43 皇太子妃候補教育 Lesson2で振り出しに戻る
トールノン夫人の荒療治で、つっかえずに何とか話す事が出来るようになりました。
やったー。
パチパチパチ。
しかし、これだけでコミュニケーションが、取れるわけではありません。
人との会話はキャッチボール。
投げられた言葉を受け取って、さらに言葉を投げ返す。
これが一回だとすると、私はせいぜい頑張っても二回が限度です。
私;こんにちは、お元気ですか?
夫人;はい、元気です。あなたは?
私;元気です。ではさようなら。
夫人;さようなら、またお会いしましょう。
「・・・・」
トールノン夫人が固まっています。
「えーっと、アルルーナお嬢様? これは会話とは言いませんよ。これは挨拶です」
え? それでは私の会話のキャッチボール回数はゼロですか?
わなわなとうち震える私に、トールノン夫人は優しく微笑む。
「あなたの人見知りは、傷つくのが怖いから人と話すのが苦手なのね?」
そうです。「はい」と頷く私。
「それじゃあ、怖いとか、苦手だと感じた人と話した時に、会話の内容をしっかりと覚えているかしら?」
「・・・そう言えば、頭が回らなくて覚えていません」
「そうでしょうね」とトールノン夫人が頷く。
以前にお茶会で挨拶をして回っていた私を見て御存知だったようです。
「怖いと感じるとね、脳が萎縮しちゃうの。それに恥ずかしくない返事を返さなければって、そればかりに意識が集中しちゃうと、余計にありきたりな返事になるの」
きっと私はどう思われるかが、とても人より敏感で、それに囚われて会話していたのです。
では、どうすればいいのでしょう?
トールノン夫人は会話の極意を四つ教えて下さった。
①話の内容に合わせ、表情豊かに聞く
「だって、アルルーナお嬢様のお顔は強張っていらっしゃって、こちらも緊張してしまうの」
やはり笑顔の練習は必須のようです。
②逃げ腰にならずに話を聞く。
「ほら、もう腰が引けて半分意識がなくなっているわ。聞く態度は重要よ」
ああ、確かに座っていても、立っていても逃げたい気持ちが勝っているんです。
③領地の特産物を覚えておく。
「『あの、特産物が美味しかった』この一言で、会話も弾みがつくのよ」
ふむふむ、なるほど・・。
④相手の話で重要だと思ったら、そのキーワードを繰り返して言う。
なるほど、それなら出来そうです。
なんて、簡単に思っていたけれど、その繰り返しが思わぬ事態に発展するなんてここでは思っても見なかったわ。
ダンスのレッスンも終わりました。
相変わらずのへっぴり腰だけど、今日はトーマスもステップを間違えなかったからか、額の青筋は引っ込んでいた。
よかった・・。
それに、これ以上トーマスの足を踏んでいたら、執事の業務にも支障が出るでしょう。
我慢強い彼も、流石に倒れてしまう。
お妃教育として、他にも外国語の授業が始まったのですが・・・。
何とビックリです。
まるで、ネイティブなのかと思われる程の発音と聞き取り能力。
このスキル・・・是非前世で英語の授業の時に欲しかったわ。
今さら遅いですが。
とにかく、このスキルのお陰で私の皇太子妃教育は、かなり進むはずだったのですが、世の中そう甘くはありません。
圧倒的に、ダンスとコミュニケーション能力が低すぎて、プラス・マイナスはゼロ。
今日も私の頭では要領オーバーの詰め込み勉強で、体も脳も目一杯働かせてくたくたです。
明日はダンスも会話も上手くなっていたらいいのにな。
と気がついたら朝でした。
私五分しか寝てないですか?
と言うくらいに睡眠した感がないです。
まだ、疲れの残る頭で聞かされたのが、朝から会話の勉強を手伝ってくれる特別講師がいらっしゃるということ。
きっと機関銃のように話題を繰り出すことが出きる、どこかのご婦人でしょうか?
それとも、いぶし銀の知性溢れる会話をされるおじさまなのでしょうか。
出きれば厳しい方は、満身創痍の今はお断りしたい。
と思っていたら、講師はハル様だった。
皇太子殿下自ら、私の会話の練習相手に立候補してくれたのです。
忙しい御身なのに・・・。
「こうでもしないと、ルーナに会えないでしょ? それに頑張っているルーナを応援したかったし・・」
「ありがとうございます。せっかく来ていただいたのですから、頑張ります」
でも、このレッスンいつもの先生と座る位置が違うので、なんだか恥ずかしい。
「あの、ハル様?」
「うん? 何?」
「会話の練習ですので、膝に乗せないで向かい合って会話をしたいのですが・・」
「ああ、気にしないで。色々なバージョンがあるでしょ? 今日はこの形での練習をしよう」
いえいえ、お膝に乗ってする会話は、この先きっとハル様只お一人ではないでしょうか? それならば、この練習は無意味のような気がしますけど・・・。
「さあ、始めるよ」
始めるんだ・・。
私の質問はうやむやにされて、練習が始まった。
私は自分の意識がお尻の下にいくのを、必死で元に戻す。
そして、トールノン夫人に教わった極意を実践した。
先ずは、①笑顔。
必殺、渾身の微笑み。
「クッッ!! いきなりそれはダメだ・・。襲っていい?」
ハル様の腕に力が入る。
「ええ? ダ、ダメに決まってます!!」
「うん、そうだよね・・・。ごめん。今、心を立て直すから待ってて・・・。よし、大丈夫だ」
えっと、②は逃げ腰にならないだったけど、これでは逃げようがない。腰はガッチリとホールドされていて、わずかに動くことも出来ないわ。
では、③の領地の話ね。
領地ではなく、皇帝陛下の離宮の話をしましょう。
「シュヴァルツ帝国の南に、大きな離宮があると聞きました。年間を通して常夏で、冬でも果物が豊富だそうですね」
「ああ、そうなんだ。ルーナを是非連れて行きたいんだ。半島の先に行って、そこから海に沈む夕日を二人で眺められたら最高だろうな」
「・・・」
しまった!!
こんな甘い話題の時って、何とお返事すればよかったのかしら?
えっと・・・えっと・・
「俺と一緒に行くのは嫌?」
首をプルプルと振ってしまう。
ああ、これは会話ではない。
ボディーランゲージですわ。
そうです。会話の極意④のキーワードを繰り返す・・これです。
「俺はルーナの事好きだよ。始めて会った時から・・」
「好き・・・」
しししまったぁぁぁ。
うっかり、キーワード探しに必死で、うっかりとんでもない言葉をうっかり繰り返してしまいましたぁぁぁぁ。
うっかりにも程があるわ!!
取り消さないとぉぉ。
「え? ルーナも俺の事好きって言ってくれたの?」
「ち、ちがいます」
「違うのぉーー?!!」
ハル様に、悲壮な顔をさせてしまった。
これでは、ハル様の事が『嫌い』って言ってるのと同じです。
「だだだだだから、そそそそうじゃなくぇぇぇぇ」
今ここで、『好き』と言わないとハル様に勘違いされたままになるわ。
でも、いざ、本人を目の前にすると、緊張して震えるし、心臓がこれ以上強く打てないくらいに、バックンバックンいってます。
「ねえ、俺の事どう思っているの?」
なんでこんな時に、そんなにハル様の足からも、腕からも熱が伝わって来るの?
なんでこんな時に、私の顎を撫でながら、こんな近くで色気を大量に放出するんですか?
耐えられない・・・。
私にサーモスタット機能があったら、既に電源は切れてます。
「ドドドウって、わわわ私はハハハル様の事を・・・あああ」
もうダメだわ。電源オフになるわ。
その時、救いの主が現れた。
「殿下!!!!」
トールノン夫人が、ノックもなしに扉を殴り開いて走り込み、テーブルを空手の瓦割りの勢いで、ぶっ叩いた。
あらまあ・・マホガニーの机にヒビが入ってます・・・。
トールノン夫人・・さては前世、空手家でした?
「アルルーナ嬢の力になりたいと、特別講師を買って出て頂いた時は、そのお気持ちに感謝しました。ですが、これは一体なんですか?!!!」
トールノン夫人のお顔が、海に沈む夕日より真っ赤です。
ヤバイです。
私はそろりとハル様のお膝から下りて、隣に座り直す。
「せっっっかく、アルルーナお嬢様の会話が突っかえずに言葉が出て、大変良くなったというのに・・・!! また一段と酷くなっているではありませんか!!!」
ハル様が言い訳をしようとしたのですが、トールノン夫人の『皇太子殿下、退場!!』の言葉で、パウラとジュスターに、部屋の外に追いやられてしまった。
いきなりのレッドカードを出されたハル様が、その後どうなったのか分かりません。
そして、これ以降、特別講師にハル様が呼ばれる事は二度となかった。




