第一話 冬は長く、雪は白く
前回のあらすじ
やめろー! 放火は人を傷つける道具なんかじゃねえ!
俺と放火バトルで勝負だ!
北部の冬は長い。
一年の内、半分は白い雪の下だ。その雪が解けても、肌寒い春と急ぎ足の秋に挟まれて、瞬く間の短い夏があるばかり。
成人を迎えたばかりの村娘ポルティーニョにはそれが当たり前のものだったが、村の老人たちによれば年々冬は長く、厳しくなっているという。
年寄りは言うことが大げさだと若者たちは思っていたし、ポルティーニョも少しそう思う。
だってそうだろう。いまだって、吐く息が真っ白に凍り付いて、そのままコロンと落ちてきそうなほどに寒いのだ。毎日のように雪かきをしたって、朝には膝の高さまで積もっているのだ。年寄りたちの言うように年々冬が強くなっているというなら、ポルティーニョの背中が曲がる頃には、一年の八割くらいは冬で、毎朝人がすっぽり埋まるくらいの雪が積もることだろう。
ばかばかしい、とみんなは言う。ポルティーニョも少しそう思う。
でも、その景色を思うと、少女の胸の裡は不思議な好奇心にくすぐられるのだった。
家も、人も、家畜たちも、麦畑や葡萄畑も、栃の木の林や、村を流れる沢だって、みんなみんな真っ白な雪の下に埋まってしまったその冬は、きっととてもきれいなことだろう。
しんと静まり返った、真っ白な景色を思って、ポルティーニョはほうと小さな息を漏らした。それはたちまちに白く凍り付いて、コロンと落ちてくるかわりに、風に散らされて雪景色に紛れていく。
「どうした」
「あ、お父さん」
すこしぼんやりしすぎたようだった。
ポルティーニョと並んで、もくもくと雪かきにはげむ父が、手を止めずに短く声をかけてくる。
「なんでもない。なんでもないよ。あんまり寒いし、雪も重いから、うんざりしちゃっただけ」
「そうか」
「そうそう。そうなの。なんだって冬ってのはこうも大変なのかしらね。それなのに雪かきしてると暑くて汗かいちゃうし。それで油断してたらすぐ冷えて寒くなるし」
「そうだな」
「そうそう。そうなのよ。ほんと、やーね、冬って」
父は寡黙だった。ポルティーニョが雪かきを再開しながら、あれやこれやとしゃべっても、父から返ってくるのは「そうか」「そうだな」「かもしれん」の三つくらいだ。こんな歩く岩みたいな男に育てられて、どうして際限なく喋るポルティーニョのような娘ができあがったものか、よく首を傾げられるものだった。
村の年寄りに言わせれば、それはポルティーニョが幼いころに亡くなってしまったおしゃべりな母に似たからだというが、思い出にもない母のことなど少女は知らない。ただ、父のような人を相手にしてたらどんな人だって釣り合いを取るためにお喋りになると思った。彼女がそうだったからだ。
父がしゃべらない分、ポルティーニョはいつまでだってしゃべり続ける。二人そろって岩みたいに不愛想で無口だったら、そのうち顔まで凍り付いてしまうだろうから。
柔らかくふわふわした新雪を相手に格闘するポルティーニョの頭を、父の大きな手が不意にさっと払った。毛糸の帽子に積もった雪がきらきらと朝日を反射して散っていく。振り向いたときにはもう、父は黙々と雪に向かっていた。
ポルティーニョは父の寡黙さを嫌っているわけではなかった。言葉にしないだけで、父は優しい人だったから。
ただ時折、その言葉足らずには腹を立てることもあったし、何か言ってくれてもいいのにと思うこともあった。
(別に困んないけど……お父さんのこと、全然知らないんだよなあ、あたし)
物心つく前から、父は寡黙だった。いまこの時のことさえ言葉少なな父が、昔を語ることなどほとんどなかった。わずかに母のことについていくらか話してくれたくらいで、それだって大したことのないものだった。
ポルティーニョは父の生まれも育ちも知らない。余所者だったという父がいつごろこの村にやってきて、どんな風に母と出会ったのか、それさえも父からではなく村の老人たちから伝え聞いた。
別に、言いたくないことを無理に聞き出そうとは思わない。父の昔を知らなくたって、父の今は自分とともにあるのだから。
けれど、やっぱり、言ってほしいことも、ある。
雪に閉ざされた山道をやってきた、あの旅人のこともそうだった。
父の古い知り合いだという、顔を隠したあの男のこと。父の過去だって、明るいことばかりではなかっただろうけれど、あの客人はどうにも怪しいことばかりだった。父とは違う形で、気難しく、言葉少ななひと。
悪いひとではないと思う。でもいいひとかどうかもわからない。顔も、言葉も、隠してしまっているから。
どうにも不安を掻き立てられるのは、彼が余所者だからと言う理由ばかりではなかったように思う。彼が来て以来、父の背中にうかがえる奇妙な気配が、ポルティーニョを不安にさせた。
なにかが、大きななにかが変わってしまうような、そんな漠然とした不安。
また一つ吐き出した溜息が、白く凍って散っていった。
◆◇◆◇◆
「ブランフロ村ぁ?」
胡乱気な声が響いたのは、暖房の良く効いた一室だった。
いや、暖房というより、火を絶やすことのない炉の熱で温められているといった方がいいか。
こぢんまりとした個人用の工房と言った具合の飾り気のない部屋ではあったが、いまも火を燃やし続ける炉も、並べられた工具も、全てが異常なまでの品質を誇る特級品ばかりであった。
そこは郊外とはいえ、帝都に名だたる大商会であるデイブレイク商会の商館に構えられた工房の一つであり、なにより商会長レンゾーの私室でもあった。
通常であれば親方級の職人でさえおいそれとは立ち入ることの許されない、ある種の聖域と言ってもいい。
その聖域にいま、場違いなとんがり帽子の魔女と、成人前の子どもが並んで座っているのだった。
西部の事務所で、もう春になるまで絶対に出ねえと決め込んだ森の魔女はしかし、帝都から送られてきた天狗の急使に盛大に煽られて出てこざるを得なかったのだった。
くだらない用事だったら小火で済むと思うなよなどという主人公らしからぬ怨嗟の声を、小学生になだめられながらしぶしぶ飛んできたのだった。
魔女こと紙月の胡乱気な声に、部屋の主であるレンゾーは鷹揚に頷いた。
「うむ。エージゲ子爵領に所在する山村じゃな」
「エージゲ子爵領ってどこだっけ」
「ほら、前に北部に行ったじゃない。確かあのあたりじゃなかったっけ」
「うむ。北部のヴォースト市あたりだの」
以前ふたりは、《巨人の斧冒険屋事務所》に所属する冒険屋仲間イェティオの依頼で、彼の実家である山間の温泉宿まで行ったことがある。その山が竜の尾、ヴォースト・デ・ドラーコと呼ばれる山であり、その麓にある町こそがヴォースト市であった。
エージゲ子爵はヴォースト市の他に、帝都への街道沿いに栄えた街を一つ、東部への街道筋にまた一つ、山村を含め複数の村を有し、運河にも幅を利かせる結構裕福な貴族である。
遺跡都市であるヴォースト市と、そこに流れる運河の利益、また辺境への玄関という立地が、エージゲ子爵領を富ませた大きな要因と言っていいだろう。
紙月と未来はそこまで詳しくはないが、地図でこのあたり、とざっくり示された領域だけでも程々に広かった。
ブランフロ村というのは、その領地の北側、帝国全体に蓋するように覆いかぶさった臥龍山脈に食い込むようにして存在していた。
「見ての通り、街道筋からも外れとるし、ヴォーストからも離れとる。山奥の寒村って感じじゃな。じゃがこの村は子爵領の貴重な財源にもなっとる」
「こんな小さな辺鄙な村が?」
「うむ。というのもここは氷精晶の採掘地なんじゃよ」
自然の活動が活発な土地で、その自然現象に伴う魔力が蓄積して結晶化したものを、精霊晶と呼ぶ。氷精晶というのは、氷や冷気をため込んだ精霊晶の一種であった。
ため込んだ冷気を放つことで、食品の冷蔵や部屋の冷房などに活用されており、特に冷蔵庫や冷蔵車が発達してきた昨今では需要も伸び続けている鉱物だ。
その性質上、基本的に雪山などで、しかも厳しい冬の間しか採れないので、安全かつ効率的に採掘できる場所というのは限られてくる。
その限られた採掘地の一つが、このブランフロ村であるという。
寒さに対してあまりにもか弱い紙月は、夏だって暑さにうなだれる。それを思えば、冷房器具に必須の氷精晶を産出するブランフロ村というのはかなり重要な土地と言えそうだった。
レンゾーががさがさと広げた書類には、いくつかの簡単な折れ線グラフが描かれていた。
例えばあるグラフの横軸には帝国歴での年数がかかれており、縦軸には平均気温が記されている。つまりここ数年の平均気温の推移を示していた。それは緩やかにではあるが右肩下がりになっていた。
「つまり年々寒くなっとる。こっちのグラフは積雪量じゃな」
「こっちは右肩上がりだな」
「じゃあ雪が増えてるんだね」
「うむ、そういうことじゃ。あんまり古い記録は残っとらんが、数十年前と比べて、だんだん冬が厳しくなっとるっちゅうことじゃな」
いまでさえ死にそうなのにこれ以上寒くなるのかとげんなりする紙月を放置して、レンゾーは最後のグラフを指さした。それは他のグラフと違い、ほぼ横ばいであった。つまり、毎年数字がほとんど変わっていないということである。
「これは何のグラフですか?」
「ブランフロ村が卸しとる氷精晶の数じゃよ」
「安定した流通量が見込める……って話じゃないよな」
「うむ。安定しすぎておるっちゅう話じゃな」
「すぎる?」
小首を傾げた未来に、レンゾーは髭をしごきながら頷いた。
「氷精晶は、ざっくりいやあ『寒さ』の結晶じゃ。寒けりゃ寒いほど産出量は増える。理屈ではのう。年々冬が厳しくなっとるんじゃから、当然氷精晶の量も年々増えにゃあならん」
「ところが増えてない、ってことなんだね」
「でもそりゃあ、採掘限界がそこってことなんじゃないのか? いくら採れる量が増えても、山奥の寒村じゃあ人手だって豊富じゃないだろうし。採掘技術とか、人員教育とか、そういうテコ入れが必要ってだけじゃないのか?」
寒さが強まれば氷精晶も増えるだろうが、同時に山の危険性も増すはずだ。レンゾーの築き上げた工場のような大規模事業ではない、単一の村による生活の一環としての産業では、限度もあるはずだ。
紙月がそのように指摘するのもあながち間違いではない。
レンゾーも同じように考えはしたが、しかしその考えを裏切る資料もある。
「わしもそう考えて、他の採掘地ではどうなっとるか調べてみたのが、これじゃな」
「あれ? こっちの村のグラフだとちゃんと採掘量が増えてるね」
「だな。しかもブランフロ村に比べるとそんなに寒くないのになあ」
レンゾーが調査させた、ブランフロ村以外の氷精晶採掘地の資料は、違う顔を見せている。寒さや積雪量の推移はブランフロ村と比べて緩やかである一方、氷精晶の採掘量は順調に伸びている。
「聞き取りもさせてみたが、特別なことをしとるわけじゃないらしい。単に産出量が増えたから、採掘量が増えた。それだけじゃ。新技術もなけりゃ、人口増加もない」
言いながらレンゾーが引き出してきたのは、帝国北部の地図である。
帝国に蓋をするように連なる臥龍山脈が地図上部に描かれており、そこに散らばるようにいくつかの村の名前が記されている。そのうち、赤く丸が付けられたのがブランフロ村であった。
その赤丸にコンパスを当て、レンゾーは同心円をいくつか広げながら記していく。ブランフロ村を中心に何段階かの円ができた形だ。
「ま、実際にはもう少し複雑じゃが、こんな感じじゃな」
「こんな感じって、どんな感じだよ」
「寒冷化の度合いじゃよ。円の外側ほど緩やかで、内側ほど激しい」
「えーっと……つまり、ブランフロ村は毎年だんだん寒くなってるけど、その周りの村はそこまでひどくないってことですか?」
「そういうことになる」
それは奇妙な事実であった。
世界的な気候変動で寒冷化が進むのであれば、それはどの土地にもある程度同様に進んで行くはずだ。緯度や、地形上の理由など様々な条件が絡んでくるとはいえ、この地図と資料が正しいとすれば、ただの村を中心にして寒冷化がはじまり、周辺へと波及していることになる。
これではまるで、ブランフロ村に寒さの原因があるようではないか。
しかしレンゾーはまさしくそうなのではないかと睨んでいるようだった。
見識のあるものと何度か相談する中で、レンゾーはこれを、氷精晶の過剰備蓄のせいではないかと考えたのだという。
「実はわし、工場稼働したばっかのころにやらかしたことがあってのう」
「工場でやらかしって、洒落にならない感がすごいな」
「まあ洒落にならんかったのう」
レンゾーの興した工場は半官半民のものであり、始動してまだそれほど経っていない現在は国からの受注で製造しているものが多い。
その中でも、レンゾー自身がゲームから引き継いだ種族や職業《技能》などから金属加工がもっとも盛んであり、多くの土蜘蛛が工場で働いている。
その金属の加工には、鉱石からの精錬も含めて大量の燃料が必要であり、さらに機械力の利用のために蒸気機関を導入したことで燃料がなければ回らない状況である。
今後は内燃機関の開発も考えており、帝国全土から火精晶を大量に購入していたのだが、
「待って待って待ってすでに嫌な予感しかない」
「じゃよなあ」
「じゃよなあではない」
購入していたのだが、精霊晶をここまで一度に大量に扱うということは前例がなく、火精晶の備蓄を保管する倉庫の管理はずさんなものであった。
適当に箱詰めしたものを、着た順に次々に奥に詰め込んでいき、使用するときは手前のものから適当に使っていくという、教科書にお手本として載りそうなほどのずさんっぷりだったのだ。
その他、倉庫の気密性とか、火気厳禁の不徹底とか、施錠がなされていなかったとか、帳簿の記録が概算だったりとか、おおよそ可能な限りの管理不行き届きがずらりと並ぶひどさだったとか。
「失敗する余地があるなら必ず失敗する、なんていうが、ありゃ失敗しようと思ってたんじゃないかっちゅうほどだったのう」
最初は工場内の気温が上がったような感じがした。それでも、もともと火を扱っているし、室内は熱もこもりやすいし、誰も気づかなかった。おりしも夏であったし、それもあって当然とさえ受け止めていた。
レンゾーも熱中症を鑑みて、WBGTの周知を進めたりといった対策はしていたが、あくまでもそれは労働者の労働環境への注意喚起だった。
顧みられることのない倉庫は、暑いからとすべての窓や出入り口を開け放たれ、新鮮な空気が絶えず流れていた。
そしてうだる暑さに耐えかねた倉庫番は、つらい時は我慢せずに、すぐに涼しい場所で休憩することという熱中症予防の文句に素直に従った。
そして残念なことに、近代的な予防対策が周知されている一方で、前時代的な悪習は見逃されてしまっていた。
「疲れたんで、一服しようとしたんじゃと」
「えーと、つまり?」
「タバコ吸いやあがった」
倉庫番が火精晶の着火具でタバコに火をつけようとすると、常ならば小さな火がともるだけのそれは、ごうと音を立てて火柱となった。驚いた倉庫番が着火具をとっさに放り投げると、当然その火柱は倉庫内に放り出された。
山と積まれた火精晶の中へと。
火種は、新鮮な空気をたっぷりと食らって、膨れ上がった。
その時の轟音は帝都中に響き渡り、工場中の窓ガラスという窓ガラスは割れ、直接の火炎に巻き込まれずとも爆風だけで相当の被害が出たという。
衛兵がすぐにも隊列をなしてやってきて、同じく押っ取り刀で駆け付けた軍とはちあった。そしてその誰も、いったい何が起こってどうなったのかを把握できていなかった。
それほど突然で、そしてすさまじい爆発だったのである。
この件は徹底した調査が行われ、原因が明確に突き止められ、そしてすべて隠蔽された。
これがただの工場であればレンゾーの首が飛んでいたところだが、半官半民、どころか実質的には帝国御用達の一大事業だったのである。事故でしたではすまされないのだ。
そのためすべてはいつもの通りいつものごとく、「聖王国の破壊工作員」のせいであるということになっている。
「まあ、しかし教訓になる実験結果も出てな」
悲惨な事故だったが、前向きな考え方をすれば、精霊晶に対する新たな知見が得られた一件であった。
つまり精霊晶は、常に微量ながら魔力を放出し続けている、ということだ。
普段使い程度であれば気にするようなこともないが、一か所に集めすぎると、例えば火精晶であれば火の魔力が空間に満ちていく。それはまず体感的に気温の上昇として感じられた。
その状況下では、小さな火種であっても、火の魔力を食らって燃え上がってしまう。そしてその火が触れれば、火精晶は連鎖的に延焼していき、空間に充満した火の魔力にまで燃え移って一気に燃え上がる。つまり爆発に至る。
爆発後もかなりの期間、火の魔力は一帯に残留し、宮廷魔術師だけでなく帝都大学の魔術師も総出でこれらを払い、あるいは集め、あるいは水の魔力で打ち消すなどしてやらねば、とても人の暮らせる環境ではなかったという。
人工的に発生したのはこれが初めてであったが、火山の噴火や大嵐、津波などの際に同様の事例が見られ、これらは精霊災害として恐れられている。
この時の教訓から、火精晶の倉庫は徹底的に考え抜かれて設計され、厳重に管理されている。一つ一つの箱からして、火精をなだめるまじないが施された。中に収める火精晶も小分けに包装し、間仕切りも作っている。当然すべてが耐火性のものだ。
それだけでなく、いまでは反応しづらく火力も高い、精製火精晶などの開発も進められているという。将来的には内燃機関用の液体火精晶も考えているとか。
少しそれたが、氷精晶でも同様のことが起こりうるのではないか、ということだった。
通常、冬の間に採掘されなかった氷精晶は、氷や雪のように、春になれば緩やかにその冷気を放出しながら溶けていってしまう。しかし山頂部が常に冠雪状態にあったり、未発見の洞窟などが自然の氷室として寒さを保っていたり、そう言った環境で見逃され、採掘漏れのあった氷精晶が溶けないままに毎年増えていったとすれば、それによって寒さが長く厳しくなっている、と考えられなくもない。なくもない、というにはかなり可能性が低そうだが。
「じゃったらいいなー、と思っとる」
「よくないんじゃないの?」
「これじゃったらまだテコ入れでどうにかなるわい」
「あー……つまり、もっと悪い予想もあるって?」
「うむ」
採掘漏れだというならば、採掘してやればいいだけの話だ。
人手が足りない、技術が足りないというならば、開発費用を出してやってもいい。何しろ未発見の太い鉱脈が眠っている公算が高いのだから、十分採算は合う。
しかしこれが、意図的であった場合が問題だ。
「意図的って……わざとため込んでるってこと?」
「まーた聖王国のテロだとかなんとか言い出す気か?」
「それは最悪の底じゃな」
「するってーと……」
「うむ。村ぐるみで氷精晶をためこんどる可能性がある。それも相当量をな」
実際、採掘漏れの氷精晶など、自然にたまったもので気候がはっきりと変化するのであれば、すべての精霊晶の産地はとうの昔に破綻しているはずである。人の目に触れない未発見の産地とてあるはずなのだ。
数字の緩やかな推移から見ても、毎年少しずつをため込んで隠していると考えればつじつまは合う。
問題はなぜそんなことをするかということだが。
「理由はなんぼでも思いつく。小さな集落じゃ。ブランド物として商品価値を維持するため。採れ過ぎで値崩れさせんため。不作の年に補填するため。自分らの村で使うため。今後の採掘量を増やすため。いろいろな。じゃが正確なところはわからん。溜め込んだ影響を理解しとるのかどうかもわからん」
はっきりしているならば強硬的に調べることもできる。
しかし問題の村はエージゲ子爵の領内であり、村自体も独立領主が治める自治体である。
帝国は皇帝を頂点に置くが、その権力は絶対的なものではない。皇帝の下には元老院があり、元老たちはそれぞれに独立した貴族であり、彼らが差配する地方領主たちもその領地においては王に等しい存在だ。彼らは土地に封じられて納税や軍事の義務を負う封建領主なのだ。
そしてそれら全ては、帝国法という一つの法に縛られてもいる。
レンゾーが不審に思い、親しくしている皇室や元老に話を持ちかけても、それで頭ごなしにエージゲ子爵の領地をどうこうできるわけではない。できたとしても、あまりにも大ごとになってしまう。
そしてエージゲ子爵に話を通したところで、多少の優越はあれど独立領主として土地を守らせているブランフロ村の郷士に、何でも言うことを聞かせられるわけではない。そもそも言うことを聞かせられたところで、自分の懐の内でのことだ。子爵も絶対にもみ消してしまうだろう。
残念ながら帝都には、こういう時に使い勝手のいい諜報員というものがまだ育っていなかった。というより、優秀な人材はそれぞれの「家」に紐づいており、気軽に使うにはしがらみが多すぎるのである。
「やんごとなきお方はこの件を憂いておる。想定される氷精晶備蓄量は莫大なもんじゃ。このまま冬が厳しくなり続けるだけでなく、貯め込まれた氷精晶がまとめて反応してしまった場合、北部はヴォーストを中心に最短でも数年は雪に包まれるじゃろうと見ておる。そうなると、当然のように死者は膨大なものになるのう。ヴォースト水系の一部は凍り付いて水量が激減、運河の流通は最悪断絶しかねん。おまけに辺境との流通路が死ぬから、帝国最大の軍事力を動かせなくなる」
「えーっと……もしかしなくてもヤバい奴?」
「ガチでヤバい奴じゃい」
「わーお」
つらつらと述べられるあまりにも悲惨の未来予想図に、さしもの紙月の顔もひきつった。
未来も、政治にまつわる話はよくわからなったが、被害規模の大きさは十分に理解できた。少なくとも人がたくさん死ぬというのは、身構えるのに十分な脅威だ。
「元老院には正式には通しておらん。やんごとなきお方も遺憾に思っておるだけじゃ。表ざたにはできんし、する気もない。そこでお前さん方を呼んだわけよ」
「冒険屋としての依頼ってわけだ」
「うむ。特に紙月、お前さんは精霊が見える。異変には気づきやすいじゃろう」
紙月はハイエルフという精霊に愛された種族である。少なくとも設定上は。風の精や水の精、そういったものは、普段は意識を向ければ見えるという程度だったが、気候に影響を及ぼすほどに氷精晶が溜め込まれているというのであれば、それははっきり目に見えるほどだろう。
「いいか。帝都の人間はこの件には関わっておらん、なにも知らん、そう言うことになっておる。知ればどうにかせねばならんからじゃ。じゃから、誰も知らんうちに、関係ない奴が、関係ないままに終わらせにゃならん。いや、始まってすらおらんのじゃから、終わりも何もない。何にもなかったことにしたい。せにゃならん」
「オーケイ。俺たちはただの旅行者ってわけだ」
「それも物好きのね」
「うむ。頼んだぞい、《魔法の盾》よ」
三人はしっかりと頷き合って密談を終えた。
この時はまさか、この事件があんなに大ごとになるだなんて、
(まあ……)
(こういうのって……)
(こいつらじゃしなあ……)
三人が三人、うすうす勘付いていたのであった。
用語解説
・ポルティーニョ(Portinjo)
ブランフロ村に住む十四歳の少女。
寡黙な父と二人暮らし。
・ブランフロ村(La Blan(ka)fl(u)o)
帝国北部、臥龍山脈北連山に所在する山奥の寒村。
ふもとに近い第一村、中ほどの第二村、山奥の第三村にわかれている。
冬季は降雪がひどく、第一村に退避して過ごす。
特産は氷精晶。
農業はあまりうまくいっておらず、自給自足でやや足が出ることも。
山菜やキノコなどの他、栃の実なども利用される。
ブドウの栽培、葡萄酒づくりも試みているが、まだ輸出するほどではない。
人口は全体でも二百人程度か。
・レンゾー
元《エンズビル・オンライン》プレイヤーの転生者。
本名有明錬三。ハンドルネームはレンツォ。
《エンズビル・オンライン》ではドワーフの《黒曜鍛冶》としてギルド《選りすぐりの浪漫狂》に所属していた。
現実世界では複合企業体デイブレイク・グループの会長であり、MMORPG 《エンズビル・オンライン》を開発・運営する株式会社ラムダは、事実上傘下企業である。
ざっくりいうと、どえりゃあ人。
・デイブレイク商会
レンゾーが帝国で設立した複合企業。
帝国中枢とも親しくしている、官民の微妙な組織でもある。
社名は生前馴染みのあった社名であり、他に転生者がいたら気づきやすいように。
・ヴォースト(La Vosto)
エージゲ子爵領ヴォースト。辺境領を除けば帝国最東端の街。大きな川が街の真ん中を流れており、工場地区が存在する。正式にはヴォースト・デ・ドラーコ。臥龍山脈から続くやや低めの山々がせりだしてきており、これを竜の尾、ヴォースト・デ・ドラーコと呼ぶ。この山を見上げるようにふもとにできた街なので慣習的にヴォーストと呼ばれ、いまや正式名となっている。
・エージゲ子爵領
エージゲ子爵の治める中領地。
これといった特色のない田舎で、ここしばらくは大きな事件もなかったような土地柄。
氷精晶の輸出、辺境との玄関口である立地、運河の運用など様々な利点から順調に発展はしている。
気候はやや寒冷だが、農地は多く収穫量は多い。
・氷精晶
雪山や雪原などで見つかる雪の精霊の結晶。魔力を通すと冷気を放ち、氷よりも溶けにくく、保冷剤として流通している。
・精霊災害
局所的爆発的に魔力、精霊が増大あるいは減少した際に発生する災害の総称。
周辺環境に存在する魔力や精霊に対しても影響を及ぼす。
もっともよく発生するものとしては火山の噴火が挙げられ、噴火前から予兆として火精などに不審な動きが見られる。




