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手紙

 ヨウは久しぶり赤い絨毯の隅を歩きながら1級生の教室へと向かっていた。その途中、何度も足が止まった。アウルとのデート以来、ヨウは彼女と会うのを恐れていた。美術館で彼女の言っていた言葉を何度も頭の中で考えてみたが、納得できる答えは出てこなかった。それがとても怖いことに感じられた。


『もしも、あの意味深な言葉を俺が理解できるとアウルが考えていたなら、その答えを聞きにくるかもしれない』


 ヨウはこんな風に考えて、彼女の問に答えられず、失望される妄想を繰り返した。そのため、美術館のデート以来、アウルのいる1級生の教室に足を運べずにいた。


「こんなことになるなら、サーバントなんてしなければ良かったかな……行きたくないなぁ。とは言っても、二週間以上教室に顔を出さないのはまずいよな」


 ヨウはサーバントと呼ばれる世話係に指名されて以来、1級生の貴族の雑事を彼らに代わって行ってきた。王立高等学校には上級貴族の子が多く通っている。彼らは小さい頃から(かしず)く者が側にいる生活を当たり前のように送ってきた。しかし、王立高等学校は生徒の自立と自律を促すために、貴族の子であっても個人雇いの使用人をつけることを禁じていた。一方で、貴族の子は社交やら家の事情やら、学業以外で(わずら)わされることも多いため、特例として、一定の制限を設けつつ、学生間でのみ雑事代行の許可が下りていた。1級生はクラスに四名までサーバントを下級生から選ぶことを許されている。ヨウはそのうちの一人であった。ヨウはそれを断る権利を有していたが、貴族からの雑事代行は平民にとって少なくない謝礼が入る。それに、雑事代行中は面倒な講義の一部が免除される。著名な権力者の子と繋がりもできる。ヨウは繋がりこそどうでもいいと考えていたが、多額の謝礼金と講義免除の誘惑に抗えず、誰よりもよく働いてきた。成績不良の彼をギンやコルトバたちが心配しているのはもっともなことであった。

 ヨウは1級生の扉の前にたどり着いた。そして、しばらく立ち(すく)んだように扉の前に立っていた。教室に入る踏ん切りがつかないでいると、横から声をかけられた。


「あれ? ヨウ君。久しぶり。全然来ないからみんな心配してたんだよ? 体調でも悪くしてたの?」


「レーシャさん。お久しぶりです。いえ、体調を悪くしてたわけじゃないんですけど……」


 柔らかい声でヨウの体調を気遣ったのは、女性徒のレーシャ。緑色と金色の交じる珍しい髪色が特徴的で、ヨウは初めて彼女と会った時、その髪色をまじまじと見つめてしまい、彼女から不興を買ったことがあった。しかし、無礼にも凝視してしまった理由が、美しくて見惚れてしまったからであると正直に白状してから、ヨウは彼女から声をかけられるようになった。髪に緑が交じるのは、彼女の固有魔術の副作用であることも教えてもらった。

 彼女はヨウが言葉を続けられずにいると


「まぁ、いいわ。ヨウ君が元気ならそれで。中に入ったら?」


「あ、はい」


 ヨウは促されてようやく教室内に入った。そして、頭を下げながら教壇の前を通り、教室の隅で腰を低めて片膝を床につけた。これが、サーバントの作法である。用事のある者が教室の隅に控えるサーバントに声をかけ、要件を知らせるのである。

 ヨウはアウルの席を見ないようにいつもより頭を低く垂れた。無意識の行動であったが、それが(かえ)ってよくなかった。誰かがヨウのもとへ向かった。それを彼は足音で確認したが、頭を低く垂れすぎたせいで、男性か女性かの区別もつかなかった。アウルだったらどうしよう。そんな考えが(よぎ)ると、額から嫌な汗が流れた。


「頭を上げて」


 それが、サーバントに用事を頼む最初の言葉である。その声は男子生徒のものだった。ヨウは頭を上げて


「はい。要件を(たまわ)ります……ア、アヒルさん……?」


 そこに立っていたのは中肉中背の男子生徒、アヒルと呼ばれる少年だった。ふくよかな頬に血色の良い赤色が差して、きめ細やかな肌は絹のようであった。この育ちの良い少年を前にして、ヨウは戸惑った。アヒルは貴族ではなく魔道士の子である。というのも、サーバントは基本的に貴族のための特例制度であり、ヨウは貴族以外の生徒から用事を頼まれたことがなかった。そのため、制度ができた由来を考えると、彼から用事を頼まれるのはまずいような気がした。それに、他に用事を頼みたい貴族の生徒がいた場合、少しやっかいなことになる。サーバントは今、教室にヨウ以外いない。貴族の要件をそっちのけで貴族以外の用事を受けるのはまずいのである。であるから、アヒルの要件を受けるにしても、まずは貴族の生徒のひとりひとりにその許可を聞いて回らなくてはならなくなる。ヨウが困った顔をしていると、誰かのクスッと笑う声を聞いた。見てみるとアデーレだった。彼女はニコニコしながら「ヨウ君はほんとにかわいいな」と笑った。ヨウは更に困惑した。


「大丈夫。これは貴族様の依頼でもあるんだ。僕はただ代表として君に依頼しているに過ぎない」


 そう言ってアヒルはヨウに封筒の束を手渡した。


「これは? 手紙ですか?」


「ああ。貴族様は君に手紙を出してもらいたんだよ。そのついでに僕たちの手紙も持っていってもらいたいんだ」


「それなら、大丈夫ですね……たぶん。にしても、多いですね」


「ああ。クラス全員分ある」


「全員分?」


「ああ」


「そう……ですか」


 手紙を出すという用事を頼まれたことは幾度となくあるが、クラス全員から頼まれたことはなかった。何か理由があるに違いないが、その理由を尋ねられる立場でないことをわきまえていたヨウは、何も聞かずに手紙を丁寧に鞄の中にしまった。そしてアヒルは「あとこれ。先に渡しておくよ」とクラス全員分の謝礼金の入った袋を彼に渡した。


「頼んだよ。大切な手紙だから」


 アヒルはそういってヨウの肩に手を置いた。謝礼は基本的に後払いであるのに、今日に限って先払いであること。そして、大切な手紙だからと話すアヒルの瞳が、いやに真剣であることにヨウは違和感を覚えたが「分かりました」とだけ答えて教室をあとにした。

 ヨウは手紙をしまった鞄に視線を落として「大切な手紙ってなんだろう」と考えながら、早めに仕事を済ませて、空いた時間にルボロンを買いに行く算段を頭の中でつけた。ヨウはアウルに会うことを恐れていたが、教室の中にアウルがいないことをアヒルとのやり取りの間にこっそり確認し、それと知った途端に緊張が緩んで、頭は暢気(のんき)にも自分の好きな食べ物に向いていた。

 ヨウはすっかりと春めいた街中を鼻歌まじりに歩いた。トリアムに住む人々は冷たい印象を持たれるが、陽気な日差しに毒気を抜かれた人々の顔には明るい笑顔が咲いていた。ヨウはアウルのことが気にかかっていたが、光の降りる美しい街並みと楽しそうな人々を見ていると、彼女とのことがちっぽけな悩みに思えてきた。


「考えても仕方ないことだよな。もう終わったんだし」


 鼻歌の中に混ぜた独り言を青い空に放ちつつ、目の裏にアウルの顔が浮かぶと、ヨウの胸はチクッと痛んだ。

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