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前編・荻野沙月の事情


「えっ……」

 どさり、と手に持ったカバンを落とす。

 まさか自分がこんなベタなことをするとは夢にも思わなかった。

 でもそれも仕方ないだろう、なにせ、


 自分の恋人が楽しそうに他の女と歩いているのを見てしまったのだから……。


 私の彼女、ひかりが、私の見知らぬ女の子と楽しそうに笑いあっている。

 仲がいいのは明白だ。

 けれど、ただそれだけ。

 ごく普通の友達に違いない、私のまだ冷静な部分がそう囁く。何もショックを受ける必要なんてない、ひかりは友達と2人で歩いているだけ。そのはずなのに……。

 黒いモヤが私の心臓を締め付けた。

 結局、私はいつだって不安なのだ、私はひかりにふさわしくないんじゃないかって……。


 今日はひかりにデートを断られ、気晴らしに本屋にでも行くつもりだったのだけど、当然のごとくそんな気分ではなくなってしまった。

 早足で駅へと向かう。その最中も頭がグルグルし続けていた。

 なんでどうしてなんでどうしてなんでどうして?

 なんで、ひかりは私とのデートを断って別の女と歩いていたの?

 なんで? なんで?


 電車に乗ってからも悪い想像は止まらない。

 もしかして、ひかりは私に飽きてしまったのか?

 私みたいな地味女がつきまとっていたら迷惑なの?

 脳はもうオーバーヒート寸前。

 しかし足だけはまともに動いていたようで、気がついたら家に帰りついていた。



「………………」

 家に着いても何もする気が起きない。

 ひかりと私はルームシェア……というか平たく言って同棲中だ。

 だから待っていれば帰ってくる。……今日のところは。

 けれど、もしかしてひかりは帰宅するなり私に別れを告げるかもしれない。

 ひかりはとても可愛い。それに優しくて、私みたいなグズにだって親切にしてくれた。優しくされて調子に乗って告白してしまって、なんでかひかりは了承してくれて恋人になったんだけど、それはやっぱり私を憐れんでのことだったのか? ひかりはとっても可愛い、だから私みたいなダメ人間よりもふさわしい相手がいるはずだ……。


 思考はいっこうにまとまらない。

 私はひかりがいなければ生きていけない、けどひかりの方はそうじゃない、だから不安なんだろう。ひかりはきっと私なんかいなくても平気でむしろ私なんかいない方が幸せになれるのかもしれない私はひかりに幸せになってほしいけど離れたくない……。


「……お風呂……沸かそう、かな」

 現実逃避気味に、そう、つぶやいた。

 ひかりはお風呂が大好きで、帰宅するとすぐに入るのが習慣だ。

 だから私が先に帰ってきた時はいつも沸かしてあげていた。……2人でお風呂に入るの、好きだし。

 けれど、こうするのも今日が最後かもしれない。

 なにかが頬の上を流れていった……。



「ただいまー!」

 いつの間にか眠っていたようだが、ひかりが帰ってきて目が覚めた。

 こんな時でもひかりの声を聞くと嬉しくなる、なんて単純なんだ私は……。

「……沙月ちゃん?」

 私の顔をひかりが心配そうに覗き込んでくる。まあ元気がないのは丸分かりだろう……。

「……おかえり」

 とりあえず返事をする。そして、

「お風呂……入ろ?」

「あ、沸かしといてくれたの? ありがとー! じゃあ一緒に入ろっか!」

 有無を言わさずお風呂に連れ込み……いや連れ込まれた?

 ともかく2人でお風呂に向かった。

 お風呂だとなぜか話しやすいし、何よりひかりが上機嫌になる。それに乗じて、あの女の子のことについて問いただし……たり、できるかなあ……。



 ひかりを見て改めて思う。やっぱりひかりは可愛い。陳腐な言い方だけど、目はパッチリしていて、鼻筋も通るよう。ただでさえ可愛い顔立ちなのに、くるくると変わる表情がこれまた可愛いのだ。栗色に染めた髪は短いながらも女性らしさを感じさせ、どことなくおっとりした声は聞いているだけで落ち着く。

 それでいて性格は温厚で、何よりもとっても優しい。私みたいなコミュ障とは違って友達もたくさんいて、何というか……モテる。

 本当に何で私なんかと付き合ってくれてるんだろう……。



 そして、浴室。

 私が後ろでひかりが前。

 2人でお風呂に入る時は、なんとなくこの並び。

 いや、実はなんとなくじゃない……。

 私は裸になったひかりを後ろから抱きしめるのが好きなのだ。

 ……ヘンタイっぽい? やっぱりヘンタイかな……。

 でもその白い肌、華奢な肩、ゾクゾクするようなうなじ……。

 見て、触れて、あまつさえ私の素肌を重ねると安らぐし、ひかりと通じ合えているような気がして好き。

 ……やっぱりヘンタイかもしれない。


 でも、ひかりとお湯のぬくもりは、私の冷え切った気持ちをわずかばかりでも温めてくれた。

「……いったいどうしたの、沙月ちゃん」

 けど、その問いかけに、抑え込んだものが一気にあふれそうになって……。

「…………今日、見た。ひかり」

 まるで3歳児みたいな言葉遣いになってしまった。

 しかしこれが限界だ、これ以上はひかりを一方的に責めてしまいかねない。そうしたらひかりは鬱陶しがって、私は本当に捨てられちゃうかもしれない……。

 今にもこぼれそうな言葉を呑み込み、私はその肩に軽く噛みついた。本当に軽くだ、歯を肌に乗せるだけのような……。間違ってもひかりの綺麗な肌に傷をつけるわけにはいかない、たとえそれが私のものではなくなってしまうとしても……。


「あー、友美ちゃんと一緒に歩いてるところ?」

 たったこれだけの言葉でも、ひかりは私の言いたいことを汲み取ってくれる、そういうところも好き……。だけど、この察しの良さもいずれ私以外に向けられるのかもしれない……。

「久しぶりに遊ぼうって言われてねえ」

 甘噛みをやめて口を開く。さっきよりはスムーズに言葉が出てくれた。

「……それで、デートの誘いを断ったの?」

「ごめんねえ、あっちが先約だったからさ。……ヤキモチ、焼いちゃった?」

 なんだか恥ずかしくなって、またひかりの肩を噛んだ。優しく、でもさっきよりは少しだけ強く。


「ふふ、でも嬉しいな」

 何が? と無言で問いかける。

「ヤキモチ焼いてくれたってことは、沙月ちゃんやっぱりわたしのことが大好きなんだなあって思って」

 ……その笑みに、何も言えなくなる。

「大丈夫だよ、わたしが沙月ちゃんと別れることは、未来永劫なにがあってもありえないから」

 そう言ってひかりは振り向き、私にくちづけを――。



 ……なんだかごまかされたような気がする。

 あの後、すぐにお風呂から布団に直行して、……ええと、その、あれこれあったわけだけど。

 ともかく終わった後、ひかりはすぐに寝入ってしまい、私だけが起きていた。

 考えてみたら、ひかりはあの女の子について友達ともなんとも言っていない……邪推かもしれないけど。

 ひかりは友達も多くて、休日も私と過ごしてばっかりじゃない。

 そのたびに私は不安になって。ひかりはうやむやにするかのように私を……抱く。

 もしかしたら、私はただの都合のいい女なのかもしれない。

 けれどそれでもいい、ひかりに捨てられさえしなければ……。


 私がひかりを好きなのと同じくらい、ひかりも私を好きになってくれればいいのに。

 ふと、そんなだいそれたことを、思った。




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