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天界の瑠璃 外伝  作者: 上杉 真
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希望 あこがれ 勇気 前進

「上杉先生、おはようございます」。また新しい朝を迎えた庵では朝護摩の準備に追われていた。誠は朝の挨拶を終えると、先生が焚く護摩の手伝いに入った。誠が庵に来てからというもの、月初めの休みの朝、月に一度、一か月の行事の無魔を祈念するために朝護摩を焚くのだった。誠もお山で修行した者として、一応の所作と祈念の次第は伝授されている。「先生、今月も佳き月であるといいですね」。誠が先生に言った。「そうですね、北条君」。護摩の炎が今朝はいつもに増して高い。護摩の炎のゆらめきと高さによって、その月の吉凶が占われるのも、いつものことだ。誠は思った。先生はいったいどのような修行をされてきたのだろうと。護摩が終わり、ひととおりの祈念を終えると、先生と対座した誠は、初めて先生に尋ねたのだった。「先生、先生の人生、修行というものは、どのようなものだったのですか?」先生が誠をしばららくジッと見つめていたが、少し長い溜息をついた後、静かに目をつむった。「お山。お山といっても、北条君のお山とは違うのですが、それは確かに非常に厳しい修行でした。戦後の荒廃期、少しでも明るい画題をと思って画家を目指していたのですがね、どうしてもそれだけでは混迷の世の中を救うには物足りない気がして、お山に入ったのです。小僧時分には色々と不慣れなこともあって、私も細々としたことで失敗もしました。しかし、この道ならば、荒んだ世の中を明るくすることが出来るのじゃないかと、一心に修行したものですよ。夏はさておき、寒には寒の修行、冬の間、何千杯もお水をかぶり、真言を唱え、体が言うことをきかなくなるまで行を重ねたものです。滝にも打たれましたがね、真冬の夜中2時の八つ行は命がけです。そんなことをしながら、20年もそこらも修行を重ねましたよ。まあ、簡単に言うとそんなところですがね、まあ、北条君も短い期間ではあっても、それなりの経験はおありでしょう。」「はい、滝行は経験したことはありませんが、真冬に体の感覚が無くなるまで、お水に入る修行はいたしました」。誠が答えた。先生が続ける。「それがね、要職に就いてからというもの、既存の修行体系では、より多くの人たちを救う事ができないのじゃないかと、日々深々と考えるようになりましてね。何しろ、1000年以上も続くお山でしょう。そこに、何と言ってよいのか、楔を打つような改革案を提示しましてね。人間、執着といいますかね、一度良いことだと腹に決めたことも、それに固執すると、いいことはありませんね。周りから背徳者の汚名を着せられましてね、後に続く修行者たちに悪い影響を与えてはいけないと、自らお山を下りたのです。まあ、それでも、こちらに庵を造ってからというもの、既存のしきたりや、ある意味の束縛から逃れて一沙門として生活するようになってからは、まあ、なんというか、気ままにさせてもらっていますよ。」先生の面持ちが沈鬱な表情から少し明るげに変わった。「そうだったのですか」。誠は思った。宗教家というもの、受難というものはつきものなのかもしれない、と。かつての大宗教家と言われる親鸞聖人やその他の高僧方も、島流しの刑に遭ったりしたものだ。「先生、しかし、今日のお護摩の火はいつもより高くまっすぐに上がりましたね」。誠は話題を変えて先生に言った。「そうですね、今月はいいことがあるかもしれませんね。仏意というものはどこにあるか分からないですからね。人間からしてみれば苦しい出来事も、そのような中にこそ仏意というものが秘められているのですから」。誠は思った。先生の仰ったことは、かつて学んだ「無慈悲の慈悲」というものだろうか、と。「先生、やはりどんな苦しいことがあっても、希望というものは捨ててはいけませんね」。「そうですね、北条君。希望が見いだせないこの時代、一人の力は小さくとも、結集すれば大きな力になるものですよ」。「希望」。そんな簡単な言葉。誠は思った。難しくなくてもいい。希望、あこがれ、勇気、前進。世の中の見落としがちな言葉の中にも、教えの真実はあるのだ、と。

天界の瑠璃 あらすじ



物語は、釈尊入滅の場面から始まる。


大菩薩たちと共に入滅の場面に立ち会った弥勒だったが、


釈尊から、以前に、次の世に仏となり、衆生を救うという使命を


与えられていたがゆえに、十大弟子らと共に、釈尊入滅後も


仏典結集に、ひそやかながら立ち会うのだった。


第一回仏典結集後、若くして亡くなってしまう弥勒だったが、


彼の魂は、次の如来となるべき菩薩たちが法輪を転ずる


兜率天とそつてんに、移るのだった。


容姿端麗な天女に獅子座に誘われる弥勒だったが、


その天女が、この世に生まれて「律子」と名乗ることは、


外伝で書いた。


いずれにせよ、深い三昧に入っていた弥勒だったが、


突如として、娑婆世界で仏道修行をえた大阿闍梨の


下生の懇請が続く。


意を決めた弥勒は、下生の決意をするが、この世に生を受けて、


北条誠と名乗ることは、あえて書いていない。


23歳になった誠は、新しい仕事に精を出し始める。


しかし、新人歓迎会でいわゆる「空」の体認を経験した


(「空」の体認とは、すべてが一つで、一つがすべてで、


その中に自分と、すべてが入り込んでいくという経験)、


誠は、すでに邂逅していた「先生」との繋がりを深くしていく。


大阿闍梨とはつまり、「先生」のことを書いたが、「先生」もまた、


娑婆の色々な思惑と運命によって、修行した大きなお山からは、


一線を退いて、誠をお山の弟子とする資格を失っていた。


それでも、邂逅を果たした誠は、教育の道を歩みながらも、


仏教の知識を蓄える。


最初の学校で、「律子」と出会った誠だったが、失職により、


実家へと戻り、律子との生活は、僅かのものとなってしまう。


しかし、また、関東へ戻った誠は、新宿で偶然に律子と再会する


事になった。関東で律子と一緒の生活をするようになった誠だったが、


その人間的な幸せもつかの間で、律子は、突然の病で亡くなってしまう。


律子と共に生きようと決めた誠だったが、愛別離苦という、苦しみの中、


先生の元へと出向き、また、突然の体験をすることになる。


自分というものが、何者なのか、覚知し始めた誠だったが、


先生が、「私は、弥勒の下生を!と祈り続けてきたのですよ。」という


ことばで、自分は弥勒なのではないかと、半信したのだった。


しかし、思いもよらぬ、旧友からのカトリックの学校への打診があり、


誠は、弥勒ということをあえて忘れ、また教員の道へと、身を進めていく。


しかし、その充実した日々もつかの間、契約解任へと追い込まれた


誠は、度重なる、失職という事態を受け、自分の「運命」は教員という道


ではなく、出家して、僧侶となることではないかと、先生の導きによって、


確信する。そして、誠は、先生の導きによって、京都のお山にて、出家


するのだった。(「天界の記」と「人生の記」はここまで)。「外伝」は、誠の修行と天界に身を帰


した律子の物語である。

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