8.春の舞踏会へ!
結局、一週間経ってもランスロットからの返事はなかった。
『リリス、あの男からの返事が来ない』
白いレースと水色のリボンで覆われた、ふりっふりのドレスを着たガー様が暗い声で言う。
リリスはというと、ふりっふりドレスと揃いのボンネットを脇目も振らずに作成中だった。
完成したドレスをガー様が纏い、更には『ふむ、人形の身で着てみるとこういう趣向も良いな』と褒めてくれたので創作意欲に一気に火が付いたのだ。
「んー……返事は来ないと言ったじゃないですか」
手元に集中しながらおざなりに答えてからガー様の声の暗さに気付き、リリスは顔を上げた。
人形の冷たい顔がリリスを見つめていた。
青いガラス玉の瞳がいつもより暗く感じるのは気のせいだろうか。
当初から返事の期待などしていなかったリリスとは違い、ガー様はしっかり待っていたのだ。愛しい人からの返事を。
おざなりな返事をリリスは後悔した。
作りかけのボンネットを机に置く。
「ガー様、やっぱりお返事は難しいと思いますよ」
『そのようだな……どうもわたくしの感覚がずれていたようだ』
そう認めるガー様の声にはいつもの覇気がなくて、リリスは切なくなった。
何とかしてあげたいと強く思う。
出来るなら、ガー様とランスロットを会わせてあげたい。
これまでは“会わせてあげたいけど、無理だろうなあ”という後ろ向きな部分があったのだが、落ち込むガー様を見た今、“私なりに出来る事があるのでは?”という気持ちが湧いてくる。
ガー様は人形の身とはいえ、リリスの趣味の詰まったドレスを着てくれて、褒めてくれたのだ。
その瞬間、リリスはとても誇らしくて初めて自分に自信を持てた気がした。
そんな気持ちを味わわせてくれたガー様に何か恩返しがしたい。
(私が少しでも大公閣下に近づける何か…………)
「春の舞踏会に出席しましょうか?」
しばし思案した後にリリスはそう提案してみた。
『スパティフィラムの宴にか? もうそんな季節なのだな』
春の舞踏会、別名スパティフィラムの宴は王都の社交シーズンの始まりを告げる王家主催の大規模な舞踏会である。
招待客の他に、未婚の貴族女性であれば爵位に関係なく出席できる華やかな会だ。
「ええ、来月ですよ。行くつもりはなかったんですけど……」
まだお披露目はしてなかったとはいえ、リリスは婚約を解消した身だ。地味なリリスの地味な婚約とその解消なんて、誰が知ってるんだとは思うが、行きづらくはある。
気持ちが落ち込んでいたのもあって、欠席するつもりだった。
『元婚約者に会うからか?』
ガー様の問いにリリスはびっくりした。
「何で婚約のことを知ってるんですか?」
『お前が寝込んだ時、様子を見に来た母と姉が話していた』
「あー、そういえばそうですね」
『リリス、無理はしなくてもよいぞ。大体、あの男はそういう場には出てこないのであろう』
「今年は王太子殿下の成人の儀もある特別な年です。大公閣下もひょっとしたら顔くらい見せるかもしれませんよ」
この夏に王太子は十五才の成人を迎える。
成人すれば王位を継げるので来年の春には華々しく即位もされる予定で、それに向けて王都は既にお祝いムードだ。
『それならば、殿下の成人前は尚さら顔は出さないだろう。王位継承権はもうないとはいえ、表に出て変に注目を浴びる訳にはいかないからな』
「あ、そっか……」
名案だと思ったのだが違ったようだ。がっかりするリリス。
『そんなに落ち込むな。いいんだ、元婚約者にも会いたくはないだろう?』
「それは……正直どうでもよくなってきています。お相手には一瞬ときめいたりもしましたが、こうして振り返ると恋とも呼べないものでした。辛かったはずだけど、ガー様を大公閣下に会わせられるなら、会うくらい平気です。それに広い会場だから気付いてもお互い無視ですよ」
すらすらとそう返してから、リリスはそう言い切った自分に少し驚いた。
つい一週間前までは確かに傷付いていたはずなのにその傷がもう跡形もなくなっている。
婚約を解消した元婚約者に会うかもしれないなんて、以前ならうじうじと悩んで当日はかなり怯えただろうに、強がりでも何でもなく全然平気だった。
(絶対にガー様のおかげだ)
ガー様に出会ってからは、その強烈な存在感にどんどん影響を受けている。
リリスはぐっと拳を握った。自分にもガー様のような揺るぎない自信がみなぎってくる気がする。
「!」
得体の知れない力が湧いてきたリリスは閃いた。そして閃いたことを意気揚々と告げた。
「ガー様! 大公閣下は仕事漬けでお屋敷にはあまり帰らないらしいんです。舞踏会の夜もきっとお城にはいますよ! 執務室に突撃しましょう!」
『夜にあんな所をうろついていれば、不審者で捕まるぞ』
「捕まったら迷ったって言えばいいんですよ。怪しくなければ厳重注意で済みます!」
普段のリリスなら絶対にしないであろう無謀な計画をリリスは高らかに叫んだ。
冒険や挑戦めいたことはずっと避けてきた。
失敗はリリスが一番恐れるものである。
でも、ガー様と一緒になら何でも出来るような気がした。
この時のリリスはそれだけ気持ちが高揚していて、しかもそういう自分に慣れていなかったので上手く制御が出来ていなかった。
リリスは熱に浮かされるようにそう提案し、そしてガー様にとっては元々冒険や挑戦は望むところだった。
『そうであろうか』
前向きな声でガー様が言う。
「そうですよ!」
突き進むリリス。
『ふむ……確かにわたくしがいれば、あの男の執務室も迷わず行けるな』
一気に乗ってきたガー様。
「素晴らしい! 道案内をお願いします!」
すっかりハイなリリス。
『お前がそこまで言うのなら』
「行きましょう! 一緒に春の舞踏会へ!」
『うむ! そうだな! リリス、参るぞ! スパティフィラムの宴へ!』
「はい! えいえい、おー! ですね。ガー様」
『なんだそれは?』
「気合いを入れる掛け声です。ご唱和ください。さん、はい!」
そうしてリリスの部屋に二人の「えいえい、おー!」が響き渡りリリスとガー様は城の舞踏会へと出陣することとなった。