とエナは首を傾げていた。


 次は言い争いをしているかすみちゃんと才蔵だ。僕は彼女たちの元へ向かう。

 二人は水着を片手に、飽きもせず睨み合いを続けている。

「二人とも、落ち着いて」

 そう声をかけると、二つの視線が僕に向けられた。

「「どっちの水着が良いか判断して!」」

 同時にそう言い渡される。唐突な要求に戸惑いを隠せない。

「な、何で?」

「のぶくん、何も聞かないで。これは女としての勝負なの」

「主よ、どうかここは厳正な判断を」

 まるで流れが読めないけれど、彼女たちの要求を呑み込むしか無いみたいだ。

 僕はそれぞれが手に持った水着に目を向けた。当たり前だけど、肌の露出が多い。

 果たして、女性の水着に男の僕が口を出すのは、デリカシー的に大丈夫なのだろうか。例え本人たちが評価されることを望んでいるとしても、あまりに無礼な行いでは無かろうか。

 それより何より、僕が恥ずかしい。何かを評価するとはつまり、僕個人の感性がそれを受け入れるか、受け入れられないかを判断することだ。この場合、僕の好みの水着が露見してしまうことになる。それは恥ずかしすぎる。

 葛藤が体内を駆け巡り、中々答えを出すに至らない。

 そんな僕を見かねたのか、かすみちゃんと才蔵はもう一つの提案をする。

「もしかして判断するのが難しい?それなら実際に着てみるよ」

「それで信長殿が答えを出せるのなら、拙も着用します」

 そう言って、二人は試着室の中に入った。

 かと思えば、数秒で水着姿を披露してきた。

「どう?のぶくん」

「いかがでしょう?信長殿」

 二人は水着姿。普段は目にすることのない部分が色々と露わになっている。

 これは、ますます答えを言いにくい。

「え、えーと‥‥‥」

 なんとかこの場をやり過ごせないか、と言葉を探す。

 だけど僕の退路を塞ぐように、二人は近づいてきた。

「わたし、だよね?」

「拙をお選びください」

 視線をどこにやっても、目に入るのは二人の艶やかな肢体。言うなれば簡易的桃源郷。

 桃色の色彩を放つ光景を目にした僕は、全身の血が脳に集中し頭が沸騰するかのような錯覚を覚える。

これ以上見続けてはかえって毒になる。

満を持して、僕は評価を下す。

「引き分け!引き分けです!」

 二人の顔には不満が浮かぶ。

「「なら次の水着で!」」

「もう勘弁してください!」

 必死の抗議を口にする。

 すると、僕の袖がくいくいと引っ張られた。目を向けると、そこにはエナが水着を持って立っていた。

「私の水着も選んで‥‥‥」

「何でエナまで⁉」

 言葉で言ってもどうしようもない。僕はその場から逃走した。



 水着を見終え、僕たちはお店の外に出た。

「いやー、遊んだ遊んだ」

 練馬君が伸びをしながら言った。

 外に出てみればすっかり日が暮れ始めており、空は橙色に染まっていた。

「みんな、ボクのわがままに付き合ってくれてありがとね」

「ううん、わたしたちも楽しかったからいいよ」

 みんなはどこかすっきりとした表情を浮かべている。それだけ楽しめたということだろう。

 僕たちは学生寮までの帰路を共にした。会話は絶えず、終始楽しい時間が続いた。

 寮に着くと、僕たちはそれぞれの自室に帰る。

 今日一日で十分英気を養うことが出来た。後は依頼を完遂するのみだ。

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