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6.エンレイ~ヒメクグ



 出て行くアカザネを見送ると、ミナモは女性に案内されて階段を上り、いちばん奥の部屋に入った。

 隅に布団が畳まれてあるが、それを広げたら面積のほとんどが埋まってしまいそうな、小さな部屋だった。宿というのは、本当に眠るためだけの場所であるらしい。

 部屋にはひとつだけ窓がついている。もうずいぶんと陽が傾いて、空が赤橙から暗褐色へ移り変わろうとしていた。

 もう少しすれば一面が闇に覆われてしまうだろう。このエンレイの町で、夜遅くまで盛大に炎を灯して賑やかに騒ぐ人たちがいるとは思えない。


 ──真っ暗な中で一人、アカザネは大丈夫かな。


「あれのことだったら心配しなくても平気よ~。外で寝るなんていつものことだしさあ」

 じっと窓の外に視線をやっていたミナモの背に、軽い調子の声がかけられる。

 振り返ると、女性が板張りの床にお湯の入った盥を置いてくれているところだった。


「いつものことなんですか」

「そうそう、あれは家なしだからねえ。警戒心が強いから、近くに人の気配があるところでなんて、絶対寝やしないのよ~。今頃、誰にも見つからないような穴ぐらにでも潜り込んでるわよお、人馴れしない動物と一緒で」

「家なし……」


 それがどういうことなのか、月天宮の中で囲われて育ってきたミナモにはよく判らない。

 アカザネには、帰るところもなければ、彼の帰りを待つ人もいないのだろうか。


「あの、あなたはアカザネとは親しいのですか?」

 こんな綺麗な人相手なら、アカザネももう少し態度が軟化するのだろうかと益体もないことをちらりと頭に浮かべながら訊ねてみると、女性は面白そうに手を振った。

「親しいわけじゃないわよ~。単なる顔見知りだわねえ。あれに関しちゃ、あんたが知っている程度のことくらいしか知らないし~」

 ミナモがアカザネについて知っていることといえば、今のところひとつしかないのだが。

「お金がなにより好きということですか」

 真面目に口にしたら、女性はコロコロと笑い転げた。

「そうねえ~、でもあれの場合、お金が好きっていうより、信用できるものがお金くらいしかない、ってことだと思うわあ」


 お金が好きというのと、お金しか信用しない、というのは別物なのだろうか。


 首を傾げたミナモににっこりすると、女性は「布も用意しておいたから。じゃあごゆっくり~」と言って部屋を出て行ってしまった。

 一人になったミナモはそのまましばらく考えたが、二つの差についての答えは出なかった。そもそもお金というものの価値を知らず、それについての執着もまったく持てないミナモのような人間に、その問題は難しすぎるのだ。

 とりあえずお湯を使わせてもらおうと、アカザネから渡された荷物を置く。身体を拭いて、ベタベタになった髪の毛も洗おう。さっぱりしたら、もう少しきちんと物事を考えることが出来るかもしれないし。


「いたっ……」

 汗衫を脱ごうと腕を動かすと、激しい痛みが走って悲鳴を上げた。


 袖を捲って見てみれば、肘から先の部分が赤くなってぱんぱんに腫れている。

 さっき男に掴まれた部分だ。ミナモには少々粗忽なところがあるので、今までにもぶつけたり転んだりして痣を作ることはあったが、これほど酷いことになったのははじめてだった。

「わあ~、目で見たら余計に痛くなってきた……」

 ミナモは情けなく眉を下げて呟いた。



          ***



 翌朝になって宿を出たら、そこにはちゃんとアカザネが立っていた。

「よかった、また数をかぞえて待ってなきゃいけないかと思ってたよ!」

「おまえを一人にさせると余計な手間ばかりかかるからな」

 相変わらずけんもほろろな態度だが、それでもちゃんと早めに来て待っていてくれたと思うと嬉しい。ミナモはにこにこ笑ったが、アカザネは仏頂面だった。

「服、ありがとう。動きやすいよ、これ」

 アカザネが買ってくれたのは女物の小袖ではなく男物の括袴だったが、裾が短いのでこのほうがずっと歩くのが楽だろう。脛巾も足に巻いて、水干と手甲を除けばほぼアカザネとお揃いだ。元の服は布で包んで背中に括りつけてある。

 長い髪も邪魔だったので、両側で分けてくるりと輪にし、下げみづらの形に結っておいた。


「どうかな?」

 くるりと廻ってご披露してみたが、アカザネの愛想のない顔は変わらない。

「おまえ本当に『月の子』か。安物の古着姿に違和感がなさすぎる」

「なんか失礼だね。素直に似合うって言ってくれてもいいと思うけど」

「首飾りはちゃんと持っているな?」

 無視か。

「うん。ちゃんと服の下にかけてあるよ」

「飯はもう食ったか」

「朝ご飯を出してもらった。『これも代金に入ってるから』って。アカザネは? ご飯食べた?」

「そんなことはおまえに関係ない」

「え、人には聞いておいて……食べたか食べてないかで答えるだけじゃない」

「いいから行くぞ」


 結局問いに対する返事はしないまま、アカザネがくるりと背を向ける。昨夜はどこで寝たのか、ちゃんと眠れたのかとも訊ねたかったのだが、この分では答えをもらえる見込みは紙きれよりも薄そうだ。

「ま、待ってよ!」

 ミナモは急いで宿のほうを振り返り、文机の向こうに座る女性に手を振る。彼女が微笑んで、ひらひらと手を振るのを見届けてから、慌ててアカザネのあとを追った。

 アカザネは相変わらず後ろを見ることもなく進んでいく。彼の袖を捕まえようとミナモは手を伸ばしかけたが、顔を歪めてすぐに引っ込めた。

 その腕をもう一方の手でそっと包むようにして押さえ、ぎゅっと唇を噛みしめる。


 ずきずきとした痛みは、昨日よりもさらに強くなっていた。



          ***



 エンレイの町を抜けて進んでいくと、やがて広い道に出た。

 この道沿いにずっと歩いていけば都にまで行けるのだという。そのように整備されているというわけではなく、人の行き来が多いから自然と大きな街道になった、ということであるようだ。

 人間や牛馬の足で踏み固められた道は障害物もなく歩きやすいが、ほんのちょっとそこから逸れると、ごつごつとした石が無造作に転がっていたり、朽ちた木が倒れていたりした。

 湖付近の場所ほど、大岩がにょきにょきと立っているわけではない。しかしそれでも町から離れるにつれて、閑散とした寂しい眺めが広がるようになった。

 人家はぽつりぽつりとある程度、木々はあってもほとんど葉も実もつけていない。大地は雑草がなんとか根を張って伸びようと頑張っているが萎れているのも多く、花に至ってはまったく目にすることがない。


 ──寒々とした風景だ、とミナモは思う。


 都へと通じる街道だから、歩いているのはミナモたちだけではない。旅の途中なのか笠を頭に被っている人もいれば、商売用らしき荷車を引いている人もいる。

 けれど彼らはみんな、エンレイの町の住人たちと同じように、立ち止まるでもなく、笑みもなく、ひたすら前を向いて黙々と歩いているだけだ。

 誰もが、どこか疲れたような顔をして。


 たとえば、ここにたくさん葉を茂らせた木があったなら、人々はこんなにも追い立てられるように先を急ぐことはないのではないだろうか。

 陽射しが強ければ涼しい影を、雨が降りだしたらいっときの屋根を求めて、一本の木の下に集まることもあるかもしれない。

 見知らぬ人同士、「大変ですね」と声をかけ合い、笑い合うことだってあるかもしれないのに。


 どこもかしこも人工緑に覆われて、美しく整えられた月天宮の庭園を思い浮かべ、あちらとこちらの落差にもやもやしたものが胸に込み上げる。

 月の神さまから授かった力。

「月の子」たちがそれを操れるようになるために必要なものはすべて月天宮にある、とスオウをはじめとしたみんなは、いつも口を揃えて言っていた。

 綺麗なものに囲まれた落ち着いた空間。静かに学べる時間。充実した衣食住。

 束の間の休息と、心の余裕。



 でも、それを本当に必要としているのは、「月の子」ではなく、外の世界のほうではないのか……?



「おい」

 不愛想な声が妙に遠くから聞こえるなと思って顔を上げたら、いつの間にかアカザネとミナモの間にはずいぶんと距離が出来てしまっていた。

 ついさっきまですぐ前にあったはずの彼の姿が小さくなっていることにびっくりして、急いで走り出す。置いて行かれなくてよかった。アカザネは基本後ろを振り返らないので、見失ったりしないように気をつけていたのに。

「ご、ごめんね」

 はあはあと息を乱して謝ったが、アカザネの真ん中に寄った眉は戻らない。

「そんなに怒らなくても」

「別に怒ってない」

「でも怒った顔をしてるよ」

「俺はいつもこういう顔だ」

「確かにそうだね」

 納得して頷いたら、耳を引っ張られた。

「疲れたのか」

「ううん、平気」

「今日はどうして」

 言いかけて、むっとした顔で口を噤む。なんだろう、いつもこういう顔といえば確かにそうだが、今は本当に怒っているように見える。

 いや、怒っているというか──不機嫌、なのかな?


「……昨日はあれだけしつこく袖を掴んでいたのに」


 低い声でそう言われて、ミナモはきょとんとした。

 そりゃあ、昨日のように袖をがっちり掴んでいたら、ここまで距離が離れることはなかったかもしれないが。

「え、あ、いいの? だってアカザネ、袖を捕まえると怒ってたから」

「だから別に怒って……」

 怒ってないと言っている、と続けようとしたのかもしれないが、アカザネはそこで言葉を止め、ますます眉を上げて黙ってしまった。これが「怒っていない」状態なのだとしたら、彼が本当に「怒った」時は一体どうなるのだろう。

「じゃあお言葉に甘えて」

 と腕を上げようとしたら、ズキンとした激痛が襲って、ミナモはぐっと口を引き結んだ。

 中途半端なところで動きを止め、それから曖昧に笑ってみせる。

 ズキズキと間断なく訴えてくる痛みに、脂汗が滲んだ。


「……やっぱりいい。今はただちょっとボンヤリしてただけなの。もう遅れないようにするから。あんまり引っ張りすぎて袖を引きちぎったら、その時こそアカザネは怒るでしょう?」


 冗談めかして笑ったのだが、アカザネはまだ眉を上げている。いや気のせいか、さっきよりも角度が増した。目つきまでが鋭くなっているように思える。

 ほんとに怒ってないの? とミナモが聞こうとした途端。


 いきなり、空中に浮いている腕をぐっと取られた。


「いっ……!」

 思わず上げかけた叫びを呑み込んだが、アカザネはさらにその腕を引っ張って乱暴に袖をめくり上げた。今度は呑み込めず、「いったあい!」とつんざくような悲鳴を上げる。

 アカザネの表情が険悪になっている。これで怒っていないのか? 怒ってないの? 本当に?

「痛いのか」

「痛いよ!」

「そりゃそうだな、こんなに青黒くなって腫れ上がっていたらな」

「そう思うなら手を離して! 痛いってば!」

「そんなに痛いならなぜ早く言わない」

「昨日の夜だいぶ冷やしたし……そのうち治るかなと思って」

「放置すればするだけ治りが遅くなるに決まっているだろうが。おまえほんとに阿呆か。これで骨でも折れていたら一生曲がったままになるかもしれないんだぞ。『月の子』は常識がないだけじゃなく頭も悪いのか。それともおまえは痛みに快感でも覚える変態か」

「流れるように暴言吐くのやめて! ごめんなさい! よく判らないけど謝るから手を離して!」


 そこでようやくアカザネはミナモの腕を解放した。

 くるりと背を向けて、「行くぞ」とすたすた歩き出す。

 ミナモは涙の滲んだ目をぱちぱちと瞬いた。


「行くって……アカザネ?」

「この近くのヒメクグって町に行く。そこによく効く薬を作るやつがいる」

「で、でも、そっちは……」

 アカザネが向かっている方角は、都へと向かう街道から完全に外れている。

「いいから来い」

 その怖い顔と怖い声に逆らえず、ミナモはこっくり頷くと、彼に従って足を動かした。



          ***



 ヒメクグはエンレイよりも小さな町で、「集落」と呼んでもいいような規模のところだった。

 小さな町の中で、小さな家々が、まるで細々と身を寄せ合うようにして建っている。アカザネはその中を迷いも見せずにずんずん進み、とある家の前でピタリと止まった。


「ネズミ、いるか?」


 声をかけながら、板戸をガラリと開けて中に足を踏み入れる。ネズミとは、あの鼠ではなく、人の名前なのだろうか。ネズミの薬屋。なんだか可愛い。

 宿の女性といい、薬作りの達人といい、アカザネは意外と顔が広いらしい。

 何も言われなかったのでミナモは戸の前で立っていたのだが、数をかぞえる間もなく、すぐにアカザネが出てきた。


 手に木の椀を持ち、その中には濡れた布が入っている。


「腕を出せ」

 命じられて、ミナモはそろりと袖をめくって腕を上げた。

 まだしつこく主張する痛みは、ちっとも治まる気配がない。昨夜あれだけ冷やしたというのに、その部分だけがかんかんに熱かった。昨日はまだ赤くなっていただけだったが、今はもうすっかりどす黒い痣に変色してしまっている。

 そして痛い。本当は、昨夜からずっと、ものすごく痛かった。


 アカザネはもう一度その部分を検めるようにまじまじと眺めて、椀の中から布を手に取った。


 どろんとした緑色の液体に浸されたような布である。その上、うぐ、と息を止めずにはいられないような、強烈な臭いがする。

「鼻が曲がりそうだよ、アカザネ……」

「文句言うな。ネズミの今の手持ちの中では、これがいちばんよく効く薬だそうだからな」

 いちばん効く、ということは、いちばん値も高い、ということなのではないだろうか。

 腕飾りを売ったお金がどれくらいだったのかは判らないが、これも必要経費に含まれるというなら、ずいぶんと計算外の出費になることは間違いなさそうだ。


「ごめんね、アカザネ。迷惑ばかりかけて」

 しゅんとして謝った。


 考えてみたら、月天宮に連れて行ってという依頼をしたのはミナモなのに、足を引っ張ってばかりいるのもまたミナモだ。服を乾かしたり、お金の算段をつけたり、宿を見つけたりというのは、本来なら用心棒としての仕事に入るものではないだろう。

 先へと進もうとしているアカザネに、こんな余計な寄り道をさせているのもミナモ。

 面倒事を嫌う彼にとって、ミナモの世話は厄介以外の何物でもないのではないか。


 結局、ミナモは月天宮の外でも役立たずで、何も出来ない。


 アカザネは無言でミナモの腕に湿布を当てると、その上から布をぐるぐると巻きつけた。

 ひんやりとした冷たさが熱を吸い取ってくれて、気持ちいい。じんじんと薬が沁み込んでいくようで、痛みも和らいだ気がする。


「──俺は、俺以外の人間のことが判らないんでな」

 布を巻き終えると、アカザネがミナモの腕に目をやりながらぼそっと言った。


「昔から頑丈で病気なんてほとんどしたことがないし、怪我をしても特になんとも思わない。だから、他のやつが自分よりも弱いってことを、すぐ忘れそうになる。それに、自分のほうから気を廻すなんてことにも慣れていない。そういう相手がいなかったからな。……言葉にされなきゃ判らないんだ。つらかったり苦しかったりしたら、ちゃんと言え」


「…………」

 ミナモは口を閉じて、じっとアカザネを見つめた。


 そうか。

 ああ、そうか。

 今になって判った。


 ミナモがくしゃみをしたら火を焚き、ミナモのお腹が鳴ったら自分の分の食べ物を分けて、ミナモが痛いと言ったら遠回りをしてでも手当てを優先するアカザネ。

 不愛想だし、言葉はまったく足りないし、態度もつっけんどんなものばかりだけど。

 ……彼はそうやっていつも、気づいた時点ですぐに対応してくれていたではないか。

 他人のことは判らないと言うけれど、アカザネは他人のために行動することが出来る人なのだ。

 責めもせず、見下しもせず。


 月天宮で、他の「月の子」に笑われて庭の隅でうずくまり、こっそり泣いていたミナモを、いつも探して見つけ出してくれたのはウスキだった。

 スオウは来るたびに綺麗な顔で笑いかけ、おまえは頑張っているよと励ましてくれた。

 そういうのが「優しさ」というものだと、今までミナモは思っていたのだけれど、きっと、それだけじゃない。



 ──彼らと形は違っても、ここにもちゃんと、心が温かくなる優しさがある。





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