第七話 魔法使いの湯
前回のあらすじ
都会の夜景を見下ろす絶景の空中露天風呂。
故郷の景色を少し思い出しながらも、帝都の今をかみしめる紙月と未来。
そして空中ቻソቻソブランコを楽しむウラノ。
大パノラマを楽しみながらの露天風呂を堪能した後は、また馬車に揺られて街まで戻ってくるわけだが、この移動時間もそれなりにかかる。自分で移動するよりはよほど早いのだが、そのかわりというか、移動中は暇と言えば暇なのである。
「へえ、西部から出てきたのか。俺はあんまり西部にはいったことないんだよなあ」
「ウラノは南部だったか」
「そうそう。南の生まれだと、寒いの苦手なんだよね。帝都もだいぶ寒いし」
「わかる」
「切実だよね、紙月は……」
「南部人からすると西部って結構……異国感あるっていうかさ。ほら、天狗の国が近いんだろ?」
「ああ、アクチピトロな」
「そうそう、それ。知らない種族も多いって聞くし、いつか行ってはみたいんだけどね」
「もし西部に行くときは、ぜひスプロの町の《巨人の斧冒険屋事務所》を訪ねてくれよ」
「ぼくら、そこの冒険屋なんだ」
「へえ! オレも冒険屋なんだ。そのときはよろしくね」
三人は暇つぶし代わりに、いまさらながらにお互いのことを話して交流を深めたりもした。
本当にいまさらながら、三人はお互いの名前しか知らなかったのである。
出身地と、冒険屋という共通点を語り、着々と仲を深めていきながらも、紙月も未来も自分たちが巷で噂の森の魔女と盾の騎士だということは明かさなかった。別に隠す気もなかったのだが、わざわざ喧伝する気もなかったのである。ウラノとは風呂屋を通じて知り合ったただの友達なのだから。
そういうスタンスを察しているのか、それとももともと旅暮らしの冒険屋は不必要に深いところまで語らないものなのか、ウラノの方でも自己紹介はあっさりしたものである。
「しかしなんだ、南部の人ってだけでみんな肌が黒いわけじゃないんだよな」
「まあね。うちのは家系だけど、何代かさかのぼって特徴が出る人もいるし、色の濃さも、もっと薄い人もいれば、濃い人もいるし。ただ濃い方が日差しに強いから、俺は割と楽なほうかなあ」
「俺は日差しに弱いから、ちょっとわけてもらいたいもんだよ」
「でも白い肌もいいもんだろ? 南部を離れると褐色の肌が減るからさ、化粧品もあんまり向いてるやつがないんだよなぁ」
「あー……俺化粧とかあんまりしないからな。リップくらい」
「はあー!? その顔で!?」
「この顔でだよ」
「うっそだぁ……うわほんとだ。自前でこの肌か……」
「いやまあ、そういう種族だからな俺。ハイエルフって基本こうなんだよ。多分」
「はいえるふ? 知らない種族だな……あ、耳がちょっと違うかな」
「あとは魔法が得意で、そして顔がいい……すまんな」
「せめて申し訳なさを出せよぉ。第一オレの方が可愛いから」
「仲いいよねふたりとも」
化粧の話題となると、またしても未来は全くついていけないのだが、実は紙月もそれほどである。いや、化粧自体はわかるし、なんなら人にメイクをしてやれるくらいではあるのだが、それも現代日本の化粧品各種があっての話である。
この世界に来てからは、なにしろハイエルフの顔は化粧しないすっぴんでも容赦なく光り輝く美であるし、しているように見える化粧品、黒のリップやマニキュアなんかも装備品なのだ。装備画面にセットすると勝手にそうなる。一応手動で使うこともできるが、それも現代日本のそれと似ている。
とにもかくにも現代日本の化粧法を土台としている以上、紙月はこの世界の化粧の取り扱いは熟知できていないし、ましてや日本では数少ない褐色肌への化粧となるとさっぱりなのだった。
あとシンプルに面倒くさい。
紙月がハイエルフの体と《技能》に一番感謝をささげるのは、化粧水やら乳液やらを用意しなくていいことかもしれなかった。これもまたウラノ的にはうらやましすぎる話であった。
南部生まれの褐色肌は日差しに強いが、日差しが超強い南部では褐色肌でもお肌のお手入れは必須なのであった。
「フムン、それで、そのはいえるふってのはよく知らないけど、シヅキは魔法使いなんだろう?」
「まあそういうことになるな」
「じゃあせっかくだし、魔法使いの湯に行こうじゃないか」
「魔法使いの湯だって?」
「これも多分帝都くらいにしかないからね、行って損はないと思うな!」
そういうことになった。
「ってわけで、今度はこちら! 《魔法湯》!」
ウラノが笑顔で指示した浴場は、端的に言って普通だった。
壁も普通。屋根も普通。規模も普通。いわゆる普通の公衆浴場でしかなかった。
街中でも普通に見かける量産型の公衆浴場といった店構えであり、看板も実にシンプルであった。
「もっとこう…………ファンタジーというか、魔法使いっぽいのを期待してたんだが」
「ねえ紙月、それって具体的にどんなの?」
「こう…………なんかあるだろ?」
「ふわっとしてるねえ……」
その普通の公衆浴場は、中身も普通であった。
受付も普通で、女装二人に子供という組み合わせにも普通に驚かれた。
ただ、利用が初めてかを確認され、魔法使いかどうかを確認され、気分が悪くなったらすぐに出るようにという注意をもらったくらいである。
脱衣所も普通で浴場も普通だった。風呂の神官も普通。
普通のタイル張りの床に、普通の洗い場があり、普通の浴槽がある。
ただ奇妙なことに、浴槽のど真ん中に巨大な水晶のような、何かの結晶の柱がどんと鎮座ましましていた。
魔法使いっぽいといえば魔法使いっぽいのかな、と未来が小首をかしげた一方で、大いに驚いたのは紙月であった。
「う、うおぉぉお!? なんじゃこりゃ!?」
「え、どうしたの紙月?」
「ふふふ、やっぱり魔法使いにはわかるんだね。オレはさっぱりだけど!」
「なんでドヤってんのかわからんが……いや、これすごいぞ未来!」
いたって普通に見える浴場で大はしゃぎする紙月の目には、未来の目には見えないものが映っていた。
それはおびただしい数の光の球であった。色らしい色もなく、まぶしいというより淡く微かに瞬く何かが、中央の水晶の柱から零れ落ちては湯にしたたり、揮発するように浴場全体に満ちているのである。
ハイエルフの体に生まれ変わり、風精や水精といったファンタジーな存在を知覚してきた紙月にとってさえも、初めて見る不思議な気配であり、存在であった。
集中すれば風精や水精の気配を感知できなくもないという程度の未来にはまるで空気のようにさえ感じられ、いやそもそも感じることさえできず、知覚の外にある何かであった。
「シヅキに何が見えてるのかはオレにもわかんないけど、ほら、突っ立ってないでさっさとお湯につかろうじゃないか。そうすればもっとわかると思うな!」
そう促すウラノに従って三人は手早くかけ湯を済ませて湯につかった。
ウラノは普通に暖かさを楽しんでいるし、未来も普通のお湯にしか感じられない。泉質も普通というか、温泉の類ではないのか、普通の水を沸かしたものにしか感じられない。
しかし紙月にとっては違った。湯につかったとたん、その湯全体から、じんわりと体にしみ込んでくるものがあった。あたたかさではない、また別の何か、五感以外で感じる奇妙な何かが、紙月の体の中に浸透していっているのだった。
「おおおおおおっ? なんだこれなんだこれ?」
「し、紙月、大丈夫? なんか今まで見たことない面白い感じになってるけど」
「わからん! けどなんかこう……じんわり気持ちいいぞ!」
「一周回って普通のお風呂の感想になっちゃってる……!?」
実際、紙月にもそれ以上の特別な感覚はないのだった。
風呂につかってじんわりあったまるのと同じような感覚が、じんわりと体にしみ込んで癒してくれているのである。しかしそれが、普通の風呂の心地よさと重ね合わせのような、少しずれているような、二重の心地よさとなってしみいるのである。
「ふふふ……その秘密はね! あの巨大な魔池なのさ!」
「魔池だって!?」
ウラノがどや顔で指示したのは、浴槽のど真ん中にある巨大な結晶であった。
それは巨大な魔池なのだという。
「確か前に聞いたな……」
「魔力をためておける石だっけ」
「そうそう! そのそれさ!」
「さては別に詳しくはないな……」
「まあオレは別に魔法使いじゃないしね……ほら、壁に書いてある」
「ほんとだ」
よく見れば、壁にちゃんと説明書きがしてあった。温泉の泉質証明みたいなやつだ。
ザラっと読んでみれば、この巨大な魔池から少しずつ魔力が湯に溶け込んでおり、この湯につかっていることで魔法使いは魔力を吸収して回復できるのだという。
魔池は無色の精霊晶とも呼ばれ、何かの属性に偏っていない、純粋な魔力をため込むための媒体であるとされる。
ふたりがこの存在を知ったのは帝都大学で胡乱な研究をしているユベルとキャシィからだった。二人は魔法を使わない人間が魔道具を使うための手段として、いわば外部動力として魔池を用いていた。
魔法が使えないし魔力を感知もできないがゆえに、仕組み自体で動力を生み出して稼働する魔道具を研究していたガリンドとはまた別のアプローチなわけだ。
以前ユベルとキャシィに聞いた時には、まだ小型化が難しく、ちょっとした魔道具を動かすにも大型の魔池が必要とのことで、携帯用品には向かないものだった。逆に言えば大型化が許容されるのであれば十分期待できる動力ともいえるのかもしれない。
これら二つは相反するというわけでもなく、どちらもそれぞれの技術を取り込んで改良と改善を続けている。
この《魔法湯》の巨大魔池はある意味、大型化発展のひとつのかたちなのだろう。浴場に対して固定しているので動かす必要がなく巨大でも問題ない。そしてその効果も浴場の中で完結するというか、何かを動かすわけではなくただ魔力を少量ずつ垂れ流すだけなので、余計なからくりをごてごて増やす必要がない。
「はあ…………なるほどなあ。でかさのわりに容量が少なくても、でかいのを置いて少量ずつ使うなら問題ないわけだ」
「ほかに使い道がないっていう気もするけど……」
「まあ技術の発展待ちだろうなあ、そこは」
「それで、どうなんだい? 実際回復するのかい?」
「んあぁ…………まあぼちぼち回復はするな」
紙月は若干言葉を濁したが、それも仕方のない話である。
普通の魔法使いならば、魔力を回復する手段が乏しく、たっぷり食事をとって休むというのが一般的だ。瞑想して環境中の魔力をろ過しながら取り入れるという手法もあるらしいが、効率の悪さや習得難易度から現実的でない。
ところが紙月はその現実的でないナマモノなのである。何なら未来もそうである。
じっと座っているだけで、ふたりの《HP》と《SP》は自然回復してしまうのである。これはゲームの仕様そのものなのだが、現地人からするとこの回復速度は普通にチートである。
自前で魔力を生成するとかいう竜種に文句を言えないレベルの神授の無法なのである。
そのうえ紙月は、魔力つまり《SP》の最大値が莫大である。現地人と比べるべくもない。怪物としか思えない存在であったあの毒炎竜人マールートの方が比較対象としては近いくらいなのだ。
しかもその莫大な魔力を特に使うわけでもないので満タン状態なのだ。
なので、回復するとは言っても、気持ち程度でしかなかった。多分、魔法を使いまくった後ならばもう少し本格的に楽しめるのかもしれない。
一応、魔力がしみ込んでくる感覚自体は新鮮で気持ちいいらしく、紙月はほへえと気の抜けた吐息を漏らし、湯の中でゆるゆると手足を伸ばした。
そうすると、紙月の体にしみ込もうとして、しかし満タンだからもう入らないとあふれ出てくる魔力が、まぶしいくらいに白い肌の上を燐光のようにちらつくのが、未来の目にも見えた。
きれいだ、と素直に思う。まるで妖精のようだと。
いつもの人間味にあふれる、溢れすぎている紙月もきれいだけれど、ただ心地よさにうっすらとほほ笑んで、静かにきらきらとしている紙月はドキドキするくらいに綺麗だった。遠い昔の絵画を呆然と見上げるような、そんな静かで、けれど鮮烈な感動がそこにあった。
ただ、肌が薄いところがよく光るらしくて、乳首と[検閲済]から光差していたのは吹き出すのをこらえるのが大変だった。それと同じくらいドキドキして、未来は混乱して呼吸がつらかった。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がした。でもチラチラ見てしまった。
「いやあ、魔法使いの人がどう感じるのか気になってたんだよね。ここにきてる魔法使いって大体すでに会話するのも嫌なくらい疲れ切ってるからさあ」
しれっと人を実験台にしたようなものであるが、もちろん悪意などないのだろう。
言われてあたりを見回してみれば、なるほど浴場内の人々はみな疲れ切って目が死んでいる。
魔力を使い切って疲れ果てた魔法使いたちが、魔力を回復させるべく来ているということなのだろう。
湯から上がっていった人たちは心なしか元気を取り戻しているようである。
この世界の魔力、紙月たちにとっての《SP》というのは必ずしも魔法使いだけのものでもなく、普通の人間にも魔力はあるし、魔力の多いものは恩恵と言って怪力や頑健さを示したりもする。そして使い過ぎれば疲弊するし、場合によっては昏倒したり命にもかかわるほど衰弱もする。
ある種、生命力のようなものといってもいいのかもしれない。
ただ、魔法使いほどはっきりと魔力を使うことはないので、やはり客層は魔法使いに偏るようだ。
「なんでも大学の魔術科ってとこの学生とかが、小遣い稼ぎに魔力を込めに来てるらしいよ」
「ああ、そうか、魔池って誰かが魔力込めないといけないんだもんな」
「じゃあ自分で魔力を込めて、自分で回復する人もいるのかな」
「さてね。実際には魔力を無色に精製したりで目減りするとかで、永久機関ってわけじゃないみたいだけど」
「そううまくはいかないか」
それに魔池から滴る無色の魔力は、吸収効率がいいとはいえあくまで皮膚からじんわりはいってくる程度のものだ。即座に全回復、というわけでもなく、ただ横になって休むよりはかなり早いというくらいか。
そして魔力は限界以上にため込むということはできず、また魔力が少なくなっていても、一度に取り込める量には限りがあるようで、長湯しているとのぼせるのと合わせて気分が悪くなることもあるようだ。
「効率が悪いってんなら、いっそこの魔力が溶け込んだ湯を飲んだら早いんじゃないか?」
「魔力回復ポーションだね」
「実は売店で売ってるんだよね、瓶詰」
「おっ、じゃあ効くのか?」
「いや、結局取り込むのも時間かかるし、人によってはお腹下すこともあるんだってさ」
「うまくいかねえなあ……」
一応、《SP》回復アイテムの類はゲーム時代のアイテムはまだ在庫があるし、かつてギルドの倉庫番であった練三がかなりの在庫を保有しているらしい。とはいえやはりお高く、数に限りがあるというイメージが強いので、少し期待したのだが。
「ま、確かに目玉はこの魔池だけど、他にも魔法使いが作った面白い風呂もあるんだ!」
「まさしく魔法の風呂ってことか」
「どんなのがあるのかな?」
「じゃあさっそく、オレの好きなこれ行ってみよう!」
「うわっ!? なにこれ!? 痺れる!」
「あはははは!」
余談ではあるが、魔法使い謹製の電流風呂とジェットバスの方がなんか回復する気がするとはハイエルフの述べるところである。
用語解説
・《魔法湯》(Magia banejo)
帝都大学魔術学部の研究および資金集めの一環で開業された浴場。
魔池の研究、魔法使いにとって死活問題である魔力回復手段の研究、水中でも壊れない魔道具の研究など、地味に意外と様々な研究、実験が行われている、
その研究成果は大学に還元されるだけでなく、実地使用で得られたデータから新商品の企画開発なども行われている。
・魔池(akumulilo)
魔力をため込んでおける媒体。無色の精霊晶などとも言われる。
体積に対して貯め込めておける魔力量が乏しく、また魔力を無色に生成する際にも、魔池にその魔力を込める際にもいくらかのロスがあり、まだ研究途上である、