1 用心棒バサラ 4
そして、その日は何事もなく過ぎていくのみだった。
というかあの男三人を相手取っただけで、その一日は大変だったと締めくくるべきなのだろうが。
まぁ俺はある意味場数を踏んでいたので、大した感情も残らない。
とにかくその日はそうやって過ぎ去っていって、あの女の子のことも半ば忘れかけていたが。
次の日に、俺は思い知ることになる。
あの女の子が、一体どういう少女なのかを。
放課後。
今日も取り敢えずモミジに声をかけたが、彼女はまた爆睡を決め込んでいて、起きようとはしなかった。
俺は昨日と同じく、放置して帰ることにする。
最近の平日はほぼ(サボる時もあったが)高校に来ているので、なんだかんだ言って昇降口の風景には見慣れてしまう。
なんというか、ここの生徒たちはよく飽きもせず毎日学校に通ってくるものだ。
俺はあまり経験がないから面白半分で来れてはいるが、それでも飽きというのは来る。
それにしたって、飽きても面倒臭くても学校に来るというのは、それはそれでかなりの精神力が必要な気がするのだ。
モミジは来る来ないの問題ではないと言っていたが、実際どうなのだろうか。
そんなことを考えながら下駄箱で靴を変えて、取り敢えず夕飯の買い物のために繁華街へ行こうとする。
しかし校門に近づいていって、何事かいつもと違う雰囲気を感じ取る。
面倒だと思いながらも顔を上げると、少なくない数の生徒たちが、校門の一角を注視して噂をするような体勢を取っていた。
喧嘩か何かかと思ったが、暴力の音は聞こえてこない。
俺も近くの生徒に倣って校門の方を見てみる。
すると校門のところには、一人の女性がいるようで。
彼女は和服らしきものに身を包んで、清楚な佇まいで誰かを待っているようだった。
そして、俺はどうして生徒たちが噂話をしているのかを理解する。
その女性は、恐ろしく美人だったのだ。
俺は反射的に、彼女の胸元に目線が向く。
……大きい。
それもかなり。
俺は生唾を飲み込んで、しかし声をかける必要もないので、残念に思いながらも帰ることにした。
周りの生徒たちを押しのけて、俺は校門の方へ歩いていく。
すると女性がこちらの方を伺って、ぱぁっと顔を輝かせた。
「え?」
顔を輝かせた?
和服姿の女性は、そのままこっちに手招きし始める。
周りを振り返るが、やはり俺のことを呼んでいるらしい。
というか、あんな知り合いいないぞ。
胸に気を取られたが、なんとなく警戒心が先行する。
しかしこの状況下で無視するわけにもいかないので、俺は溜息を吐きながら女性の方へ近づいていった。
「……何か用ですか? 人を呼んで来いってなら別の奴をあたってください」
「その必要はありませんよ。だって、わたくしの目的はあなたですから」
そう言って、彼女は勿体ないくらいの笑顔を浮かべた。
「……俺たちって知り合いでしたっけ?」
「いいえ。初対面ですよ」
「ですよね」
そうなると、どうして彼女は俺に用があるのだろう。
「ご挨拶が遅れました。わたくしは染井ヨシノと申します。以後お見知りおきを」
ヨシノと名乗った女性は優雅な動作で頭を下げた。
その際に、香水と思しき匂いが鼻腔をつつく。
なんというか、非常に女性らしさを意識させる匂いだった。
「ああ。――俺も名乗った方が良いか?」
「いいえ結構ですわ。あなた様は有名人ですものね」
背筋を冷たい汗が伝う。
この女、俺の正体を知っているのか?
すると、女性は非常に上品な立ち振る舞いで、ゆっくりと頭を下げた。
「昨日の件、お嬢様から拝聴しました。危ないところを助けていただいたようで。本人に代わって感謝いたします」
お嬢様。
その言葉を聞いて、俺はこの女性が昨日のあのマセ女の知り合いだということを知る。
しかし、お嬢様か。
何か引っかかる言い方だが、まぁ今は良しとしよう。
「ああ、あの十五歳の知り合いなのか。それで、今日は何の用ですか?」
「今日参りましたのは他でもありません。サクお嬢様が、直々に屋敷へご招待申し上げたいということでして」
屋敷へご招待。
なんとなくワクワクする響きだったが、とどのつまり、また俺を用心棒に勧誘するつもりだろう。
そのことを見抜いてしまった俺は、溜息を吐きながら頭を掻いた。
「いや、昨日も言った通り、俺は引退したんですよ。だからもう依頼を受けるつもりはありません」
そうきっぱりと断ると、ヨシノさんは意外そうな表情を浮かべた。
「そうですか,,,,,,」
少しだけ申し訳ない気もするが、これは前から決めていたことだ。
俺はそのまま立ち去ろうとしたが、ヨシノさんは小声で、
「はぁ……本来であれば、蕪木様に、“お礼”をと思ったのですが」
ヨシノさんはお礼と言ったところで、その豊満な胸元を少しだけはだけさせた。
瞬間的に、俺の脳裏に電撃が走る。
お礼、だと?
俺は少しだけ覗いている胸を盗み見ながら、思考を巡らせていた。
え?
この状況って、もしかして……
もしかしなくても“お楽しみ”ですかね?
ゴクリと生唾を飲み込んで、俺はヨシノさんの顔色を窺った。
彼女はとても色気のある表情を浮かべながら、艶めかしく吐息を漏らしている。
うん。
もしかしなくてもお楽しみですね。
「蕪木様がよろしければ屋敷にご案内致しますが、いかがでしょうか?」
「行きます」
俺は恥も外聞もなく、ヨシノさんに即答した。