病室の花火
「やぁ、調子はどうだい?」
ベッドに横たわっている、自身の恋人に片手を上げながら話しかける。
「日に日に悪くなっているんだって」
彼女は少し寂しそうな顔をしてそう言った。
「……そうかい」
ベッドの近くにある椅子に座り、胸のポケットから煙草を取り出す。
「ここは禁煙よ。それに、私、煙草は嫌いだって言ってるじゃない」
煙草を取り上げられた。そうだ、彼女は煙草が嫌いなのであった。何故忘れていたのだろうか。
「あぁ、ごめん。忘れてたよ」
忘れていたというよりは、手が勝手に動いていたような気がする。遂に中毒がそこまで来たかと思ったが、ごみ箱に叩き込まれた煙草を見て、その考えも何処かへ霧散してしまった。
「ひどいな。最近、更に値上がりしたって言うのに」
彼女は不満そうに頬を膨らませ、腕を組んだ。
「だったら吸わなきゃいいじゃない。あんな毒ガス吸って肺を真っ黒にして。何が良いのよ」
煙草を悪く言えばそうなるだろう。最も、良い言い方などあまり思い浮かばないのだが。ただ、あの煙を吸うことで、心が落ち着くのだ。
「精神安定だよ。精神安定」
心が落ち着くと言うより、吸うことによって平常の精神状態に戻るだけなのだと、どこかで聞いたことがある気がする。
「本当は吸って欲しくないけど、どうしてもって言うなら私のいない所で吸ってよ」
本当は吸って欲しくない。ということは、心配してくれているのだろうか。少し、嬉しい。
「分かったよ。煙草は出来るだけ控えるさ」
出来るだけ、という言葉を使う辺り、どうしても煙草が吸いたいらしい。困ったものだ。自分が言った事なのだが。
「ほんとかなあ? まぁいいや、そんなことより、これ見てよ」
差し出されたのは一枚のチラシ。タイトルには『夏の花火大会』。小規模な花火大会ではあるが、それなりには人が来ると聞いたことがある。
「先生は何て言ってる?」
最近の彼女の状態はお世辞にも良いとは言えない。そんな状態で医者が許可を出すとは思えないのだが。
「様子は見るけど、行っても良いそうよ」
こんな状態で? 許可? ベテランの医者だと思っていたが、ヤブ医者だったのだろうか。素人目に見ても、行くのは不味いだろう。
「私、花火をあなたと見に行くの、楽しみだったの」
少し痩せ細った顔で儚げに笑う彼女を見て、気付いた。いや、気付いてしまった。彼女は、もう長くない。そして、もう手の施しようがない状態まで来てしまっている事に。
「あれ? どうしたの? 胸でも痛いの?」
指摘されて、はっとする。自分の手は胸ポケット――煙草が入っていた場所を握っていたのだから。こんな時でも煙草が吸いたいのか自分は。自分で自分が嫌になった。
「いや、どうも煙草がないと落ち着かないみたいだ。これじゃあ、完全に中毒だね」
もう一度チラシに目を通す。開催日は、今週の木曜日。明後日だ。まぁ、大丈夫だろう。
「ねぇ」
少し神妙な面持ちで彼女は言った。
「ん、どうした?」
何か決意したような目、というよりは、何だろう。言葉が見つからない。この目をどう表現したらいいのか分からない。
「いや、何でもない」
嫌な予感がしたが、気の所為だったのだろうか。だが、悪い予感は当たるものだ。気の所為で片付けてしまう事に不安を感じた。
「少し、怖くなっただけ」
そう言って、彼女は寝てしまった。喋るだけで体力を激しく消耗してしまったのだろう。二、三度髪を撫で、病室を後にした。
次の日、彼女は目を覚まさなかった。
目を覚ます事は、もう無いと言った方が正しいだろうか。静かな病室で一定のリズムを刻んでいる筈のメトロノームが、今は悲鳴を垂れ流しにしていた。
次の日に、通夜が開かれた。お経に混ざってぽつぽつと啜り泣きも聞こえる。最後に彼女と対面した。動かない彼女は、人というより、物に近かった。瞼は完全に閉じられ、蝋人形と言われても納得してしまいそうな程だった。
その後、何人かに挨拶をし、その場を去った。どれだけの時間いたのかは覚えていない。この辺り記憶が曖昧になっている。今、ここにいるのか、それともここに居た事を思い出しているのか、判断がつかなかった。ただ、地面に足が付いていたことだけは確かだ。
*
「この場所が良かったのか?」
そこは特別な思い出があるとか、そんな場所ではなかった。近くに大木が生えており、空を葉が覆っている。
見晴らしが良い訳でもない。空が良く見える訳でもない。相変わらず何を考えているか分からない。
「ま、他ならない君が良いって言うんだからそうなんだろ」
それにしても、どう考えてもこの場所であることにメリットが感じられない。昼間には涼しげな木陰を作ってくれるだろうが、生憎、今は夜だ。
時計を見る。あと一分程で始まるらしい。小規模とはいえ、数千発は上がるだろう。
「もっと大きいとこに行けたらよかったのにな」
まぁ、田舎の花火なんて、たかが知れている。そうこう考えているうちに、最初の花火が上がった。勿論、葉で良く見えない。
煙草を取り出し、口に咥える。ライターをポケットから出すと、手のひらで風除けを作り、火をつけようとしたが、ガスが切れているのか、火が付かない。
「こんな時でも吸っちゃ駄目ってか。厳しいなぁ」
仕方なく煙草を仕舞うと、地面に座り込む。芝生にこうして座るのはいつ以来だっただろうか。最近の様な気もするし、かなり昔のような気もする。まぁ、思い出せないという事は、どうでもいいことなのだろう。その間にも、花火は次々と上がっていく。
花火の光で出来た葉の影が夜風に揺れる。この場所には何もないが、初めて彼女と出会ったときは、確かこんな木陰の下だった。
「……そうだなぁ。確かに、俺たちが終わるにはいい場所だよ」
ふと横を見ると、朝顔の柄の浴衣を影と共に揺らしながら、彼女は空を見つめていた。
今日、この場所で一つの幸せが終わりを告げる。
「そこから、花火は見えるか」
彼女は嬉しそうな顔をして振り返った。
「うん」
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