第6話 重
ルッツは、知らない。私がどれだけの感情を彼に抱いているのかを。
父親と共に乗った馬車を襲われたとき、私の人生は転落したものだと思っていた。身なりの悪い者に粗雑に扱われ、小さな箱の中に詰められ、父親と引き離され、高額で売られた。
一つ目の幸いは、身を売らずに済んだことだ。行商人とはルッツに説明したが、一応私も歴とした貴族だ。自分の純潔は大切なものだとして教えられてきた。そして、もしそれが失われそうな時が来たら自分で命を断つように、と。血を守るために、更に言えばどうせ乱雑にされて生き残ったところで未来に希望など抱けはしないのだから、と。
だから、それが守れたのは幸運だった。
二つ目は、言わずもがな、ルッツの存在だ。
自分が売られた先が魔術の研究についてであり、自分が試験的な転移で“掃きだめ”────つまり第五等級迷宮の最奥に飛ばされるのだと知った時は命の危機を覚えた。実際、飛ばされた先でも一週間は絶望に塗れて溢れ出る涙を垂れ流しにすることしかできなかった。
空腹には耐えられず、食事を止めることはできなかったが。
彼が近づいてきたとき、死神の足音だと思って顔を上げたとき、彼の顔が見えて一瞬で世界が反転した。何が原因だったのかは分からないが、彼の訪れによって救われたことには間違いがなかった。
彼のことは覚えていた。行き先を共にする同志として。それが、ここまで生死を共にすることとなるとは思ってもいなかったが。
………最近の私は、彼に頼ってばかりでいるが。
救えないのは、彼に頼ってばかりいる今が嫌いになれない私がいることだ。彼に頼り切ってでしか生きて行けない自分が心地よく思えてしまう自分が、どうしても否定しきれなかった。
彼が、自分を助けていることが、それがどうしようもなく嬉しかった。
あと一つ言い訳の効かないことがあるとすれば、彼の笑みが好きだということだろうか。あの白い炎を魔法として初めて使ったとき、彼が浮かべた笑みは言い訳仕様がない程に美しかった。
普段、ルッツは笑顔を浮かべない。それが彼の生来の性格なのか、それともこの迷宮に来てからの事なのかは分からない。それでも、そうして彼の笑みを見る機会が少なかったからこそ、少しでも彼の自然な笑みが見られると信じられない程の多幸感に見舞われる。
あの時も、そうだった。彼が私を抱えて走っていて、その顔が今までにない程の笑みを浮かべていて、幸せで、どうしようもなかった。
私はもう彼がいなければ生きて行く事が出来ない。それが、例えこの迷宮の中だったとしても外だったとしても、彼なしの私の命は想像できない。
ただ、彼がいなくなれば、彼が私以外を望むのであれば、私は黙って立ち去ることを選ぶだろう。そのことで彼の心の中に少しでも自分の欠片が残るのであれば。
もう離さない。離せない。私は、一度失われ、そして彼によって取り戻された。もう私は私ではなかった。それでいい。
それがいい。