5.呪いの人形?
「大公夫人は亡くなっているんです。あ、という事は………呪いの人形?」
リリスは思わず半歩後ろへ下がった。
そういう事例ならある。
不幸な境遇が続いたり、非業の死を遂げたりした持ち主の怨念が込もり、身近な物が意図せず呪いの道具となる例だ。
持ち主の魔力が多い事はもちろん、受ける側の物に怨念を込もらせる特性がある事などの条件が揃えばの話だが、目の前の人形はそれなのだろうか。
人形は情念が込もりやすい物だ。
大公夫人は魔法が使えるほどの魔力の持ち主だったと聞く。
そして、死に間際の彼女の想いは濃かっただろう。
無実の罪で幽閉されていたのなら、尚更。
意図せず出来た呪いの産物は、歪で危険だ。
呑気なリリスだって、ちょっとは引く。
『失礼であるぞ、そのような禍々しいものではない。そもそも、わたくしは死んでない』
リリスの引きにガー様はむっとした。
「え? いや、でも新聞にも載ってましたよ?」
『そうであろう。流行り病で亡くなったのは自作自演であるからな』
「自作自演?」
『あのような居心地の悪い場所で、長く過ごせるか、おまけに砦の主は待遇改善と引き換えに、この身を差し出せ、と言ってきたのだぞ? わたくしが操を立てているのはただ一人、あの男だけだ。自らの舌を噛み切ってやってもよかったが、死に損であるからな。ひと芝居うった』
「は、え? み、みさお?」
ひと芝居うった、よりも、操を立てる、という古風で艶かしい言葉にドキドキしてしまう乙女なリリス。
(あの男って、大公閣下の事かしら! そうよね? そうよね!)
そうなると、乙女としては盛り上がるではないか。
『リリス! 聞いているか!』
「は、はい! ひと芝居ですね!」
『そうだ、そもそもわたくしは土魔法の使い手だ。有事の際の身代わりの土人形くらい作れるのだ』
「でも、砦には魔力を封じられて監禁されたでしょう?」
魔法使いの罪人、罪人疑いは必ず魔力は封じられる。
『阿呆、もちろんいつ何が起こってもよいように、土人形は予め作ってあった。そもそも精巧な土人形は数年かけて丁寧に作り上げるものであるぞ。あの砦、魔力がなくては魔道具も使えまい、と私物の持ち込みは緩かったからな、容易いことであった』
「へええ」
『だから、流行り病で死んだのはわたくしの土人形である』
「なるほど」
『心配無用だ、リリス』
「それで、えーと、ガー様は人形になったと」
『救いようのない阿呆だな、生身の人間が人形になれる訳があるまい』
「はっ! すみません!」
『これは、わたくしが嫁入りに祖国から持参した人形だ。これにわたくしの魂を入れたのだ』
「えーと、どうやって?」
(そんな事、出来るのかな?)
ちょっと見当もつかないリリスだ。
リリスにだって少しの魔力はあるが、魔法は使えない。魔力は全ての人にあるが、魔法が使える人は限られている。通常の人達にとって魔法使いは特殊な人々で、魔法は未知のものだ。
「あれ? しかも、魔力は封じられてたでしょう?」
『魔力を封じられると外へ出す事は叶わないが、己に働きかける事は出来るのだ。もちろん、肉体と魂を分けるなど、わたくしほどの土魔法の使い手でなければ無理だがな!』
ばばーん、と胸を張っている、と思われるガー様(ガー様は動かぬ人形なので、実際には張ってない)。
「ふーん、もう、全然分かりませんが、なんせその愛用の人形にガー様が入られたんですね」
全部飲み込むリリス。どうせ詳細に肉体と魂を分ける魔法とやらを解説されても理解できる訳がない。そういうものだ、と納得だけする。
瞬時に空気を読むのも、周りに合わせるのもリリスの特技だ。
『物分かりが早いではないか、そうだ』
「それで、なぜ、あんな古道具屋の軒先にいたんですか? 計画通りだったんですよね」
あの古道具屋の軒先が、到達点だったとは思えない。
『誤算があったのだ』
ガー様は悔しそうに下を向いた(ようにリリスには見えた。しつこいが、ガー様は人形なので下は向かない)。
ガー様の誤算。
それは、身代わりの土人形を流行り病で死んだとした事によって生じた。
本来であれば、大公夫人が亡くなったとなれば、夫である大公が遺体の確認をするはずだったのだが、王族の一員である大公を流行り病で死んだ妻に会わせて感染させてはならない、となり、ガー様の遺体の確認は当事のガー様の一番の側近が確認した。
『大公であれば、魔法にも詳しい。魔力の揺れで土人形がわたくし本人でない事はすぐに気付いたであろう。しかし、確認に来たのはわたくしの侍従だった。
奴は、わたくしの黒子の位置は全て把握しているが、魔法にはからっきしでな。侍従はわたくしの土人形を本人だと断定した』
そうして、土人形ガー様は流行り病であったので、侍従一人の立ち会いの元で密葬され、砦の私物はさっさと処分された。
『あの男であれば、土人形だと気付いた時点で、砦を押さえ、わたくしを探しだしただろう。そして、わたくしはそうなると見込んでいたのだが、ならなかったのだ』
当時を思い出してか、ガー様の声が暗い。
『魂を移した直後は魔力も潤沢にあったから、目を赤くしたり、這って少しの移動が出来たのだが』
「わあ、なんか、そこはホラーですね」
目を光らせながら這い回る人形は怖いと思う。
『声は誰にも届かず、わたくしにはなす術が無かった。あの男はわたくしの死のショックで砦にすら来なかったからな、せめて来ていれば、当時ならこの人形からのわたくしの魔力を感じただろうが………すまぬな、愚痴になった。許せ』
「いえ、ガー様、大変でしたね」
でも、そこからのガー様はもっと大変だった。
ガー様は、まずは大公に会わなくてはなるまいと決め、這っての少しの移動と、少しの魔法を使って、とにかく王都を目指した。
なんせ人形なので、国境の砦から王都は気の遠くなるほど遠く、一年かけてやっと半分の道のりをこなしたものの、その辺りで魔力がほぼ尽きる。
魔力が完全に無くなれば、魂を人形に繋ぎ止めておく事が出来なくなるので、ガー様は残りの魔力をただ魂を留めておくことだけに使う事にする。
我が身に気休め程度の、幸運のまじない(祝福のようなものらしい)を掛けて、後の活動は全て停止した。
そうして、何も見えない、何も聞こえない闇の中でガー様はひたすら待つ事にしたのだ。
幸運を。
「うっ、ぐすっ」
『リリス、泣いているのか?』
「ずびっ、はい、怖かったですね、辛かったですね」
『そうでもない、人形の中では時間も曖昧だ。まあ、この最後の魔力も底をついて、その内に消えるかもという不安はあったがな。そして、わたくしはお前に会ったのだ、リリス』
「ずびっ、わたしですか?」
『ああ、お前が路地裏を覗き込んだ時から分かった、お前がわたくしの幸運だと』
「幸運とは?」
『リリス、お前とわたくしの魔力、質はほぼ同じだ。家族でもここまで同じにはならないだろう。だからお前はわたくしの声が聞こえるし、わたくしに魔力を与えることも出来る』
「おおー、なるほど、お役に立ててよかったです」
『ああ、惜しむらくは、質はぴったり同じなのに、お前の魔力は少なすぎる所だな』
「そうは言ってもこれが一般的な量ですよ。我が家は魔法使いを輩出した事もないですしね。パスカル義兄様だけが、唯一、ちょっと多いかなあ、くらいです。義兄様も魔法は使えませんけど」
パスカルはその魔力量も見込まれて、長姉ラスティアの婿になったのだ。
『あの糸目の男か、あれはお前の姉の婿か?』
「はい」
『あいつ、人形とはいえ、わたくしの体を隅々まで検分したぞ、変態か?』
「違いますよ! 失礼なこと言わないで! 魔石がないか確認してたんですよ!」
パスカルを変態と言われて、リリスは顔を赤くしてガー様に怒る。
『なんだ? むきになるではないか。惚れているのか?』
かああっとリリスの顔に熱が集まる。
パスカルはリリスの初恋だったが、誰にも言った事がなかったので、指摘されるとすごく恥ずかしい。
「ほ、惚れてるとかじゃないです。昔の、は、初恋的なやつです! 淡ーいやつです!」
『義理の兄が初恋か、リリスよ、途方もなくありがちだな』
「ガー様、煩いですよ! とにかく、パスカル義兄様を変態扱いは止めてください」
『糸目が好きなのか?』
「ちゃうわ! 優しいの!」
そう、パスカルは優しいのだ。
パスカルは昔からリリスに優しいし、もちろん、次姉のマースティアにも優しい、そして、一番、ラスティアに優しい。
子供の頃は、ラスティアとパスカルが二人で庭のガゼボににる所をそっと覗いて、ラスティアに向けられる一番優しい笑顔にひたすらときめいたものだ。
(ああ、私の甘酸っぱい初恋)
今の所、リリスの人生の一番の盛り上がりだ。
『ふうん、まあよい。それにしても魔力が少ないぞ、初日に少しもらっただけで寝込むとは、これでは日々、微々たる量をもらうしかないな』
やれやれ、とガー様が顔を振る気配がする。
(ん?)
「え?ちょっと待って、私が寝込んだのはガー様のせいなんですか?」
『おそらくそうだろう、一気に魔力が枯渇して体が耐えられなかったのだ』
「えー、うわあ」
再び、ガー様から一歩引くリリス。魔力を吸い取られているなんて気持ち悪い。
『安心しろ、今はちゃんと加減している』
「えっ、今もなんか吸ってるんですか?」
リリスは自分の体を見回す。
『ある程度近ければ、もらえるな』
「ええぇ、なんか、こわい」
これではマジで呪いの人形ではないか、とリリスは思った。
お読みいただきありがとうございます。
明日からは一日一話更新になります。