4.その人形は
人形に喋りかけられ、とにかく驚いたリリスはすぐに母と父のグレイシー子爵を呼んだ。
騒ぎを聞いて、姉のラスティアと義兄のパスカルもやって来る。
「喋った人形って、これかい?」
部屋に駆けつけた父が机の上の人形を手に取る。
母は無言で寝間着のままのリリスにガウンを掛けた。
「まさか通信の魔道具なのだろうか……しかし、そんな高価なものが古道具屋に並べられるとは思えないが」
「魔石も付いてなさそうですしね」
パスカルが父から人形を受け取ると、ひっくり返して体やその髪の毛の中を確認した。
「魔力も感じられないね。いや、微量だけどあるかな? でもリリスの魔力のような気はするし、これだけでは何とも言えないですね。魔法使いに見てもらえば何か分かるかもしれないですけど、そこまでするのは……」
「物に持ち主の魔力が宿るのは、よくあることだからな」
パスカルの言葉に父が同意する。
「リリス、聞き間違いじゃないかい?」
父は優しく聞いてきた。
「でも、確かに、」
『おい、無駄だぞ』
リリスの主張を遮って、再び人形が喋った。
「ほらっ!」
リリスは皆を見回すが、リリス以外はきょとんとしている。
「……え?」
『無駄だ、リリス。わたくしが今までどれだけ周囲に声をかけてきたと思っているのだ。誰にも聞こえていなかった。これはお前にしか聞こえてないのだ』
「ほらっ、ほらっ、私の名前も呼んでます!」
人形を指差して主張するが、やはり父も母も姉も義兄もきょとんだ。
『彼らには聞こえていない』
「え、うそ、え? 聞こえないの?」
混乱するリリスに、母が心配そうになる。
「リリス、大丈夫? 熱が高かったからかしら」
「耳がやられたのだろうか」
父も少し慌てて、リリスの額に手を当てる。
ラスティアとパスカルも心配そうにリリスを見てきた。
『とりあえず、誤魔化すのがよいと思うぞ。狂人扱いされて治療院に行きたくはないだろう? あそこは暇だぞ』
やはり鮮明に聞こえる人形の声、低い女の声だ。
リリスは家族をゆっくり見回した。
全員、戸惑いながらリリスを見ている。
『大丈夫だ、お前は狂ってなどいない、わたくしに任せろ』
力強く人形が言う。
「…………」
『リリス、まずは誤魔化せ』
リリスは誤魔化すことにした。
人形が喋る事実はまだ受け入れ難いが、このままでは家族全員に心配され、挙げ句の果てには治療院だ。検査入院にでもなれば一週間はベッドの上だ。
ここは飲み込もう。空気を読むのは得意である。
「あ……えーと、あの、そう言えば、起きてから耳鳴りがしてるの。ちょっと眩暈もあるし、まだ本調子じゃないのかも」
「そう?」
母が少しほっとしたのが分かった。
「うん、騒いでごめんなさい。もう少し寝るね」
リリスの言葉に集まった一同が安堵する。
「後でお食事をミミに運ばせるから、食べれそうなら食べるのよ」
母が言い、皆が部屋から出ていった。
閉じた扉の外でラスティアがパスカルに「やっぱり、婚約解消が堪えてるのよ、あのくそ野郎、許せないわ」と言っているのがリリスまでしっかり聞こえ、すかさず「ラスティ、お口」と母の注意が入る。
それらも聞こえなくなったのを確認してから、リリスは人形に向き合った。
「あのう」
『ふっ、礼はいらぬぞ』
「いえ、あ、そうですね、ありがとうございました」
礼を言うつもりではなかったのだけれど、リリスはいちおう礼をしておいた。
『さてリリス、 まずはわたくしの事情を説明した方がよいだろうな、まず、わたくしはだな』
「はい、でもちょっと待ってくださいね」
リリスは一度人形の言葉を遮り、人形の身を起こしてやると、テーブルランプに上手い具合に立て掛けて座らせてあげた。
「こっちの方が、お話している感じがします」
『お前、なかなか気がきくな。わたくしの喋りも受け入れているようだし、適応力もあるではないか』
「お褒めいただき光栄です」
先ほどから人形がすごく偉そうなので、自然にへりくだるリリス。
『その返し、懐かしいな。わたくしの侍従もよく言っていた』
「侍従がいるような方なのですね」
『ああ、まずは自己紹介をしよう。わたくしの名は、ガーベラ・ドミニク、この国のドミニク大公の妻だ。大公夫人であるぞ!』
気持ち的には、かっと目を見開いて人形が言う。
もちろん人形なので目は冷たいガラス玉のままなのだが、リリスの中では見開かれたように見えた。
「ええっ!」
『ふはは、今はこのような身であるし、ガーと呼べ!』
「えっ?ガー?」
『人形に大公夫人は可笑しいであろう? 本名も面白味がないしな、ここはガーでよかろう、さ、呼んでみよ』
「もう?」
『ああ!』
偉そうな上に押しも強い。
しょうながないから呼んであげる。
「では、ガー様で」
『よかろう。ふう、名前を呼ばれるというのは嬉しいものだな。リリス、まずは感謝を。人形の身の上で誰にも声が届かないのは、中々キツいものであった』
人形、ガー様の声が少し揺れる。
リリスは思わずそっとガー様の髪の毛を撫でた。
『今のわたくしに感覚はないからその行為の意味はないが、気持ちは受け取ってやろう』
「ありがたき幸せです」
再び、自然とへりくだるリリス。
『さて、自己紹介も終わったし、リリス、早速頼みたい事がある』
「いやいや、待ってください、ガー様。ちょっと待って」
リリスはガー様を止めて、記憶をたどる。
実際はたどるほどではない、思い出そうとしているのは有名な話なのだ。でも、本人 (おそらく)を 前にしては、デリケートな話なので慎重に自分の記憶を確認した。
(うん、間違いないよね)
しっかりと自信を持ってからリリスは切り出す。何といってもデリケートな内容なので、ガー様の顔色を窺いながらだ。
「えーと、ガー様。私の覚え違いでなければ、大公夫人は四年前にお亡くなりですよね?」
そう、これは有名な話である。
ドミニク大公夫人は、四年前に王太子に毒を盛ろうとした疑いで国境の砦に幽閉され、その一ヶ月後に流行り病で、齢18才の若さであっけなく亡くなった。病の進行が早かったので、治癒の使える神官が駆けつけた時にはもう息は無かったらしい。
大公夫人は海を渡った大国の王女だった人だ。
夫人が毒を盛った証拠らしい証拠もないままの幽閉だった事と、砦の環境はあまり良くなかった事もあり、夫人の死にその祖国は怒った。両国の関係は一気に緊張して一触即発の雰囲気になったのだ。連日新聞にも載っていたから間違いようもない。
その後、国同士の緊張は何とか緩和されたが、大公夫人の死後二年経って正式に夫人への疑いが誤りであったと発表されるまではしばらく不穏な様子だった。
そして当事、夫人を深く愛していたドミニク大公の憔悴ぶりがよくゴシップ誌に載っていたのもとても印象的だった。
大公は国王の年の離れた若き弟で、絶望や哀しみの影がよく似合う金髪の美形。彼のうちひしがれる様を書いた記事には沢山の奥様やレディが嘆息を漏らした。
当事リリスはまだ12才で男女の愛には疎かったが、母や姉達が記事を読んで浸っていたのでよく覚えている。
だからこれは間違いない。ガーベラ・ドミニク大公夫人はもうこの世にいないはずの人なのだ。
お読みいただきありがとうございます。
お気づきの方がいらっしゃれば嬉しいのですが、こちらの前日譚的なのものが拙作の「その愛、受けて立とうではないか」になります。やっと連載が書けた。
なお、短編を読まなくても支障はありません。