あと10センチで見えるから
「あ~!!!見つからない!!!」
机に伏せると、千秋の冷めた声が上から響いた。
「凜を助けてくれた王子様ってやつ?ナンパ集団と戦って、こけそうになったあんたをお姫様抱っこして救った?」
「そうそうそう…その。王子様…。」
千秋の長い溜息が、責められているようで耳が痛い。
かれこれ一か月、私を救ってくれた白いシャツの彼を探しているのだけど、なにせ手掛かりが何もない。
「なんか…シンデレラの反対じゃない?王子を探すとか…。」
「しかも靴を落としていってないしねぇ。てか、あんたいつからシンデレラになったのよ。」
くぅぅぅ。千秋め、いつもより毒舌じゃないかぁ。そりゃ私はただのかわいくもない地味なメガネ女子だぁ。
「そういえば常々不思議だったんだけどさ、なんで凜ってコンタクトにしないの?」
「痛いし…、いろいろ試したけどすぐ落としちゃうんだもん。ってか私、不思議なの。コンタクトつける前は、みんな見えてないわけじゃない?なのになんで、小さな透明な薄い物体を、体の中でも最も小さい目に、ささっと入れられるの?みんな神なの?」
千秋が爆笑してる。
もうすぐ予令が鳴る。5限は音楽、移動しないと。
「手がかりがこれだけじゃね。」
千秋がメモ用紙をぴらぴらする。父が描いた、彼の似顔絵だ。遠かった上に、父には凡人では理解できない絵のセンスがあって、かろうじて人間であることがわかる程度なのである。
「まだ手がかりあるもん。声聞いたら分かるもん。」
「まだ王子探してんだ?」
にやけた嫌味。この、ざらっとなんとなく嫌な感じの声は、クラスメイトの北野 要。
うちの制服は男女ともブレザーなんだけど、彼はいつも上は私服を着ている。それで常々先生に注意されている。
最近は結構きつく当たられたりするので、私は結構、この人が苦手。春には話しやすい男子だったのに、いつの間に嫌われたんだろう?と思う。
「要に関係ないじゃん。」
さっきまで辛口だった千秋が、北野君を追い払おうとする。こんなとこが、千秋のいいところ、優しいところ。
「痛っ!!」
後ろに一つに束ねてた髪を、いきなり北野君に引っ張られた。
「無意味なことやってないで現実見ろよ。明日から期末だろ。」
青いパーカーを翻して、教室から出て行った。他の男子とは談笑している。
中々、同じ空間に自分を嫌っている人がいるというのは、ストレス。でも、あと数か月したらクラスも変わるし、耐えるしかない。
「おこちゃまかよ。要、最近、凜に当たりきつくない?」
「きついよぉ。「目ざわり」とか、「邪魔」とかダイレクトに言われたりするし、ぶつかられたり、足ひっかけられたり。」
「な!なにそれ!いじめのレベルじゃない?よ、よし、私がガツンといっておくわ。」
「いいの、いいの。なんかしたんだよ、私、自分の気付かないうちに。地雷もよく踏むし、空気読めない時もあるし。あとちょっと我慢したらクラス変わるし。」
「来年も同じクラスになったりしてね。」
千秋が本気で心配しているので申し訳なくなった。学年でクラスは9もある。9分の1って、中々当たらないんじゃないかと思ってたけど…。
ぞわっ!!
やめよ…考えないようにしよう…。
現実逃避が始まったところで、チャイムが鳴った。
音楽室に行く途中、ピアノの演奏が聞こえてきた。
聞いたことのない曲。
流れるような、シルクが風にたなびいているような、キラキラして、美しい曲。
誰が弾いているんだろう。
階段のステップを踏みながら、千秋の話は上の空で、耳に集中力を傾ける。
けれど、その演奏はがらっと誰かがドアを開ける音で打ち切られた。私が音楽室に入った時には、誰もいなかった。ただ、ふたを閉めていないグランドピアノだけが、そこにあった。
「今の曲、誰が弾いてたんだろう?」
千秋が首を横に振る。
私の記憶の中にあるドアが、少しだけ開いた気がした。
「でもさ、彼は、凜のこと知ってたわけだよね?」
「え?」
「王子だよ!王子!」
回想する。
『お前、二年だよな。』
そうだよね。
あの時の自分も、学校同じ人、と思った。
ただ、あの頃は、そう寒くもなくて、ブレザー外して、白いシャツだけで登校してくる男子生徒がほとんどだったし、それだけでは分からない。
「近くにいるはず…?」
胸がドキッと高鳴る。
顔を見てもいない人を想像して、ドキドキして、私ってバカみたい。
ううん、違う違う。ただ、私は、お礼が言いたいだけで。それだけなんだから。
「はい、歌いますよ、起立!」
赤毛の恵美子先生の伴奏が始まって、みんな適当に歌いだす。
口パクがここまで横行してるのはうちの高校くらいなものだ。先生、優しいから何も言わないし。
「有田さん、どうしました?」
先生が演奏を止めて、座り込んだ生徒のもとにかけよった。
「千秋!!」
顔が真っ青だ。そういえば、さっきお昼もあんまり食べてなかった。私ってば、友達の不調に微塵も気づかないなんて。
「綾瀬さん、有田さんを保健室に連れて行ってもらっていい?」
「あ、はい、歩ける?千秋?」
3分ほど座り込んでいて少し回復したのか、少し顔色が回復した彼女の脇に手を入れて、ゆっくり歩きだした。
「ご、ごめん、凜。ちょっと貧血。」
「大丈夫、勉強のし過ぎだよ千秋は、頑張り屋さんだから…。」
保健室のベッドに寝かせて、お母さんが迎えに来ることになった彼女のカバンを届けてから、音楽室に戻ることにした。
「ただの貧血って…千秋、今までそんなことなかったのにな。」
ぼうっと考えながら視聴覚教室の扉に手をかけると、いきなりドアが開いて、
「きゃっ!」
視聴覚教室の方に転倒した。
「え?な、なんで?」
一瞬意味が分からなかった。視聴覚教室のドアって押戸じゃないよね?
しゃがんだまま見上げると、そこに影があった。
今日はメガネをしているからよく見える。
「…北野君…?」
え?なんか怒ってない?
え?え?
しばらく沈黙が続いた。
突然、彼がこっちに向かってきた。
千秋の、「いじめ」って言葉が頭をよぎった。
どうしよう!!
血の気が引いて何も考えられない。
北野君は、しゃがんだ私を床に押し倒して、羽交い絞めにした。
えええ!!!?
起き上がろうとしても、両手首をがっちりつかまれていて、身動きが取れない。
どんどん顔が近づいてくる。
「や、やめて!」
かろうじて声が出た。
彼は怖い表情を崩さずにいった、
「俺があの時お前を助けたんだ。」
「え?」
「お前が探してる男は俺だ。」
「…違うよ、声が違うもん!!」
「一言二言話したくらいで声なんかわかるかよ!!」
そう叫んで彼は、私のメガネを取って投げ捨てた。
また、視界がぼんやり。ピンチなのにぼんやり。
そんなこと思ってる場合じゃない。
どんどん顔が近づいてくる。
「や!やめて!」
首元にキスをしてくる。
怖い!怖い!
助けて!!!王子様!!!
またふっと、圧迫されてた体が軽くなった。
北野君はもう、目の前にいなかった。
代わりに大きな衝突音がして、北野君が壁にぶつかったらしいことが想像できた。
「お前、校内で女生徒を襲うとは度胸あるな。」
…この声は。
間違いじゃない。あの時私を助けてくれた、あの彼だ。
また見えないけど。
北野君は無言で逃げ去っていくようだった。スリッパの音だけが響いた。
私は、恐怖心より、私を助けてくれた彼に会いたくて、顔を見たくてたまらなかった。
「お前、いつも泣いてるなぁ。」
優しく穏やかに、腰が抜けてる私の頭をポンポンする彼。
でも顔が見えない。
もっと前に。
目の前、10センチくらいなら見えるから。
顔を近づける。
「片寄先生?」
真顔のまましばらく固まっていた、王子様は、
慌てて後ろに後ずさりした。
「ばっ!!お前近いわっ!!」