32.躍進するリリス
ガーベラが元の体に戻ってから四日が経った。
リリスは今、大公家にてちくちくと針仕事をしている。寝込んだのと国境の砦に行ったのとで、完全に止まってしまっていた人形ドレスの作成を再開しているのだ。
大公家がパトロンになったことで、リリスの名前は一躍有名になった。元々、子持ちマダム達の間では密かな話題となっていた〈リリ〉の人形ドレスも広く知れ渡り、注文が殺到した。
とてもじゃないが個人で捌ける量ではなかったので、前からあったモード家のブティックで窓口を一元化する話が実現することとなる。ブティックには〈リリ〉専属のお針子も一名置かれることになった。
リリスが既に作っていたドレスは全てギルドにて商品登録もされ、デザインの盗用ができないようにもなっている。
これらのことが、リリスが国境の砦に行っている間に大公家の執事とカーラによって進められていた。
リリスが一連の動きを知らされたのは、生身のガーベラと共に大公家に帰り、屋敷中が上を下への大騒ぎとなっていた時であった。
もはや阿鼻叫喚図みたいになっている大公家の玄関で、一人冷静な執事がそっとリリスに寄ってきて、〈リリ〉ブランドの今後の展望を説明してきたのだ。
「事後承諾で申し訳ないのですが、サインをしていただきたい書類もあるのです」と書類の束も差し出される。
「注文がこんなに!? えっ、商品登録もしてるの!?」
「当然でございます。そして新たな事業の案も出ております」
「新たな事業!?」
驚くリリス。
人形ドレスの新たな事業とは何なのか見当もつかない。
「カーラ夫人からの提案で、最初から衣装の着せ替え前提の人形を売り出してはどうかと」
「き、着せ替え前提?」
「ドレスをオーダーではなく、既製品にして売り出すのです。人形のサイズが決まっていれば可能ですよね。売り出す人形自体は最初、シンプルなワンピースを着せて売り、着替えのドレスを数点用意し販売します。デザインをグレイシー嬢が描き、制作はカーラ夫人の店のお針子達が行えばある程度の量産も可能です」
執事が事業計画書なるものを差し出す。
リリスはそれを手に取り、おっかなびっくり読んだ。
動かされるお金の額が大きい。収支の予想なんかが書かれ、デザイナーとしてのリリスの取り分も書かれているが全くピンとこない。
「話が大きくないですか?」
「あなたの人形ドレスにはそれだけの価値があります」
「ええっ」
「大公家がパトロンとなった以上は強力にプッシュさせていただきます」
「それはありがたいですけど」
「既に大公家にグレイシー嬢のアトリエもご用意させていただきました」
「アトリエ!?」
びっくりが止まらないリリス。
「えっ、でも、私はそろそろ家に帰りますよ?」
ガーベラも無事に戻れた今、リリスがこれ以上大公家にお世話になる必要はない。
リリスはこの騒ぎが落ち着き、ガーベラとランスロットにきちんと挨拶をしたら帰るつもりだったのだ。
リリスの帰る発言を聞いた執事は、ぴくりと眉を動かした。
「グレイシー子爵家への帰宅は延ばされた方がよいでしょう」
「なぜですか?」
「大公家がパトロンとなったことでグレイシー嬢は今や時の人です。グレイシー子爵家には面会の要望が多く寄せられていると聞きました。また、これについては非常に心苦しいのですが、閣下との艶めいた噂も出ておりまして、記者が訪ねても来ているようです」
「つやめいたうわさ……」
そういえば、そういう噂が出るとサイラスも言っていた。青くなるリリス。
「さらにはこれから、大公家は奥様がお戻りになられたことについても発表しなくてはなりません。おそらくすごい騒ぎになります。その点でも皆様はグレイシー嬢に話を聞こうとするでしょう。大公家はこの四年の間はほとんど社交がなかったのです。そんな大公家をパトロンに持ち、閣下と噂まであるグレイシー嬢が奥様復帰の騒ぎに巻き込まれるのは必至かと」
「ひええぇ」
必至だろう。
「失礼ながら、グレイシー子爵家では護衛の数や屋敷の構造的にグレイシー嬢の安全が確保できるとは考えにくいです。こちらの事情でご迷惑をかけておりますし、あなたには大恩もある。大公家としては引き続きのご滞在をお願いしたいと考えております」
「ひええぇ」
頭が付いていかなくなってくるリリス。
「グレイシー嬢のためにも、是非、当家にご滞在いただきたい。これは閣下の意見でもあります。パトロンを申し出た時より、そのように計らうつもりでした。よろしいでしょうか」
好々爺な執事の圧が強まる。
「…………はい」
承諾以外の何ができたというのだろうか。
リリスは流されまくって頷き、書類にサインをした。
という訳でリリスの人形ドレスデザイナーとしての躍進と、大公家へのしばらくの滞在が決まったのだった。
(めまぐるしいなあ)
用意されたアトリエにて、ちくちくと手を動かしながらリリスは思う。
元来流されやすいリリスは、なんだかんだでこの状況にはすぐ慣れた。翌日にはアトリエにも馴染み、せっせと作業を開始している。
傍らには人形のガー様もいる。
何度か話しかけそうになって、ああ、もうここにガー様はいないんだと寂しくなっているけれど、からっとした寂しさなので辛くはない。
ガー様と出会ってからの半年弱で実に様々なことがあった。婚約解消で傷付いていた自分が遠い過去である。実は寝込んでいた間にリリスは17才にもなったのだが、それとてもう、ただ一つ年を取っただけのことだ。
それくらい慌ただしかった。
(ほんと、いろいろあった。ガー様のこともだけど、人形ドレスが商品になって、アトリエまで……)
周囲を見回すとリリスの頰が緩む。
広い作業机の上には人形ドレスのデザイン案やレース見本が散らばっていて、いかにもデザイナーっぽい。
(趣味が認められるって嬉しいなあ)
ニマニマしてしまうリリス。昨日は専属になってくれるお針子さんとの面談もした。
背の高いすらりとした彼女は、カッコよくて緊張したのだが、顔を赤くしてリリスの作るドレスが好きなのだと言ってくれてすぐに意気投合している。一緒に作業するのが今から楽しみだ。
因みに昨日は来客の多い日で、シオンと姉のラスティアの訪問もあった。
シオンはリリスの元気そうな様子を見ると「よかった」ととても安心してくれた。
巻き込んでしまったお詫びと、心配してくれたお礼を言うと「私がしたくてしたことです」と優しい。
そしてシオンは去り際に、また訪ねてもよいかと聞いてきた。
その時は他意なく、もちろんと答えたのだが、こうして振り返ってみると、なぜまた訪ねてくるのだろう、という疑問が湧いてくる。
(まさか…………私が、気になる、とか)
なんて思った瞬間、針で指を突いた。
「いったっ!」
飛び上がるリリス。慌てて生地に血が付かないように作りかけのドレスから手を離す。指からはぷつりと血が滲んでいた。
リリスの浮ついた考えは瞬時に萎む。
(ないないない、ないよ、リリス。あの人、伯爵家嫡男で魔法塔の若きエースだよ。思い上がってはダメよ)
思い上がって浮かれて、待っているのはきっと勘違いという悲しい結末だ。
リリスはちゅうと指を吸いながら、変なことを考えるもんじゃないぞと思い直した。
そうしてリリスはシオンから、昨日の最後の訪問者であった姉のラスティアへと頭を切り替える。
(怒ってたなあ)
やって来た姉にリリスはがっつり怒られたのだ。
「どれだけ心配したと思ってるの! 大公家にドレスを売り込みに行ったんでしょ、相談なしにそんなこと金輪際しないで」
開口一番にラスティアは怒った。
どうやらグレイシー家では、リリスが人形ドレスを持って大公家に突撃したことになっているようだ。
ドレスではなくガー様のことで突撃したのだが、突撃したのは事実なのでリリスは項垂れてラスティアの説教を聞いた。
本日は父も母もパスカルもリリスの無事を一目確認したかったらしいのだが、大仰になるのはいけないと自分一人の訪問になったと姉は言う。
「皆、ものすごく、ものすごーく、心配したのよ」
「はい、ごめんなさい」
「パトロンの話を聞いてからも、とにかく心配で。大公閣下に限って変なことはされないと信じていたけど、それでもあんたを見るまでは……」
ラスティアはそこで言葉に詰まると目元を押さえた。
「ぐすっ、ふうー、とにかく、ぴんぴんしてるみたいでよかったわ」
目を真っ赤にした姉が泣き笑いでそう言うので、リリスもちょっと泣いてしまった。
グレイシー子爵家では、大公家の執事が言う通り、リリスへの面会の申し込みが多く、記者まで張っているようだ。ラスティアも帰宅は延ばした方がいいと言った。
リリスは手紙を書くと約束して、姉妹の面会を終えた。作業が一段落したら手紙も書こうと思う。
指の血が止まったので、リリスは再び作業に戻り、今度はガーベラへと思いを馳せた。
(そろそろ、ガー様にも会いたいな)
実はこの四日の間、リリスは生身のガーベラとは会えていない。
ガーベラと共に屋敷に戻った日、大公家の使用人達は大仰天だった。皆、動転しながらも喜んでいてガーベラが慕われていたのが分かる。
あっという間に囲まれたガーベラはもみくちゃにされ「とりあえず湯浴みを!」と胴上げみたいになって連れて行かれてしまった。
「リリス、礼は後でゆっくりする」
連れ去られながらガーベラはそう言っていたので、リリスは待っていたのだが、その日も翌日もガーベラは部屋から出てこなかった。
もしやどこか悪いのだろうかと、翌日の昼に執事に聞いてみると「とてもお元気ですよ。少々……お忙しいのです」と何やら濁されてしまう。
何だろう、と引っ掛かりながらその日は終わり、さらにその翌朝、リリスは廊下を歩くランスロットを目撃して全てを知ることとなる。
リリスが発見したランスロットは、最低限に整えた身だしなみでどこか気怠い様子だった。少し若返ったようにも見える金髪の男は、満ち足りた表情で二人分の朝食を乗せたトレーを手ずから運んでいた。
向かう先は夫婦の寝室のようだ。
優雅なその後ろ姿からは、隠しようもない多大な色気が漂っている。
(これは、えーっと)
いろいろ察するリリス。
これでも17才の乙女である。自身は奥手で経験なんて皆無だが最低限の知識はあるのだ。
(は、はは離してもらえない、とかなのね!)
リリスは大人っぽいアレコレをオブラートに包んで表現し、一人で悶えた。
きゃあーっとなって部屋へと帰り、それ以降は邪魔をしてはいけないと執事への質問も控えている。
でも、四日経つしもういいんじゃないかな、自分もガーベラに会いたいなぁ、なんて思っていたその日、やっと解放されたガーベラがリリスのアトリエを訪れた。




