00.目覚め
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目が覚める。
突然の事態に、少年の思考能力は著しく失われていた。頭の中にはハテナがいっぱいで、指先ひとつ動かすのにも十秒以上を費やした。
「…………ここは」
少年は囁くようにそう呟いた。思った以上に自分の声が反響して聞こえ、ビクリと体を震わせる。自分の声? 思った以上に?
何もかも分からなかった。理解ができない。僕は一体、どうなってるんだろう?
少年はまず、自分の上半身を起こしてみた。体は正常に動く。可動する。今度は立ち上がってみた。
「ここは、どこだろう……」
立ち上がって、しっかりと周囲を見回して、少年は首を傾げた。
薄暗い。それでも物の形や部屋の広さがしっかりと分かるていどの光量は確保されている。部屋の至るところを浮遊している青白い球体のおかげらしい、と少年は理解した。
壁には上半身が裸で頭が牛の巨人やら、頭が獅子で鷹の羽を生やし蛇の尻尾を持つ怪物やらのレリーフが刻まれている。それらをグルリと見回していくと、それが目に入った。
それは、丁度少年の真後ろに佇んでいた。大きい、たぶん四メートルはあるだろう。それは真っ白な石で出来た女性の石像だった。女性の石像は祈るように両手を胸の前で組んでいた。ヴェールで顔を隠している。
少年は暫くその石像に見とれていた。意味も無く惹きつけられる、そんな魅力を感じる。
――それどころじゃない。
自分で自分を叱って、少年は状況把握に戻った。部屋の壁は四面すべてに同じようなレリーフが刻まれている。天井が高いのは、石像に合わせているのだろう。
次に、少年は自分の姿を確認した。
深緑色のスマートなフードローブと言うか、フード付きハーフコートとでも呼ぶべき上着に、タイトな黒色のパンツ。右腕には、細身の、黒い篭手を装着している。重さを感じないのは、ガントレット自体がとんでもなく軽いからだろうか。触った感じは硬くて丈夫そうだ。
ガントレットは手の甲と前腕部しか保護しておらず、指先は外気に晒されている。ガントレットを装着している右手だけ、指し抜きのグローブを嵌めていた。
ガツン。と黒革のブーツで地面を蹴る。硬質な音だ。意味はない。
「……困ったな」
本当に、少年は困り果てていた。ここはどこなのだろう、そして自分は誰なのだろう。そんな疑問ばかりが脳みその中でグルグルと旋回している。
少年は、何も思い出せなかった。どれだけ丁寧に辺りを見回しても、服装を確認してみても、自分の名前すら思い出せない。
少年はどうやら、【記憶喪失】であるようだった。
♌ ♌ ♌
ひとまず、少年は行動することにした。幸い目覚めた部屋、便宜的に【石像の部屋】とでも言おうか、石像の部屋からは通路が伸びていた。
カツン、カツン、カツン……。
少年の歩く靴音がやけに響いて聞こえる。実際、物凄く反響するのだ。ただただ薄暗く伸びている通路には遮蔽物が何もなく、まただだっ広かった。そのせいか、音が異常に反響し、残響する。
光を発する小さな光球は通路にも多数漂っていたので光源には困らなかった。フヨフヨと浮遊するその光球は【魂】を連想させる。
魂たちの漂う儚く幽玄な風景を、少年はひとまず楽しむことにした。実際美しい画だが、現実逃避に他ならない。
カツン、カツン。ゆっくりとした速度で、少年は通路の奥を目指して歩き続ける。どこに行き着くのかも分からないまま。
込み上げてくる不安を誤魔化すため、風景に見入る。
通路の光源は光を放つ魂たちだけではなく、壁と床が交わっている部分が足下灯のように淡い光を放っていた。自由気ままに浮遊する光球とフットライトの明かりで、影の位置がしきりに変化する。
しばらく、たぶん五分くらい歩き続けた先で、通路が分岐していた。大きく三角形の形に開けた分岐点に立ち尽くし、どうしようか、と悩む。
道は、少年が歩いてきた【石像の部屋】へと戻る道がひとつ。他は、右か左に分岐しているふたつだ。どちらも大きさは変わらず、造りも完全に一緒のようだ。ここからでは奥までは見渡せないが、たぶん同じだと思う。
どちらに行くべきか。そもそもここがどういった場所で、造りで、現在地がどの辺りなのかすら分からない少年には選べようはずもない。感覚、勘、それしかない。
「……右、かな」
無意識に独り言が漏れる。心細いのだ。
とにかく、右に行こうとした。何の意味も無く決めたルートだったが、少年はそちらにナニカがあると確信することにした。そうでもしなくてはやっていられないからだ。
再び進みだし、通路に入って十歩も歩いただろうか。
何かが聞こえてきた。
「…………?」
それは最初、聞き間違いかと思うほど小さな音だった。――……ォォ……――という低い、地鳴りのような音だ。次いでドッドッドッ……と心の臓に響く重低音。
――何の、音……?
嫌な予感がする。根拠など存在しない、ただの直感だ。
警戒に身を固くする一方で、重低音は徐々に音を大きくさせていく。同時に心臓を叩く強さも強まり、壁や床までもが震えているようだ。
ギャオオオォォ……ッ!!
「――……ッ!?」
突然の咆哮。華奢な少年の体など吹き飛ばしてしまいそうな大絶叫に戦く。咄嗟に背を向けて、分岐点まで戻ろうとした。
遅かった。
“それ”は少年の姿を確認しても速度を緩めなかった。いや、そもそも少年など歯牙にも掛けていないのか。とにかく、それは直進、猛進、突進してきた。
「グァォォオオオッ!!」
「うわぁっ!?」
咆哮と共に、それは少年の体を頭突きで吹っ飛ばした。ドゴォッ、と凄まじい衝撃が少年の全身を襲い、一瞬だけ吐き気を催す。吐き気はすぐに吐瀉物となってなんの抵抗もなく少年の口から吐き出された。
一気に三十メートル以上も吹っ飛んだ少年が、分岐路の壁に激突して停止した。受け身など取れる勢いではなく、またそんな技術を少年は持ち合わせていなかった。無抵抗に叩きつけられ、後頭部を強打する。圧し潰された声が、少年の口から漏れる。
「……あっ……が…………ぁ……」
ビクン、ビクン、と少年の体が痙攣する。後頭部が潰れたのか、出血していた。目は虚ろに濁り、口からは意味の無い音が出るばかり。微量だが吐血もしている。
小脳か延髄か、あるいは両方が損壊した少年にはすでに動く術がなく、死を待つだけの存在へと成り果てていた。
「グルルルル……」
“それ”……頭は獅子、鷹の羽を生やし、蛇の尻尾を持つ怪物は、喉を鳴らして少年へとゆっくり近付いてくる。口からだらだらと涎を溢れさせているところを見ると、空腹状態なのだろうか。
怪物は、ゆっくりと、息絶えようとしている獲物に歩み寄る。
ドシン。怪物の脚が少年の頭のすぐ上に到達する。
――ああ……。
少年は動かない頭で、消え入りそうな生命で、ほとんど飛んでしまっている思考で考えた。
――死ぬのか。意味も分からず。自分が誰かも分からず。死に場所の名前も知らず……。
怪物が前足を大きく振り上げ――――
――――少年の頭に向けて思いっきり振り下ろした。
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タイトルは仮というか、迷った挙句に『もう要素を羅列すりゃいいじゃん』と思って付けたものなので、もしも『もっといいタイトルがあるよ!』という方がいましたら是非ご教授下さい。
採用するかはわかりませんが。
ちなみに英題(?)として フール・ノイズ・ブロークンワールド というのも考えていましたが、長いのでやめました。
では、これからもよろしくお願いします。
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