10.執務室へ
春の舞踏会当日。
勢いで出席を決意してしまい、おまけに母の差配によりガー様とお揃いのドレスに身を包んで行くことになったリリスだが、すでに開き直って準備をしていた。
現状を受け入れるのは得意だ。
悩んでも仕方がない。引っ込み思案なリリスだが、起こってしまったことへの耐性はわりと強い。
何よりガー様と揃いのドレスは文句無しに可愛いのだ。
堂々と行こう。
「ああリリス! とっても可愛いよ。お嬢さん時代のティモシーそっくりだ」
支度を終えて玄関ホールに姿を現したリリスを見て、父のグレイシー子爵が感極まっている。
「……ありがとう、お父様」
リリスは微妙な笑顔を返した。
ドレスこそ母が若い頃に着ていたもののリメイクだが、リリスの外見は父である子爵にそっくりなので母のようである訳がない。
にこにこと満足そうな父の横で、母と長姉が残念そうな顔をしている。
とんちんかんに褒めるくらいなら、止めて欲しいな、という顔だ。
同感である。
「リリス、胸を張っているのよ。それだけで全然違うから。パスカル、リリスをお願いね」
「ああ、さ、行こうか。可愛いお姫様とお連れ様」
姉のラスティアの言葉に義兄のパスカルがリリスとガー様に微笑む。
ガー様をきちんと人扱いしてくれるのが嬉しい。
ガー様の声はリリスにしか聞こえておらず、リリス以外にとってガー様はただの人形でしかないはずだが、リリスが大切にしているのを見て同じように扱ってくれているのだ。
さすがリリスの初恋の人。優しい義兄である。
舞踏会にガー様を連れて行くのには、ラスティアは反対してきたが、母や父、パスカルは「一緒に行きたいならいいじゃないか」と言ってくれてラスティアも折れた。
ラスティアだって反対したのは、人形なんて持っていったら会場で何を言われるか分からないと、リリスを心配したからなのだ。
(私、ほんとにいい家族持ったなあ)
リリスはちょっとじーんとしながらパスカルにエスコートしてもらい馬車に乗って城へと向かった。
❋❋❋
そしての冒頭の舞踏会である。
出会いを求める華やかな乙女達で賑わう舞踏会で人形を抱え、しかもお揃いのドレスを着たリリスは完全に浮いていた。
(舐められてはないけど引かれてるよ、お母様)
遠巻きに自分達を見る人々を見ながら、リリスは遠い目になる。
『リリス、気を落とすな。人の噂なんてすぐ消えるぞ。悪い噂がある時に手を貸してくれる者が真の友人だ。せっかくだからそれを見極めろ』
力強いガー様の励まし。
「ガー様。私は特に親しい友人もいませんから、見極める必要はありません」
『は? 何だと? 友人がいないのは貴族令嬢としてどうなのだリリス。社交を疎かにするべきでは』
「しーっ、ガー様。ほら、ダンスの曲が始まりますよ」
励ましからお叱りになってきたガー様をリリスは遮った。
会場にダンスの始まりを告げる、軽やかな前奏が流れ出す。人々がダンスへと注意を向けている今が動くべき時だろう。
「今です、そっと会場を出ましょう」
リリスはそう言って舞踏会場から廊下へと出た。
「上手く出られましたね」
『うむ、上々な滑り出しであるぞ』
人影のない廊下まで来たところでリリスは一息ついた。
周囲を見回すと、だだっ広い廊下が伸びている。まだしっかりとワルツが聞こえていて、舞踏会場からはそんなに離れていない。
『さてリリス、このホールは西棟の一階だ。まずは執務エリアのある中央棟に向かう必要がある。二階に渡り廊下があるから階段へ向かうぞ』
「さすがガー様、詳しいですね」
『わたくしは大公夫人であるからな。城には何度も来ている』
ガー様の指示にしたがって人気のない廊下を進む。
「ところでガー様、大公閣下に会えて閣下がガー様を認識してからはどうすればいいですか? 問答無用で“この人形に口付けしてください”と伝えればいいですか?」
突き当りに階段ホールらしきものが見えてきた頃、リリスはふと気になって聞いた。
ここに来るまでリリスは大公ランスロットとガー様を引き合わせることしか考えていなかったのだが、会ってからはどうするのか打ち合わせしていなかったと気付いたのだ。
ガー様の言葉はリリスにしか聞こえない。
ランスロットがガー様を亡きガーベラ夫人の人形だと知ったとしても、意思の疎通は出来ない。
そうすると果たしてランスロットは、このガー様人形にガーベラの魂が入っているというリリスの説明を信じてくれるだろうか。
信じてもらえる自信はない。
それならまずはキスしてもらってガー様を戻してしまうのが手っ取り早いのではないだろうか。
(……でも、そもそもキスしてくれるかな? 形見の人形ならしてくれる?)
ちらりとよぎる一抹の不安。
(あと、ガー様が実は怨念とか死霊の類だということもある……よね?)
リリスはガー様が本当は呪いの人形である可能性は捨てきれていない。
魔法に詳しくないが、肉体と魂を分ける魔法なんて聞いたことがない。ガー様と話した初日は何となく納得はしたけれど、本当にそんな魔法が存在するのだろうか。
(全部、生前のガー様の妄想だったとしたら……?)
最期にひと目、ランスロットに会いたいという想いが人形に乗り移った、ということもあるのではないだろうか。
そうなればキスしたところでガー様は戻らない。成仏なら出来るかもしれないが……
そこまで考えてしまったリリスは、ガー様が亡くなっているかも、ということに胸がじくりと痛んだ。
手が急速に冷たくなっていく。
(嫌だ)
リリスはぶんぶんと頭を振った。
(ガー様が、亡くなっているなんて、嫌だ)
頭を振って、その考えを追い払う。
そして自分だけはガー様が生きていると信じようと強く思った。
『リリス、どうした?』
「何でもないです。ガー様、何とかしてキスまで持っていきますね!」
ことさら明るくそう言ったリリスだったが、これにガー様は呆れて否定を返してきた。
『リリス、お前は阿呆か? 今の我が身はただの人形だ。これに口付けを受けたところで戻りはせん』
「えっ!?」
『この身体はただの借り物だ。本体は別にある』
「えっ、ええっ?」
それは初耳だった。
いや、違う。そう言われればそんなやり取りを初日にした気もする。あの時は情報量が多過ぎて強引に納得して流してしまったが、言われていたと思い出す。
「あー、そうでしたね。あれ? じゃあガー様の本体はどこに?」
『幽閉されていた塔にあるに決まっているであろう』
「それもそうですね。ん? じゃあ私は大公閣下に塔に行ってガー様本体にキスをしてくれ、と頼むんですね……」
それ、聞き入れてもらえるのだろうか。
そもそも最愛の妻を亡くして今もなお悲嘆に暮れるランスロットに、その妻の話は禁忌な気がする。
おまけに“実は生きてます”なんて、たちの悪い冗談だと捉えられる可能性もある。
(あれ? これ、執務室まで行けたとして次の段階に進むの難しくない?)
不安が大きくなるリリス。
『さあ、行くぞ! リリス!』
「あのー、ガー様、言いにくいんですけど」
意気込んだガー様にリリスがそう言いかけた時、
「レディ、何をしているのですか?」
硬い声が背後からかかった。
びくっと肩をすくめて振り返ると若い男が一人立っていた。
肩で揃えられた艷やかな栗色の髪に、紫色の涼やかな瞳の綺麗な男だ。
舞踏会の招待客なのだろう。きっちりと正装している。
(うわあ)
リリスは男の顔を見て息を飲んだ。
知ってる顔だったからだ、一方的にではあるが。
(シオン・ラズロ伯爵令息だ)
アメジストの冷たい瞳が印象的なこの男は21才の伯爵家嫡男で、城の魔法塔の若きエースでもある。
このままいくと、若きランスロットが23才で打ち立てた最年少での魔法塔副長官就任の記録を抜くのではとも言われている逸材だ。
ラズロ伯爵家は良識ある堅実な家門で、現伯爵夫妻は温厚で素敵な人達である。
シオン自身は少々硬質な気質だが、礼儀正しく真面目。そして婚約者はいない。
という訳で、彼は社交界で令嬢達からの人気の高い紳士でもある。
リリスは母と姉達の影響で噂やゴシップには詳しいし、人気の紳士達の外見も把握しているのでシオンのこともひと目で分かった。
(まさか私が、魔法塔の若きエースから声をかけられる日がくるなんて……不審者扱いだけど)
不思議な感動を覚えながらリリスは慌てて簡単な礼をした。
シオンに声をかけられたことと、ランスロットの執務室を目指していたのを見つかったことで心臓が脈打つが静かに深呼吸して平静を保つ。
「は、初めまして。グレイシー子爵家の三女リリスと申します。化粧室に行くつもりが迷ってしまいまして」
「そうでしたか。こちらより先は執務エリアです。化粧室は通り過ぎていますね」
「ごめんなさい」
「謝る必要はありません。案内しましょう」
シオンがさっとエスコートの腕を差し出す。
甘さはないきびきびとした動きにリリスは反射的に手を乗せた。
スタスタとエスコートの見本のように化粧室まで導かれる。
「こちらです」
「ありがとうございます」
お礼を言って手を離したリリスをシオンはまじまじと見つめた。その視線はガー様人形で少し留まるが表情は変わらない。
「では」
「待ちなさい」
立ち去りかけたリリスをシオンは引き止めた。
「な、何でしょうか?」
うろうろしていたことを咎められるのかとドキドキしながら振り返るとシオンは姿勢を正した。
「名乗らずに失礼しました。私はシオン・ラズロといいます。魔法塔で働いていまして、本日は残った業務を行っていたのであの場にいましたが、城の奥まった場所は一般客は立ち入り禁止です。気をつけなさい」
「ご忠告ありがとうございます。気を付けます」
噂通りに礼儀正しい人物だなあと思いながらリリスは返事をして化粧室へと入った。




