第二話 性癖破壊銭湯
前回のあらすじ
こいつらほんと冒険へのモチベーションが死んでやがるな定期。
人は生活が安定すると冒険したがらないのだった。
帝都には風呂屋が多い。
古代聖王国時代に計画的に建造された都市であるからして、高度な水道システムが安価で大量に水を使用し、排水もできるという利便性をもたらしているからだ。
また、そもそも帝国の衛生向上政策の一環として公衆浴場が広まっていったので、その発端ともなる帝都で浴場が多いのは当然といえば当然である。
ただ、そのすべてが必ずしも上等なものであるというわけではなく、むしろ中流階級以下の通うものとしては安ければ安いほどよく、そして安ければ当然のように設備もたかが知れてくる。風呂の神官にさえ見離された上に、値段も別に安くもないというぼったくりも見られる。
必然、安宿の近くにあるような地元の安浴場など、安かろう悪かろうもいいところである。よく言って昔ながらの風情ある風呂屋であり、悪く言えばボロである。
「まあ体洗ってあったまる分には困らねえしなあ」
「長風呂するわけでもないしねえ」
しかしまあ男連中の雑なことというか、紙月も未来も風呂に対しての期待がそもそも高くない。
一般日本人基準ではあるが、湯が汚れていなくて、客層が地獄ではなくて、普通に利用できればそれで文句はないのである。そして風呂の神官が常駐している程度の風呂屋であれば、それらは基本オプションと言っていい。
ふたりが通うパーツォ浴場はまさしくそんな可もなく不可もなくの地元の常連だけでやっているような安い浴場だった。
安いとは言っても、相変わらずというかなんというか、浴場の換気や排水などといった技術は実に発展している。そしてやはり風呂の神官も常駐しているので、湯の質に関しても不安はない。
風呂の神官は湯に浸かっているだけで湯を浄化する加護を持っているし、入浴は心安らかにあらねばならないとする彼らの信仰からして、悪質な客は出禁にされることもある。場合によっては施設の補修を神官たちが手掛けてくれることもある。それは安らかな入浴をもたらすからである。
「男二人ね」
「はいはい。二人で20三角貨ね。そろそろ回数券買わない?」
「いつまでいるかわかんないからなぁ」
最初こそ紙月の女装や未来の鎧姿にも驚かれたものだが、今ではすっかり慣れてしまったようで、大して気にもされない。お得なようで大してお得でもない、店側が硬貨を数える手間を減らせるだけの回数券など勧められもする。
未来など実は、まだ紙月が服を脱いでいるところなどはドキドキしてしまって直視できないでいる。いやまあ、人が服を脱いでいるところを直視するのもどうかとは思うが。
常連などはもうすっかり慣れてしまって、気にもしない。一部は好色な目で見たりもするが、多くはドライなものである。都会ゆえのドライさというだけでなく、実のところ女のように見える客は紙月だけではないからである。
といっても、紙月のように女装しているものは、そんなに多くはない。多くはないがたまにいる。それは趣味であったり仕事であったりいろいろだが、あえて尋ねるようなものでもない。
多いのは隣人種である。
多種族国家の帝国においても、特に帝都は人族以外の種族の比率が全体的に高めなのだ。
例えば西部のスプロでは人族が多く、次いで土蜘蛛。天狗の国アクチピトロが近いにもかかわらず、意外にも住民としての天狗はあまり見なかった。アクチピトロに住まう天狗たちは選民思想や差別感情が強いのである。
他にも、南部の火山地帯などは土蜘蛛が多く、東部の森林地帯には湿埃が住まう。同じ種族同士の方が楽であるからして、町単位で単一種族であることも珍しくはない。
それが帝都では、人族は確かに多いが、それでも全体の半分は隣人種たちだった。地区によっては上回ることもある。街並みも、複数の隣人種に合わせた工夫が随所にみられるし、それはいまも改良され続けている。
これらの隣人種は、他種族からすると雌雄を見分けるのに苦労することがしばしばあった。
たとえば天狗という隣人種は、大雑把に言えば鳥の要素を持った人間といった姿をしている。
人族に似るが、瞳は大きく白目が少なく、二枚の瞼を持つ。内側の半透明な瞼を瞬膜という。歯はくちばしの変じたものとされ、細かく分かれず、多くはひとつながりの角質の板によって形成されている。
手足には鱗があり、鋭い爪があり、これもまた鳥のそれを思わせる。前腕から肘あたりにかけて羽毛を持ち、ただの飾りのように見えるそれでどうやってか空を飛ぶことができる。
そして、大体にしてみながみな中性的で美しい顔立ちをしている。声も美しく、男とも女ともいえない。体格もやせ形で、男も女も基本的に薄く、母乳を出さないためかそもそも乳房がない。乳首もない。他種族からするとパッと見て男女の区別をつけることが非常に難しい種族である。服飾文化的にも性差に乏しい。
一応、多くの氏族において男性の方が派手な色の飾り羽をしているらしいのだが、帝都に多い還安という氏族は男女ともに薄灰色や褐色といった地味目の羽色をしていて、やはりわかりづらい。当人たちには間違えようがないらしいのだが。
またたとえば土蜘蛛は蜘蛛の特徴を持った人間のようにも見える、四腕四脚の種族である。
人間と似た顔立ちをしているが、硬軟の甲殻が肌に見られる。関節などは人形の球体関節のようだといわれることもある。頭部には人族に似た二つの目の他に宝石めいた単眼がいくつかあって、視力は高くないが後ろも見えるらしい。
二対の腕は氏族によって大小が異なるが、基本的には第一腕は細く器用で、第二腕は太く力強い。二対の脚は、人族で言えば腰が前後にふたつ連なったような形の腰から伸びており、甲殻に覆われた細いそれはやや蜘蛛や、あるいはカニを思わせる。
そして多くの氏族において、女性の方が大柄で力強く、男性は細身で、人族からすると女性的に見える。声も女性は太く、男性は細いことが多い。しかしながら必ずすべてそうだというわけではなく、人族視点では、変な言い方になるが男性的な男性もいるし、女性的女性もいる。
男女の体格や能力の差異からか、土蜘蛛の文化においては女性が夫、男性が妻として家庭を持つことが多く、人族の女性装をたしなむ男性土蜘蛛も多い。というより彼らからすれば人族こそが揃って異性装をしているということになるのかもしれない。
人族比率の高い地方からの者などは大いに驚くようであるが、帝都人からするとこれらの一種混沌とした種族混交社会には慣れっこであり、むしろだからこそ一見人族に見える紙月の女装が困惑されるのかもしれない。
多種族混交都市においては、互いの文化の融合も見られるが、同時に個々の文化の確立も同時に見られるものだ。
ああ、それと関係なくクソデカ鎧をパージして出てくる小学生男子は普通にすごい目で見られる。二度見される。まずクソデカ鎧のまま脱衣所に入ってくる時点でぎょっとされる。それはそう。武装解除してからこい。
「ん、んん……あ゙あ゙ぁ゙……」
「もう紙月、おじさんみたいだよ」
「お前からしたら俺くらいの年なんておじさんみたいなもんじゃないか?」
「こんなおじさんはいないよ」
「えっ」
「いないよ」
「アッハイ」
真顔であった。
いつも通りに体を洗って、お互いに髪を洗いあって、ぼへえと湯につかる。
ふたりとも長湯する方ではないが、それはそれとして湯につかるというものは気持ちのいいものだ。
ふたりがそうした心地よさを楽しむのは、入り口そばの隅の方である。
こうした地域密着型の小さな風呂屋では、定席というか、常連たちがそれぞれに腰を落ち着ける場所というものがある。別にそこに別のものが収まったところで文句を言うほどの荒くれはそういないが、それでもしっくりくる場所というか、そういうのはお互いに邪魔しないようにするのが暗黙のルールであった。
入り口そばは、人の出入りも多くあるし、戸の開け閉めのたびに外気が流れ込んでくるので風が冷たくもあるので常連には人気がない。しかしもともと長湯する気のない二人には大して問題でもない。ちょうどよいポジションであった。
そしてそれなりに慣れてもくれば、常連とあいさつも交わす。
「お、今日も来てるな若ぇの」
「おお、じいさまも元気なもんだな」
「てめえで風呂に入れるうちは俺ぁ現役よ」
「またのぼせないように気を付けてくださいね」
「おっと、そいつは忘れてくんな」
だとか。
「聞いたよ坊や。お前さんこのろくでなしを養ってんだって?」
「その年でヒモ飼ってるのはよくねえぜ」
「いや、はは、そういうのじゃないです」
「こらこら、教育に悪いこと吹き込むな」
「ガキの教育に悪いやつがなんか言ってんな」
「ああ?」
だとか。
公衆浴場というのは、ある種の社交場としての役割も担っているものか、話し声の途切れることはない。
もちろん、誰とも話さずゆっくりとリラックスしたいという者たちもいるから、騒がし過ぎるということはない。
お互いに程よい距離を保って、風呂を楽しむ。そういう紳士的な場なのである。
「あれ? なんかかわいー子いなくない? うわ肌キレイじゃん。お店どこ?ぜってえ通うなぁ」
まあそういう建前は建前として、人の多く出入りする施設であるからして、紳士的でない輩も当然のように出現したりもする。
ざばん、と周囲のことも考えず乱雑にエントリーしてきたのはいかにもチャラそうな若者である。
軽薄ににやけてはいるがしっかりした体つきで、肌は良く日焼けしていた。しかし冒険屋というには身のこなしはつたない。どこぞの流れの肉体労働者といったところか。
広く、発展した帝都では、毎日のようにどこかしらで工事や作業が行われており、そう言った業務に従事する流れ者が常に流動するように都市内で見られた。
それは時に停滞しがちな都市経済や交流を振興させるときもあれば、価値観や文化の違いからもめごとを起こすこともある。
声をかけられた紙月は当然のようにチャラ男を無視。
それどころかすっと尻をずらして距離を取り、巻き添えになった未来が「ぴ」と小さく声を上げた。紙月のお尻は最近少し丸くなってきていた。
普通の人間はそのように渋い対応をされれば自分がお呼びでないことを察するものだが、あいにくとこういう輩はそのような拒絶を自分に対する攻撃ととらえるのだった。
オスとして優秀な自分の優しいアプローチを、なよなよした貧弱オスが分も弁えずに拒絶するなどというのは許されることではない。自分が上、相手は下、そうでなければおかしいのだ。下が上に逆らおうなどと。
「そんなナリしてこんなとこ来てんだから、ヨット遊びか花売りだろ。おら、こっち向けや」
「やめろ。失せろ」
「あ? ガキ連れの変態がよ。ガキのじゃ満足できねえようにしてやろうか」
なにを言っているのか、未来にはよくわからなかった。
交易共通語は言葉の神の加護によって、自動的に翻訳されて聞こえる。しかし未来自身が馴染みのない言葉や、何らかの俗語の類はうまく翻訳されないことがある。あるいはそれは言葉の神の思いやりなのかもしれない。
しかし、はっきりとした内容はわからなくても、それが紙月を愚弄するよくない言葉であることは雰囲気から察せられた。
男が紙月の肩に手をかけた瞬間、未来は立ち上がっていた。前こそタオルで隠したとはいえ、鎧もなしの裸で、大の大人に立ち向かうのはいささかの不安と恐怖を伴う行為だった。しかし自身の能力に対する確信と、なにより紙月の騎士足らんとする男の子が、ひるみかける気持ちを押しのけ未来を奮い立たせた。
周囲の客たちもざわめき、風呂の神官が厄介ごとを察して湯をかき分けて歩き始めた。
この男をどうにかしなければと未来は頭の中が熱くなるのを感じた。
紙月を貶め、紙月に触れたこの男に対する激しい怒りがあった。
そしてそれと同時に、「あっ、やばい、紙月がキレる前になんとかしないとこの人死ぬかも」という人道的見地からの焦りがあった。
未来は紙月が馬鹿にされたりいやらしい目で見られたりすることが許せないが、紙月は未来がそういうときに引き合いに出されると初手で魔法が出るほど短気なのだ。短気で済むのかそれは。
実際、紙月は男の手を払うと同時に見覚えのある仕草で指を振り下ろしかけていた。
激しい罵倒と呪文がその唇から飛び出てくる、まさにその直前。
「こーらこらこら、ダメだぞ? お店でもないんだからそんなお誘いかけちゃ。っていうかお店でもそんなお誘い無粋にすぎるだろ?」
「あ? なんだてめえ!」
チャラ男の腕をつかんで引きはがしたのは、愛嬌のある少女だった。
南国を思わせるチョコレート色の肌に、髪留めでアップにまとめた白銀の長髪。悪戯っぽいきらめきを見せる碧眼。快活でかわいらしい顔立ちに、ころころと鈴の転がるような声。
しかしてここは男湯である。
見れば腰にはタオルを巻く一方で胸元はきれいな平坦。肩幅もあれば、骨ばった筋も感じられる。健康的に鍛えられた筋肉が、うっすらと皮膚の下に見て取れた。
「なんだ、てめえも花か? てめえも俺の大剣でよがらせてほしいのか?」
「おいおい、剣比べしたいのかい?」
そのたおやかそうな見た目に、男はまたもなめてかかったような発言を繰り返す。慣れ切ったその言動は、普段からイキリ散らかしている証左であろう。
若者はその挑発に、ただにこやかに笑って腰のタオルを取った。
「うおっ、でっか……」
「ヒューッ! 見ろよやつの[検閲済]を……まるで槍みてえだ!」
「これに比べるとあいつの大剣はカスや」
「…………お、御見それいたしやした」
なぜか、他の人族男たちにも謎の敗北感が刻まれたのだった。
用語解説
・パーツォ浴場(Banejo de Paco)
良くも悪くも平均的な公衆浴場。
浴場以外の設備は、湯上りに休めるベンチなどが置かれた休憩所がある程度。
鍵付きのロッカーもあるが、ちゃちなものであまり信頼性はない。
貴重品はチップを渡して番台に預ける方がいいだろう。
・回数券
回数券のような代用貨幣はしばしばみられる。
他にも、地方では物々交換こみだったり、地元の人間はツケがきいたりまとめて前払いしておいたりということもある。
というのも貨幣での支払いは持ち運びが面倒だからである。
一番小さい三角貨が百枚で五角貨。
その五角貨はそこそこいい食事がとれる程度。
五角貨で払えばおつりが多いし、三角貨で払うと枚数がいる。
そのため三角貨はまとめられるように真ん中に穴が開いていてひもを通せるようになっており、他にも両替商などが半分に割った半五角貨なども流通している。
・還安
天狗の氏族の一つ。
珍しくあまり高慢ではない。
性格は臆病で慎重なところがあるが、一度慣れるとやや図々しいところも。
能力的には凡庸で、戦闘能力はほとんどなく、人里で暮らすものが多い。
東西大陸のどちらにおいてもよく見かけられ、一般に天狗としてよく知られる氏族の一つ。
天狗では珍しく農耕を営むことが知られ、よく果樹などを育てて果実を採っている。
天狗の国アクチピトロにおいては労働階級であり、細々とした雑用を務める。
またその温厚な気質から、支配階級の子息の乳母などもすることがある。
その性格は人里でも受け入れられがちだが、たまにナチュラルな上から目線が出てくることも。
・ヨット遊び(Krozado)
クルージング。レジャー目的の船旅。
俗語として「不特定の人間との性交渉を目的とする行動全般」を指すことも。
・花売り(Florvendist)
俗語として、「商売として対価を得る目的で不特定の相手と性行為を行うこと」。またこの商売を行う人を単に花と呼ぶことも。
この語が男性に用いられる場合、受け身な男性を指す。
・[検閲済]
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