9.舐められてはいけない
「何であんな提案しちゃったんだろ……」
“えいえいおー!”から一週間経ち、リリスはしょんぼりと子爵家の廊下を歩いていた。母であるティモシーに呼ばれてその部屋へと向かっている最中だ。
「はああぁ」
とぼとぼ歩きながらため息を吐くリリス。
リリスはガー様にした、大公閣下の執務室への突撃の提案を後悔していた。
(夜の城内を無断でうろうろするなんて、ダメなやつじゃん)
リリスは頭を抱える。
“迷ったことにすれば厳重注意で済みます“なんて言い切った自分が恨めしい。
確かに、危険物の所持がなければ厳重注意で済むだろうが、注意を受けるというだけで淑女にとっては致命的だ。
そんなことになっては、浅はかで礼儀知らずな令嬢だと笑われるだろう。ただでさえ遠い婚期もますます遠のく。
(まあ、婚期はもうどうでもいいけどさ)
短い間だったとはいえ、人生で初の婚約では苦い思いしかしなかったリリスはしばらく婚約は懲り懲りだ。
家を継ぐ長姉ラスティアとその夫パスカルはリリスを置いてくれるつもりのようだし、結婚はしなくてもいいかな、と思っている。
最近は家庭教師に役立つ資格や勉強をしようかとも考えだした。姉夫婦に子供ができたら成長の一助となれるだろうし、居候をしながら僅かばかりの収入を得られるかもしれない。
なので婚期が遠のくのは構わないのだが、悪目立ちするのは嫌だ。
(ガー様といるとなぜか行動的になっちゃうんだよね)
リリスは何度目か分からないため息を吐く。
ガー様を買ってからもうすぐ一月。このたった一月でリリスは引っ込み思案な彼女にしては随分と積極的に動いたと思う。
そもそも、母に眉をひそめられそうな薄汚い人形を買った時点からしていつものリリスではなかった。
その後もガー様のドレスを堂々と作り出し、大公家に手紙を送り、春の舞踏会への出席も決めて家庭教師の道を考えだした。
無視されると分かっていて大公家に手紙を送ったことすらも以前のリリスからすると考えられないことである。おまけにこれについては家族にも内緒だ。
我ながら、大した度胸だった思う。
(手紙を送っただけだけどね)
でもリリスにしてはずいぶんと思い切った方なのだ。
思い切ったといえば、趣味のふりふりドレス作りにしてもそうである。
これまでのリリスは少女趣味の服が好きなことを必死に隠してきた。小さなドレス作りは部屋で誰にも見られないようにコソコソと行っていたし、材料も一人でこっそり買っていた。
母や姉、侍女達はきっとリリスの趣味に気付いていたし、気付かれているのは知っていた。でも、これが好きです、と伝えるのは恥ずかしくてずっと表面上は秘密にしてきた。
だが、ガー様のドレスを作るにあたってはドレスがこれまでのサイズよりも大きかったこともあり、隠さずに作成をした。
部屋に母や姉が入ってきても手を止めることなく、人形用のドレスを作っているのだと説明する。
最初はドキドキしたのだが開き直ってみると、なんてことはなかった。母も姉も作成中のドレスを「可愛いわね」と言い、アドバイスをくれたり古い帽子のリボンを材料にとくれたりもした。
なんだ別に恥ずかしくないじゃん、と拍子抜けしたリリスである。
ガー様と春の舞踏会行きを決め、“えいえいおー!”をした後はその勢いのままにガー様を連れて母の部屋を突撃し、舞踏会に出ることも告げている。
「こ、この人形も連れていくから!」
ガー様を掲げながらそう付け加えた時の母の顔はびっくりしていたが、しばらく考え込んだ後に「人形の彼女がいれば心強いのね。分かったわ」と微笑んでくれた時は嬉しかった。
リリスはるんるんで母の部屋を出て、そうだ家庭教師を目指そうと思うに至る。
(絶対にガー様に影響されてるよね)
強気なガー様の言動にあてられているのか、それともガー様がリリスの魔力を少しずつ取っているせいでよく分からない反応でも起きているのか、何にせよガー様の存在によって自分は変わったと思う。
うじうじして自信のない自分はあまり好きではなかったからこの変化は嫌ではない。
家族も喜んでくれていると感じる。
でも舞踏会の夜に城内をうろつくのはよくない。
今更撤回はできないからやるしかないが、今後は気をつけよう。
当日も無理しないでおこう。
そう決めたところで母の部屋へと着く。
リリスがノックをすると返事があり、リリスは部屋へと入った。
「いらっしゃい、リリス」
母ティモシーの柔らかな声。
そして扉を開けて入ったリリスの真正面には一着のドレスがトルソーにかけられていた。
「……わあ」
リリスはドレスを見て嬉しい悲鳴をあげる。
それは母が若い頃に着ていたドレスで、リリスの大好きな一枚だった。
ガー様のドレスの元にもなったものだ。
白いレースと水色のリボンをふんだんに使った可愛らしいふりふりドレス。
母のクローゼットで眠っていたそのドレスは経年変化で白いレースは黄ばみが目立ち、リボンも色褪せていたはずなのに、それらが新しく付け替えられて新品のようになっていた。
「どうかしら?」
リリスの様子に母は嬉しそうだ。
「可愛い」
リリスはふらふらとドレスに近づいた。
元々可愛かったふりふりドレスは本来の輝きを取り戻してますます可愛い。
「ふふふ、懇意の仕立屋にお直ししてもらったのよ。レースとリボンを取り替えて、デザインは変えずに着やすくもしてもらったの。丈もリリスの身長に合わせたわ。スパティフィラムの宴に着ていきなさい」
「ええっ」
母の言葉に驚いて振り向くと、にっこりされた。
「リリスはこういうの好きでしょう? せっかくだもの、好きなものを着ちゃいましょう。お人形の彼女ともお揃いになるしきっと素敵よ」
「えっ、お揃い? えっ」
慌てるリリス。
ガー様のドレスはこれを見本に作っているので確かにお揃いにはなる。
なるが、果たしてそれは素敵だろうか。
「お揃いは目立ちませんか?」
恐る恐るリリスは聞いた。
恋人や友人同士で衣装を揃えることはあるが、人形となんて聞いたことはない。
「こういうのは突き抜けた方が勝ちなのよ、リリス」
優雅に笑みを深める母ティモシー。
「勝ち? えーと、何に勝ち?」
リリスは何かに勝つつもりはない。
春の舞踏会に行くのはガー様のためであるし、自分はひっこりこっそりと咲くだけのつもりだ。なんなら咲かなくてもいい。
「人形の彼女連れではそれだけで目立ってしまうでしょう? なら行ける所まで行きなさい。ああいう場は中途半端が一番よくないの。守りに入ってはダメよ」
笑顔のまま母は続ける。その笑顔は少し怖い。
穏やかで優美なはずの母が、攻撃態勢に入った姉達にそっくりだ。
(お姉様達ってお母様に似てたんだ……)
妙に納得はするリリス。そしてお人形とのお揃いドレスはいただけないと思う。かなり痛い女になるのではないだろうか。
「あの、でもさすがにお揃いは……」
「舐められてもいいの?」
凄みの増す母の笑顔。
声色もピンと張り詰める。
「えっ、舐められ……? そもそも誰かと勝負するつもりはなくてですね。ほら、私のドレスの趣味は古くて時代遅れだから浮いちゃうし、好きだけど似合うわけないし……」
「いいから、まずは着てみて」
しどろもどろなリリスに母の圧が強くなり、リリスは仕方なく白と水色のドレスに袖を通した。
「うわあ」
ドレスを纏って鏡の前に立ったリリスは思わず感嘆の声をあげた。
地味な自分にはふりふりドレスなんて似合うわけがない、と思っていたのだが、なかなかどうして鏡の中の自分は可愛い。
顔立ちはぼんやりしているが童顔寄りなので、雰囲気は出ている。決して高くはない身長や、大きくはない胸も少女趣味なドレスにはそれなりに合っていた。
「思ったより、かわいい、かも」
ぽつりと呟くと母がにっこりする。
「とっても似合ってるわよ」
「うん……」
じわじわとリリスの頬に熱が集まる。
こんなに可愛い理想のドレスをそれなりに着こなせて嬉しい。
「舞踏会へはこのドレスで行きましょう。ね、リリス」
母が甘く優しく囁く。
「……うん」
鏡の中の自分にちょっと見惚れながらリリスは頷き、春の舞踏会にはガー様とお揃いドレスで出席することが決まった。