1 用心棒バサラ 1
「お前、その耳に付けているのはなんだ? まさかピアスじゃなかろうな? ――それにその制服の着崩しはなんだ! いい加減にしないと本当に停学にするぞ! おい、聞いてるのかバサラ!」
憎ったらしいほどの青空の元、
高校の正門での服装検査で足止めを食らっていた。
俺は無表情を顔に貼り付けながら、体育教師の鬼頭の説教を垂れ流す。
周囲は生徒たちが友人同士で固まって登校して来ていて、彼ら彼女らはこちらをご愁傷様といった表情で見やると、飛び火しないようにそそくさと校門をくぐっていく。
流石に助けてくれとは思わないし、対処としては最適解に思えたが、鬼頭の目標に選ばれた自分としてはたまったものではない。
「……あの、鬼頭先生。どうせ服装とか取り締まったところで風紀がどうこうなる話じゃありませんよ。そもそも、この学校で規則をバカ正直に守ってる奴なんて、うちのクラスじゃ委員長くらいしかいませんし。それをまぁ目くじら立てて。ストレスで禿げますよ?」
俺の服装にいちゃもんをつけた鬼頭は、眉間をピクピクさせながら、手に持った竹刀をギリギリと握りしめた。
竹刀を片手に校門で風紀取り締まりなど時代錯誤も良いところだが、彼は己の武士道とも言える信条があるのか、その倒錯的な行為を留めようとはしない。
同僚の教師たちについても鬼頭に触れにくいのか、このような暴挙を傍観するのみで許している。
教師と言っても大した期待はしていないが、同僚の安全装置くらいの機構は有していて欲しいものだ。
「貴様、俺の頭がなんだって……? まだ禿げるどころかピンピンしているだろうが!」
鬼頭は予想以上に髪の話に食いついて来ていて、逆にこちらを困惑させている。
そんなに過剰反応すれば真実などすぐに予見できるものだが、その単調さが昭和臭いのかもしれない。
「そんなこと言っちゃって。知ってますよ。センセが植毛してること。女子の間だと有名な話ですよ。そろそろ取り繕うのやめた方が良いんじゃないですか?」
植毛をしているかどうかなど知る由もないが、髪にコンプレックスがあることは露見していたので、カツラでなければ植毛だろう。
その程度の認識だったのだが、
「な、そんなことはないぞ。これは地毛だ。まさか三十半ばで禿げることがあるわけないだろう? ほら、きっと何かの勘違いだ。植毛なんてしたことない」
鬼頭は取り繕うように自分の髪の毛を触ると、労わるように優しく撫でる。
その慈愛を生徒にも向けて欲しいものだが、頑固おやじの権化である彼には通用しないだろう。
俺はなんだか面倒臭くなって、鬼頭の前で欠伸をかます。
それが気に食わなかったのか、奴はまた眉間に激しく皺を寄せた。
「俺の頭はどうだっていいんだ。それより貴様だ貴様! 何故そんなちゃらちゃらした格好をしているんだ! ここは学校だぞ! 少しくらい風紀というものを意識したらどうだ!」
鬼頭は噴火を始めると、竹刀を校門の柱に叩きつけた。
その衝撃音が周囲に響き渡り、女子生徒たちが身体を震わせる。
今の時代あまり下手に暴力をひけらかすのはご法度だが、彼にはそんな常識など欠落しているようだった。
流石に相手にするのが怠くなってきて、そろそろ会話を打ち切ろうと画策する。
「だーから。俺以外でも着崩してる連中は数えきれないほどいるでしょう。なーんで俺ばっかし怒鳴られにゃならんのですかい。というか、センセみたいに頭皮を取り繕ったりしてる人間に言われたかありませんよ」
そもそも俺の検問に時間をかけすぎて、他の生徒たちは鬼頭をすり抜けて校舎に入っていってしまっている。
その中にはスキニングしただけで明らかに校則違反をかましている奴も多々存在したが、彼らは運が良かったと思しき表情を浮かべて校門へ飲まれていく。
これでは俺ばっかり貧乏くじを引いていることになりかねない。
さっさと教室に入りたい身としては、もう構っている時間も余裕もなかった。
「しょ、植毛は別に風紀なぞ乱しておらん! だが学生のピアスに着崩しはダメだ! 今すぐこの場で直せ!」
「あ、植毛認めましたね。そう言えば、植毛って引っ張ると取れるんだっけ。試していいですか?」
鬼頭の了承も待たず、俺は彼の髪の毛を一本摘まむと、手前にちょっとだけ引っ張ってみる。
こちらとしてもイライラしていたし、教師に対する対応など度外視して、俺は彼の髪を摘まんでいた。
「いだだだだだだ! 貴様、何をする!」
いい加減に怒ったのか、鬼頭は顔を真っ赤にすると、持っていた竹刀を振り上げた。
即座に竹刀が振り下ろされることを悟った俺は、その動きを冷静に分析して、竹刀の軌道を読む。
上段振り下ろし。
こんなところであの頃の知識が役に立つのはなんとなく気に食わないが、ただで竹刀を食らうのはいただけない。
上部から振り下ろされた竹刀を、俺はギリギリまで引き付ける。
下手に素早く回避してしまうと、躱したことを早期に悟られ、竹刀の軌道を変えられる可能性があったのだ。
そして竹刀はこちらの眼前まで接近して、衝突寸前まで引き寄せたところで、俺はそれを手早く回避する。
竹刀は真っ直ぐ地面へ振り下ろされて、俺ではなくアスファルトを叩いた。
振り下ろされた竹刀は黒々としたアスファルトに衝突した反動で歪曲し、集中された馬鹿力を体現する。
まさか避けられると思っていなかったのか、鬼頭の表情が驚愕のものに変化した。
俺は彼の驚きなどどうでも良く、そのまま鬼頭の隣をすり抜けて、校門の横からアッカンベーをお見舞いする。
「待て! バサラ! 待てと言っているだろう!」
会心の一撃を見事に空振った鬼頭はもう検問のことなど頭からすっ飛んだのか、がむしゃらに俺の方に向かって走ってきた。
もちろんただで捕まるつもりもないので、俺は校門を横切ると、ダッシュで校舎の方に走る。
体育教師だけあって足は遅くないが、当然俺に勝てるわけがない。
間もなく鬼頭は俺の後方へ流れていって、声が遠く離れていく。
「待てバサラ! 待たんかー!」
鬼頭の叫びを後ろ手に、俺は二年生のクラスがある四階を目指して走っていった。
軽く鬼頭を振り切って、俺は自分のクラスへ到着する。
クラスは予鈴が鳴ったというのにいつも通り騒がしく、統制がなかった。
俺はしかしそんなこと気にせずに、自席である窓際の後ろから二番目の席へ歩いてく。
その際に、隣人がいるかどうかをチェックしながら。
隣人とは、言うなれば隣の奴のことで、俺が学校内で唯一親交がある人物だった。
彼女はいつも通り俺の隣の席にいたが、例のごとく顔面を机に押し付けて――倒れるように眠りについている。
俺は寝ているからと言って静かにするでもなく、自分の席について声をかけた。
「モミジ、予鈴鳴ったぞ」
まぁ別に起こす必要もないのだが、なんとなく手持無沙汰で話し相手が欲しかったのだ。
モミジはしかし、俺の声に反応することなくスヤスヤと寝息を響かせている。
「……」
毎度のことだが、コイツは夜寝ていないのか、朝でも昼でも授業中でも関係なく眠っていることが殆どだ。
今度私生活について突っ込んでみても良いかもしれない。
しかしやはり話し相手がいないとつまらないので、俺はモミジを半ば強制的に起こすことにした。
「昼、コンビニでプリン買って来てやるよ」
「最近抹茶味が出たらしいよ。それでお願いね!」
目をキラキラと輝かせてこちらを見つめるモミジ。
相変わらず現金な奴である。
「おはよう」
「おはようバサラくん! 良い朝だね」
軽い挨拶を交わす。
モミジは数瞬前に眠っていたというのに一切思考がぼやけていないのか、爛々とした目線で期待するようにこちらを見つめていた。
「というかお前は寝てただろうが」
その視線から目を逸らして、俺は前方の黒板に目をやる。
下手にあの笑顔を眺めていると、本当にプリンを奢らなくてはいけなくなりそうだったからだ。
「いやぁ、寝心地が良くてね。快調な目覚めだよ」
横目でモミジを盗み見ると、彼女は気持ちよさそうに背伸びをして、欠伸を指先で押さえている。
「そもそも俺が声をかけないと、放課後まで寝てるつもりだったろうが」
モミジは基本的にいつでも眠っていて、起きている瞬間を見つける方が難しい女だ。
まぁ物で釣ると起きはするのだが、興味がなくなると寝てしまうのでその塩梅が中々にむつかしい。
「えぇ? 嫌だなぁ、そんなに寝たりしないよぉ」
「ほぼ毎日昼間は寝て過ごしてるだろうが。前科持ちが何を言う」
吐き捨てて溜息を吐くが、何故かモミジはなんだか照れくさそうな表情をしている。
……コイツ、恐らく褒められていると勘違いしているらしい。
「別に褒めちゃいないぞ」
若干水を差して悪いと思いつつも真実を告げると、モミジはポカンと呆ける。
「え? 褒めてたよね?」
やはり褒められたとなぜか勘違いしたらしい。
「いや、褒めて――」
ない、と言い掛けて、モミジが瞳を潤ませていることに気が付く。
普通に考えて、褒めているはずないってことくらいわかるはずだと思うのだが。
だけどモミジは普通とちょっとズレている部分があって、しかしそれが俺と気が合う理由かもしれない。
「――褒めてるよ。何発チョークをぶつけられても、決して起き上がらないその精神には感服だ」
俺は呆れて嘘を吐き、皮肉を込めて返事をしてやる。
「えへへ。バサラくんに褒められると気分が良いなぁ」
皮肉ったつもりだったが、やはりモミジには通用しないようだった。
自分が言えた義理でもないが、どこかズレているのはご愛嬌。
そろそろ始業になるかと思ってモミジから正面へ顔を戻したところで、彼女がはと思い付いたような顔を浮かべる。
「ってそういえばさ。最近よく来るね?」
「よく来るって?」
一瞬意味が分からずに聞き返す。
「学校にだよ。バサラくん、ちょっと前まではあんまり学校来てなかったじゃない? クラス内で死亡説が流れたくらいだよ」
「勝手に殺すな」
というか、ちょっと学校に来ないだけで、死んだことにするクラスの連中もどうかしている。
この学校はいわゆる偏差値的にあまりよろしい高校ではないが、それにしたって変な連中が多い。
俺は言うまでもなくモミジもそうだし、ウチのクラスの委員長だって真面目だがどこかおかしいと思う。
まぁ陳腐でつまらない人間の巣窟よりかだいぶマシだろうが。
「聞いて良いかわからないけど、何か理由があるの? バイトみたいなことしてるとは言ってたよね?」
ちょっとばかし答えにくい質問。
当然ながら正直に事情を話すわけにもいかず、俺は少しだけ逡巡してしまう。
だが完全に話をうやむやにしてしまうのも、心配してくれているモミジに失礼だと思えた。
「ああ。まぁそのバイトがなくなってな。今は暇なんだ」
取り敢えず当たり障りのない回答を返す。
モミジを盗み見ると、少しだけ驚いたのか口を開けていた。
「ええ? それって大丈夫なの? その、金銭面とか」
モミジは心配そうな表情を浮かべている。
高校のクラスメイトに対して心労するのは大したものだが、そこがモミジの良さなのかもしれない。
「いんや、俺は別に生活が苦しいから働いてたわけじゃないんだ。まぁちょっと色々あってな。仕事を辞めることにしたんだ」
やっぱりありのままを語るわけにはいかないので、罪悪感を覚えながらも誤魔化して話す。
だけどモミジはこんな曖昧な説明に一定の納得感があったのか、理解したように何度も頷く。
「へー。そうだったんだ! でも高校生でいっぱい働くのって大変だよね。うんうん、バサラくんは凄い! プリンをご馳走してくれるだけはあるよ!」
――いい話で終わりそうだったのに、やはりモミジは簡単に諦めてくれない。
どうやらこの子は、本当に俺が奢ると勘違いしているようだった。
「あー。あれ、冗談よ。お前を起こすための嘘」
ネタバラシとばかりにそう告げてやると、モミジは心底傷ついたように顔を悲しみに染めた。
「ええ?! プリン食べさせてくれないの?! 酷いよぉ!」
普段爆睡しているモミジが、ここぞとばかりに体力を浪費する。
こんなことで体力を消耗して良いのかわからなかったが、食に対してはかなりがめついようだった。
「あーもー暑苦しい。わかった、わかったから。買って来てやるから、それでいいか?」
半泣きで手を伸ばしてくるモミジが鬱陶しくて、うっかりそのように答えてしまう。
その瞬間彼女は身体を机に戻して、満面の笑みを浮かべ始める。
「えへ。やっぱりバサラくんだよね!」
不覚にも抹茶プリンを奢ることになってしまったが、まぁ俺も過失割合ゼロとは言えないので否定はしない。
「はぁ。しょうがないな。それでさ――」
とモミジに次の話題を振ろうと顔を向けたが、
モミジは机に突っ伏して、高いびきをかいていた。
「……コイツ、寝るの早すぎだろ」
プリンを確保したらもう用はないと爆睡する辺り、やはり女はしたたかだ。
プリンを奢る約束をしてしまったことを遅かれながら後悔していると、担任の杉山が教室に入ってきた。
「プリン……プリン……プリン……」
しかし、寝言でプリンを楽しみにしていることがわかるだけ、奢りがいがあるとは言えるかもしれない。