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5.エンレイ



 エンレイの町は通りに沿って両端にずらりと家が並んでいて、ミナモは興奮した。


「アカザネアカザネ! 家が! こんなにいっぱいある!」

 袖をぐいぐい引っ張って頬を上気させるミナモに、アカザネは「当たり前のことを大声で言うな」と素っ気なかった。

「だってわたし、月天宮の御殿以外の建物を見たことがほとんどないんだよ! たくさんあるね、あれひとつが一人分のお部屋ってこと?」

「それは『月の子』流の嫌味か。あれひとつが一家族分の住居だ。場合によっては五、六人で暮らすこともある」

「そうなの?」

 ミナモはきょとんとしてアカザネの横顔を見上げ、立ち並ぶ家々に改めて目をやった。


 小さな建物は大体どこも戸が開けられていて、中の様子がよく見える。竈のある土間の向こうの板敷きの一間は、あまり家具や荷物もなく殺風景だった。

 しかし、月天宮でミナモに与えられている部屋でさえ、あれよりはずっと広い。

 家の外には水を溜めた甕が置かれていることが多かったが、軒先にある台に食べ物や日用品を並べているところもあった。あれは個人の家とお店を兼ねているのだろうか。

 とはいえ共通しているのは、どれも建てられてからかなりの年数の経過を思わせるということだ。新しく造られたような家がほとんど見当たらない。

 土を塗り固めてあるらしき壁は、ところどころ剥がれ落ちているところもたくさんあったし、穴が開いていることもあった。

 あれでは、今のような暖かい時期はともかく、冬になったら寒さに震えなければならない。


 月天宮は頑丈な石造りの建物で、いつだってどこもぴかぴかに磨かれ、少しでも破損したり劣化したりするところがあれば、すぐに修繕の手が入っていたのに──


 ミナモはついはしゃいでしまったことを恥じて、口を噤んだ。本当に自分は、外の世界のことを何も知らないのだと痛感する。

 落ち着いてよくよく見てみれば、通りを行き交う人々の着ているものも、ずいぶん質素なものばかりだった。動きやすいようにするためか袖も裾も短めで、どれも柄がよく判らないくらいに色褪せている。

 そして彼らはみんな忙しそうで、立ち止まってお喋りするわけでもなく、その顔には笑みもなかった。なんとなく、空気もピリピリしている。

 都で見た人々はもっと小綺麗な恰好をしていたし、賑やかで活気もあったものだが。

 あれは祭りだったからなのだろうか。

 いや、それとも。


 ──それとも、これがこの国の本当の姿なのか?


「おい」

 唐突に声をかけられ、両肩がびくっと跳ねるように揺れる。ぱちぱち目を瞬くと、いつの間にか足を止めたアカザネが、不愛想な顔をこちらに向けていた。

 考え事をしているうちに、いつの間にかかなり町中を進んでいたようだ。細い道が複雑に入り組み、建物の大小も様々で、町に入った時よりもさらにごたついた眺めになっている。

 自分たちが立っている場所の近くには、共同で使っているらしい井戸があった。


「あ、ご、ごめん。なに?」

「うるさく騒いでいたと思ったら次はボンヤリか。おまえは子どもよりもタチが悪い」

「わたしが子どもだったら、その悪態と怖い顔でとっくに泣き出してるよ」

「どちらにしろ、あまり目立つことはするな。その間抜け面を晒さないようになるべく下を向いて、ここでじっとしてろ。一人でふらふらとどこかに行くなよ」

「えっ」


 一人で、の言葉に驚いて声を上げると、アカザネはミナモの手の中からするりと袖を抜いて身を翻した。

 そのままどこかに歩いていこうとするので、慌ててまた袖を捕まえて追いすがる。


「ま、待って! アカザネ、どこに行くの?!」

 このままではまた捨てられる。いやアカザネは少なくとも玉の首飾りを捨てるつもりはないらしいが、ここに一人きりで置いていかれたら、あの時と同じ不安と心細さを味わうことになるのは間違いない。

 ここはあの岩だらけの場所と違い周りに家があり人もいるとはいえ、どうしてかそれはミナモにとってあまり安心感をもたらさなかった。

 ぎゅうぎゅう袖を掴んで引き留めようとするミナモを、アカザネが怖い顔で振り返る。さっきの言葉を訂正しよう、子どもでなくても泣きそうだ。


「質屋に行って腕飾りを金に換えてくる。そうしなきゃ飯代もない」

「じゃあわたしも一緒に行く」

「阿呆。出来るだけ高く売りたいのに、おまえのようなどう見ても訳ありなのがくっついてきたら、足元を見られて値切られるだろう」

「だったら建物の外で待ってるから」

「邪魔だと言っている。ここにいろ」

「どれくらいで帰ってくる? いくつ数えたらアカザネに会える? 百? 二百?」

「夜になるまでには戻る」

「まだ夕方になったばかりだよ! ほんとに戻ってくる? わたしを捨てていかない?」

「おまえが報酬を払うまではな」

「ほんとに? 大丈夫? ほんと?」

「もう一度同じことを言われたら捨てたくなりそうだ」

「ごめんなさいもう言わない!」


 すぐさま謝ってぱっと袖を離すと、アカザネは大きな息を吐きだして、今度こそミナモに背を向けた。

 そのまま一度も振り返らずに、すたすたと去って行ってしまう。

 眉を垂らしてその後ろ姿を見送り、ミナモはしゅうんと肩をすぼめ、その場にうずくまって小さくなった。

 井戸の脇には水を張った桶が置いてある。それを見たら、猛烈に喉が渇いていることに気づいた。この際なのでそれをもらうことにして、手の平で掬ってごくごくと飲む。

 ふうーと息をついたら、どっと疲労感も押し寄せてきた。ずっと歩き詰めだったし、そこまで気が廻らなかっただけで、身体は切実に水分と休息を求めていたのだろう。


 もしかしたらアカザネがこの場所にミナモを置いていったのは、そのためだったのかもしれない。


「……うん、よし」

 呟いて、今度はばしゃばしゃ音を立てて顔を洗った。口もゆすいでさっぱりすると、ほんのちょっと気持ちがしゃんとする。

「いーち、にーい、さーん……」

 それからおもむろに、数をかぞえはじめた。

 果たして、いくつになったところでアカザネは戻ってきてくれるだろう。二百くらいで帰ってくるといいのだが。

 かぞえているうちに、だんだん自分が主人の帰りを忠実に待ち続ける犬になったような気がしてくる。冷たくておっかない飼い主に邪険にされながらも、あとをくっついて離れない仔犬だ。

 自分を置いてどこかに出かけられたら、寂しくてしょうがない。


 普通は、お金を払って雇うほうが、「主人」の立場にあるような気がするんだけどな……



          ***



 二百をとうに過ぎても、アカザネは戻ってこなかった。

 交渉が難航しているのだろうか。アカザネのことだから、なるべく高値をつけるように粘っているのかもしれない。

 というより、お金の計算に夢中になって、ミナモのことなんてすっかり忘れてしまっているのではないか。ものすごくあり得る。ひどいよアカザネ。別の意味で不安が増してきて、また泣きそうだ。

 そうしているうちに、夕飯の準備をするためか、住人たちが代わる代わる井戸の水を汲みにやって来はじめた。

 邪魔だろうからとそこからなるべく離れて、道に転がっていた大きめの石の上に腰掛ける。アカザネの指示通り俯きがちにして、そこにじっと座っていたのだが、それでもミナモの汗衫姿は目立ってしまうのか、怪訝そうな視線がいくつも突き刺さって居たたまれなかった。


「あんた、こんなところで何してんだい?」


 とうとう声をかけられてしまった。

 どう答えようと迷いながら顔を上げたら、身を屈めてこちらを覗き込んでいるのは夕飯の準備をしている女性たちではなく、中年の男性だった。

 湖での一件を思い出して少し身を竦めてしまったが、あの時の男たちのように見るからに怪しげな風体はしていない。簡素ながら着物はきっちりしていて崩れてもいないし、無精髭に覆われてもいない。特に体格がいいわけでもなく、どちらかというと貧相なくらいに痩せていた。

 こちらに向けられる目には、心配そうな色が乗っている。ミナモがこんなところにちんまり座り込んでいたから、気分でも悪いのかと思われてしまったのかもしれない。


「あの、人を待っているんです」


 だからミナモとしても、なるべく愛想よく答えたつもりだった。向けられた親切には、やはり笑顔で返すべきであろう。考えてみたら、月天宮を離れてから普通に人として扱ってもらったのはこれがはじめてではないだろうか。

 男性はそうかそうかというように頷き、目を眇めた。


「連れがいるのかい」

「はい」

「親ごさんかね」

「そういうわけではないんですけど」

「あんた、エンレイの住人ではないだろう」

「はい」

「都のほうから来たのかね」

「……はい」

 畳みかけるような問いの連続に、少し戸惑ってしまう。それだけ心配してくれているのだろうか。

 もしかしてここは正直に自分が「月の子」だと明かして、月天宮に帰れるよう助力を乞うたほうがいいのでは、と思っていたら。


 突然、ぐいっと腕を掴んで引っ張られた。


「えっ?」

 びっくりして目を大きく見開く。ミナモの腕を引っ張って無理やり立ち上がらせた男性は、手を離すことなく、口元に笑みを浮かべた。

 痩せているのに、すごい力だ。

「連れがいなくて困っているんだろう。私が一緒に探してあげるよ」

 そう言いながら、ぐいぐいと力ずくでどこかに連れて行こうとする。その強引さに驚きながらも、ミナモは急いで足を踏ん張った。


 彼が進もうとしているのは、アカザネが向かっていったのとは完全に逆の方向だ。


「い、いえ、ここで待っているように言われたので──」

「けど、来ないんだろう。あんた、そいつに置いて行かれたんじゃないかね。気の毒になあ。そんな上等な身なりをしているのに、都からこんなところまで流れて来るとは、よほどの事情があったんだろう」

「事情はありますけど、でも」

「あれだろ、男だろ? 上手いこと言って、家から連れ出されたんだろ? 世の中には悪い奴がたくさんいるからなあ。可哀想に、あんた男に騙されたんだよ。そいつは金だけ巻き上げてとっとと逃げていったのさ」

 一瞬、耳飾りと腕飾りを持って逃げるアカザネの姿を思い浮かべてしまったが、ミナモは頭を振ってそれを否定した。


 だって、アカザネは今度は、ちゃんと「戻る」って言ってくれた。


 噓つきは死ぬほど嫌いだと言っていた彼が、嘘をつくとは思えない。引き受けた以上きっちり仕事はする、とアカザネが断言したのなら、その言葉には相応の重みがあるはずだ。

 なかなか戻ってこないのは、腕飾りを売り払ったお金を何度もしつこくかぞえているとか、そんな理由だ、きっと。その時のアカザネの頭から、ミナモの存在が完全に抜け落ちているという可能性は大いにあるが、それをもって騙されたというのは間違いである。なぜだろう、アカザネを弁護しようとすればするほど、あんまり自分の慰めにはならないが。

 けれどとにかく、彼は必ず戻ってきてくれるはず。


「アカザネは逃げたりしません」


 きっぱり言うと、男性はミナモの顔を見て、薄笑いを浮かべた。

「男に騙されるような馬鹿な若い女は、みーんなそう言うのさあ。大丈夫だって、あんたの面倒はこれから私が見てやるから。ちゃんと屋根のあるところで、飯も食わせてやるよ」

 そう言う彼の表情に、ぞくりと背中が粟立つ。

 その目の中には、もはやこちらを気遣うものは跡形もなく消え失せて、代わりに妙に陰惨な光が底のほうで瞬いていた。

「や……」

 ミナモは危険を感じて必死に抗ったが、相手の手の力も足取りも緩まない。ずずずとミナモの草履が地面を擦っても、お構いなしで引きずるように歩いていく。容赦ない力で腕が掴まれているので、痛みに顔を歪めた。

「だ、だれか! だれか助けて!」

 叫んで周りを見回したが、誰もその声が聞こえないように顔を余所に向けている。ミナモは混乱した。どうしてみんな、こちらを見もしないのだろう?

 懸命に身を引いても、腕がちぎれそうに痛むだけでミナモの小柄な身体はどんどん前へと進んでいってしまう。掴む力はますます強くなる。これで担がれでもしたら、それこそもう逃げようがない。

 ミナモはさあっと蒼白になった。今度は一体どこに連れて行かれるのだ。早く月天宮に帰らないといけないのに。

 アカザネがちゃんと届けてくれるって言ったのに!

「助けて、アカザネえっ!!」


 喉が張り裂けそうなほどの声でその人の名を呼んだ途端、ひゅっと一陣の風が吹いた。


 突如降って湧いたかのように、一瞬にして眼前に人の姿が現れる。身を低くしたアカザネだ。ぎょっとして男が動きを止めた刹那、鋭い廻し蹴りが空を切るように閃いた。

 ドカッ、という激しい音ともに、男の身体が後方へと勢いよく吹っ飛んでいく。

 俊敏な動きと獰猛な破壊力はさながら獣のようだった。地面にしたたか打ちつけられた男は呆気なく白目を剥いて気を失ってしまったが、アカザネは何事もなかったかのように体勢をまっすぐにした。

「アカザネ!」

 眦に涙を浮かべて安堵するミナモに、じろりとした一瞥をくれた。


「首飾りは無事か」


 彼に向かって駆け寄ろうとした足が止まる。

「……うん。首飾りも、ついでにわたしも無事……」

 ここまで一貫していると、それはそれで立派なのではないかという気がしてきた。ここは、それでこそ守銭奴だと褒め称える場面なのだろう。たぶん。ミナモのほうもだいぶ価値観がおかしくなっているようだ。

「一人でふらふらするなと言っておいたはずだ」

「またそういう理不尽なことを……どう見ても一人じゃなかったでしょ! 大人しく待ってたのに、無理やり連れて行かれそうになったんだもの、仕方ないじゃない」

 ミナモはきちんと言いつけ通り待っていたのである。命令を聞けないバカ犬がという目をされるのは心外だと断固として抗議したが、アカザネはそれを完全に聞き流した。

 倒れている男のほうには視線をやりもしないので、本当にあの男のことを人間として数に入れていないのかもしれない。

「なぜこうも次々と厄介事を背負い込むんだおまえ」

「わたしのほうこそ聞きたいよ!」

「面倒なことになる前に行くぞ」

 ミナモが助けを求めても知らんぷりを通していた住人たちが、さすがに遠巻きにしてこちらを眺め、ざわついていた。やっぱりミナモの姿が見えないということではないらしい。

 アカザネがさっさと歩きはじめたので、ミナモは慌ててそのあとを追った。



 歩きながら、さっきの出来事を口早に語った。

「誰もこっちを向いてもくれなかったんだよ」

 多少恨み交じりに訴えたが、アカザネの醒めた顔つきはぴくりとも揺るがない。意外そうにするでもなく、むしろ「それがどうした」と言いたげだった。

「誰も関わりたくないんだ。それが普通だ。だから目の前で女が食い物にされそうになっていても黙ってやり過ごす。俺だって仕事でなければそうした」

「関わりたくないって……」

「皆、自分が生きることと、自分の家族を守ることで精一杯だからな。他人のことまで気にする余裕がない。下手に関わって自分の食い扶持まで失くす羽目になったらどうする? 覚えておけ、月天宮ではどうか知らないが、この国の大部分はどこもこんなもんだ。金を掠めていくやつが悪いのではなく、油断をしているやつのほうが悪いと見なされる」

「……そう」

 ミナモは小さく頷いて、うな垂れた。

 少し暗澹とした気分になる。場所によって、善悪の基準も変わるのか。月天宮ではそんなことは習わなかった。


 この世界は、自分が想像していたよりもはるかに、荒廃が進んでいる。



          ***



 進んでいくアカザネについて歩くと、しばらくして前方に二階建ての大きな建物が見えてきた。

 一階の出入り口には縦格子が朱色で塗られ、二階には跳ね戸のついた窓が三つほど並んでいる。他の家とは外観からして異なっているその建物の土台はしっかりとした石で出来ていて、大きく開いた間口からは土間の向こうに長い文机のようなものが見えた。

 アカザネはその建物の中に入ると、文机に向かって何かを書いていた女性に声をかけた。


「空いてるか」


 女性が顔を上げ、アカザネを見てにっこり笑った。他の住人たちとは違ってこちらをしっかり見返してくるのは、それが仕事だからなのだろうか。婀娜っぽい雰囲気を持つ綺麗な女性だった。

「ええ、空いてますよ~。いくつ? ひとつ? ふたつ?」

「ひとつでいい」

「二人でひとつなら、代金も変わるけど」

「いや、一人だ。こいつだけ」

 そう言って、アカザネは文机の上にじゃらりと音の鳴る袋を置いた。


 彼と女性が交わす会話を、ミナモはひたすら意味も判らず耳に入れているしかない。

 何がひとつで、何が一人なのだろう。


「毎度~」

 よく判らないがとにかく話はまとまったと見えて、女性がミナモに向かって笑いかけてきた。

「じゃあ、いちばん奥の部屋ね~。あんたずいぶん汚れているようだけど、お湯は要る?」

「用意してやってくれ」

「あいあい~」

 気軽に返事をして、女性は袋を手にひらりと立ち上がり、奥へと行ってしまった。

 ミナモは当惑した顔をアカザネに向けた。

「あの、アカザネ、ここは?」

「見ればわかるだろう、宿だ」

「宿」


 当然のように返されてしまったが、ミナモはちんぷんかんぷんである。

 しかし毎度のことだがこちらの困惑を置き去りにして、アカザネは背負っていた荷物を解くと、ミナモに押しつけてきた。

「え、これなに?」

 そういえば、いつの間にこんなものを用意したのだろう。エンレイに入る前は背中にあったのは黒鞘の刀だけだったのに。

「その恰好じゃ、またすぐに変なのが寄ってくる。適当に古着を買ってきたから着替えろ。それから飯も入ってるから食っておけ。寝る時は窓を閉めて、戸には中からつっかい棒でもしておくんだな。これから暗くなるからもう外には出るな、明日の朝になったら出てこい」

「朝?」

 目を廻すような気分でアカザネの一方的な指示を聞いていたが、ここでようやく少しだけ理解が追いついた。


 どうやらミナモはここに泊まるらしい。

 そしてアカザネは一緒ではないらしい。


「アカザネはどうするの?」

「部屋代がもったいないから俺は外で寝る」

 なんでもないように言っているが、外で寝るというのはそんなに普通のことなのだろうか。

「そんなところまでお金を惜しまなくても……だったらわたしも外で寝るよ」

「そして俺に一晩中子守りをさせるわけか。そんなのは御免だ。盗っ人が入り込んだりしないよう宿には見張りもいるし、そう危険はない。そのために安くもない金を払うんだからな」

「で、でも……」


 すげなく言い捨てられて、まごついている間に、女性が湯気の立つ盥を持って現れた。「部屋に案内するからこっち来てね~」と明るい口調で促す。ミナモはうろうろとこちらとあちらを見比べた。

「明日は一日中歩くことになるからよく寝ておけよ」

「あ、アカザネ!」

 建物から出て行こうとするアカザネを慌てて呼び止める。

 また一人になるのかと思うと心細かったが、もう言わないと誓った手前、「ほんとに明日の朝迎えに来てくれる?」とは訊ねられない。

 ミナモは口ごもったが、すぐに思いついた。

 そうだ、今はそんなことよりも先に、言っておくべきことがある。

「あの……アカザネ、助けに来てくれてありがとう。わたしだけ中で寝て、ごめんね」

「…………」

 振り返ったアカザネは無言でミナモを見ていたが、すぐにふいっと顔を背けてまた足を動かした。


「──この近くにはいる。何かがあったら窓から大声で呼べ。さっきみたいに」


 ぼそりとした素っ気ない口調だが、姿が見えなくなる前に、確かにそう言った。

 さっきのように、呼べばすぐに来てくれる、ということだ。

 ミナモはぱっと笑顔になった。

「うん!」

 と元気よく返事をする。

 後ろでは、「おやおや初々しいことで~」と女性が歌うように朗らかに笑っていた。





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