そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.2 < chapter.1 >
特務部隊の定休は日曜日に設定されている。日曜に王家主催の式典などがあれば週明け以降に代休が割り振られるが、何もなければ全員同時に休むことができる。このような休日設定は騎士団内では珍しく、広報課や設備課など、ごくごく一部の部署に限られる。
午前八時三十分、トニーは私服に着替えて騎士団本部を出た。
今日は好きな漫画の発売日。マイナー雑誌に掲載されている作品であるため、どこの本屋も入荷数が少ない。確実にゲットするために予約はいれておいたが、念のため、開店時間に合わせて買いに行くことにした。
以前、任務の都合で発売日に買いに行けないことがあった。通常であれば予約分は店頭在庫とは別に取り置かれるのだが、書店側のミスで棚に並べられてしまい、翌日買いに行ったら『在庫がない』と言われてしまったのだ。
午前九時、緑色のエプロンをつけた書店員の手によって灰色のシャッターが開けられる。
シャッター前には自分以外に十数名の客がいたが、全員、今日発売のトレーディングカードが目当てだ。商品の予約票のほかに、ボックス購入者だけがもらえるキャラクターフィギュアの引換券を握り締めている。
店員の誘導でレジカウンターに向かうトレカ購入希望者たち。あの列が捌けるまで、普通の客は近付けそうにない。トニーはしばらく時間を潰すつもりで、店内をぶらぶらと見て回った。
「……なんだ、これ……?」
普段なら近寄ることも無い、魔法学系の棚である。王立大学や各地の魔法学研究所が出版した専門書の中に、一冊だけ、非常に胡散臭い本が混ざっていた。
「月刊ヌー特別増刊号、『知られざる激レア呪文、完全解説Book』……?」
好奇心から手にとって、パラパラとページをめくってみる。どうせ実際には発動できない『古代魔法』や『条件付き魔法』ばかりだろうと思っていたのだが――。
「……ケルベロス族固有魔法、《冥王の祝砲》……」
何か月か前にマフィアの拠点潰しをした時の写真が使われていた。解説文には、この魔法は《火炎弾》を数百倍の威力にしたようなものだと記されている。まあ間違ってはいないのだが、使用者本人としては、直接聞きに来てくれれば『直径1mの炎の砲弾を毎秒500mの弾速で撃ち出す攻撃呪文』と説明してやったのに、という歯がゆさが込み上げてくる。
トニーは続けて次のページも読んでみた。
「……《冥府の狂宴》……」
炎の大砲が《冥王の祝砲》なら、それを数百発乱れ撃ちするのが《冥府の狂宴》である。このページに使用されている写真は、先ほどの現場とは別の場所だ。
この案件ではマフィアの構成員が炭鉱町の広いエリアにまんべんなく住みついていた。どこか一か所の拠点を潰しても、その間に別の拠点の構成員が逃げ出してしまう。ならばどうするか。その答えはいちいち考えるまでも無く明白で、『同時に叩く』以外に無い。
情報部のナイルがステルスゴーレムを飛ばし、それを構成員の頭上に待機させた。ゴーレムには攻撃呪文を誘引する《避雷針》が刻印されている。あとはトニーが《冥府の狂宴》を必要数撃ち出すだけで、炎の砲撃は自動的に標的に向かう。
何の前触れもなく撃ち込まれたピンポイント砲撃を、発射から着弾までのほんの数秒で察知・回避できる者などいない。中には防御系の呪符を装備していた者もいたが、トニーの火力は並の《魔法障壁》を打ち破る。死体が木っ端微塵になるか、焼け焦げながらも原型を留めるか、その程度の違いにしかならなかった。
この本には『炎の大砲をたくさん撃ち出す魔法』と書かれている。直接聞きに来てくれれば、『最大666発の連射が可能』と正直に答えてやった。それはほんの数秒で666人殺せるということだ。正確な情報を発信できていれば、裏社会に対する良い威嚇になったはずだ。
どうせ特集するなら、広報課に問い合わせてくれれば良かったのに。
トニーでなくてもそう思うような、全体的にツメの甘い本だった。他のページも、どれもこれも、少しずつ惜しい。
表立って活動することの多いベイカー、ロドニー、キール、ハンク、ラピスラズリやスカイらの攻撃魔法も写真付きで紹介されている。しかし、身内が見ると説明は大雑把で情報不足。ちょっと取材すれば分かりそうな部分も、『真相は謎に包まれている!』という安っぽい煽り文句で誤魔化されていた。
「……どの写真も、新聞社からの借り物か……」
徹頭徹尾、自社では取材しない方針であるようだ。
「……どうしようかな?」
内容は安っぽいが、なにしろ自分や仲間の写真が使われている。「こんな本を見つけたぞ」と言ってリビングルームで広げれば、みんな興味津々で回し読みを始めるだろう。仲間とワイワイ群れているのが好きなトニーとしては、それで十分、『価値ある買い物をした』ことになる。
トニーはしばし悩んだ後、購入を決めた。
レジカウンターを見れば、トレカ目当ての客もあと一人。間違えて棚に陳列されてしまわぬよう、さっさと予約した漫画を買って帰ることにした。
予約票を店員に渡し、目当ての漫画を無事ゲット。胡散臭いムック本との合計金額は安いとは言えないが、特務部隊員の給与額から見ればそれほど高い買い物でもない。
会計を済ませ、店を出ようとした。
事件はそのとき起こった。
「君、今服の中に何か隠したよね?」
大学生風の青年が、中学生くらいの少女に声をかけた。
少女の両腕は腹のあたりに当てられ、不自然な体勢のまま固定されている。明らかに、服の中に何かを隠している。
青年の声を聞きつけた書店員が近寄ってくると、少女は出口に向かって駆け出した。
万引きだ。
声をかけた青年も、書店員も、今まさに店を出ようとしていたトニーも、誰もがそう確信した。
未会計の商品を『店の外』に持ち出した時点で窃盗罪が成立する。トニーは少女が店の外に飛び出した瞬間、少女の腕を掴んだ。
何の戦闘訓練も受けていない標準体型の少女である。トニーが片手で腕を掴んだだけで、もうそれ以上、どこにも逃げられなくなった。
「は、放して! 痛い!! やめて!!」
「お前が持っている物は何だ? それ、会計がまだだろう?」
「あなたには関係ない!!」
「いや、関係ならある。俺は王立騎士団の人間だ」
トニーはそう言いながら、もう片方の手でIDカードを取り出す。それを少女につきつけ、少女を追ってきた書店員にも見せた。
「王立騎士団特務部隊所属、トニー・ウォンと申します。店員さん、こちらの方が持っている物が未会計の商品かどうか、確認をお願いします」
書店員は頷き、少女の手から問題の本を取り上げる。
裏表紙を開いて確認すると、本にはこの店の在庫管理票が挟み込まれていた。他店で買った本を持って入店したわけではない。間違いなく、この店の本を未会計のまま持ち出している。
「……うちの商品です」
「そうですか。では、窃盗の現行犯で逮捕します。お手数ですが、このエリアの騎士団支部に通報をお願いします。手を離した瞬間に逃げ出されると面倒なので」
「分かりました。あの、ひとまずこちらへ……」
書店員に案内され、トニーは少女を捕まえたまま、店のバックヤードへと移動した。
それから三時間後のことである。
トニーは窃盗犯の身柄を騎士団支部に引き渡し、特務部隊宿舎に戻っていた。
面白い本を囲んで仲間と盛り上がるつもりでいたのに、リビングルームの話題はすっかり窃盗犯にジャックされている。
トニーが支部にいる間、少女は一切口を開かなかった。自分の名前も言わないし、どんな質問にも答えない。
どうにも埒が明かないため、支部は『身体検査』に踏み切った。
しかし、規則通りの手順で服を脱がせて所持品の検査をしてみても、身分証はおろか財布や小物入れすら所持していない。
身につけている衣服は上から下までオートクチュールの特注品。爪や髪の手入れは行き届き、歯の治療もホワイトニングも受けている。それも庶民では絶対に手の届かない、最上級の施術である。肌着も靴下もシルク製品で、髪飾りだって純銀製。名家の令嬢であることは間違いなかった。
「……で、そんなお嬢様が盗んだものが『プリンセス・ナナの冒険』だったのか?」
「はい。レインが読んでいるアレでした」
「フツーの中学生の小遣いでも買える文庫本じゃねえか。マジかよ。なんで金持ちのお嬢ちゃんがそんなもん盗むんだか……」
「『名無しの黙秘さん』への身体検査というと、膣や肛門に危険物を隠していないか、指を突っ込まれて徹底的に調べられるはずだが……?」
「ですよね……?」
ロドニーとベイカーは大きく首をかしげた。
後で『性的虐待があった』と騒がれては面倒なので、女性への身体検査はこれから何をするか、どのような手順で行うかを口頭で説明し、同様の内容が図解された文書も同時に手渡される。騎士団側に不当な行為が無かったことを証明するため、一連の状況は事前説明の段階からすべて録画。裁判等で使用する際は局部にモザイク処理が施されるが、オリジナルの映像は無修正のまま公文書館で永久保存される。
たいていの『名無しの黙秘さん』は、この説明を聞いた時点で「全部話すから永久保存だけは勘弁してほしい」と言い、進んで自供するものなのだが――。
「知らない男にあちこち指を突っ込まれても、その映像が永久保存されても、それでもかまわないから名前は絶対言いたくない……ということか。ずいぶんとんでもないお嬢様を捕まえたものだな……」
「隊長、これ、もしかするとウチに差し戻される案件じゃないですか?」
「おそらくな。しかし、どうせ差し戻されるにしても、明日以降にしてほしいものだが……」
「娘が部屋にいない! 家の中にも庭にもいない! 誘拐されたに違いない! 探してくれ!! な~んて通報が来ると思いますけど? そろそろ昼飯時ですし」
「だよなぁ。ああ、せっかくの休日が……たまには宿舎でゴロゴロしていようと思ったのに……」
「俺もですよぉ~……」
と、二人揃って嘆いてみせたときだった。
内線端末が軽やかな呼び出し音を響かせた。
「ほら、早速来たぞ。はい、こちら特務部隊宿舎……ああ、ベイカーだ。どうしたピーコック、何か事件か? ……そうか。いや、それには及ばない。こちらに一件、それらしい心当たりがある。……分かった。すぐ向かう」
「ビンゴですか?」
「そのようだ。トニーは俺と一緒に情報部庁舎へ。ロドニーはここで待機」
「はい」
「了解です」
私服のまま出て行くベイカーとトニー。
リビングルームに残されたロドニーは大げさに溜息を吐き、数時間前の自分に文句を言った。
どうしてどこにも出かけなかったんだよ、と。




