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01.目覚め‐Ⅱ




.


 目が覚める。


 突然の事態に、少年の思考能力は著しく失われていた。頭の中にはハテナがいっぱいで、指先ひとつ動かすのにも十秒以上を費やした。


「…………なにが」


 少年は囁くように呟いた。頭がくらくらする。それに、途轍(とてつ)もない悪臭。強烈な鉄錆の匂い……。


 うつ伏せで倒れていた体を起こしながら、少年は左手で頭を抑える。ひどい頭痛だ。視界が(かす)んでいる。

 左手がヌルヌルしている。


「……?」


 痛む頭を我慢して、少年は眉間に皺を寄せながら目を開いた。


 左手が真っ赤に濡れていた。まるで、赤いペンキにでも突っ込んだみたいだ……



「――……っ!?」



 突如、覚醒した意識で、少年は思いっきり飛び退いた。


 少年の寝ていた場所に血の池が出来ていた。強烈な鉄錆の匂いも、それが発生源だ。

 ――僕の、血……!?


 どこか怪我をしていないか、少年は自分の体をまさぐってみる。その際に左手だけでなく服も血塗れなことに気がついたが、今はそれどころではない。


 結局、体のどこにも異常はなかった。怪我はしていない。でも、血の池ができている。自分の下に。

 意味が、分からなかった。理解が追いつかない。頭が働かない。


 そもそも、どうして、自分はこんなところで寝ていたのか?


「……そうだ。僕は石像の部屋で目が覚めて、ここまで歩いてきて………………怪物に、襲われた……?」


 そこまで思い出した瞬間、襲われた瞬間の恐怖が蘇ってきて少年は吐いた。自分でも驚くほど無抵抗に胃の中身が逆流してきて、口から吐き出される。


 吐くものがなくなって、少年はよろよろと、壁を支えに立ち上がった。口元を血塗れの袖で拭って、さっと周囲を見回す。


 怪物の姿は、どこにも見えない。もしかしたらこの血の池は怪物の血かと思ったのだが、そうでは無さそうだ。


 意味が分からない。まったく何も、一切合切、皆目も見当がつかない。何が起きていて、自分はどうなって、どうしてここに居るのか。自分の名前は? 親は? 家は? 友人、恋人、暮らしぶりや仕事や趣味や特技や幼少期の記憶は?


 何も、全然、覚えていない。思い出せない。記憶の残滓(ざんし)も、そもそも記憶という存在の欠片すらも見当たらない。


「くそっ……くそっ……!」


 やけくそだった。訳が分からない。頭が痛い。体も節々が痛む。胃液の味が気持ち悪い!


 ふらふらと覚束無い足取りで、少年は歩き始めた。怪物に襲われた通路を選ばなかったのは、本能的な行動だった。もう一度襲われるなんて冗談じゃない。

 腹が立っていた。無性に苛立つのに、矛先を向けるべき相手が存在しない。怒りは無尽蔵に増幅し、少年はその怒りをエネルギーにただ前だけを向いて歩く。


 動いていなくてはおかしくなりそうだった。自分は、怪物に襲われたはずだ。そして死んだ(・・・)はずだ。どうして生きている? なぜ、血の海の中で寝ていて、目覚めた?


「誰か……教えてよ……っ」


 弱々しい声は、想像よりもずっと(かす)れていて、レンガ造りのくせにやけに反響する通路にもほとんど響かなかった。




   ♌ ♌ ♌




 カツン、カツン、と靴音が響く。いつも思うが、この音は怪物(クリーチャー)どもに自分の存在を教えているようで落ち着かない。

 【隠密】とか【軽業】のスキルを修得すれば足音を消せるらしいが、訓練や修行が非常に大変なことで有名なので、あまり気乗りはしない。


 第一、普通の怪物(クリーチャー)が相手なら不意打ちをする必要もないわけで。問題視すべき大型怪物(ヒュージ)どもは足音や咆哮が(やかま)しいからすぐに気づけるし、


「うん。あんまり問題じゃないね」


 独り言は、一人暮らしを初めてからは当たり前になってしまった。最初の頃は直そうともしていたけど、今では諦めている。誰かに聞かれているわけでもないし、聞かれたとしてもだから何? という話だ。


 一人でうんうんと頷いて、金髪碧眼の攻略者――フランはまた歩き出す。カツン。カツン。カツン……。


 ――でも、やっぱり気になるんだよね。


 何がそんなに気になるのかと言われたら困るのだが、とにかく気になる。ソロで迷宮攻略をしているから感覚が敏感になっているせいかもしれない。たぶん、そうだ。


「……っと」


 危うく真っ直ぐ進みそうになって、フランは急停止する。右に曲がると安全地帯だ。一度、そこで休憩しておこう。

 そう判断して、フランは進路を変更する。安全地帯に近づいたら休む。これ迷宮攻略の鉄則、と。


 大丈夫だとは思いつつも、一応左手を剣の柄に添えながら進む。安全地帯の中には怪物どもは入ってこられないが、人間なら誰でも入ってこれる。最近巷では安全地帯で休む攻略者を狙うスタイルの強盗が流行っているらしいし、警戒するに越したことはない。


 結局、問題なく安全地帯にたどり着いた。俗に安地と省略して呼ばれるここは、装いとしては別に変わったところはない。


 二十メートル四方くらいの、正方形の部屋。部屋の中央には白い台座の上に青い宝石が乗ったオブジェがあって、それが怪物の侵入を防いでくれるらしい。天井には照明が“浮いて”いて明るいのも、憩いの場として最適だ。

 一体誰が、どんな目的でこんな部屋を造ったのか……。


 まあ、それを言ったらこの迷宮……【深淵迷宮】・通称“アビス”だって、誰が何の目的で創ったのか、という話だけど。


 そんなことを考えながら腰を下ろそうとしたフランは、ある音に気がついて動きを止めた。


 その音は、靴の音。それと荒い呼吸音。不揃いでフラフラとした足音を不審に思って、フランは剣の柄を握る左手に力を込めた。


 ――怪我をしてる? ……にしては、歩くのが速い。


 警戒するフランの視線の先で、フランが入ってきたのとは別の通路から、“そいつ”は現れた。




   ♌ ♌ ♌




「はぁ……はぁ…………」


 肉体的には大して疲れていないはずなのに、少年は体が鉛にでもなったような気分だった。原因が頭痛であることは明白だが、それだけではない気がする。

 とにかく体が重い。足取りがしっかりしない。


 それでも、少年は無心で歩き続けた。体感では一時間も歩いた気分だが、実際にはたぶん十分くらいだ。

 行動力の源だった怒りはとうに消え去り、少年が足を交互に前に出す理由は恐怖それだけだった。


 怒りを失った少年は、ただひたすらに寂しかった。怖かった。寒かった。暗かった。いつ後ろから怪物に襲われるか、その恐怖から逃れるために、歩を進め続ける。


 そんな少年が明かりに気がついたのは、そろそろ体力の限界が近づいてきていた時だった。


 少年は意味もなくあそこにたどり着けば安全だと確信した。まるで光に群がる蛾のように、フラフラと吸い寄せられる。


 そこは、部屋だった。【石像の部屋】とはまた違って、シンプルな構造だ。正方形で、中央に白いオブジェクトが設置されている。


 そのオブジェの隣に、人が立っていた。


 まだ幼さの残る少女だ。綺麗な金髪に、美しく澄んだ青い瞳。全体的に華奢で色白なその少女は、右腕が無かった。中身のない袖がぷらん……と垂れている。

 しかし、そんな欠陥が気にならないほど、綺麗な少女である。お人形さんみたい、という表現があるが、まさしくそんな感じだ。


 肩くらいまでの長さと思われる金髪の後ろ髪を結んでいる彼女は、警戒の浮かんでいた瞳を驚きで見開いた。


「怪我をしてるの?」


 少女の口から発せられた声は、同性と比べると少しだけ低い、しかし可愛らしいものだった。


 そこまで考えて、少年の体力に限界が来た。どさっ、と受身も取れずに床に倒れ込む。


「あっ、ちょっと!」

「……だいじょうぶ」


 ゴロンと仰向けに寝転がって、少年は弱々しい声を発した。異常なほど疲れているし気分は最悪だが、怪我はしていない。それに、不思議とこの部屋に入ってから体力が回復している……気がする。


「けがは……してないから」

「で、でも……血塗れだけど……」


 そう言われても、本当に怪我はしていない。血の池の中で目覚めたから、と言っても、余計に混乱させるだけだろう。そう考えて少年は沈黙を選んだ。


「………………」

「………………」


 少年が黙っているからか、少女も口をつぐんでしまった。別に気にする必要はないはずだが、嫌な沈黙が流れる。何か、話したほうがいいのかな。


「……えは……」

「え?」

「なまえ、名前は……?」


 掠れた声で言葉を紡ぐ。特に知りたかったわけじゃないが、初対面の相手と会話をするのなら最初は名乗り合うのがベターだろうと考えてのことだった。

 自分に関する記憶はないのに、一般常識は覚えている。不思議なものだ。


 笑えない。自嘲の笑みも浮かばない。


「ボクはフラン。フリーって呼んで」

「……フラン……」


 少女だと思っていたが、案外、女顔の少年なのだろうか? 『ボク』という一人称が、少年にそんな疑念を抱かせた。よく見れば、服装も男物っぽい。しかしフランという名前はどちらかというと女性に多い名前のはずだ。


 いっそ本人に聞こうかとも思ったが、やめた。別にどちらでも問題はないはずだ。だったら、わざわざ尋ねることでもない。


 フランと名乗った金髪碧眼の少女(恐らく)は、なぜか少年のそばまで歩み寄り、隣に座った。疑問に思いつつそちらに顔を向けると、体育座りをしたフランに微笑まれた。


「君の名前は?」

「なまえ……」


 尋ねられて、どう答えるべきか……と思い悩む。適当な偽名を名乗るというのもひとつの手だが……。


 ――いや。


 それは誠意がないな、と思いとどまった。別にこの少女に対して誠意を込めた対応をする必要はないはずだが、何となく、抵抗があった。

 だから、包み隠さず、すべてを話すことにした。



「実は……――」




.

 連続投稿。


 出し惜しみはしないし、出来ないタイプです。




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