第八話 怪人襲来
前回のあらすじ
多分今後特に役立つこともなく、読者の脳に残ることもない解説会が長々続いてしまった。
ご安心ください、この章内でもそんなに役立ちません。
長い講義の締めくくりとして、ガリンドは教壇の上に杖を取り出して見せた。
節くれだった木製の杖で、いかにも古い魔法使いの持っていそうな杖である。
「杖は、魔法の象徴として扱われている。魔法使いといえば杖、という印象は少なからずあるのではないかな。諸君らも杖を用いた方が、魔法、魔術が使いやすいというものも多いだろう」
学生たちが持っている、それこそファンタジーでよく見かける指揮棒のような短い杖は、魔術学の専門的な用語でいうと焦点具となる。意識を杖先に集中させるための補助具というわけだ。他にも形状は様々で、それ自体武器として使える金属製のものもあるという。
また杖自体に回路や術式を仕込んだり、精霊晶を仕込むものも多い。
紙月の場合はこれらの一般的な杖とは異なるが、指にはめた複数の指輪のいくつかは「杖」としてカテゴライズされる武器だ。
「また杖をつくのは多く老人であることから知識の象徴でもあり、集団を指揮するものとしての権威も示す。棍棒として兜をたたき割るのに使った、などという話もあるな」
ガリンドはささやかな笑いを迎えるために少し間を置いたが、残念なことにその必要はなかった。
気を取り直して続ける。
「そして何よりも、杖とは単純に歩行補助具だ。足元を支え、歩くのを助けるための道具だ。時には持て余し、邪魔になることもあるかもしれない。しかし正しく使うことができれば、よりよい未来へと続く険しく困難な、あるいは果てしなく退屈な旅を支え助けてくれるだろう。諸君らの前に立ちはだかる障害を打ち据え、道を切り開いてくれるかもしれん」
思えば魔術学部の印章にも杖が含まれていた。学び舎を象徴する三つの塔を背景に、魔法使いのシンボルである杖、そして目指すべき高みである星をあしらったもの。
「魔法はすべてではない。しかし魔法は諸君らの大きな助けとなるだろう。これから君たちには多くの苦難と試練、そしてその向こうで待つ無限の可能せ」
激しい爆発音が響き渡り、大講義室の壁が爆散した。学長ガリンド・アルテベナージョ渾身のキメ顔演説はぶった切られ、あまつさえ爆風で教壇ごと吹き飛ばされた彼は激しく床に打ち付けられた。
「フレード! ゲオルゴ!」
「俺たちじゃないぜこれは!」
「ああ、これは俺たちじゃない!」
もうもうと広がる土煙の中、問題児の名前が叫ばれたが、しかし即座に否定が返る。
では一体だれが、と少なからぬ推定容疑者がそれぞれの頭の中で並べられていた。少なからぬ推定容疑者たち自身もまたそれぞれに容疑者を推定した。
しかしそれはその誰でもなかった。
「おいおい……未来、大丈夫か?」
「うん、紙月も……!? 紙月!」
「う、おぉぉおっ!?」
土煙を払いながらお互いに無事を確認していると、不意にぬっと伸びてきた太い腕が、紙月を軽々と引きずり上げて肩に担いだ。
「おわあああああっ!?」
「げあははははは! 随分色気のない悲鳴だのう!」」
「お前……っ!?」
咄嗟に飛び掛かった未来の体が、突き出された足にあっけなく蹴り飛ばされて、壁に叩きつけられた。中身は小学生の小さな体とはいえ、大鎧自体の重量は成人男性よりも重いはずが、これだ。
実質的なダメージこそ鎧に阻まれてさして受けなかったが、壁に叩きつけられた衝撃が、未来を混乱させた。《楯騎士》として防御力にすべてつぎ込んだ未来が、物理的にここまであっけなくふき飛ばされたのは初めてだった。
「き、貴様……なんのつもりだ、このような……!」
「おお、おお、なんじゃ。そんなところで転がっておると、うっかり吹き飛ばしてしまうぞガランドや」
「私はガリンドだ! そもそも貴様に吹き飛ばされたのだろうが!」
「仮にも魔術師どもの長ともあろうものが、随分とひ弱なことだのう、ええ? ガランドぉ?」
「貴様!」
混乱して暴れる紙月を、小動もせずに平然と抱えていたのは、奇妙な姿の怪人だった。
ゆったりとした上質なローブを羽織ってはいるが、その下に見えるのは赤黒い鱗の並ぶ爬虫類じみた肉体である。足元では鋭い爪が床を叩き、太い尾が緩やかに地面を撫でては揺れている。
そしてその顔は、恐竜じみた恐るべき鱗と牙を見せつけた凶相は、いままさに悪辣な笑みで学長がリンドをあざ笑っていた。
「な、なんだこいつ……?」
未来の見る限り、それは二足歩行の爬虫類、というより恐竜人……あるいは、人の形に押し込めたドラゴンとでもいうべき存在だった。
魔法か、それともその恐るべき脚力でか、恐らくはこの怪人が今しがた壁をぶち抜いて大講義室に侵入してきたのであろう。
「んんん? おお、貴様は盾の騎士とか言うのであったか。ご立派な護衛ぶりだのう。そこでおとなしく蹲っておれ。興味はないが、気が向けば後で迎えに来てやろうではないか」
「な、なんなんだお前は! なんなんだよ!」
「ミライ、そいつを刺激してはいかん! そいつはがぁああああっ!」
怪人は倒れたままのガリンドを踏みつけ、さらに蹴りつけて黙らせた。
「この儂を危険人物扱いとは失礼な奴だのう。客人に対して、ええ? ガランドよ?」
「どこに出しても恥ずかしくない危険人物であろうが! 人の名前も覚えられん蜥蜴風情が!」
「げあははははは! 倒れていてもわめくのだけは得意だのう。西方では広いだけで空っぽのことをガランドウと言うそうだ。まさしく無才で非才で空っぽの貴様のことではないか、ガランド!」
「おのれぇ!」
混乱からようやく立ち上がった教授たちが押っ取り刀で杖を構えたが、そのときにはもうこの怪人はまがまがしい口からどす黒い炎を吐き散らしつつ、壁の穴を駆け出していた。
「あーららら、抜けられんなこれ」
激しく揺れる怪人の肩の上で、紙月は動揺しつつも冷静ではあった。
暴れても一向に緩まないので築地のマグロのごとく脱力さえしていた。
別になんという冷静で的確な判断力があったわけではない。
ただ、なんというべきか、幸いというべきか不幸なことにというべきか、紙月は拉致られ慣れていたのだった。
別に特別治安が悪いとか、特別運が悪いというわけではないと本人は思っているのだが、なんやかんや隙が多く、見目麗しく、ついでにいえば優れた魔術師なのであるから、知る者も知らぬものも高く売れるなと思うような見た目なのである。
一応気を付けているつもりではあるのだが、完全に魔法一辺倒のステータスをしているうえに、本人もさほど勘がいいほうではないので、ちょっと計画した上でさらおうとすれば簡単にさらえるのであった。
そのたびに未来にはすごく叱られるし、そのあと一緒にいなくてごめんねと謝られて申し訳なくもなる。しかし、最初こそ青くなったりもしたが、実害らしい実害を被ったことがないのでいまだに実感もあまりなく、反省の色は薄い。
なにしろ見た目で売れると思って拉致るのだから、手ひどく扱われることは少ない。たとえ暴力をふるう輩であっても、紙月の装備は普通に廃人装備なので一般モブのこぶし程度大したダメージもない。
仮に死角からナイフで刺されたとしても、薄そうに見える布一つ貫けず、ダメージ一部反射装備で返り討ちできるのでその方が楽だろうとすら思えた。
一番焦ったのは後先を考えない性的暴行をその場で加えようとしてきた暴漢であったが、口をふさがれようが指を抑えられようが普通に考えるだけで《技能》が使えるのでまたぐらを燃やして終わりだった。
そもそも捕まって困ってもチャットで未来に助けを呼べるし、未来も気にかけてくれてるので不審に思って探しに来てくれたりもしたのだ。
自分でたいていどうにかなるし、未来も助けに来てくれるし。
そういう甘い考えが、いまは良い方向に働いて、紙月を冷静にさせていた。
単純な腕力ではかなわないどころか、相手は未来を蹴り飛ばすほどのパワーだ。
そしてちらっと周囲を見た感じ、廊下を爆走する速度は馬と競争しかねないはやさだ。
うかつに攻撃して抜け出しても、その勢いで振り落とされたらさすがに危ない。
なのでここは無理をせずに、情報収集にはげむことにした。
「おい。おーい。なんなんだあんた? エスコートにしちゃちょいと荒いぜ」
「フムン? おお、剛毅なことよ。さすがは吟遊詩人にうたわれる冒険屋というところかのう」
「どんな噂を聞いたか知らんけど……そのうえで正面からさらいに来るあたり、あんたも大概だよ」
「げあはははははは! 噂の真偽は知らんが、見ればわかるぞ貴様の魔力! なればこそ欲しいのだ!」
「欲しいだあ?」
話が通じているようで、なんとなく意思の疎通がうまくいっていないような予感がよぎった。
言葉を交わしているが、会話をする気はないタイプというか、我の強すぎるタイプというか。
怪人は笑いながら猛スピードで魔術学部棟の廊下を駆け抜け、しかし道はあまり覚えていないのか適当に角を曲がり、階段を上り、下り、たまに壁をぶち抜き、たまに通行人を撥ね飛ばしかけたりしながら、紙月を抱える腕に無意識に力を込めた。ぐえ。
「待っていたぞ森の魔女! まあ待っておったというかなんか来たから捕りに来たんじゃが。地竜殺し! 山砕き! 平原を凍てつかせるもの! 燎原の火! 神々の恩寵篤きもの! 奇跡の行使者! ぷれいやー!」
「…………なんだって……?」
並べられる称号。吟遊詩人の謳う眉唾物の噂まじりの伝説。
しかしその最後に並べられたひとつに、のんきしてた紙月の警戒心もさすがに高まった。
「なんだてめえ!? なにを知ってやがる!?」
「げあははははは! 戯れるな戯れるな!」
暴れ出した紙月を平然と抑え込み、怪人は上機嫌に笑って見せる。凶悪そうな爬虫類顔さえなければ、好々爺で通るかもしれない。もっとも、男も女も、老いも若いも、顔からも声からも察せられるものではなかったが。
「えるふは気が長いそうじゃが、時間は限られておるからのう! 五百年を生きた最強無敵のこの儂とて、永遠無限ではないと弁えておる! 儚きもの共の社会は何もかも早い! 長くとて定命のものは時間を有効に使わねばならん! 時短は心掛けねばのう!」
「だからなんなんだよあんた! どこの何様だ!?」
「うむ! うむ! 移動時間に問答を済ませようとはよい心掛けよ!」
なんだか本当に、会話が通じているようで、通じていない。
勝手にべらべら喋るが、情報を得たいのに疑問だけが増えていく。
怪人は紙月を抱えたまま階段を飛び降り、悲鳴を聞き流して笑いながら名乗った。
「この儂が! この儂こそがマールート! 地竜殺しのマールートとはこの儂のことよ!」
「ち、地竜殺しだあ!?」
「いかにも! かつてその称号を独占しておった魔術師にして竜殺しの専門家! よもや腑抜けた時代に新たな地竜殺しが生まれようとは! 全く長生きはするものじゃのう!」
地竜殺しを名乗る怪人は、地竜殺しの魔女に語り掛ける。
「その才を、その異才を、その天才を! こんな下らん奴らの下で腐らせるのはもったいない! ともに高みを目指そうではないか!」
「はああああ!?」
初手誘拐ジェットコースター勧誘が、繰り広げられようとしていた。
用語解説
・マールート(Marto)
帝国最古にして最大の戦闘魔術師養成機関《竜骸塔》の開祖にして現在も君臨し続ける長。
生年不明。本人の証言と歴史的資料から見て五百年ほど生きているとされる。
爬虫類の獣人とされるが、既存の生物種とは差異が大きく、幻想種の獣人ではないかともいわれる。
また本人曰く地竜の生き胆(おそらく竜胆器官)を食らってから竜に近づいたとのことであるが真偽不明。
《竜骸塔》周囲を領地として認められており、また帝国元老院に魔導伯の称号を与えられている貴族。これは極めて優秀な魔法・魔術の技能や学識を認められた個人に与えられる称号であり、現在の帝国では一人しか有していない。