次に生まれ変わったら、あなた以外と結婚したい
「……和子……」
「あら、お目覚めですか? お水飲みます?」
布団に横たわる夫は今や、声を出すのも精一杯な今際の際にいる。読みかけの本に栞を挟み枕元へ近寄ると、珍しくそのしわしわの手が布団の端から伸ばされた。
「……和子……次に、生まれ、変わったら……」
25の時に結婚してから50年と少し。同郷で互いに都会へ出て来て、年齢的な釣り合いも良いからと一緒になった兄のような幼馴染のような人だ。
「……結婚……は、お前……じゃない人と……したい」
伸びた手は、枕元に置いた一枚の写真を大事そうに掴んで引っ込んでいった。
「……そうですか。まぁ、私も同じ気持ちですよ」
薄く開けた目がこちらをちらりと見て、嬉しそうに微笑んだ。
子供達は三人。皆既に家を出てそれぞれに家庭も持っている。時折それなりの喧嘩もしたが、概ね良好な関係を築いて来たといえるだろう。同居人としては悪くない相手だったと思う。夫は退職してから始めた趣味にハマり、良識的な範囲でお小遣いを投入し好きに楽しんでいた。あまり家にいなかったのが良かったと思う。
私は私で読書が好きだったため、家に一人でいる方が静かで集中できたのだ。時折本屋や図書館にも行き、その繋がりで出来た友人達とも交流があった。
僅かに上下する夫の薄い胸。命の灯火はまもなく消えるだろう。そしてその次は私だ。
十分に幸せな人生だったと言える。可愛い子供達にも会えたし、安定した暮らしを享受することが出来たのだから。
ひとつ心残りがあるとすれば──恋をしてみたかったということくらいだろうか。
◇
「おっらぁぁぁぁああああっ! いくぞぉぉぉぉぉおおおおっ!」
「嫌だブラッドリー、やめて!! もっと抑えてよ、壊れる壊れる!! 結界結界結界結界結界──!!」
大剣を振り回し周囲の魔獣を切り飛ばしていくこの男は、大変遺憾ながら私の相棒のブラッドリー。この迷宮都市で2年程前からしばしば共に活動している、冒険者だ。
別に正式なパーティを組んでいるわけではなく、お互いにソロだ。私は結界魔法が異常に得意な為、深層での植物採集を専門としている。自分の身は自分で守れるから、珍しい素材も取り放題。上級のポーションなどにも必要なものだから高く売れるし喜ばれるし、うまい商売だと思っている。
が、そういう私の活動の仕方が周知され始めた頃。ギルドマスターに呼び出され、出向いた応接室で引き合わされたのがこの男だったのだ。
「やあ、来たねカレン。今回はこのブラッドリーと組んで、グリフォンの爪を回収して来て欲しいんだよ。君の結界魔法は素晴らしいからね、期待しているんだ」
「ギルドマスター! こんにちは! グリフォンですか? でも私は討伐系はちょっと──……え?」
相も変わらず素敵なギルドマスターからなんとか視線を剥がし、部屋の隅に立つでかい男へ顔を向ける──と。
「かっ………………ブラッドリーだ」
「あなた…………え……と、カレンです」
そう、何を隠そうこのブラッドリーという男。前世の夫だったのである。
私が記憶を持って生まれ変わったのと同じようにこの男も生まれ変わっていたらしいのだ。
我々は顔を見合わせて瞬時になぜかそのことを察した。前世から数えても最初で最後の以心伝心である。
『絶対に、二度と結婚はしないぞ』
『ええ、もちろんよ』
こくり。気持ちはひとつだ。
ブラッドリーはA級で、この街でも既にかなりの有名人だった。二十代も半ばにしてA級に達し、ソロで深層を駆け抜ける技量は並大抵のものではない。私も若い女のソロでB級なのだから出世株ではあるのだけれど、それでも討伐系はほとんど手を出さないからさして有名にはならないのだ。
その強さもだけれど、ブラッドリーの名前が知れているのは迷宮外での行動にも起因している。異性関係に見境がないのだ。
確かに強い冒険者はモテる。単純にお金を持っているからだろう。まあブラッドリーに関しては見た目も悪くはないけれど。前世の若い頃よりも背が高く、筋肉もたっぷりとつきがっしりした体躯。黒髪に茶色の目は私にとってほとんど違和感がない。まあ西洋系というのか、掘りは深いし鼻筋も通っているしで、ふぅんと言うくらいには整っているのだろう。
けれども、「今世の推し」を求めてカフェの女の子だの宿屋の女の子だの、挙げ句の果てには娼館の女性達も日替わりで順番に相手をしているのだとか。やっかみで根も葉もない噂を流されているのかと思えば、本人曰くほぼ事実だそうだ。全くもってろくでもない。
「だってよー、将棋アイドル綾羽ちゃんに匹敵する推しがこの世界にはまだいないんだよー。俺は推しのために命かけて戦いてぇのにさぁ」
「あなた棺にもチェキ入れてくれって遺言書いてたもんね。家族の写真は入れてないけど、ちゃんとあの大事にしてたやつ入れて燃やしたわよ」
「おーサンキュ。この世界はまだ写真もないしなぁ。握手会くらいならできんだろうが」
娼婦のお姉さんと握手会ってなんなんだ。
後腐れのない遊び方をするブラッドリーはそれはそれで需要があるらしいけれど、ますます絶対に結婚はしたくないなと思う。
前世で夫婦だったなどと知られたら運命の相手だとかなんとか言われそうで内緒にしているが、ギルドマスター直々に指名依頼が来るから仕方なくこうして組むことになる。
何せブラッドリーは攻撃力こそ抜群だけれど、見境なく剣を振り回すので必要な素材やなんかまでズタボロに破壊してしまうのだ。特殊魔法によるものだから、本人曰く微調整は効かないらしい。……ただの横着ではないのかと私は疑っている。
だから攻撃力はないが結界魔法が得意な私と組ませて、必要な素材を確保して欲しいと頼まれているのだ。確かに深層には慣れているし、自分の身は守れるし、素材だけ守れと言われたらまぁ、出来る。評価ももらえるし、お金ももらえるし、美味しい仕事ではあるのだ。けれど。
「はぁ……ギルドマスターにだけは絶対誤解されたくない」
「ははっ、お前マスターのこと好きだもんな。結構おじさんじゃね?」
「あの落ち着きがいいんじゃない。人生二周目で息子みたいな少年ととか無理よ」
といっても私が死んだ時には息子も還暦を過ぎていたが。
カレンとしての意識だって当然あるので、自分が年寄りだと思っているわけではないけれど、やはり年上の落ち着いた男性に憧れを覚えるのは仕方がないことだろう。
何よりギルドマスターは紳士的で仕事が出来て、私みたいな若造にも丁寧に接してくれるのに実際は元S級の冒険者なのだからめちゃめちゃ強いのだ。今でも鍛錬は欠かさないらしく、新人に訓練をつけてくれたりもする。私もそうして手取り足取り教わったし、その時に後ろからハグするように包み込まれて剣を握ったあの胸のトキメキたるや……!
「まあお互いに今世は良い相手見つけようぜ」
「そうね。さっさと帰ってギルドマスターに褒められたいから、早く片付けましょう」
水筒を片付け、探索に戻る。マジックバックが前世でもあったならお米の買い出しも楽だったのになと思いながら、また全てを破壊せんとする勢いで駆け出したブラッドリーを慌てて追った。
「うぉぉぉおおらぁぁああ!」
「馬鹿っ! やめなさいよ! 壁崩れるっ、ああっトラップまで壊れ──」
「だっりゃぁぁぁああああああ!!」
「あああああっ! 結界結界結界結界結界!!」
別に、嫌いではない。気心も知れているし、気遣わなくて良いのもありがたい。
けれど、世界を超えてまで再会したのがなぜこいつだったのかと、少しだけ神様のいたずらに文句を言いたいのも確かだ。
「──ああっ、もうっ、この脳筋男が!! もう面倒だからあんたごとパッケージするわ、結界っ!」
「うおっ、痛ぇっ、なんだよこれ! かってぇ……」
「ほら、進むよ。いざって時になったら解除するから、それまでは黙って歩く!! あんまりうるさくすると口も塞ぐわよ!」
「──チッ、あの頃はもう少しくらいしおらしかったろうが……」
「ァア″ン?!」
日本人女性の平均的な生態に合わせていただけだ。
そして今や私たちが暮らすのは異世界。剣と魔法があり、私たちの仕事場は何を隠そうこの迷宮だ。
「しっかりやんなさいよ! 馬鹿みたいに壊すしか出来ないA級なんてクソだわ!」
「──クソて。本当にお前……」
「何か?」
「っ、んや、何も。良ければ背負って運びましょうか? レディ」
「いらん、ほら右からヒュドラが来てるわよ! いっぱい首あるんだから脳筋男にも楽しいでしょう。ほら行けっ、切り口も焼くのよ!」
「ういー」
良い妻の振りをしなくてもいい。弁えた女として息を詰めなくても良い。腹が立ったらぶん殴っても良いのだ。
「あはははははははっ!」
「うわ、とうとう壊れやがった」
「結界結界結界! 結界って武器にもなるんだー! あっ、真空にしたら──見て! ぺちゃんこ! あはははは!」
「ちょ、お前素材……」
「あはははは!」
散らばった残骸を回収して、私たちはまた進む。ギルドマスターはあの優しげな笑顔を浮かべて褒めてくれるだろうか。あわよくばもう一度頭をポンポン撫でてくれないかな。汚い姿はなるべく見せたくないし、浄化魔法ももっと練習しよう。
「浄化! 浄化浄化浄化浄化!」
「えっ、おわっ、アンデット系消滅したじゃん。すっげぇ」
「本当だ、あははははは! 成仏しなさい! 転生したら次の機会も楽しめるわよ! 浄化浄化浄化!」
「──カレン、楽しそうじゃん」
「楽しいに決まってるでしょ。ここからは私の人生よ!」
僅かに目を見張り、そしてにやりと口角を上げたブラッドリーは走りだす。
「よっしゃ、俺も行くぜ。うおりゃぁぁぁああああああっ! ディアモンドちゃん、待っててくれぇぇえええ!」
「それまた娼婦のお姉さんでしょ。股間も浄化しておいてあげましょうか! ほら浄化浄化浄化!」
「やめっ、おわっ、ぁぁああああああ!」
「あははははは! さっさと行くわよ、あはははは!」
「はぁ……よし、走るぞ! よいっせ!」
腹にぐっと力がかかったと思ったら、視界がぐんと高くなる。ブラッドリーの肩に担がれたのだ。
「苦しいっもっとちゃんと丁寧に──」
「舌噛むぞ、黙って結界かけてろ!」
「むぐ……」
「よっしゃぁぁあああああっ! どけぇぇえええっ」
ブラッドリーは小物を跳ね飛ばしながら、深層へと続く階段へと一直線で走る。
前世では運転免許も取らせてもらえなかったから、初めてのドライブを楽しめそうだ。
「あははは! 右、そこの木の影よ! そうそれ、角が高く売れるから!」
「これだな? よし、やってやらぁ!」
「あ、馬鹿強い! 結界結界結界結界──!!」
私を縛る常識は、もうこの世界にはない。
自分で稼いで、素敵な服を着て、やりたいことをやっても良いのだ。
「あ、この魔石ギルドマスターの瞳の色に似てる!」
「おう、んじゃそれ換金せずにお前の取り分にしてもいいぞ」
「えっ、良いの? やったー! サンキュ!」
「その代わり地上に上がったらまた浄化かけてくれや!」
「……股間に?」
「いや、股間はヤった後でい──あだっ!」
つくづく最低な男だ。
しかしこいつも一応は、この性質を少しは抑えていたということなのだろう。日本の常識に合わせて、何かを我慢して。
私たちはもう、縛られない。
身を守る力があり、敵を払う力がここにある。
「俺もうお前には勃たないけどさ、今の方がいい女だわ」
「──なんっ……かそれはそれでイラっとするわね」
「えっ、まあ目閉じればなんとか……」
「いらないわよ!!! そのまま永遠に萎れてろ!! 滅! 滅! 滅!」
「おわやめろ! お前のその謎のやつ妙に効きそうだから! おわ──!!」
私たちは走る。邪魔な何もかもを跳ね飛ばしながら。
世界を超えてまで再会したのがこの男だったことは、今でも微妙に納得いっていないけれど。
「まあまた次に会ったとしても、たまには一緒に組んでやってもいいわ」
「──ん? ああ、まあギルドマスターに頼まれたらな」
二度と結婚はしないけれども。