もしかして中世社会は、いまよりホワイトだったのか? ――労働時間の考察
まず――
「何もかもプロレタリア文学が悪いよ。プロレタリア文学が」
と結論付けさせてもらいます。
プロレタリア文学を簡潔に説明すると――
「貴族や資本家は狡くて腐っている。労働者である俺達は可哀そう。革命しようぜ!」
でしょう。
有名どころで『蟹工船』や『あゝ野麦峠』がそれにあたります。
いや、根底にある思想そのものは別にいいんです。
現代日本は信教の自由がありますし、当時も当時で色々ありました。
でも、現代の基準でいうと、厳守するべきルールをいくつも逸脱してます。
こればっかりは言い逃れできません。
『蟹工船』でいうと劣悪な労働環境は、ほぼ事実だったそうです。
ですが、いつくか事実と異なる左賛美や、実際には起こらなかった労働紛争など……ようするに『左側な人の夢小説』な側面があります。
(それどころか蟹工船の給料は、極めて高額だったという話も)
つまり、誤解を恐れずにいうと――
「国家と結託した卑劣な資本家の運営する蟹工船で、清く正しく美しい労働者たちは手に手を取って革命を成し遂げた! 万歳!」
でしょうか?
いや、それを理想とすることに罪はありません。
左は左で社会に必要な要素です。ただ――
ノンフィクションを名乗ってはいけない
と思います。
読者側の勝手な誤解であっても事実ではないのなら、「フィクションである」と訂正するべきでしょう。
これは思想の右左の問題ではなく創作のルールですから、とても譲れる線ではありません。
……ですが、「あゝ野麦峠」は輪をかけて酷かったり。
天下の朝日新聞社からノンフィクション文学として出版されたこの作品は、明治から大正にかけての紡糸工場や製紙工場で働いた女工さんを題材とした話です。
あらかじめ言っておくと、決して嘘八百ではありません。
全て綿密な取材の裏付けがある事実、もしくは事実に少し脚色した程度だそうです。
ただ――
一つの工場だけで起きた問題じゃなかった
が正しいそうです。
つまり、A工場、B工場、C工場と、それぞれ違う場所での悲劇や事故、悪事を――
すべてD工場で起きた
としてます。
その上、実のところD工場は大きな問題を起こしておらず、明らかに名誉棄損レベルの中傷誹謗となってしまったそうです。
綿密な取材を元に書かれている優れたフィクションであっても――
関係ない人の名誉を傷つけたり、ノンフィクションを名乗っては拙い
でしょう
……社会の公器である朝日新聞らしからぬ失敗だと思います。
(誰がノンフィクションと言い出したのかにも、諸説あるようです)
これらのように――
虚偽を主張してでも、貴族階級や資本家を悪者にしたい
と思っている人達が、一部のプロレタリア文学関係者にいたようです。
彼らに利用された作家さんは同情に値しますし、悪いのは利用しようとした誰かでしょう。
似たような改変を強いられたのが、お百姓さんだったりします。
世の東西を問わずお百姓さんは、支配者階級によって虐げられ搾取されていた。
これが事実として語られてきましたけれど、昨今の研究では違うと判明しつつあります。
つまり――
我々は確たる証拠もなく、「お百姓さんは虐待されていた」と信じさせられた
わけです。
365日休みなしが当たり前。
そして朝は日の出る前から、夜は日が暮れるまで。
夜は夜で灯をともして手仕事を。
ですが――
これは本当なのか?
と疑わなければなりません。
なぜなら『事実とは違うことを主張してでも、貴族階級や資本家を悪者にしたい人達』がいるからです。
(「貴族階級や資本家に悪者はいなかった」と主張はしていない。念の為)
まず、夜は灯りをともして内職仕事からですが――
よく考えてみると、あり得ません!
中世レベルだと灯は高価ですから、内職紛いの手仕事では費用をペイできないのです!
夜になったら寝るのが一番の倹約となります。
もし灯を点けていたら、それは贅沢です。
ただし、月明りなどを頼りに糸紡ぎや縫物をしていた可能性はあります。
それが原因で目を悪くするパターンも多かったそうですから(要、事実確認)
しかし、明治政府が――
「二宮金次郎を見習え!」
と生産力向上のプロパガンダに使ったら、民衆からは――
「ないわww」
と返されたとも聞くので、やはり夜間の作業は珍しかったようです。
そうなるとお百姓さんは、日の出から日の入りまでしか働けなかったことになります。
これは季節によって変わりますが、ようするに平均すれば12時間です。
また、日の出前の35分から明るくなりだし、日の入り後も35分程度は太陽光が残っています。
ざっくりと日の出前の35分を朝食を取る時間。日の入り後35分を夕食の時間としましょう(灯を使って食事の準備では、本末転倒なため)
これで12時間まるまるを労働に使えます。
畑へ歩いて行くのに30分、帰ってくるのに30分。
少しは休憩もすることにして、それが一日あたり1時間とします。
結果、一日あたりに可能な労働時間は平均10時間。
365日休みなしとすると、10×365の3650時間です。
この段階で――
「えっ? これ……俺の方が働いているぞ?」
と思われる方もいるでしょう。
おそらく計算ミスじゃありません!
週に1日だけ休めるペースで、年に312日働くことになります。
そして朝8時に出社して終電で帰る場合、昼の休憩時間を抜いて約14時間です。
312×14ですから4368時間!
年中無休な中世のお百姓さんより働いていることに!
ちなみに日曜と祝日、盆暮れに5日で、年間休日は78日。労働日は287日。
これで一日あたり13時間働くと287×13=3731時間!
やっぱり働き過ぎ!
中世のお百姓さんの方が、よっぽどホワイト企業!
ですが、ここで追撃は加速! なせなら――
「まだ江戸時代のホワイトニングは終わってないぜ!」
だからです(涙)
実に面白い資料として、江戸時代の領主が――
お百姓さんに休日を取り過ぎないよう一筆入れさせた
ものがあるそうです。
それによると正月以外は半休の嵐で32日。半休2日を休日1日に換算して16.5日だったとか。
つまり――
生かさず殺さずで搾り取る気だった領主側ですら、年に16.5日の休みは認めていた
となります。
(甘い縛りだと自分達が幕府から怒られるため、そうとうに厳しい基準だったと想像できる)
そして念書を書かせたぐらいですから、それ以上に休んでいた訳です。
また、同じ地域ではありませんが、10年間の平均で――
なんと年に73日が休み!
だった農村もあるとか。
つまり(365-73)×10=2920時間!
これ、どこのホワイト企業!?
月あたり残業49時間は、確かに楽ではない。
でも、過労死には程遠いよ!?
そして平均10時間は最大可能というだけで、何の根拠もないのです。
日の出とともに野良仕事へ出かけ、午後3時頃には終業していた可能性も!?
さらに江戸時代後期は開墾事業が終わっていて、専門的には集約農業と呼ばれるものへ移っていたそうです。
これは労働力を多量投下して、単位面積当たりの収穫を上げる方法で、つまり――
休日は取っていたけれど、仕事に十分な手間もかけていた
と考えられます。
これは農具等の発展と相殺できる要素でしょう。
が、まだまだ江戸時代のホワイトニングは終わらない!(涙)
商人や職人は関東だと1日、15日、28日、さらに組合で決めた定休日が。
関西では6日、11日、16日、21日、26日、月末の6日間を休みとしていたそうです。
当然、正月休みと盆休みもあり、それぞれ15日前後だったとか。
勤務時間は基本的に8時から18時。昼休みが1時間、午前と午後に30分休憩一回ずつ。
さらに4月から8月はサマータイム的に、昼休みを2時間へ延長。
冬は日が暮れたら終業(当時の時刻は変動制。現代の時刻に直すと、冬は朝10時頃に始め午後4時頃に終わらせていた模様)
ざっくりと『年休100日。一日7時間労働で基本的に残業無し』かな?
そして残業手当という概念も! サビ残なし!
………………ああ、平成の労働環境は地獄だ。
※
大店の商人はがっつり残業していた模様。
残業に灯を使っても、ペイできるだけの利益がでたのでしょう。
ただし、当時では屈指のエリートともいえます。
そしてぇっ!
江戸時代の公務員である侍とか、下手したら座り小便漏らすレベル!
朝10時出勤で昼2時には退社!
もちろん昼休みは、たっぷり1時間!
月の出勤日数は10日ぐらいなんて説も!
……虐げられていたお百姓さんはどこ? そして町民は?
これらが『根拠なく支配階級からの搾取や虐待を信じ込まされた』という理由だったりも。
やっぱり貴族と庶民が上手くやってたら、革命するのに都合が悪いです。
そして兎にも角にも貴族階級は打倒されたのですから、歴史を改竄してでも『悪』とするのが常套手段でしょう。
まだ資本家というラスボスも残ってますし。
ただ、お百姓さんが虐げられていたとするのであれば、その手段を過酷な労働とするのは不適当でした。技術的な限界があるからです。
やるのであれば重税、そして兵役だと思われます。
そして従来の『寝る間もないほど働かさせられた』説は、プロパガンダといわざるを得ません。
……というか「どうやれば虐待されていたことにできるか」という発想からにして、少し理解しがたいですけれど。
右も左も闘争に熱中し過ぎです。どちらも戦うことが最終目的ではないのに。
話を農民へ戻すと――この年休73日とかを、そのまま中世の平均とはできません。どこまでいっても『とある地方の一例』に過ぎませんし。
また、江戸末期の日本人を観察して外国人が――
「日本の奴ら仕事しねぇww」
と呆れていたのも述べておきます。
ですが、この時期に来日していた外国人は、本国で産業革命中だったりします。
産業革命中はヨーロッパ諸国ですら、労働時間は年間4000時間越えが視野に!
(これは19世紀に労働基準法が作られるまで続く。同時期に共産主義と社会主義も産声を上げているので、労働者と資本家の対立も被害妄想ではない。ある意味で左は正しいことを主張している)
これは灯などの経費を払っても、それ以上の儲けが期待できるようになったからです。
(現代の我々が過労死するほど仕事ができるのも、科学が発展しちゃったから! 全部、科学って奴の仕業なんだっ!)
そんなイケイケな頃とのんびりした江戸時代を比べれば、日本人が怠け者に見えて当たり前でしょう。
その証拠に――
13世紀のイギリス農民は年間1620時間しか働いていない!
なんてデータも。
というか、普通は年間2000時間を超えないらしいよ?(涙)
年間1620時間とか――
8時間労働残業無しで年休162日!
3日に1日ペースで休んでやがる!
(個人的には一日6時間労働で年休95日を推します。暗くなったら寝るor贅沢して灯を点けるしかないのに、太陽が出ているのは平均12時間! とにかく現代人と比べると一日が短すぎます)
中世の農民が過酷とほざいたのは、どこの誰だぁ!
が、これは兵役や労役を計算してない可能性あり。
いつだか計算した薪割りなど、仕事ではない生活に必須な労働もあったでしょう。
別アプローチも。
ヨーロッパの人は、安息日を守っています。
過酷な環境でも7日に1日は休みで、他にも宗教的な祝日は多数。
日本に比べれば、休む文化が根底にあるともいえます。
また、そもそも労働は義務や美徳ではなく、仕方なくやる罰ゲーム。可能な限りやらない方向で発展してきたと思われます。
これは奴隷階級にも適用されたでしょう。
(黒人さんは除く。あれは人種偏見も根底にあって、話半分でも本当に酷過ぎる。文字通りに人間扱いしてない。時代背景の考慮とか関係なく、ただ『悪行』と見做すべき)
鉱山奴隷などは酷使されたと聞きますけれど、それでも週に一日は安息日で休み。
灯を使わないような露天掘りなら、日の出から日の入りまでが労働時間の限界です。
(無関係な坑内掘りの場合、殺人スケジュールを組んだ可能性はある。おそらく本物の地獄。最初から使い潰して殺す予定)
つまり――
平均10時間労働で年休52+α日(年3130時間)
これが最下層の奴隷……だった?
農奴でも似たような扱いでしょう。
……ギリ、死なないで済む?
希望が――自分を買い戻せるシステムがあれば、耐えきれる……かなぁ?
(鉱山労働の問題点は病気や怪我ですが、ご指摘不要です! 安心してください、知ってますから!)
とりあえず――
年間3130時間以上働いているのに、収入は生きるだけで精一杯&将来性皆無な方!
すぐに辞めて下さい! 農奴以下です、その仕事は!
最後に結論として――
全階層的に馬車馬のように働かさせられ、貴族でなければ家畜も同然的な世界観は、全力で間違っている
でしようか?
いや、架空世界としてならそれでもよいけれど、史実は違うようです。
(当然に、どんな時代だろうと虐げられた社会的弱者は存在します。さすがに下を見だしたらキリがありません)
なので――
普通に週40時間ぐらい働いて、普通に週二日休むぐらいなら、極端に不遇でもなければ容易だった
と考えるべきでしょう。
これでも時代平均より働いている(年2080時間)ぐらいです。
そして恐れるべきは労働ではなく、税と戦争、病気だった。
これを結論として、今回は終わろうと思います。