05 エディックは想う(2)
ブルネイ伯爵の家で受けた虐待も、回復し部屋の中で歩けるようになってきた。
その間も度々、マイヤー公爵夫人は見舞いに来てくれた。
勿論、公爵様自身も心を配ってくれて色々なお土産を持ってきてくれた。
こんなに優しい二人の子供が、何故よりによってあの、アルルーナなのだろう。
神様を呪った。
このままアルルーナに知られずに、この屋敷で生活できれば最高なのにと何度も願う。
そして、すっかり回復した私はアルルーナに会う日がやってきた。
初めて会った彼女は、サラサラの黄金の髪に、紫の瞳が輝き、美しく優しげな感じがした。
でも騙されてはいけない。
彼女はあの有名な『傲慢令嬢』なのだから・・・。
私はアルルーナがどんな行動をするのか観察をした。
おどおどしている。
えっ?
そして、今度は口をハクハクさせている。
いったい彼女は何が言いたいのか?
こちらから思いきって話し掛けてみた。
「この公爵家のお役に立てるように勉学に励み、アルルーナ様にも認めて頂ける用に邁進します」
手を差し出したが、私の手に触れるのも嫌なのか、何の反応もない。
きっと汚いと思っているのだろう。
やはり、そうだ。
庶民の私などに公爵家を奪われて憤慨しているはずだ。
これ以上彼女に関わるのは避けよう。
私は伸ばした手をさっさと引っ込めて、侍女に屋敷の案内をお願いした。
少しでも早くアルルーナと距離を取ろうとしたのだが、マイヤー夫人があろう事か、その案内をアルルーナに頼んだのだ。
アルルーナは見るからに嫌々そうに、これを引き受けた。
「こ、こちらは、ダイニングです」
「こ、この部屋は侍女の休暇室」
愛想もない事務的な各部屋の紹介が始まり、淡々と前を歩くアルルーナの感情は、全く読めない。
だが、この屋敷と渡り廊下で繋がっている立派な建物があり、ここが図書館だと聞いた時には驚いた。
流石、公爵家だ!!。
つい、心の声が漏れてしまった。
「・・・凄いね」
これを聞いた彼女は、初めて私の顔を見て話した。
「本が好きなのですか?」
目を見開いて私を見た顔は、肯定しか言えない期待に満ちた瞳だった。
彼女の勢いに押されて、私は素の自分で返事をした。
「うん、好きだよ」
私の返事にアルルーナが纏っていた、さっきまでの固さが一気になくなる。
「では、こちらに来てください。私のお気に入りの場所があるんです」
幼い笑顔で連れて来られたのは、三階建ての図書館の更に上の屋根裏部屋。
彼女のお気に入りで、秘密の隠れ場所だと言うのだ。
そんな大事な場所を私に教えてもいいのか?
少し心配になる無防備さだ。
そして、私は気がつく。
図書館で働く司書達が、優しい眼差しで彼女を見守っている事を。
自慢げにここの事を話すアルルーナが可愛くて、「本当に凄いね」と相槌を打つ。
それが嬉しかった彼女は、怒涛のように早口で話しだした。
「この図書館の凄いところは、歴史書が多くて、歴女の私なんかはたまらない本が多いんです。帝国図書館と比べると本の数は劣りますが、中々の蔵書数なのです。それにここには、あの有名な・・・」
暫く一人で喋っていたが、急に止まるとハッと我に返り、どんどん萎れていく。
どうしたのかと見ると、
「わたし・・わたし・・つい大好きな本の事で喋りすぎて・・引きましたわよね・・・?」
いきなり泣き出した。
先ほどから見ているアルルーナは、噂の『傲慢令嬢』とは掛け離れている。
噂が間違いで、彼女の姿はこちらが本物なのだろう。
そう分かると、グスグスと鼻水をすすっている彼女が可愛く見え始めた。
「あの、泣かないで。私は引いてないよ」
ハンカチを差し出す。
綺麗なハンカチに戸惑っているのが分かる。
ああ、そうか。
私が手を差し出した時も、嫌がっていたんじゃない。
彼女はどうしていいのか分からずに躊躇していただけなんだ。
「ありがどお、ございまじゅ。えでぃっっぐざま」
「くすくす」
愛らしい彼女を見ていると笑みがこぼれた。
あーあー、可愛い顔が台無しだ。
いや、これはこれで可愛らしい。
「ほら、これで鼻をかんでもいいから」
鼻にハンカチを持っていくと、意を決したように鼻をかんだ。
涙を指で拭いてあげると顔が真っ赤になる。
私はこの女の子の、どこを見ていたのだろう。
彼女はずっとおどおどしていただけじゃないか。
口を開けばはくはくさせて、何かを言いたげにしていた。
「エディッぐざま、ハンカヂ、洗っておがえししまず」
鼻が詰まって苦しそうだ。
だが、そんな話し方も愛らしい。
私がじっと見ていると、更に悲しげになった。
きっと自分の何かを責めているのだろう。眉が『ハ』の字になって項垂れている。
ああ、もう元気を出してくれ。
そう思ったら、彼女の頭を撫でていた。
「アルルーナ様、私の事はエディーと呼んで下さい」
歩み寄りたい。
彼女は私をエディーと呼んでくれるだろうか。
「ええええでぃーおおおにいいさまあぁぁ・・・」
??
今のは『エディーお兄様』と呼んでくれたのかな?
必死に頭を回転してアルルーナ語を翻訳していると、彼女は決意を固めた表情をした。
「あああの、そそれではわだじのことは、アルかアルルとお呼びぐだざい」
鼻が詰まったままで必死で訴えている。
「うん。わかったよ。ではアルル宜しくね」
私がアルル呼びを選択すれば、嬉しそうにする。
ああ、私にも可愛い妹が出来たのだ。
あの紳士な義父と女神の義母の娘は、天使だった。
これからは、この義妹を大切に守っていこう。
屋敷の案内を終えて、公爵夫妻の待つリビングに戻った。
しまった!!
アルルの目は大泣きした痕跡がしっかり残っている。
これでは、私が泣かしたと思われても仕方のない状況だ。
愛娘を泣かしたことを責められるのではと焦ったが、夫人の第一声は全く予想と違った。
「二人で行かせてよかったわ。ほら、すっかり打ち解けているじゃない」
「ああ、本当だね。アルルもすっかり気を許している。エディック、ご苦労様だったね」
私は訳が分からず、どう返事をしていいのか迷って曖昧な返事をしてしまう。
「・・・ああ、いいえ。こちらこそ・・・」
「で、アルルは兄が出来た感想は?」
マイヤー公爵がにやにやと面白そうに笑い、アルルに尋ねる。
「ばい、エでいおにいざばのような、やざじいお兄ざまが出来て、じあわぜです」
鼻声で聞き取りにくい・・・
がしかし、アルルの言葉には飾りがなく、率直で私のひねくれた心にも、まっすぐに届いた。
「そうか、それは良かった。エディックに明日も可愛いアルルを見てもらう為に、先ず目蓋を冷やしてもらっておいで」
公爵は侍女のパウラに目をやる。
「あら、お嬢様ったら! 目が薩摩芋をくっつけたように腫れてますよ!!」
毒舌を吐きながらも、その侍女は宝物を包むように、アルルを連れていった。
侍女の言葉は置いといて・・・アルルと侍女達の間にも、優しい信頼関係が築かれていると分かる。
それにしても、あの酷い噂は全く違うではないか。
『ウルリーケ嬢を上回る毒舌』
いやいや、アルルは言いたいことも言えずハクハクしているのだぞ。
毒舌なんか言える筈がない。
『我が儘、傲慢で使用人にも辛く当たっている』
使用人達には、愛されている。しかも、傲慢な態度とは真逆に消極的な態度だ。
『ブランド物を自慢して他人をなじる』
アルルはきっとブランドをあまり知らないんじゃないかな?
そんな彼女が人のブランドにケチをつける筈がない。
「どうして、アルルの噂を打ち消そうとしないのですか? あれではアルルが可哀想です」
公爵家ならば、いかなる手を用いても、噂を消す事だってできるのに、なぜしないのか?
アルルの素顔を知った今、この問題を放置しているマイヤー公爵の意図が分からなかった。
「ああ、あの子は人と関わるのが苦手でね。大人しい子なのに、初めて出たお茶会であの様な騒ぎになったのは正直驚いたよ。でもあの騒動を逆手に取って、他の子があの子に近付かないようになったのはホッとしているんだ。だからね、噂を放置しているのだよ」
はははと公爵は笑うが、これから先にあんな噂があったら、アルルに悪影響しかないじゃないか。
「しかし、もう数年したら婚約者選びも考えないといけないのに、良いのですか?」
私はもうすっかりアルルのお兄さんの気持ちになっていて、可愛いアルルの行く末を案じていた。
「そうね。このままじゃ良くはないのですが、アルルとしっかり向き合ってくれる人がいたら、アルルの性格も分かってくれる筈です。それに、あの子にはまだまだ結婚は早いわ」
公爵夫人のゆったりとした答えが、この家族がアルルに政略結婚を求めていないことが分かる。
私もアルルにはのんびりとした、暖かい家庭を築いて欲しいと願っている。
あんな噂がなかったら、今ごろ見合いの釣書が、公爵家に山程届いているに違いない。
私もせっかく優しい両親と可愛い妹が出来たのだから、暫くはこの家族と一緒に暮らしたい。
つまり・・・アルルの優しさを貴族達に周知させたいが、このまま噂は放置しておくのが一番いいようだ。
その日の夜、就寝しようとベッドに向かうと小さな控えめなノックが聞こえた。
「はい?」
「あの・・エディーお兄様、扉を開けてもいいですか?」
囁くようなアルルの声だ。
「いいですよ」
そろーりと開く扉。
月明かりに輝く金の髪と白い顔だけそっと覗いた。
「あああの・・・寝る前にご挨拶をしたくて・・・おやすみなさい」
「・・・ああ、おやすみなさい」
私が答えると、アルルはふんわりと微笑んだ。
すると、再びそろーりと扉がしまった。
そして、ぱたぱたと小さな足音が遠ざかって行く。
私は地獄の屋敷から、一気に天国の屋敷に召喚されたようだ。
アルルの可愛らしさに、眠気が飛んだ。
そして、徹夜で考えた結論。
うん。嫁には出さない!!
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