第十二話 冒険ということ
前回のあらすじ
山菜取りにせっせと精を出す未来。
このまま終わってくれればよかったのだが。
森の魔女の話をせがんで、子供たちの注目が未来の一身に集まるのを感じて、その未来以上に焦ったのはクリスだった。
クリスからすれば、未来と言うのは自分の株を上げるために招き入れたようなものである。多くの子供を迎え入れる懐の広いリーダー。金持ちの子供も一目を置く格好の良い冒険屋。
それは小学生の輪の中で悦に入る中学生という、まさしくそのままの構図だった。
それが、よりにもよって招き入れた異分子に自分への注目をすべて取られて、クリスは動揺した。
普段であれば、多少のことであれば寛大なつもりである鈍感さをもって、微笑ましく眺めていられたかもしれない。
だが相手はあの森の魔女の知り合いなのだ。
株は容赦なく向こうの方が、上だ。
そしてまた子供たちの注目が奪われたことだけでなく、未来の注目が自分に全く向かないことにもクリスはじれていた。
森の魔女への紹介を勝ち取るためには、何としても未来の注目が必要だった。
先ほどは紹介を求めてもあっさり断られてしまったが、あれは確かに自分が性急すぎた。
駆け出し冒険屋という看板しか持っていない自分が、いきなり紹介を求めたところで信頼が足りず、断られるのは自然の道理だった。
だからこそ、自分が駆け出しとはいえ十分に優れた冒険屋であり、十分に信頼できる人物だという評価を勝ち取るために、わざわざ自分の得意である森まで引きずりだしたのだ。
それが子供たちの注目を奪われ、子供たちに注目を奪われるという、二重の衝撃にクリスは焦り、慌て、どうにかしなければならないと気ばかりが急いていた。
とはいえ、話に夢中になっている今、無理にねじ込もうとすれば煙たがられるのは目に見えている。
どうしよう。どうしたら。
そうして焦ったクリスの目に、冒険屋として習慣づけられた感覚が、あるものを見つけさせた。
木の幹の中ほどだけ、木の皮が切り裂かれたように破られているのである。
一か所ならば偶然もある。だが、クリスが見渡せば、その痕跡がいくつも見つかった。
鹿雉の角研ぎ痕――縄張りのしるしだ。
これだ、とクリスは天啓を得たように感じた。
実際には悪魔のささやきもいいところだが、クリスはこう考えたのだった。
鹿雉狩りの物語は子供たちを大いに楽しませた。
もしも自分が鹿雉を一人で仕留めたならば、それこそ自分は子供たちの英雄になるだろう。あのこまっしゃくれたミライだって、立派に狩りを成し遂げた自分を見れば、素直に尊敬の目で見るようになるに違いない。きっと森の魔女にも紹介してくれるに違いない。
それは夢物語と大差ない程度に希望的観測にまみれた想像だったが、自分自身に追い詰められたクリスにとってはもはやそれしかないという起死回生の一手だった。
話に夢中の子供たちをおいて、クリスは縄張りのしるしを追って森の奥へと向かい始めた。
指先をなめて風下を確かめ、気配を消して物音を隠して、それは成人したての駆け出し冒険屋としては十分に様になっていた。後がないという勘違いからくる焦りが、より一層その真剣みを増さしめていた。
そしていよいよクリスは、若芽を食む鹿雉の姿を見つけた。
角こそ立派だが、全体的に色味は薄く、目の周りの赤いコブも小さめの、まだ若い雄だ。飾り羽は見事なもので、争いという争いをあまり経験したことのない個体に思われた。
そして幸いなことに、気配に敏感な鹿雉に珍しく、まだクリスの存在に気付いていなかった。恐らく敵や雌を奪い合う他の雄との争いに乏しく、平和に暮らしてきたのだろう。
その鈍感さが、クリスに必要以上に自分の実力を過信させた。
クリスは背に負っていた弓に矢を番え、狙いやすい胴体を狙ってゆっくりと弦を引き、
「………っ」
そこで鹿雉がピクリと顔を上げた。
クリスの立てたほんのわずかな物音と、そして隠しきれない殺気を鋭く感じ取ったのである。
どうする。
今ならまだ。
クリスの慎重な考え方はしかし、鹿雉のあげた鋭い威嚇の声に乱れた。
「ケーンッ!!」
若く高い、鋭い鳴き声とともに、鹿雉は前足の飾り羽を激しく体に打ち付けた。明確な威嚇のしぐさである母衣打ちだ。
本来、ここまでであれば、大人しく引き下がれば鹿雉も追いかけてはこない。威嚇とはつまり、これ以上寄ってくれば容赦はしないという合図であって、逆に言えば、これを無視するならば襲い掛かるぞということなのである。
しかし焦りに焦ったクリスにはもはや道理の判断もつかなくなっていた。
威嚇の声に、もう駄目だ、このままでは襲われる、という短絡的な思考が走り、咄嗟に矢を放ってしまったのである。
鋭くもなくただ闇雲に放たれた矢は鹿雉の背をかすめたが、熟練の狩人でも射貫くには慎重に角度を選ばなければならない頑丈な羽毛である。勿論血の一筋も流れはしない。
だが、鹿雉の怒りを買うには十分だった。
「ケーンッ!!」
「うっ、わわわわわっ!!!」
もはや容赦はしないと角を振るって襲い掛かる鹿雉から、クリスは這う這うの体で逃げ出した。恰好をつける余裕もなく、四つ足で転げるようにもと来た道へと駆け出した。
もと来た道……つまり子供たちのいる場所へと。
「クリス……?」
「なんだあれ!?」
「なんかやばい!」
「みみみみんな逃げろ!!」
逃げ惑う最中でも、子供たちに一瞬でも気をかけたのはクリスの生来からの面倒見の良さから来るものであったが、しかしそれでどうにかなる失態でもない。
いよいよもってけつまづいて転倒したクリスに、鹿雉の角が容赦なく掬い上げるように襲い掛かった。
「うっ、うわ」
「お、らああッ!」
それをすんでのところで受け止めたのは、突如として姿を現した白銀の甲冑、つまり未来であった。
「えっ? え、み、ミライなのか!?」
「ミライ!?」
「いいから早く逃げろ!」
鹿雉の個体はまだ若いとはいえ立派な雄で、暴れ狂うこの角を押さえつけるのは、盾の騎士こと未来と言えど骨の折れる仕事だった。力もそうであるが、なにしろ体重が違う。鎧の分もあるとはいえ、中身が子供である未来は、根本的に軽いのである。
とにかく子供たちを逃がすのが先だと怒鳴りつけたはいいが、その子供たちに動きがない。迂闊に振り向けない以上確かなことはわからなかったが、腰でも抜かしてしまったらしい。
「クリス! 君が責任をもって、」
「あわ、あ、あわ」
「使えない!」
動きがないなと思えばどうも肝心の引率者であるクリス自体が腰を抜かしてまともに身動きが取れないらしい。
クリスたちが動けるようになるまで押さえつけていくというのはどうにも無理があるし、クリスたちから離れるように誘導するのも骨だ。
それに、恐らくこの鹿雉はクリスのことを覚えてしまっているだろう。
今後も彼らが森に訪れることを考えると、この鹿雉の存在は危険極まりない。
それらをまとめて知ったことかと放り捨てたい気分でいっぱいではあったが、しかし、子守をすると決めたのは未来なのだ。一度決めたならば、最後まで面倒を見るのが道理というものだろう。
「恨みは、ないけど……!」
すまないと謝るのは身勝手だろう。仕方がないことだと片付けるのは間違っているだろう。
だから、言葉はない。
無言のままに未来は鹿雉の首をがっしりとわきに抱え込み、暴れる体を抑え込んで、そのままごきりと首の骨をへし折った。
できるだけ苦しめぬようにと一息に力を込めたが、それでも鹿雉の体は少しの間、足掻くように震え、それから、ゆっくりと脱力して、地面に沈むように崩れた。
一瞬の静寂ののちに、わっと響き渡る子供たちの歓声をよそに、未来は手元に残る感触にしばしの間、呆然とたたずんでいた。
(殺しちゃった)
言葉にすればその一言であったが、自分の手で命を奪うということはどういうことなのかを、未来は初めて考えさせられることになった。
いままで幾度も戦いを繰り広げてきた。魔獣を何度も討伐してきた。しかし未来が直接手を下したのはこれが初めてだった。
(ああ、成程。成程、な)
紙月がかたくなに未来を盾役として用いるわけである。
こんな感触、知らないで済むのならば、知らない方がどれだけよかっただろうか。
だが未来はいま、知った。知ってしまった。命を奪う感触を知ってしまった。
これが今後ためらいとなるか、覚悟につながるか。
それはまだわからない。
わからないが、少なくとも、それは軽々しいことではないのだと、そのように感じられた。
「ミ、ミライ、君、盾の騎士だったんだね! すごいよ!」
だから。
「ミ、ミライ?」
「どういうつもりだクリス!!」
だからこれは、ちっぽけな事件で終わらせていいことではないのだ。
「お前が護るべき子供たちを危険にさらして、お前は何をしていた!?」
がっしりと首根をつかまれて、クリスは蒼白になった。
今しがた鹿雉を軽々と絞め殺し、そして自分程度簡単にたたんでしまえるような巨大な鎧にすごまれているのである。
まして子供たちのリーダーとしてふるまっていた自分が恐ろしい剣幕で怒鳴られることなど、想像だにしなかったのだ。
「し、仕方ないんだ! だって、そう、手柄、手柄を立てたかったんだ!」
「手柄だって?」
「こ、このままじゃ森の魔女に紹介してもらえないと思って、だから!」
クリスとしてはまっとうな説明を、しかしまともに理解できるものはこの場にはいなかった。
ただ、未来は理解した。
この恐ろしい馬鹿は、恐ろしく馬鹿げた理屈で、こんな恐ろしく馬鹿げた事件を引き起こしたのだと。
「馬鹿」
「えっ」
返答は言葉ではなかった。
未来はクリスをひっつかみ、無造作に鹿雉の死体へと放り投げた。
そしてその頭をひっつかんで鹿雉のうつろな目とご対面させてやった。
「君が馬鹿げたことを考えなければこの鹿雉は死ぬこともなかった」
「ひっ、や、やめ」
「殺したかったんだろう。よかったな」
腰の立つようになったクリスを引っ立て、未来は鹿雉を背負わせた。クリスのまだ細い体にはこれは恐ろしい重労働だったが、未来は容赦しなかった。
「ゴルドノ。近くに川は?」
「あ、あるます」
「案内してくれ」
ゴルドノの案内で一行は川へ向かい、未来はそこでクリスに鹿雉の血抜きから解体まで一人でさせた。
日が暮れるころになってもまだ終わらなかったので、クリスを置いて帰ろうとしたが、土下座して許しを請われた。それでも置いていこうかと思ったが、ゴルドノたちにも許してくれと言われたので、仕方がなく認めた。
解体できた分だけを持たせ、解体できなかった分はインベントリに放り込み、町へ戻った。
門はもうしまっていたが、門番に盾の騎士だと名乗ると、特例として通してもらえた。
「ゴルドノ」
「は、はひっ!」
「クリスにはがっかりしたかい?」
「う……それは……」
「クリスは君たちからしたら大人に見えるかもしれないけど、御覧の通りちょっと背伸びした子供だ。時にはこういう間違いもする。失敗のお手本を見せてくれたんだと思って、まあ、いままで通り付き合ってやりなよ」
「……はい……」
「そんな硬くなるなよ。あー……友達だろ」
「……おうっ!」
その後、子供たちを心配している親御さんのもとに送り届けてやり、クリスの身柄を《レーヂョー冒険屋事務所》とやらに放り込んでやったころには、とっぷりと日が沈んでいた。
用語解説
・解説がない回は平和な回というデマ