第25話 暗殺の引き金と、忍び寄る刺客
第25話:暗殺の引き金と、忍び寄る影
京の都から神崎城への帰り道。小雨が静かに降り注ぐ琵琶湖畔の街道を、慶三郎たちは馬を進めていた。
護衛として同行する長男・一馬が、ふと眉をひそめて背後を振り返る。
「……慶三郎。京を出てからずっとだ。気配を消そうとしてはいるが、何者かが俺たちの後を追ってきている」
一馬の手が、静かに刀の柄にかかった。
「忍びでしょうか? 敵の刺客か、あるいは……」
「いや、忍びの気配だけではないな」
慶三郎の問いに答えたのは、馬上で手帳を開いていた次男の兵衛であった。
「今井宗久様からの密報によれば、堺を追い出された南蛮商人・ガブリエルの残党が、旧六角家の勢力や闇の鉄砲使いと手を組んだらしい。狙いは当然、慶三郎……お前が開発した『無煙火薬』と『遠見の筒』の精製手順書だ」
慶三郎の胸に、嫌な予感が走った。
上洛戦での圧倒的な戦果により、神崎家の「化学」の存在は天下に知れ渡った。だがそれは同時に、力に飢えた乱世の野心家や悪徳商人たちから、最も魅力的な「標的」として狙われることを意味していたのだ。
◇
同じ頃。近江と伊勢の境に位置する深山幽谷の廃寺。
暗がりの中で、一人の男が静かに鉄砲の銃身を布で磨き上げていた。
鋭い鷹のような目、引き締まった体躯。甲賀53家の一つ・杉谷家に連なる鉄砲の名手――杉谷善住坊である。
「……これが、神崎のガキが作ったという『無煙火薬』か」
善住坊の前に置かれていたのは、黒革の小袋に入った灰色がかった微粒子――慶三郎が精製した高純度無煙火薬であった。
その脇に立っていたのは、深いフードを被った南蛮の密売人である。
「そうだ、善住坊。その火薬は煙が出ず、威力は従来の三倍。それを使えば……どんな遠方からでも、織田信長を確実に仕留めることができる」
「ふん」
善住坊は鼻で笑うと、小袋から少量の火薬をつまみ、指先で感触を確かめた。
「粒子が異様に揃っておる。湿気にも強く、燃焼の狂いが一切ない……恐ろしい火薬だ。これほどのものを14歳の童が作ったというのか」
「ああ。織田信長は近々、京都から岐阜への帰還のためにこの南近江の千草峠を通る。……善住坊、貴様の腕とこの火薬があれば、信長の首など造作もなかろう」
密売人は下衆な笑みを浮かべ、重い金貨の袋をたたみに投げ置いた。
「信長を討ち取れば、賞金は思いのままだ。……そして、隙を見て神崎城の試作工房を襲い、あの少年を拉致して火薬の製法を吐かせる」
善住坊は金貨には目もくれず、愛用の二連式火縄銃の引き金に指をかけた。
「信長の首など、どうでもよい。……俺が興味があるのは、この火薬を作った『神崎慶三郎』という童だ」
善住坊の瞳に、危険な執着の光が宿る。
「従来の火薬では、二町(約200メートル)を超えれば風と煙で狙いが逸れる。だが……この火薬と、あの童が作ったという『遠見の筒』を組み合わせれば、三町先からでも大将の眉間を撃ち抜ける。……猟師として、これ以上の興奮はない」
善住坊は静かに立ち上がると、火薬を筒に装填した。
史実において、1570年に千草峠で織田信長を狙撃し、間一髪のところで信長を打ち漏らしたとされる伝説の狙撃手・杉谷善住坊。
現代化学の「無煙火薬」を手にした男の手によって、歴史の暗殺計画は史実よりも一年以上早く、そしてより完璧な形で実行されようとしていた。
◇
神崎城・化学工房。
無事に城へ帰還した慶三郎であったが、その顔に安堵の彩りはなかった。
「慶三郎、どうした? 京から戻ってからずっと考え込んでいるようだが」
作業の手を休めた一馬が声をかける。
慶三郎は文机の上に広げた「近江の地図」を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「兄上……織田信長様が岐阜へお戻りになるルートは、どこか分かりますか?」
「ん? ああ、南近江の千草峠を通るルートだと木下藤吉郎殿から聞いているが……それがどうかしたのか?」
「千草峠……!」
慶三郎の脳裏に、激痛のような衝撃が走った。
(間違いない……! 史実で杉谷善住坊が信長を狙撃した、あの『千草峠の狙撃事件』だ……!)
史実では信長は袖を掠めるだけで命を取り留めた。しかし、もし今……刺客たちの手に自分の作った『無煙火薬』や『望遠鏡』が渡っていたとしたらどうなる?
初速が跳ね上がり、煙で位置がバレず、望遠鏡で寸分違わず照準を合わされたなら――信長は間違いなく即死する!
「……っ! 歴史が……僕の作った火薬のせいで、最悪の形で変わってしまう……!」
慶三郎の顔から血の気が引いた。
「慶三郎! どうした、顔色が真っ青だぞ!?」
心配して駆け寄る一馬と兵衛。慶三郎は二人の手を強く握りしめ、必死の覚悟で叫んだ。
「兄上っ! すぐに『安全衛生隊』と『狙撃防衛隊』を編成してください! 織田様が千草峠で襲われます……! 僕たちの化学で、絶対に信長様を救うんだ!!」
自分の創り出した科学が、歴史を狂わせる刃となるのか。
それとも、未来を守る盾となるのか――。
慶三郎は兄達を連れて、暗殺者の引き金が引かれる前に、危機一髪の千草峠へと駆け出すのであった。
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