7.大公閣下について
ちくちくちくちくちくちく
ちくちくちくちくちくちく
『リリス、あの男は息災であろうか?』
ちくちくちくちくちくちく
『おい!』
ちくちくちく……
「あっ、えっ? あの男? はっ、大公閣下のことですね!」
一心不乱にガー様のドレスを作っていたリリスはガー様の呼びかけに一拍遅れて顔を上げた。
『うむ、お前によると、わたくしが人形に入ってから四年も経っているのであろう? ……再婚したか?』
最後の『再婚したか?』のところは声が小さかった。
きゅうっとリリスの胸がつまる。
「してないですよ!」
リリスは間髪入れずに否定してあげた。
『そうか!』
「ええ! 大丈夫ですよ!」
『ふ、ふん! 大丈夫なものか。王族に連なる者のくせに四年も独身でいるのはどうかと思うぞ』
そんなことを言いながらもガー様の声には嬉しさが滲んでいる。素直じゃないのだ。
でもリリスは茶化したりなんかせずにそっとしておいてあげた。
『それで息災なのか? 国王から嫌がらせをされてないか?』
「うん? 国王?」
リリスは少し戸惑う。
『ああ、あいつの兄だ』
「兄? あれ?」
『なんだ?』
「えーと、ガー様って今の王家の状況は全く知らない感じですか?」
『人形になってからは、外の情報はほとんど入ってきてない。最初の一年以外は外界と遮断されていたしな。何かあったのか?』
リリスは居住まいを正すと厳かに告げた。
「大公閣下のお兄様、前国王陛下は亡くなられてます」
『なに!?』
「二年前に突然、崩御されています」
この国の前国王は二年前、夜に突然頭が痛いと倒れてそのまま亡くなった。
ほぼ即死だったようで、城に控えていた治癒の新官も全然間に合わなかったという。
突然の死だった。
国王には子供は王太子一人しかおらず、当事王太子は12才。この国では成人は15才からであり、王位は成人していなければ継げない決まりがある。
国王の死は5日間秘匿され、その間に王妃とランスロットと宰相によって王太子が成人するまでの間の相談がなされた。その結果、王妃が女王となりその相談役として宰相がつき、王太子の成人を待って王位が譲られることと王太子の後見役としてランスロットがつくことが決められる。
五日の間に主要な貴族には根回しが行われ、それらは議会ですぐに承認された。
元々、国王も王妃も王太子の次期国王としての地位を磐石にしていたので大きな混乱はなかった。
一握りの高位貴族にだけは前もって周知があったが、その他の貴族と平民達に王の崩御が知らされたのは全て終わった後だった。
国中に衝撃は走ったが大きな混乱はなく、リリス達は静かに喪に服したのだ。
『なんと、あいつ、死んだのか……』
ガー様が呆然と呟く。
「はい」
『……他殺ではなかったのだな?』
「健康に問題はなかったはずなので、そういう考えもあったようですね」
『あの男は疑われたのではないか?』
「……ええ、陛下の死に関しては大公閣下の関与を疑う声もあったようですよ。陛下と大公閣下は良好な関係ではなかったし、大公夫人の死後はまさに一触即発の雰囲気だったんです。以前から国王の大公閣下への冷遇は知られていたし、大公閣下は陛下を恨んでいると言われてましたから」
国王とランスロットは実の兄弟だが、年令は12年離れていた。そして兄である国王が23才で即位してから、年若い弟を事あるごとに冷遇していたのは有名な話である。
自分よりも魔力が多く、優れた魔法使いである弟に嫉妬したのだとか、遅くに出来た弟に両親が愛情を注ぐのを妬んだのだとか、冷遇の理由はいろいろ囁かれたが本当の所は分からない。
ランスロット自身は兄に楯突く意はなかったらしい。15才の成人を迎えるとすぐに王位継承権を返上して、臣籍に下った。
領地は北東の端の雪深く不毛な地を与えられた。
国王は為政者としては悪くない人だったが、自分の弟が絡むと底意地の悪い人だったのだ。良識のある貴族達は表だって批判こそしないものの、その様子には眉をひそめてもいた。
ただ眉はひそめてはいたが、若きランスロットには何の後ろ楯もなく、ランスロットと懇意にすると国王に目を付けられる事にもなるので、良識ある貴族達ですらランスロットに近付かなかった。
そして、自分より力の無い者を見て己の虚栄心を満たすような意地汚い人達は、国王と一緒になってランスロットを蔑んだ。
国王の弟にして大公閣下でもあったランスロット・ドミニクは孤独で苦労の多い青年だったのだ。
そんなランスロットが結婚をしたのは21才の時。この結婚がランスロットの人生を変える。
花嫁が、ガー様だったからだ。
輿入れ当初こそ、猫をかぶっていたらしいガー様だけど、すぐにその本性を表しランスロットと大公家の人達をあっという間に虜にしたらしい。
そしてガー様はその智略と行動力で社交界での地盤を築き、祖国との繋がりを生かしてランスロットを支えた。
そんなガー様をランスロットは深く愛した。
リリスはデビュタント前だったので実際には目にしていないが、王室の舞踏会などでは妻であるガー様の側をほとんど離れずに過ごすほどだったと姉達から聞いている。
そしてランスロットの最愛であるガー様を、王太子に毒を盛ろうとしたという疑いで国境の砦に幽閉したのは国王だ。
盛られた毒がガー様の祖国で製造されているものだったから、というだけの理由で物的証拠はなかった。おそらく国王もそのまま罪に問うのは無理だと分かっていたはずだ。キツい嫌がらせ目的だけの幽閉だったのだ。
数ヶ月もすれば嫌疑不十分で幽閉を解くしかなかっただろうけれど、ガー様は幽閉後一ヶ月であっけなく亡くなってしまう。
ランスロットの嘆きと悲しみはとても大きかった。
だからランスロットには国王への十分すぎるほどの恨みがあるはずで、もちろんその死への関与が疑われはした。
『それでも、王太子の後見役となったのなら、疑いは晴れたのか』
「王太子殿下への大公閣下の忠誠ぶりも有名でしたからね。王妃も信頼を寄せてました。最終的には王妃の鶴のひと声で嫌疑は晴れたようです」
『ああ、王妃との仲はわたくしがせっせとレース編みの作品を送り、取り持ったのだ』
「へえぇ、レース編み。そうだったんですね」
そういえば、王妃は編み物が趣味だと聞いた事があるな、とリリスは思い出した。
「宮廷医も陛下の死因は自然死と認めたので、大事にはなりませんでした。大公夫人の死後は特に大公閣下に同情する人々も多かったですし、マダムやレディ達は陛下の死は夫人の呪いであるとか、夫人の非業の死の天罰では、と言われたんですよ」
『わたくしは死んではいないがな。それにしても国王が死ぬとは……では、あの男は伸び伸びとしているのであろうな』
「あー、そうですね、いや、うーむ」
リリスは言い淀む。
ランスロット・ドミニク大公は今現在、一切伸び伸びとはしていない。彼は今もなお妻の死を悼んでいるのだ。
華やかな場には滅多に顔を出さないし、公的な場ではいつも黒い服を身に纏っている。
そして取り憑かれたように仕事をしている。
大公は王太子の後見であると共に城の魔法塔の長官も勤めており、脇目も振らずに働いているらしい。その様子は体を壊してもおかしくないほどだと聞く。
また、辺境の砦で埋葬された大公夫人の墓を掘り起こしてそれを棺ごと王都の大公家のタウンハウスの庭に埋め直したというのも有名な話で、彼の執務室から眺められるその墓には花が絶やされたことはないとも。
全てゴシップ誌の受け売りではあるが、概ね合っているのだろう。夜会で大公を見ることは非常に稀らしいし、大公家の屋敷の墓についても複数の関係者が確かにその通りだと証言している。
伸び伸びとは程遠い暮らしである。
リリスはぽつりぽつりとランスロットの暮らしぶりをガー様に伝えた。
ガー様は一言『あの阿呆が』と呟いて黙り込んだ。