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4.岩場~エンレイ



 くしゃみをした後、改めて驚きの声をあげようと鼻を啜って息を吸ったら、アカザネが顔をしかめて、突然ミナモの腕をぐっと掴んだ。


「えっ、な、なに?」


 何をするにも彼の行動は唐突なので、言葉が喉の奥へと引っ込み、代わりに狼狽した声が出る。

 しかしその問いかけに答えることはせずに、アカザネはミナモの腕を掴んだまま、すぐにずんずんと歩き出して、近くの岩陰にまで行くと、ぽいっと放り出すようにして手を離した。


「えっ」

「そこにいろ」

「えっ、えっ?」


 口を開けている間に、アカザネはくるりとミナモに背を向けて、すたすたと歩いて行ってしまう。

 アカザネ、と名を呼びかける前に、彼の姿は他の岩に隠れてあっという間に見えなくなった。



          ***



 ぽつんとその場に一人取り残されて、ミナモはしばらく茫然と立ち尽くした。

 はっとして思考能力を取り戻した時はもうすでに、周囲にはアカザネの姿どころか人の気配もまったくない。ひゅうーと寒々しい風が吹き通るばかりである。


「ええっ、わたし、捨てられた?!」

 ただくしゃみをしただけなのに?!


 慌ててあとを追おうとしたが、周りは岩だらけの見通しの悪い景色である上に、アカザネが右に行ったのか左に行ったのかも判らない。うろうろ動き回り、ぐるぐるあたりを巡ってみたが、方向もよく掴めないので、どちらに向かって進むのが正しいのかも判らない。

 下手をしたら湖のほうに出てしまうかもしれず、そうするとまたあの三人組のような人間たちと遭遇するのではないかと怖くなって、結局元の場所に戻ってへなへなとしゃがみ込んでしまうしかなかった。


「ひどいよ、アカザネ……」


 なんとか命綱を捕まえたと思ったのに、あちらのほうからその綱を強制的に断ち切られてしまった。一度希望の光が見えたと思っただけに反動も大きくて、立ち上がる気力も湧いてこない。

 考えてみたら、耳飾りと腕飾りはもうすでにアカザネの手にあるわけだ。十日もかけて月天宮にミナモを送り届けるなどという面倒なことはしなくとも、この二つで十分元手は取れたと彼が考えたとしても、無理はないかもしれなかった。


 みるみる目の前が涙の膜に覆われる。


 次から次へと災難に見舞われて、これまでは混乱のほうが大きかったが、一気に悲しみが押し寄せてきた。月天宮を出た途端、大岩鳥に攫われ、男たちに襲われそうになり、ようやく帰れるかと思った矢先に放置されるなんて、けっこう最悪ではないか。

 スオウはすべての「月の子」は月の神さまに愛された子どもたちだと言っていたが、だとしたら、ミナモはきっとその神さまにさえ見放されてしまったのだろう。

 未だもらった力を使いこなせない出来損ないで、みそっかすの「月の子」だから。


 背の高い岩に向かい合い、べそべそと泣きながら身体を小さく縮めていじけていたら、自分の足元にひょろりとした植物が伸びているのを見つけた。


 イワチドリだ。地面と岩の割れ目の隙間から、指の長さくらいの細い茎を伸ばし、小さな蕾をつけている。多くの花は、花弁を開く前に萎れるか枯れることが多いのに、こんなところで頑張って咲こうとしているのが、逞しくひたむきで、いじらしかった。

「…………」

 ぐすっと鼻を啜ってから、ぐいぐいと拳で涙を拭い、ミナモはその蕾の上に、そっと手をかざした。



 ──神さま神さま月の神さま、どうか「花使い」ミナモに力をお貸しください。

 いつも唱える定型の文句を小さく呟いて、目を閉じる。



 手の平がぽうっと温かくなった。身体の中で渦巻く何かがその場所に向かって流れ、外へと放出されていくのを感じる。

 神経を集中して、心を穏やかに整え、呼吸を楽にし、意識を余所に向けないように。

 月天宮で教わったことを、心の中で繰り返す。

 出来損ないとはいえ、ミナモは決して不真面目な性格ではなく、どちらかといえば真面目すぎるくらいに真面目なほうだった。力を操るための日々の訓練だって、毎回毎回、律義なほどに教えに忠実で、誰よりも真剣に取り組んでいた。


 ひとつでも多く花を咲かせて、ウスキにもスオウにも喜んで欲しかったから。


 が、結果はいつもミナモのその願いを裏切る。今も、ミナモが目を開けると、イワチグサはこころなし蕾を膨らませてはいるものの、変化としてはそれだけだった。

 この蕾がちゃんと無事に開くかどうかは判らない。蕾のまま首を垂らして萎んでしまう可能性も大きい。せっかくここまで頑張って茎を伸ばしたのに、ミナモはその成長の手助けをすることすら叶わなかった。


 こんな小さな花ひとつ、未熟なミナモの力では咲かせることが出来ないのだ。


「……う」

 引き結んだ唇がぶるぶるとわななくように震えた。さすがに心が折れそうだ。もうそろそろ大きな声を出して泣いていいかな? いいよね、ここまでわりと我慢したほうだよね。またあの三人組のようなのに見つかっちゃうかもしれないけど、その時はその時だ。

 すっかり投げやりな気分になってそう決心した時、後ろでガランガランと大きな音が響いた。


 びくっとして振り返ると、いつの間にか戻ってきていたアカザネが、不愛想な顔で一抱えもある木の枝を地面に放るようにして落としている。


「アカザネ!」

 飛び上がるようにして立ち上がり、頬を紅潮させた。

 ミナモが顔をくしゃくしゃにして笑ったのを見て、アカザネはなぜかものすごくイヤそうに身体を後ろに引いた。

 今度は逃がさないように、彼の袖をはしっと掴んで握りしめる。


「アカザネ、よかった! 戻ってきてくれたんだね! わたしてっきり捨てられたんだと思ったよ!」

「そんなわけあるか。まだ首飾りを受け取っていないのに」

 筋金入りの守銭奴の頭には、耳飾りと腕飾りだけを持って逃げる、という選択肢はなかったらしい。それでもミナモはほっとした。


 月の神さまには見放されたかもしれないが、アカザネはミナモをまだ見放してはいなかった。


「だって何も言わずにいなくなっちゃうし」

「そこにいろ、と言った」

「まるでゴミを投げ捨てるようなやり方だったよ」

「玉の首飾りがゴミのはずないだろう」

 アカザネにとっては首飾りが本体で、ミナモはその付属品という扱いであるようだ。

「どこに行ってたの?」

「俺はこのあたりで寝起きすることが多いから、薪になる枝を他の連中には見つからない場所に隠してある。それを取りに行った」

「薪……」

 そういえばこのあたりは岩ばかりで木どころか人工緑もない。アカザネはどこからか枝を集めて運び、この近くに保管していたということなのだろう。

 地面に積まれた枝の山を見て、ミナモは首を傾げた。

「これをどうするの? 背負っていくの? 重いんじゃない?」

「いちいち馬鹿なことを聞くな。ここで火を焚くに決まってる」

 そう言いながらアカザネは片膝をつき、すでにてきぱきと枝を組み始めていた。見惚れてしまうほど無駄のない動きだった。

 石を打って手際よく発火させてから、こちらをまっすぐ向く。


「服を脱げ」

「えっ」


 いきなり命令されてたじろぐ。

 思わず一歩後ずさったら、アカザネがまた例の目をした。

「寒いんだろう。火を焚くから、まずは服を乾かせ」

 言われて、ミナモはびしょ濡れのままの自分を見下ろした。最初からそのつもりだったのか、とようやく合点がいく。

 立ち去る前に一言そう言ってくれたら、ミナモはあんなに驚くことも嘆くこともなかったのに。


 しかし、それでも一応、気遣ってはくれたのだろうか。


「ありがとう、アカザネ」

 今度は「守銭奴さま」とは呼ばなかったのに、火を起こしていたアカザネはまた眉を上げた。なぜだ。彼の思考はどういう廻り方をしているのかさっぱり謎なので、どんな対応をするのが正解なのかまるで判らない。


「おまえが倒れでもしたら面倒だからだ」

「だから、心配してくれたんでしょ?」

「阿呆。死体を月天宮に投げ込んでもいいならそうするが、生きたおまえを届けないと首飾りが手に入らないんだろう。いいか、俺は引き受けた以上はきっちり仕事をする。おまえは俺に報酬を払う。必ず違えるなよ、わかったな?」


 くどくどしく確認をして、アカザネはすっくと立ち上がった。

 炎はばちばち音を立てて、もうもうと煙を上げている。炙るような熱気に、ようやくミナモは自分の身体が思っていた以上に冷え切っていたことに気づいた。

 しかしアカザネがまたどこかへ行きそうな素振りをしたので、不安になって袖を掴む手に力を込めた。アカザネは眉根を寄せたが、ミナモがよほど情けない顔をしていたからか、小さなため息を落とした。


「俺は岩に登って変なやつが来ないか見張る。服が乾いたら言え」


 それだけ言うと、岩の突起に手をかけ、するすると登っていく。敏捷で、相変わらず体重を感じさせない動きだ。瞬きほどの間にてっぺんに到着して、腰を下ろした。

 ミナモはちょっと迷ったが、アカザネはこちらに背を向けて知らんぷりを貫いているし、彼が報酬を得ること以外に対して無関心なのははじめから変わりない。ミナモを単なる装飾品置き場という他に女として見ているのかも怪しいが、変に勘繰るのも失礼だろう。


 それに大体、このままでは本当に風邪を引いてしまう。


 羽織っていた汗衫をもぞもぞと脱いで、袴の紐をほどく。顔を上に向けてみたら、後ろで括られたアカザネの黒髪が、風になびいてさらりと揺れるのが見えた。

 不思議とそのことに安心して、身体から力を抜く。


 アカザネは言葉がまったく足りず、ぜんぜん優しくもないが、用心棒としてはとても頼りになる人だ。


 炎でじんわりと身体が温まってくると同時に、心のほうもほっこりとしてくる。

 我ながら現金だと思いながら濡れた服を乾かし、ふと岩の根元に目をやって、ミナモは「あれっ」と声を上げた。


 ──そこでは、イワチグサが小さな紫色の花弁をいっぱいに開いて、愛らしく堂々と咲いていた。



          ***



 乾いた服を着込んで人心地つくと、アカザネは再びミナモを連れて出発した。

 ここからいちばん近いのは、エンレイという町なのだという。日が暮れる前にはなんとしても到着しないといけないらしく、前へと突き進むアカザネの速度が緩むことはなかった。


「な、なんで、日が暮れる前に着かないとダメなの?」

 小走りでそれについていくミナモが息を切らしながら訊ねると、答えが来るまでに、ほんのちょっと間が空いた。


「……暗くなると、どんどんタチの悪いのがこのへんに集まってくる。なるべく余計な労力はかけたくない」

 あの三人組のようなのがもっと増えるのかと思って、ミナモは竦み上がった。それは確かに歓迎できる事態ではない。

 手の中にあるアカザネの水干の袖をぎゅっと握ったら、じろりと睨まれた。


「いい加減離せ。鬱陶しい。袖が破れたら必要経費とは別に代金を請求するからな」

「だってこうして捕まえておかないと、また捨てられるかもしれないし」

「おまえを捨てたいのは山々だが、玉の首飾りを捨てるつもりはない」

「何も言わずにいなくなられたら、誰だってそう思うよ」

「俺は『そこにいろ』と言った。理解できないお前が悪い」

「理不尽!」


 唇を尖らせて言い返したが、袖は離さない。

 置いて行かれるのを厭う子どものようだという自覚くらいはあるが、こうしているとなんとなく落ち着く。すぐに振りほどかれるかと思えば、そうでもないようだし。


 アカザネは苛立つようにさらに何かを言いかけたが、ぐぐーう、という音を耳にして口を閉じた。


 ミナモのお腹が鳴った音である。周りが静かなので、なおもぐうぐうと主張するその音は、必要以上によく響いた。

「腹が減ってるのか」

「う、うん……」

 アカザネに問われて、赤くなりながら頷く。今日は祭りだったので、その準備のために朝食はいつもよりもうんと早かった。それから口に入れたものといえば、湖の濁った水くらいだ。

 アカザネは懐の中をごそごそと探り、小さめの布袋を取り出すとミナモのほうに放り投げた。


 慌てて袖から手を離し、それを受け取る。

 袋の中を覗いてみれば、灰色をした団子のようなものがいくつか入っていた。


「雑穀を炊いて丸めて干した携行食だ」

「へえ~」

 アカザネの説明に、目を丸くして見入る。月天宮ではお目にかかったことがない食べ物だ。彼はいつもこういうものを持ち歩いているのだろうか。

 遠慮なく頂くことにして、齧りついた。

 もぐもぐと食べるミナモを、アカザネが警戒するように観察している。

「不味くても吐き出すなよ」

「そんなことしないよ」

 確かに美味しいと言えるものではないが、もらったものを吐くような無作法な真似はしない。硬いから、少しずつゆっくり噛みながら呑み込む。小さいが、歯ごたえがあるためか、それともみっちり詰まっているためか、お腹の中に入れるとずいぶん空腹感がマシになった。


「ごちそうさまでした」

 ひとつだけ食べて袋を返すと、アカザネはまたそれを懐に戻しながら、冷ややかにミナモを見た。


「月天宮で贅沢に慣れた『月の子』の口には合わないか」

「そんなことないってば。だってそれはアカザネの大事な食べ物なんでしょう? 自分のお金は一銭も使いたくなさそうなアカザネが、ものを分けてくれたというだけでびっくりだよ」

 正直に言ったら、無言で耳を引っ張られた。

 そのまま前を進みながら、アカザネがぽつりとした調子で言葉を落とす。

「……月天宮では毎日豪勢な食事が出るんだろう」

「うん、そうなのかもね。わたしは外のことをよく知らないけど、衣食住はきっと良いものを与えられているんだと思う」


 部屋を与えられ、世話をする女官をつけられ、綺麗な衣服と日に三度の美味しい食事がもらえる。

 セイランは決して豊かな国というわけではない。だからそれは一般の人たちから見れば破格の待遇であるのかもしれないが、「月の子」は国の宝だからと当然のようにそれを受け取る者がほとんどだった。

 でも、ミナモはいつも、居心地が悪かった。


「そこまでしてもらっているのに、わたしはまだ上手く力を操れないから。返せるものがないのに与えられるばかりなのは、申し訳ないなあってずっと思ってた」


 何が悪いのか、どういうところが足りないのか、自分では判らないから余計に罪悪感で萎縮していく。そういう肩身の狭い思いをしていることが他者にも伝わるのと、事実役立たずであるところから、「月の子」たちはみんな、ミナモを馬鹿にしたし、笑ったし、見下していた。


 そうしなかったのは、ウスキとスオウだけだ。


 だから早く月天宮に帰らなければ。あの二人に報いるためには頑張ることくらいしかミナモには出来ない。

「月の子」だからミナモは月天宮で育てられ、大事にされ、ウスキに世話を焼かれ、スオウに笑いかけてもらえるのだ。

 すべて、月の神さまから授かった力をちゃんと使いこなせるようになるため、それだけのために。


「花使い」にならなければ、ミナモの存在に意味などない。


「…………」

 アカザネは口を結んで歩き続けていたが、また懐に手を入れてごそごそすると、取り出した団子を強引にミナモの口に押し込んできた。

「むぐ……アカザネ、動物に餌をやるようなそのやり方はちょっと……」

「うるさい。いいから食え。これも必要経費のうちだ」

「でもアカザネの分が」

「おまえに倒れられたら面倒だと言っている」

 怒ったような顔と言い方だったが、そもそもアカザネははじめからずっとそんな感じなので、実際はどうなのかよく判らない。

 しかし、歩く速度はほんの少しだけ、ゆっくりになった。



 それでもなんとか日が暮れる前に、二人はエンレイの町に着くことが出来た。

 月天宮までは、まだ遠い。





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