彼女の病気
「…片寄先生…だったんですか?私を助けてくれたのは。」
「…何、お前、そこまで近づかないと見えないわけ?…無視してたわけじゃなかったんだ。」
手渡されたメガネをつけると、頭をぽりぽりかきながら、ぐるぐる部屋の中を歩き回っていた。
片寄先生は美術の先生で、一年生しかみていないので、私は授業を受けたことがない。寡黙でいつも不機嫌そうで、イケメンなのに近づきがたいと誰かが言っていた気がする。
はぁ…でも、確かに…顔、ちいさぁ…。足、長いなぁ。上半身逆三角形。黒い長い前髪から見え隠れする切れ長の目は、怖いとは思えない、ただ、澄んでいる感じだ。
「あ、あの!ずっとお礼を言いたいと思っていたんです!!言いそびれてしまって、だから、探してたんです!!!」
いやったあぁぁ!!ついに言えた!!!
と、思ったら先生は部屋から出ていこうとしていた。
は、早っ。
「先生、待って。」
「お前ね、一つの部屋に男と女が一緒にいちゃいけないの。もう少し、自覚もって、あんまり無防備な行動をするなよ?」
一つの部屋に男と女、で真っ赤になる私に、先生はしばし言葉を失っていたような気がする。
「要のこと、ちょっと俺に任せてくれる?お互い大事な時期だしな。」
「あ…はい。」
「ごめんな。」
なぜ先生が謝るんだろう…。
その横顔に、切なくなった。
━3日後━
「ええ?王子が見つかった?」
「うん…。」
3日間休んで登校してきた千秋は、いつも通りの元気な彼女だった。心なしか痩せた気がした。そんな数日で変わるはずもないのに。
「見つかったのになんで元気ないの?恋煩いとか?」
「いや…なんか…。」
「現実に気づかされたから?」
うぅっ。毒舌千秋!!!
「で、誰だったわけ?生徒?もしかして要じゃない?ずっとあんたのこと見てるじゃん?」
振り返ると確かに、彼と目が合った。あれから何もない。言葉を交わすこともない。あれがなんだったのか、本当に起きた出来事なのかすら、うやむやになっていきそうだ。
「美術の、片寄先生だった。」
千秋が絶句している。固まっている。
…あれ?なんか、眉間にしわ寄ってない?
「どうしたの?千秋、片寄先生のこと知ってる?私、あんまり知らないんだ。授業受けたこともないし。」
「ええと…いとこなんだよね…。」
「…はぁ!?」
いとこ。いとこというのは…父親の兄弟の息子とか、そういう感じの、いとこ?
世間、せまっ!
「じゃ、じゃぁ千秋は、子供のころから先生のこと知ってるんだ?」
「あ、うん。そっか、じゃぁ、凜のことお姫様抱っこして助けたのが…章ちゃん、ってことなんだ。ふーん…。」
あれ?
千秋なんか怒ってない?
ってことは、千秋は。先生のこと…。
「あ、でもさ、先生なら学校の生徒のこと、助けるのは結構当たり前なんじゃないかと…、いやむしろ、助けなかったら問題になるのかもしれなくて、先生は特に私だからということではなく、目の前にちらついた問題にPTAの面々が見え、仕方なく助けるに至ったのではないかと。」
「…何言い訳してんの?」
う!更に怒ってる!!
千秋の背中越しに、要君もにらんでいる。
ああ。問題多すぎ。
片寄先生のこと、気にならないといえば嘘になる。二度も助けてくれた人だもん。
ただ、なんだか自分と世界が違いすぎて、夢から覚めたような感覚なんだ。
大人で、かっこよくて、寡黙で。
千秋みたいな、さらさらロングヘアーのモデル体型女子なら、隣に並んでいても様になるけど、私だと。
「小動物みたいかも。」
自分で言って落ち込んだ。
冬が深まり、何もないまま冬休みが過ぎた。片寄先生とも、要君とも言葉を交わすこともないまま。
ただ、前と違うことがある。
千秋が三学期になっても登校してこなかった。
もう、一月も終わろうとしているのに。
電話も切ってあるし、ラインも全然既読にならない。
私は心配で、気がおかしくなりそうだった。
「先生!片寄先生!!」
「…綾瀬…。」
廊下にいた先生を追いかけて、袖をつかむ。
「あの…先生、千秋のいとこなんですよね?千秋どうして学校来ないんですか?何か知ってますか?」
言いながらボロボロ涙が溢れてきた。不安で押しつぶされそうだった。
一年の時から、気が合って毎日、いろんな話して、ファミレスで紅茶一杯で粘って粘って、
たくさんのことを一緒にして過ごしてきた千秋が、いなくなって連絡も取れない。
先生は、また頭をポンポンした。
「だから泣くなって。だから無防備なんだって。」
「?」
「俺も詳しいこと知らないけど、入院してるっぽいなぁ、親父の話だと。」
「入院?入院って?どこか悪いの?」
「…行ってみるか?」
そして4時間後、私と片寄先生は、学校から電車で一時間揺られ、海沿いの病院の前にいた。