07 帝国図書館 (2)
年齢は30歳前後の役人の男性が、地学の本棚にふらふらと疲れた足取りでやって来た。
長髪はぼさぼさで、きっと手入れが面倒臭くて、後ろに一つに束ねていると私は予想する。
その役人の男性が、本を熱心に探し出しだ。
どうもソファーに埋もれている私には、気が付いてないみたい。
このまま、気付かれずに去ってくれないかなと息を潜めて、役人さんを見ていた。
向こうは誰もいないと思っているので、上司の愚痴をぶつぶつ言っている。
「新しい村を開く所を探せって言われても、どこにすればいいかなんて専門外なんだよね。こんな簡単な地図一つで決められるわけがないじゃないか・・・わーーーー!!」
さんざん愚痴った後で私と目があった役人さんは、大袈裟に驚いて尻餅をついている。
大人の人がこんなに盛大にひっくり返るところを初めて見て、それに私は驚いた。
役人さんは、尻餅をついたまま恥ずかしげに頭を掻く。
「あの、お嬢さん。どこから聞いてました?」
「えーっとはじめから・・・ですけど・・」
役人さんは真顔でスッと立ち上がり、頭を下げる。
「できれば私がここで言っていたことを忘れて下さい。または誰にも言わないで欲しい」
あまりにも悲壮な面持ちでいうので、可哀想になる。
大人なのに、私よりもあたふたしている人を見て、私の人見知りも引っ込んでいた。
「忘れることはできないですが、誰にも言わない事は約束できますよ」
約束すると、ホッとしてなぜか再び悪口を言いだした。
「この地図を見てください。こんな大雑把な地図で、村を開拓する場所を決めろっていうのですよ。そんな一大事、地図の上だけで決められないじゃないですか」
「あの・・シー! 声が大きいですよ。おっしゃりたいことは分かりました。でも、誰がここに来るか分からないので、ここで愚痴をいうのは控えられた方が良いと思いますけど・・」
他人事とはいえ、この人が怒られるかもと思うと気弱な私はドキドキして心臓に悪いのです。
「そうですね。現にあなたがいたんですもんね。所で侍女さんがこんなところでどうしたんです?」
私は役人さんに、『私はマイヤー公爵家の侍女、ルーナと申します。主人であるエディー様を待っています』とエディーお兄様に決められた台詞をいう事ができた。
役人さんの名前はカミル・アイヒホルンさんというお名前で、ここの図書館で働いているそうです。
村を開拓するのに最適な場所を考えろ、と命令されたらしい。
その上司が恐ろしくわがままで、寝ずに働けという鬼畜だというのです。
「では、カミル様は寝ずに働いていらっしゃるのですか? それは体に悪いです」
心配になった私は、少しでもここで寝るのはどうかと提案した。
「誰かがきたらすぐに、起こして差し上げます」
本当に少しでも寝て欲しいと思ったのですが、カミル様は首を振って「ルーナは優しいな」といってガラステーブルの上に、地図を広げた。
「先程言っていた村を開拓する場所の地図ですね?」
私は、じっと見つめる。
「川の側は物資を運ぶのに都合が良いから、ここなんてどうかな?」
カミル様が独り言を言って地図を指して考えている。
「・・・あの、出過ぎた事だとは重々承知しております。ですが・・今指を指された場所は河川による水害が起きやすい場所です。ここに住んだ方々は度々の河川の氾濫に怯えながら暮らす事になると思います」
移り住んだ方が水害の被害に遭われてしまうと考えるとつい、うっかり口を出してしまいました。
「ごめんなさい。でしゃばった真似をしました」
慌てて立ち上がって頭を下げる。
「謝らなくて良いよ」とカミル様とは別の声が聞こえた。
真っ赤な髪の毛に赤い目の青年がで出てきた。
カミル様が『でん・・』と言いかけると赤毛の青年は怖い顔で睨んだ。
「こんにちは、俺はカミル様の下で働いている『ハル』と言います。途中から話を聞いていて興味を持ったんですが、ルーナさんはどうしてここに村を作るのは良くないと思ったの?」
ハルと名乗った彼は16歳だとカミルさんから聞きました。ハルさんの目はなんだか怖くて、怯んでしまう。
鋭くて人を信じないそんな目だ。怖くて言い澱んでいると、見兼ねたカミルさんが助け舟を出してくれた。
「参考までに聞くだけですから、そんなに緊張しないで」
カミルさんの言葉で、張り詰めた気を少し緩ませた。
「あ、あの、この場所は河川が合流しています。さ、さらに、ここは川幅が急に狭くなっています。こんな場所では河川が氾濫しやすいんです。きっとこの辺りの土地を調べれば珪藻がでると思います・・・」
ハルさんが、「けいそうって?」
と尋ねるので、「あ、えっと、も、藻の事です。水が貯まったところには珪藻が必ず増えるので水害の多い場所では、よく見つかると聞いたことがあります・・・」
と必死で説明を加えた。
赤毛のハルさんは、「ふーん」と私の横に座り直した。
な、何故隣に?
「君の勤め先はマイヤー公爵家なんだね。どう?働き先を変える気はない?」
「ふえ?」
私は意味が分からず、首を傾げた。
「なんと、無防備な子だね。例えば宮殿とかどう?」
ハルさんはどんどん迫ってくる。
どう返事をすればよいのか分からず、焦りで口だけがはくはく動いた。
ふわりと体が浮く。
???
エディーお兄様が、ソファーの後ろから抱き上げて助けてくれたのです。
「ルーナは大事な我が公爵家の侍女です。どなたにも譲れませんよ!」
優しいお兄様が珍しく噛みつくように、牽制する。
「今日はもう帰ろう。いいね、ルーナ」
そのまま御姫様だっこの形で、エディーお兄様は、二人を見る事もなく図書館を出た。
そして、馬車の中で漸く下ろされた私は、険しかったお兄様のお顔が元の優しい顔になったのを見てホッと安心した。
「油断したのがいけなかった。あんな不埒な奴が帝国図書館にいるなんて・・・これからは護衛騎士を増やさないといけないな。メイド姿でも虫が付くなら、ドレスなんて・・・パーティーは全て不参加だな」
エディーお兄様は悩ましげに私を見ると、深いため息をついた。
「心配をさせてしまって・・・これからは気をつけます」
しゅんとなる私に、エディーお兄様が、ぐんと顔を近付けた。
「アルルは何も気にする必要はないよ。悪いのは油断した私と、あのいけすかない赤毛の男だ。しかし、心配はある。暫く図書館へ行くのは控えよう」
申し訳無さそうなエディーお兄様だったが、悪いのは私の方だった。
迂闊にも知らない方とお話したのがいけなかったのだ。
仕方ない。折角の図書館だったけれど、暫くは我慢だ。
それにしても、今日は他の人とお話ができた。
興味のある事なら、詰まらずに話せるから、初めての人とも会話を楽しめた。
所で、あの土地のどこに村を作るのだろう。
私はベッドに入る前に、今日見た地図を思いだし紙に書き起こす。
えーと川がこう流れてて・・
そうすると、私ならここに村を作って前世の重機があれば、こうして・・・ここに水量の多い川ならばここには穀倉地帯。
それにしても、ここの山の形が気になります。
ちょっと見に行ってみたいな。
屋敷に閉じ籠っているのは、安心だし、いつも同じ事をするのは心地良かった。
いつもの時間通りの行動を崩すのは嫌だった。
・・・嫌だった筈だけど、ちょっと勇気を出して外に出たら、楽しい事が起きそうな気がしたのです。
今までは、外に出て嫌いな人に会ったらどうしよう・・・とか、
事故にあったらどうしようとか、悪い方にしか考えられなくて、先々の予定で出掛ける日があればずっと気が重かった。そして、お出掛けの当日の気分は最悪だった。
でも、今回の図書館といい、出掛けるのも楽しいと思えるようになったのは、自分の中では前世を含め漸く今世で進歩したのかしら。
できればお友達も欲しいな・・・
ちょっと目標を高くしすぎた・・・
ふぁー・・
今日はいっぱい人と話したから頭が疲れたみたい・・・眠くなってきました。
あの赤毛の人、怖かったな・・・