第1話
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なんだろう、綺麗な音が聞こえる。
高く澄んだ、耳に心地良い音に心が反応した。その音と共に、暖かな何かが自分の中へと注ぎ込まれている。それはなんだか、夢から覚める直前の微睡みに似た感じがして心地良い。
このままもう一度寝てしまおうか。でも、このままもう少し聞いているのも悪くない。
そんな贅沢な悩みが頭に浮かぶ。しかし、その微睡みを促してくれていた美しい音が、不意に止んでしまった。
そのことが、私は凄く不満だった。もっとあの音を聞いていたい。あの音に誘われて眠るのは、きっと最高に気持ち良いだろう。
靄がかかったようなぼんやりとした意識の中、重い目蓋を無理矢理動かし目を開ける。
そうすれば、音を出していたモノを確かめることが出来ると信じて。
ところが、開いたはずの目が映す世界は、何故かぼやけていて酷く不明瞭だった。
そのことに言い知れぬ不快感を味わっていると、視界の端に肌色の大きな塊が幾つか写る。
何だろう?
疑問を解消すべく、そちらへ顔を向けようとするものの、何故か身体は鉛のように重く、全く動かせない。
仕方がないので、かなりの労力を費やし首を動かしてどうにか其方へ顔を向ける。
すると、肌色の何かから音が聞こえた。
けれど、その音も何故だか籠もって聞こえて、どんな音なのか判別出来ない。
こんなことは生まれて初めてだった。
春に受けた身体測定で、視力は両目共1.0だったし、耳だって異常はなかった。
それが急に不鮮明になってしまうなんて、私の身体はいったいどうなってしまったのだろうか?
思い通りにならない自分の身体へ困惑している内に、音を出した何かが、私へ近づく。
そして、徐に身体が抱き上げられた。
急激に上昇する自分の身体に、私は強い恐怖を覚えた。
私はその感情を抑えることなど思いつきもしないで、声の限りに不満をぶつける。
「オギャー!オギャー!オギャー!!」
「ーーーーー!ーーーー」
碌に話すことすら出来ないことに疑問を覚える余裕もないまま、泣き、叫び、暴れる。そんな私の反応に、抱き上げた人は慌てたようだ。
何か音を出しているけれど、何を言っているのか分からない。
身体に触れる感触や、抱き上げられたことで少し見えやすくなった相手の容貌からして、これは人なのだろうということは分かる。そうなると、これが発している音は声なのだろうということも予想できた。
でも、目も耳もまともに機能していないこの状況で、いきなり見知らぬ人に抱き上げられるなんて、落ち着いてなどいられるわけがなかった。
もしかしたら、また、あんな苦しい思いをするかもしれない。 そう考えた瞬間にフラッシュバックした、意識を失う直前の記憶。
そのあまりのおぞましさに、私は益々声を荒げ、火がついたように泣く。
「ーーーーー」
どうしようもなく怯えている様子の私を扱いかねたのか、抱き上げていた人物が、隣にいる人らしきモノへと私を受け渡す。
すると、受け取ったその人は私を抱いたままゆっくりと身体を揺すり、優しく、甘い音を奏でた。
その音は、目を開ける前に聞いていた音だ。
改めて聞いても、これまで聞いてきた中で最も美しい音。
これは、この人の歌声だったのか。
歌手を志していた者として、この人の声は嫉妬することすらおこがましいと思えるほど、至高のモノに感じられた。
もっと、もっと、聞きたい。そう叫ぶ心とは裏腹に、体は眠りを要求し始める。
そんな体を援護するように、至高の歌声の主は、ゆるゆると体を揺らし、歌声と共に私を深い眠りの世界へと誘ってゆく。
思考の鈍った頭では、その誘惑に耐えきることなど出来るはずもなく、程なく私は意識を手放した。
次に目を覚ました時も、やっぱり誰かが側にいて、美しい歌声を聞かせてくれたり、優しい仕草で頭を撫でたりしてくれた。
起きては寝て、寝ては起きて。
そんな生活を一週間ほど続けた私は、少しずつではあるけれど自分が置かれている状況を理解してきた。
でも、理解するのと、それを受け入れるのとでは話が別だ。なにせ、今の私は赤ん坊に生まれ変わったらしいのだから。
なんでそんな突拍子も無い考えに辿り着いたのかというと、どうも、身体が小さくなっているみたいだし、母親らしい女性からお乳をもらったり、下の世話をされたり(とても恥ずかしくて、毎回死にたくなる)していることから推測しただけだ。
けれど、ほぼ間違いないだろう。
そして、始めに歌を歌っていた人影が、今の私のお母さんらしい。
毎日私を寝かせるために、あの美しい歌声を聞かせてくれているし、私の世話を主にしてくれているのは彼女だ。
あ、そうそう。とても重要なことを忘れていた。
目がはっきりと見え始めたのはつい昨日のことなのだけれど、そこで確かめた家族の容姿が、本当に凄いの一言に尽きるものだったんだ。
だって、家族全員とんでもなく美人だったんだよ。
お乳をくれる人は、恐らく母親だと思うんだけど、見た目的にはとても子供がいる年齢には思えないほど幼い。下手をすると、小学生にも見えるくらいだ。
金髪の巻き毛に、クリクリとしている大きな碧い瞳。
笑うと、ヒマワリや太陽のように華やかで明るい雰囲気になる、とんでもなく可愛らしい人だ。
そして、とても綺麗な歌声をしている。その声を聞くだけで心が安らぎ、絶対的な安心感に包まれるような心地がするのだ。
言い表すなら聖女とか、そんな感じだろうか。
そして、お母さんの次によく私に会いにくる人も、彼女に負けず劣らずの美人だった。
ただ、その雰囲気は正反対で、お母さんがひまわりや太陽に例えられるような、明るく、天真爛漫な感じなのに対し、その人は、白百合や月のように凛々しく、涼やかな美しさを讃える絶世の美女。
雰囲気だけでなく、容姿も彼女たちは正反対で、お母さんが童顔で低身長なのに対し、もう一人の女性は170は優に超えているように見えるすらりと高い身長と、ほっそりとした姿態をしている。
彼女の雰囲気はまるで研ぎ澄まされた刃のようで、触れれば切れてしまいそうな鋭さを持っていた。
そんな彼女を彩る白い髪は短く切りそろえられて、彼女の凛々しさをより引き立てている。
そして、赤く、きっとつり上がった瞳は、まるで宝石のように力強い光を放っている。
白い髪に赤い瞳ということで、自然と冬の兎を連想してしまったけれど、瞳に宿る光の強さに、兎のような愛らしさは見当たらない。
寧ろその瞳は、獰猛な猫科の肉食動物を彷彿とさせる。
その代わりとでも言うように、清廉な中に隠れた艶のようなものも感じさせる。そんな不可思議な魅力を持った女性だ。
しかも、いつ見てもピシッとした男ものの貴族っぽい服を着ているというのに、美し過ぎて全く男に見えないというのが凄いと思う。
彼女が自分にとってどんな立位置にいるのか、未だに計りかねているけれど、母親の友達か、肉親といったところじゃないかと思う。
姉妹にしては顔立ちが全く似ていないし。
それから、そんな二人に連れられて現れる、恐らく今の私の姉妹と思われる三人の少女。
この子たちも、将来は母親たちに負けないくらい美しくなるんだろうと思える位の美少女だ。
その三人の中で一番年上に見える少女は、多分白髪の女性の子供だと思う。
だってその子、白髪の女性にそっくりなんだもん。
髪や瞳の色だけならまだしも、顔の造りまで本当にそっくりで、女性をそのまま子供にしたような姿なんだよ。
たぶん、大人になったらこの二人は見分けがつかなくなるんじゃないかな。
まあ、この子が大きくなるまでに女性の方が老けてしまったら見分けもつくのだろうけど。なんとなく、この人は老けなさそうな気がした。
白髪の少女は真面目な性格みたいで、彼女の母親の側でいつも大人しくしている。
かと言って私に興味がないわけでは無いらしく、母親の横から好奇心に満ちた瞳を向けてくるのだ。
きっと、触りたいのを我慢しているんだろうなあと、私は年の割に自制心が強いらしい少女に尊敬の念を抱いている。
前世の年齢を合わせれば彼女は圧倒的に年下だけれど、今は私の方が年下だし、彼女はすでに前世の私よりもしっかりしていそうだから、尊敬しても可笑しくはない、はずだ。たぶん。
そんな真面目な白髪の少女とは対照的に、三人の少女の中で一番小さな女の子は、好奇心のままに私へ触ったり、話しかけたりしている。
その子は私の新しい母親に似ていて、愛らしい見た目の女の子だ。
でも、結構お転婆みたいで、落ち着きなく動き回っては転んだり、物を蹴倒したりして、白髪の女性や白髪の少女に窘められている。
なのに、どんなに怒られて泣いても、怪我をして痛くて泣いても、直ぐに泣き止んで暴れ回る。
あの子の中には、学習するという言葉は無いんだろうか?
またも目の前で転んだ少女に、私は彼女の将来が心配になった。
そんな私の頭を、するりと撫でる手があった。そちらへ目を向けると、銀髪の少女と目が合う。
最後に残った、三人の中で中間位の年に見える少女だ。
この子については正直、どちらの女性の子供なのか判別がつきにくい容姿をしている。
銀髪翠眼だけど、どちらかと言うと白髪の女性に顔は似ていると思う。
だから、たぶん彼女の子供で、父親似なのだろうと辺りをつけているけれど、確証は無い。
もしかしたら、私の父親と白髪の女性が兄弟で、銀髪の女の子は父親似という可能性だってあるからだ。
そこはまあ、言葉が分かるようになれば自然と分かってくるだろう。
彼女自身から聞き出すことは、たぶん難しいと思うけれど。
そう思いつつ、こちらをじっと見てくる少女へ手を伸ばす。それを、少女は無言で握った。
これが彼女の通常運転。この子はとにかく無口なのだ。
みんな物珍しいためか、毎日私に会いに来てくれるのだけれど、その間に彼女が口を開いているところを見たことがない。
まあ、目が見えるようになったのは昨日からだから、見えていない間に口を開いていたのかもしれないけれど、それならそれで声は聞こえるはずだ。
幸いにも、耳は意識を取り戻した次の日には大分クリアに聞こえるようになっていた。
それなのに、彼女の声だと思えるモノを、私は聞いたことが無い。
ここがどこの国なのかは分からないのだけれど、彼女たちは英語でも日本語でもない言葉を使っている。そのため、みんなが何を言っているのかは分からず、口調とかからでは区別することができない。
でも、音楽を嗜んでいた者として、音の違いくらいはきちんと聞き分けられる。
だから、彼女が一度でも私の前で話したことがあれば、直ぐに気付いたはずだ。
そんな彼女は、無口な上に表情筋が死んでいるんじゃないかと心配になるほどの無表情なため、何を考えているのか私には全く分からない。
美しい顔の造りも相まって、さながら動く人形のよう。
でも、姉妹の中で一番私に構っているのは何気にこの子だったりするので、意外と好奇心は旺盛のようだ。
さて、ここまでが私の現在の家族と思われる人たちだ。しかし、この家にはこの人たち以外にも結構人がいる。
なんでその人たちを家族と判断しなかったのかというと、彼らは漫画なんかに出てくるようなメイド服と燕尾服を着ているからだ。
たぶん、家族じゃなくてこの家の使用人なんじゃないかな。
家族が着ている服も凄く高級そうな感じがするし、きっとこの家族はお金持ちなのだろう。
まさか日本の一般人だった私が、ヨーロッパ(置いてある調度品とか、彼女たちの見た目からの推測)のお金持ちの家に生まれるなんてなぁ。何か変な感じ。
それと一つ気になるのは、今まで父親らしき人に一度も会えていないことなんだよね。
一体どんな人なんだろう?家族よりも仕事が大事って感じの仕事中毒な人なんだろうか。それとも単身赴任中とか?
これだけ多くの人を雇えているくらいだから、どこかの会社社長とかなのかな。
いや、みんなが着ている服がなんだか中世の貴族の服っぽいから、貴族とかなのかもしれない。
こうして赤ん坊として生まれ変わったということは、私はあのまま死んでしまったんだろうな。
そう、感慨に耽る。すると、心がどんどん高ぶってくるのを感じた。
あ、やば!すごく悲しくなってきた。このままだとまた泣き出してしまうかもしれない。
どうも、身体に引きずられて精神すらも幼児退行してしまっているみたいで、上手く自分の感情を制御出来ないのだ。
そのせいで、ちょっとしたことで泣いたり笑ったりと感情がすぐ移り変わる。
笑うのは良い。誰にも迷惑をかけないからね。
でも、私が泣くと泣きやませられるのは今のところお母さんだけなのだ。私が泣くたびに呼ばれる彼女は大変だと思う。
だから出来る限り自分が死んだのだということや、生まれ変わったのだということを考えないように努力しているのだけれど、ついうっかりやってしまうことが多い。
「オギャー!オギャー!オギャー!」
結局今日も泣き喚いてしまった。本当申し訳ない。
ここまで閲覧していただきありがとうございます。
前回暗い終わり方だったので、出来るだけ暗くなりすぎないように頑張ったのですが、なかなか難しいですね。
主人公の家族を区別するために、ひとまず髪の色と瞳の色で特徴を付けてみました。
上手く書けていれば良いのですが、分かりにくかったらまた後で表現方法を直します。