そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.2 < chapter.2 >
ヘンリエッタ・イシュトヴァーン、十四歳。
イシュトヴァーン侯爵の一人娘で、中央市内の名門女学校に通う中学二年生。成績優秀な娘で、音楽や体育などの実技科目でも必ず学年トップ5に入る。夏休み中に開催される全国中学生弁論大会に出場することも決まっており、自分の意思で姿を消すはずはないというが――。
「ピーコックとの通話記録を聞かせてもらったのだが、父親に娘の交友関係について尋ねたら、ピタリと黙ってしまってな。友達はいないらしい」
「ああ、やっぱり……」
「うちの娘は優秀すぎて妬まれているようだ、などと話していたが、たかだか『学年トップ5』だぞ? 『絶対不動のナンバーワン』でも『全国模試でトップ5』でもなく」
「名門って言っても、『すごい家柄のお嬢様が通ってる』って意味ですもんね。学校全体の平均偏差値もそれほど高くなかったハズですし、妬むほどの成績でも……?」
「ああ、どう考えても、何か訳アリだな。親に黙って家を出た理由を聞き出さないことには、この件は何も解決しないだろう。本人確認に手間取ったことにして、しばらく本部で預かろうか」
「そうですね……って、肝心のご本人様は?」
「トニーが迎えに行っている。もう間もなく到着するはずだ」
事件の現場はブルーベルタウンの隣の商業エリア。高級百貨店や貴族御用達レストランが軒を連ねる『高級商店街』の書店なのだ。治安の悪い下町エリアと違い、『中学生の万引き事件』なんて聞いたことも無い。
さて、ヘンリエッタお嬢様は特務部隊相手に何を語ってくれるか。
楽しい話の予感など欠片も無く、ベイカーとロドニーはトニーの帰還を待った。
数分後、特務部隊宿舎の前にトニーが運転する馬車が到着した。ロドニーが扉を開け、ベイカーが少女を出迎える。
「ようこそヘンリエッタ嬢。特務部隊長、サイト・ベイカーです。どうぞこちらへ」
散々泣きはらした赤い目も、不安に震える体も、なにもかも気付いていないような素振りで少女の手を取る。そして宿舎の中に案内しながら、ベイカーはごく普通の口調で話しかけた。
「あなたのお父様から『娘を探してくれ』と頼まれています。ですが、我々はまだ、あなたを見つけていないことになっています。なぜなら『窃盗犯』から犯行動機を聞き出せていないからです。もうお家もお名前も知られているのですから、なぜあのようなことをしたのか、すべて話してもらえませんか?」
ね? と首をかしげてみせるベイカーに、少女はすがるような目を向ける。
やはり、何か事情があるらしい。
少女をリビングルームのソファーに座らせ、ベイカーはその隣に腰を下ろした。相手はすっかり怯えた中学生。成人男性が真正面に座れば、不必要に威圧することになってしまう。少し距離を空けて横に座ったほうが話しやすいと判断したのである。
少女はしばらく、落ち着きなく手を動かしていた。意味なく指を組み替え、自分の両腕をさするように触り、膝に手を置きスカートを握り締め――。
「……うん、いいよ。心の整理がつくまで、焦らなくていい。君のペースで話してほしい……」
ベイカーは殊更優しい声音でそう言った。
すると少女は、ボロボロと涙を流し始めた。
「……ごめんなさい……」
「悪いことをしたって、ちゃんとわかっているんだよね?」
少女は頷く。
ベイカーは少女を責めるでもなく、静かに頷いて微笑みかける。
「あの本が欲しかったの?」
「……はい……」
「お小遣いでは買えなかった?」
「……もらえませんから……」
「欲しいものがあるときは、ご両親にお願いして買ってもらうの?」
「……はい。でも、私が欲しいものは、何も買ってくれません……」
「それなら、どんな物なら買ってくれる?」
「ええと……これ、とか……」
少女が指さしたのは銀の髪飾りだった。身につけているワンピースと同じデザインコンセプトで、飾りの石とワンピースの刺繍は色味を完全に合わせてある。ドレスと同時にアクセサリーまであつらえるとは、さすがは侯爵家である。金の掛け方が違う。
だがこのワンピースも髪飾りも、今どきの中高生に好かれるデザインではない。この少女の両親が若いころに流行していた『清楚なお嬢様にふさわしいファッション』で、どう見ても本人の意思は一ミリも反映されていなかった。
「あー……もしかして、ご両親が『読んでいい』という本は、何十年も前の名作小説ばかり? 国語の教科書に採用されるような、超有名作家の……」
「なんで分かるんですか!?」
「……うん。そういう子、たまにいるんだ。ご両親が教育熱心すぎて、本人の意見を全く聞かずに何もかも押し付けていて……」
そのせいで心が壊れてしまった女性は多い。
なにしろベイカー家は国一番の富豪である。どこの貴族も自分の娘や親戚筋の女を『正妻が無理ならせめて側室に』と売り込んでくる。下はオムツの取れた三歳児から、上は上限なしでバツ四くらいまで。ありとあらゆるタイプの女性と『ちょっとしたお付き合い』をせざるを得ない身の上から、ベイカーはこの少女の境遇を正確に見抜いていた。
『理想の娘』であることを強要され、個性や自主性を完全に否定されている。
これは本人の努力や外部のサポートでどうにかできる問題ではない。両親に『押し付け教育』をやめさせない限り、この少女はいつまでたっても、『なんの個性も無い優等生』のままだ。
そして本来あるべき『自然な姿』を否定され続けることで、心は壊れて死んでしまう。
体は健康で、表面上の受け答えはそつなくこなす。けれども心は死んでいる。こちらの話に相槌を打つタイミングは完璧。どんな話題にも話を合わせられるだけの幅広い知識も持っている。それなのに、いざ『本人の話』となると急に口をつぐんでしまうのだ。
自己紹介用のプロフィールと軽い雑談用の受け答えは、両親によって完璧な筋書きが用意されている。しかしその先は自分が本当に好きなもの、夢中になっていること、関心を寄せているなにかが無い限り、まともに会話を続けることはできない。
この少女の目は死んでいない。
傷付けられてしまっていても、まだ心は死んでいないのだ。
しかし、今ここで手を打たねば、確実に『殺される』運命にある。
ベイカーは立ち上がり、リビングルームのマガジンラックから適当な雑誌を何冊か持ってきた。
隊員たちがそれぞれ好きな漫画雑誌やファッション誌を買ってきては、誰でも読めるようにラックに置いていく。住み込み清掃員への配慮としてあからさまなエロ本は私室に引っ込めさせたが、それでも真面目な経済情報誌から渓流釣り専門誌、少年漫画、少女漫画、特撮映画等のジオラマ制作を特集したホビー雑誌など、非常に豊富なラインナップで最新号が揃えられている。
それらを少女の前に並べ、基本的な部分から質問する。
「こういう本、手に取って読んだことある?」
少女は首を横に振る。
部屋の隅で成り行きを見守っていたトニーとロドニーも、顔を見合わせた。
これは非常にまずいパターンだ。
世間の流行を何も知らない。
一般的な情報に触れさせることもしない。
それで「うちの娘は何ひとつ穢れを知らない純な子です」と言っているのだとしたら、両親はかなりのモンスターだ。
「えーと……クラスのみんなは、こういう『いろんなお話』で盛り上がっているんだよね?」
少女は頷き、再び泣き始める。
何一つ共通の話題がないのでは、友達なんかできるはずがない。盗もうとした本が最新刊でなく『第一巻』であったことも、より一層問題の根深さを表していた。「それはなに? 今度貸して」とお願いできるだけの、『雑談ができるクラスメイト』すらいないということなのだから。
「……よし、分かった! それなら今日は徹底的に遊ぼう! ロドニー、シアタールームの用意だ!!」
「アニメ映画で良いですか!? 女の子にもオススメできそうなのは『ノビータとドナテルロ/空の王国』です!」
「ああ、それでいい! トニー、ポテチとコーラとポップコーンと、あとなにか、こう、人をダメにしそうな感じのおやつを用意するんだ!」
「了解です! パンケーキを焼いてきます!!」
「バターとシロップはマシマシでな!」
「心得ております!!」
ドタバタと駆け出していく狼と犬。ポカンとした顔でその背を見送る少女に、ベイカーは小悪魔の笑みを見せる。
「ヘンリエッタ嬢。今からあなたに『イケナイコト』をお教えします。どうせお父様に怒られるなら、徹底的にやらかしてしまいましょう」
「えっと、あの、イケナイコトって……」
「ごく普通の映画鑑賞ですよ。観たことないでしょう?」
「……はい……」
場の雰囲気に流されるまま、少女は『不良男子の秘密基地』へと連れ込まれていった。




