9.マンリョウ
マンリョウの町からは、幾筋もの黒い煙が空へと立ち上っていた。
もう火を放たれてしまったのかと肝が冷えたが、それにしては煙は細く緩く、勢いがない。あちこちから分散して上がっていても、その範囲が大きくなっているわけでもない。明らかに弱くなっているものもある。
……たぶん、あれは「印」のようなものなのだろう。
この町は自分たちが制圧したということを誇示したいのか、それともここには近寄るなという牽制か、そういったことを野盗たちはあの煙によって他者に知らしめようとしているのだ。
おそらく少量の木材などを使って火を焚いているのだろう。町そのものを燃やしていないのは、まだ彼らがあそこに滞在しているということなのか。
ようやく町の入り口に辿り着いたが、ミナモはすでに気息奄々の状態だった。
長いこと走り続けて、肺が捩じれるように痛く、膝はがくがくと震え、目の前がちかちかする。耳の中で鼓動の音が暴れ回り、激しく波打つ胸からは今にも心臓が飛び出してしまいそうだ。
はっ、はっ、と短く呼吸を繰り返しながら、よろよろと手近な建物にもたれかかる。
滝のように流れ落ちる汗を拭い、目を凝らしてみたが、その周囲に人がいる様子はなかった。
町の住人たちはみんなもうとっくに逃げ出していったのだろう。
眼前には、惨憺たる光景が広がっていた。
甕が倒されて水が流れ出し、開け放たれた板戸からは、家具がひっくり返り荷物が散乱した中の様子が見える。泥のついた足跡がそこら中に残っているところを見るに、野盗たちが片っ端から家に押し入り蹂躙していったことが推測できた。
マンリョウの人々がせっせと手入れしていただろう小さな畑は荒らされ、貴重な野菜がまだ収穫できる状態ではないのに外に飛び出している。
通りには点々と、女性の着物や小物が落ちていた。欲深く奪われていったものの中から、取りこぼしていったのだろう。それだって、誰かが大事に着たり使ったりしていたものだったろうに。
「ひどい……」
小さく呟いて、ミナモは顔を歪めた。
この荒れ果てた町の姿を見て、戻ってきた人々はどれほど心を痛めることか。つい昨日までは、慎ましい暮らしの中でも、みんな頑張って前を向いていたに違いないのに。
これ以上の悲嘆を増やしたくはない。早くカヤを探して、親元に戻してあげないと──
そう思い、町の中に入るため足を踏み出した途端。
いきなりすぐ傍らに出現した何者かが、ミナモの口を手で塞いだ。
「……っ!」
全身が硬直する。
一瞬いろいろと覚悟してぎゅっと目を強く閉じたが、その誰かは恫喝するでも乱暴な真似をするでもなかった。
そろそろともう一度目を開け、そこにいる人物を確認して、はあ~と身体の力を抜いた。
「静かにしろ」
ミナモを抱きかかえるようにして口を押さえているアカザネが、耳に唇を寄せて低く囁く。
「び、びっくりした……アカザネ、どこにいたの?」
大きな手の平の下でもごもごと口を動かすと、「屋根の上」と平然とした答えが返ってきた。
どうやってそんなところまで登ったのかは判らないが、屋根の上から様子を窺っていたアカザネが、ミナモを見つけて飛び降りてきた、ということらしい。着地をする時でさえ空気を乱しもせず、音もしなかった。いつものことだが、神出鬼没すぎて心臓に悪い。
「野盗のやつらがまだ残ってる。見つかったら面倒だ。大きな音を立てるなよ」
アカザネはミナモの口を塞いだまま、目線を前方に向けた。その鋭い眼と抑えつけた声に、ミナモも身の裡を緊張させながら、こくこくと頷く。
「野盗たち、どこにいるの?」
「奥にある家に集まって酒盛りをしているようだ。いつまでも同じ場所に腰を据えるほど馬鹿じゃなけりゃ、じきに引き上げるだろう。だが、その時にはきっと、町に火を点けてすべて燃やし尽くしていくだろうな」
「カ、カヤちゃんは」
「いない。野盗連中に見つからないようにざっと探してみたが、姿が見えなかった。ひょっとすると……」
考えるように眉を寄せて呟いた時、大きな笑い声が耳に届いて、ミナモはびくっと身を竦めた。
野盗たちが外に出てきたのだろう。アカザネに目顔で促され、二人で近くの家の陰へと移動する。
ここから距離はあるようだが、彼らのだみ声は、無人の町中ではよく通った。
「腹も膨れたし、そろそろ行くか」
「おうよ、当座はこの金がありゃあ遊んでいられるだろう」
「しかし男ばかりで呑んでもつまらんな、これなら町の女たちを何人か残しておくんだったぜ」
「そうともよ、次に町を襲う時は、いい女がいないかちゃんと下見をしておこうぜ」
「まったくしけたところだったな、手に入ったのがこれっぽっちの小金と、ガキ一人とは!」
ミナモは息を呑んだ。
それと同時に、子どもの泣き声が聞こえてくる。
アカザネが舌打ちをして、「最悪だ」と独り言のように言った。
野盗たちは捕まえた子どもをどうするか、楽しげに相談していた。
しかしその内容は、いずれろくでもないものばかりだった。馬に縄で繋いで引きずっていくだの、四肢をバラバラにして置いていくだの、聞いているこちらの顔から血の気が引いていくような残虐なことを嬉々として喋っている。
子どもの泣き声は続いていたが、次第にひきつけを起こすような、呼吸困難を伴うようなものに変わりつつあった。当然だろう、幼い子の心が、いつまでも恐怖に耐えられるようなものではない。
きっと、あの子がカヤだ。
「た、助けなきゃ……!」
隠れていた家の陰から出て行こうとしたミナモの腕を掴み、アカザネが強く引っ張り戻す。
そのまま後ろに倒れて地面に転がってしまったミナモを冷然と見下ろして、「阿呆」といつもの調子で言った。
彼の声にも態度にも動じたところはない。突き放すようなその視線に、背中がひやりとした。
「でも……!」
エンレイでの出来事が脳裏を過ぎる。他人のいざこざに関わりたくはないと、目の前でミナモが連れ去られそうになっても目を背けていた住人たちのことを思い出した。みんな自分と家族を守ることが精一杯、油断をするやつのほうが悪いと見なされる、とアカザネはそう言っていた。それが外の世界では普通のことだと。
だからこの時も、アカザネはそれと同じことを言うのだろうと思い、ミナモはぐっと身構えた。
関わるな、放っておけ──と、ひややかに続けられるであろうその言葉に言い返すために。
が。
「おまえが行ったら俺の手間が二倍になるだろうが」
決まりきったことを告げるような口ぶりで淡々とそう言って、アカザネは背中の刀を鞘から抜いた。
日頃、あれだけ「タダ働きはしない」と断言し、仕事をするからには金を払えと散々しつこく念押しもしていたのに、今この時、彼の口からそんな言葉は一切出てこなかった。
ミナモは目を瞬いた。
「ア、アカザネ?」
「ここでじっとしていろ。絶対に出てくるなよ」
アカザネはそう言い置いて、するりと通りへ出て行ってしまった。
***
待っている間、生きた心地がしなかった。
全身を細かく震わせながら、両手を組み合わせた恰好で、小さくなってうずくまる。
あちらからは、野盗たちが驚いて上げた「誰だ?!」という怒鳴り声を最後に、状況を教えてくれるような言葉はまったく聞こえてこなくなってしまった。
耳に届くのは、土を擦るような音と、刃を打ち合わせるような金属質の音、呻き声やよく意味の判らない罵声のようなものばかり。どちらが優勢で、何かが倒れたような音もどちらが立てたものなのか判らない。
ちらりと陰から覗いてみるだけでは彼らの姿は見えないが、だからといって足手まといになることが判りきっているのに、その場に駆けつけていくことも出来なかった。
声からして、野盗は最低でも四、五人はいたはずだ。しかも聞いた話では、相手も刀を持っている。いくら強いアカザネでも、苦戦を強いられているのではないかと考えたら、ますます怖くなって震えが止まらなくなった。
もし、アカザネが怪我をするようなことがあったら。いや、それよりももっと酷いことになったりしたら。
そうなったら、それはすべてミナモのせいだ。ミナモが安請け合いをして彼を巻き込んだ。アカザネにはこんなことをする義理も義務もない。マンリョウの町にだって、本当は行きたくなどなかっただろうに。
アカザネが傷を負ったところを想像するだけで、たまらなくなった。いやだ、いやだ、と心が激しく訴えている。
不愛想だし、お金への執着がすごいし、彼にとってはどちらかというとミナモより首飾りのほうが重要なのかもしれないが。
それでも、アカザネはいつもミナモの頼りになる用心棒でいてくれた。言葉は足りないけど、実は意外と優しいところもあることを、ミナモはもう知っている。彼は人の気持ちを汲んで行動することの出来る人で、決して嘘はつかない。
──そして、ミナモにとって、とても大事な人だ。
ガタガタ震えながら必死でアカザネの無事を祈っていたミナモは、その時になってようやく気がついた。
いつの間にか、物音や声がぱたりと止んでいる。子どもの泣き声ももう聞こえない。
聞こえるのは、こちらに向かって歩いてくる足音だけだ。
ぱっと立ち上がり、家の陰から飛び出したミナモの視界に、水干を着た若者の姿が入ってくる。彼は荷物のように、小さな女の子を肩に担いで足を動かしていた。
「わーん、アカザネえっ!!」
どわっと涙が溢れた。勢いよく地を蹴って走り出し、無我夢中でアカザネの身体にしがみつく。
「おい……」
アカザネは身を引こうとしたようだが、担いだカヤを片手で支えているため、ぎゅうぎゅう抱きついているミナモを引き剥がすことは出来なかったらしい。
がっちり背中に廻った細い腕から逃れることは諦め、彼は大きな息を吐きだした。
「なんでおまえはいちいちこんなことで泣くんだ……」
呆れたように言いながらも、袖の先で、ぐっしょり濡れたミナモの頬を軽く拭ってくれた。
「だって心配だったんだもん! 無事でよかった……! どこも怪我はない? 大丈夫? ほんとに大丈夫?」
「相変わらずしつこいやつだな」
アカザネは少し辟易したような顔になったが、怒ったり眉を上げたりはしなかった。
「俺はなんともない。だから泣くな」
素っ気なく返事をして、担いでいたカヤを下ろす。
しかしよくよく見てみれば、彼の着物のあちこちには、刀で斬られたらしい跡がある。今まであっという間に無力化させていたことを考えると、やはり野盗たち相手の戦いはアカザネにとっても簡単なものではなかったのだろう。
またじんわりと涙ぐんだミナモに、さすがにアカザネが面倒になったらしく、今度はごしごしと乱暴に顔を拭われた。痛い。
「泣くなと言っている。それよりもこっちをなんとかしろ」
こっち? と目を移すと、地面に下ろされたカヤはその場でまっすぐ立ったまま、身動きもしていなかった。
いっぱいに見開かれ、血走った目は空中を凝視して、ひっ、ひっ、と引き攣るように息をしている。
顔色は青いというよりも白っぽく、小さな身体を棒のように固くしている様は、あまりにも痛ましかった。
幼い子どもには衝撃が大きすぎたのだろう。
恐怖は去っても、未だに上手く現在の状況を呑み込めないでいる。野盗からは逃れられたが、カヤにとってはアカザネもミナモも見知らぬ他人であることには変わりない。普通に呼吸をすることも、話すことも出来なくなっていても、無理はなかった。
ミナモは後ろを振り返ったが、まだ両親が到着する様子はない。彼らも懸命にこちらに向かっているのだろうが、この分では、それまでにカヤの精神が保つかどうかも危ぶまれた。
ミナモは急いで周囲を見渡した。
せめて、何かをしてあげたい。ミナモはアカザネのように戦うことは出来ないし、泣いてばかりの役立たずではあるけれど。
今の自分に出来ること。ほんの少しでも、カヤが安心できるように。
目に留まったのは、道に転がっていたニンジンだった。荒らされた畑から蹴られたか飛ばされたかしたのだろう。土に汚れ、葉っぱはしんなりと萎れている。
ミナモはそれを拾い上げた。
カヤの前に屈み込み、地面を指で削って穴を掘る。アカザネは怪訝そうな表情をしていたが、止めることはしなかった。
細い穴を深めに掘って、そこにニンジンを差し込み、また土を被せる。葉っぱだけが外に出て、それだけ見ると、道の真ん中にぽつんとニンジン植えられているようでもある。
カヤはやっぱりこちらには目を向けないが、それには構わずに、ミナモはニンジンの葉の上に自分の手の平をかざした。
神さま神さま月の神さま、どうか「花使い」ミナモに力をお貸しください。
目を閉じ、いつもの言葉を胸の中で唱える。
そしてその後に、いつもと違う言葉を付け加えた。
──傷ついたこの子の心に、癒しと安らぎを、どうか。
手の平に熱が集まる。身体の中の何かが大きくうねり、渦を巻いた。
普段とは異なる感覚に、よりいっそう身を引き締めて集中する。月天宮での教えを思い出すまでもなく、今のミナモには外の音も声も、何も聞こえない。
深いところに潜っていくような静けさに、神経が研ぎ澄まされた。これまでのどんな時よりも、気持ちが落ち着いている。
……はじめて、「力」をちゃんと操れた、という感触があった。
ミナモの手の平から力を受け取ったニンジンの葉は、生気を取り戻した。
自ら起き上がるように、天に向かってぴんと立つ。瑞々しく蘇った葉が、風もないのにざわざわと揺れた。
まるで踊るようにゆらりと動いたと思うと、葉はむくむくと背丈を伸ばしていった。
アカザネが目を瞠る。
ひくっ、と一度息継ぎをして、ずっと瞬きもせず見開かれていたカヤの目が、ぱちぱちと動いた。人形に息が吹き込まれたかのように、何も映していなかったその瞳に光が宿る。
カヤの意識が、ようやくすぐ前で起こっている不思議な現象に向けられた。
ニンジンの葉はどんどん成長して、茎をしっかり太くして上にぐんぐん伸びていく。カヤの背丈ほどにも大きくなったところでぴたりと止まり、先端の葉が開くように広がった。
そこからもこもこと膨れるように丸くなり、小さな蕾をたくさんつけていくのを、カヤは目を真ん丸にして見ている。
──この子のために、咲いて。
ミナモの心の声に応じるように、数えきれないくらいに密集した蕾が一斉に花弁を開きはじめた。
もとの姿からは想像し難いほどの、白くて可憐な、小さい花々。それらがぎゅっと固まって咲いているので、大きくて丸い一輪の花のようにも見える。
ニンジンはここまで育つ前に収穫して食べるのが普通だ。カヤはその花を見るのはきっと初めてだっただろう。
「わあっ、お花だ! ニンジンのお花! 綺麗!」
カヤが嬉しそうな歓声を上げた。
きらきらとした眼差しで食い入るようにニンジンの花を見つめ、明るい笑いを浮かべる。ミナモは息を吐いて、自分の手を引っ込めた。
今になって、どっと汗が噴き出してくる。今まで眠っていた力を目覚めさせた反動か、目の前がくらくらした。
わん! という鳴き声が耳元で聞こえて、傾きかけた身体を慌てて立て直す。
見ると、すぐ近くで仔犬がちぎれんばかりに尻尾を振って、舌を出していた。
「スイ!」とカヤが笑顔で抱き上げる。べろべろと顔を仔犬に舐められて、弾けるような笑い声を上げた。
仔犬もカヤに会えて嬉しいのだろう。くりくりした目を輝かせ、甘えるように身を寄せて、さかんにじゃれついている。全身で喜びを表現している微笑ましいその姿を見て、ミナモはうんうんと頷いた。
「わかる、わかるよ、置いて行かれたと思って、今までものすごく不安だったんだよね……! もしかして捨てられたのかもと心配だったんだよね……! だから迎えに来てくれたご主人の顔を見て、本当に安心して、喜んでいるんだよね……! また会えてよかった、一緒にいられてよかったねえ……!」
感動のあまりもらい泣きをしてしまったミナモに、
「なんでおまえ、犬の側に立って気持ちを語ってるんだ」
とアカザネが不審そうに言った。
***
カヤは無事、喘ぐようにして走ってきた両親と再会を果たした。
野盗たちはみんな縄で縛ってあると報告するアカザネに、彼らは何度も頭を下げてお礼を言った。
アカザネはちょっとイヤそうな顔をしていたが、「礼はいいから金を払え」と言う気はないようだ。
この時点ですでに陽はすっかり傾いていた。しかもマンリョウには宿がない。カヤの両親は自分たちの家に泊まっていくよう熱心に勧めてくれたが、アカザネはそれを断って、町の端っこにある空き家を一晩貸して欲しいと申し出た。
他の住人たちも、おずおずと様子を見ながら町に戻ってきつつある。野盗たちの後始末をどうするか話し合ったり、家の中を片付けたりと人々が慌ただしく行き交う中をアカザネは我関せずで通り過ぎて、ミナモを連れて空き家へと向かった。
がらんとした小さな家の中に入り、せめてこれだけでもとカヤの両親から渡された食料を、そのままミナモに押しつける。
「これを食って、今夜はここで寝ろ。もう危ないこともないはずだ」
「ま、待って、アカザネはどうするの?」
今にも家を出て行きそうなアカザネに、ミナモは慌てて声をかけた。
一緒に食べようよと言っても、アカザネは外をちらっと一瞥して、「俺はいい」と短く答えるだけだ。いつもよりも素っ気なさに拍車がかかっている。
暗くなりかけた空に目をやる彼の目には、わずかながら焦燥が現れているように見えた。
「外には出るなよ」
「アカザネ!」
ミナモを残して、アカザネは一人で出て行ってしまった。
食べ物に手をつける気にもならず、しばらく待ったが、やはりアカザネが帰ってくる気配はない。
彼は一体、どこで眠るつもりなのか。夜の間に戻ってくる住人がいるかもしれないからと、町のあちこちには篝火が焚かれている。遅い時刻になっても頻繁に人が出入りして、どこも落ち着かない。こんな雰囲気の中、外で寝る場所を確保するなんて容易なことではないだろうに。
……大体、どうしてそこまでして、アカザネは夜になると姿を消してしまうのか。
獣は病気になったり怪我を負ったりすると人目のない場所でひたすらじっとしている、という話を思い出して、にわかに不安になった。やっぱり野盗との戦いで、どこか負傷したのではないか。あの強さ速さといい、アカザネはもしかすると、狼の化身か何かかもしれない。夜になると元の姿に戻るから、身を隠さなければならないのだろう。
それならそれで構わないから、一人……いやこの場合は一匹か? とにかくただじっと苦痛に耐えるのだけはやめて欲しい。
家の中をぐるぐる廻って悩んだが、どうしても我慢できなくなって、決心した。
アカザネを探しに行こう。どこも苦しいところがなければ、それでいいのだ。耳が生えていてもお尻からふさふさの尻尾が出ていても、何も言うまい。
ミナモは家の戸を開け、外に出た。
町の中はまだざわついている。アカザネがいるとしたら、あちらではないだろう。かといって、空き家からそんなに離れた場所にも行っていないはず。
大体の見当をつけて、人のいない方向、篝火の明かりが届かないほうへと足を延ばした。もうすっかりあたりは闇に包まれているが、空では白い月が皓々と下界を照らしているから、足元に不自由するほど暗くはない。
「アカザネ……どこ?」
そっと足音を忍ばせて進んでいく。町の中心とは反対へ向かうと、周りにはしんとした静けさが落ちるようになった。怖くないといえば嘘になるが、それよりも今は、心配のほうが上回っている。
人家の代わりに何本か木が立っているだけの寂しい景色に足を踏み入れた時、ガサッ、という音がしてびくりとした。
「──外には出るなと言っただろう」
間違いなくアカザネだ。
低く冷たいその声に、ミナモは身を縮めた。怒っている。そして怖い。ちょっと泣きそうだ。周囲に目をやったが、その人の姿は見つからなかった。
「ご、ごめんね。でも、どうしても、心配で」
「…………」
深いため息をつく気配がする。
それからまた小さく、地面を踏む音がした。こちらにやって来る。大丈夫だよ、アカザネ。その身体が毛に覆われていても、わたし驚いたりしないから!
木の陰から、アカザネがゆっくりと姿を見せる。
ミナモは口を開けた。
彼の姿は、普段見るものから何も変わってはいなかった。不愛想な顔もそのままだ。耳もなければ尻尾もない。
──でも。
アカザネの身体は、ぽうっとした仄かな光を放っていた。
眩しい月光に照らされて輝いて見える、ということではなかった。彼自身が発光しているのだ。その燐光は、薄まったり、強くなったり、不規則な変化をしながら、闇の中でアカザネの腕を、顔を、足を、胴を、一部分ずつ白く光らせていた。
ミナモはすぐに判った。理屈も説明も必要ない。頭は理解しなくとも身体で感じる。それはとても自分に近しいもの。なによりもよく知っているものだから。
自分の中にあるものと同質のその力は、月の出ている夜に顕現することが多いという。
「……アカザネも、『月の子』なの?」
ミナモは茫然として呟いた。