前編
「内容に異議はございませんか?」静かに、職員の男性が双方に確認する。「ああ。」「大丈夫だ。」答えたのは自分の父と、相手の父親。「では、これで“婚約”の解消が確定されました。皆様、お疲れ様でした。」職員の男性は書類をカバンに収め退室していった。メイドがティーワゴンを押して入ってきて、それぞれの前に暖かいお茶が入ったティーカップを置く。早速、口に運ぶ。意外に緊張していたのか、程よい熱さのお茶をカップ半分、一気に飲んでしまった。「すまないな、アルフレッド。ジルベスター。」「いや、こちらこそ。仕方ないさ、今の状況じゃ。」父親同士が話したのは、今しがた終えた“婚約解消”について。私と、私の前に座る“元婚約者”のジルベスター。二人は生まれた時から、父親同士の「互いに異性の子が産まれたら、結婚させよう。」という望みのもと、婚約者として育った。本人達は、好き嫌いとかなく、よく遊びにくる友達ぐらいにしか思ってなかったが。しかし、世界が変わった。王権が代わり、各地で自然災害や魔獣の大量発生が起こり、安寧が約束できなくなった。ジルベスターの家は代々騎士を輩出しており、討伐となれば最前線で指揮を取る。かたや、我が家は代々計算に秀でた者が多く、国庫の財形、地方の予算収支の管理、過去の文献を読み解き、無駄を減らす事に尽力する事で有事の際、万全を期す事が出来るよう立ち回るのが生業だった。しかし、続く自然災害に住民は困窮し、その時の王権を担っていた父王を「疫病神」と称し、殺害した第一王子が王権を握った。だが、何も変わらない。王が天候を操れる訳がないのだ。そうして、政内も混乱し、追い討ちをかけるように各地から魔獣が増えていると通達が来たのが、先月末だ。
「互いに、いつ散るや判らん。婚約で縛れば、帰る者なき後も待つようになってしまう。」互いの両親が話し合い、そうして“婚約解消”が決まった。
「とりあえず、生きていたい。」なんとか幼い妹弟を大人にするまでは、死ねない。漠然とした思いのもと、父に願い出たのは“他国への亡命”だった。しかも、姉妹弟三人だけで。「しかし、幼い下の子はともかく、お前はすでに16歳。この国に留まらねばなるまい。」人口流出をさける為に定められた王命だ。「メイドなら、一人つれて行けます。」
こうして、自分の廃嫡、弟を嫡男とし、亡命の為二つ国の離れた同盟国に留学と言う形で逃げたのだった。
「ほら、顔を洗ったらちゃんと拭かないと。カサカサになっちゃうよ。」「ねぇね、おリボン、着けて。」「ねぇね、僕のハンカチ、どこか知らない?」
毎朝、騒がしいったら。これでも、一国の財務官僚の子かしらね。爵位もあったが、ここじゃ役に立たない。清貧をモットーに、街のちょっと良いとこの子ぐらいの生活を送っている。「いってらっしゃいませ。」学校までの馬車に二人を乗せ見送っていると、隣の家のマダムが話しかけてきた。「これは、アダムス夫人。何か粗相がございましたでしょうか?」隣のアダムスさん一家は商人で、街のあちこちに雑貨屋を営んでいる。「いえね、あなた、若いメイドにしてはよく働くわね。」「ありがとうございます。」「うちで働かない?お給料、弾むわよ。」「ありがたい申し出ではございますが、わたくし、坊っちゃま、お嬢様を任せて頂いている身。命をかけて尽くす所存でございます。ですので、」「ああ、もう良いわよ。あなた、ほんと忠義者ねぇ。」呆れたようにそう言って家に戻っていった。まぁ、夫人も本気ではないのだ。家に入り、玄関の戸を閉めると腕捲りをする。「さあ、やるぞ!」
時は流れた。亡命時、5才と4才だった妹弟は優秀な成績で学校を卒業し、弟が16歳になる年に自国へ戻った。父も母も健在だったのが救いだ。しかし、当時の家屋はない。早々に家財、家屋を売り払い、自分達の生活費にとまわしてくれた。仕えてくれた者達にも幾らかを持たせ、身の安全を優先させ里に帰らせたのだ。「父様母様は、ご不便されたのでは?」今、両親が暮らすのは、前前王の時代の地方貴族の別邸だったもので、町人からしたらお屋敷だが、隣に住んでたアダムス夫人から見れば『まぁ、ペンションでもなさる気?』なんていわれるだろう。「我が家は“清貧”がモットーだ。必要な所は金をかけても、無駄はしない。」「わたくし、家庭菜園をして楽しんでいるの。」最小限の執事とメイドを残し、後は自分でする。父も母もたくましい。
「二年前に第二王子が、王…第一王子を討ち、治水を施してからは、だいぶん安心出来るようになったよ。」「魔獣の方は?」ソファに座る父と母、弟妹にお茶を運ぶ、敬語を話さないメイドなど他に見ない姿だ。「ああ、地元の狩人や傭兵を試験し、雇用形態にして『冒険者』として働いて貰っている。」公務員としての冒険者、という事だ。「そうですか。」「父様。」弟が話しだした。「姉さんは、この先どうなるのでしょう。」「…。」年齢は27歳、とうに行き遅れだ。しかも、廃嫡しているために、令嬢ですらない。「私は、メイドで充分なんですが。」「駄目よ、ねぇね。私達、ねぇねが幸せになってくれないと、自分を責めてしまうわ。」妹が可愛く結った髪を揺らす。「でも、充分に幸せなんだもの。あなた達と過ごせて、これからは父様と母様と過ごせるわ。命あっての事だもの。」優しく妹の手を撫でる。留学中、本国から届いた知らせの中には、学生時代の友人や、その家族が亡くなった知らせもあったのだ。内乱に巻き込まれた者、魔獣に襲われた者。瞳を揺らす妹の頬を両手に包むと、いっぱいの笑顔で「さあ、父様母様、わたくしが腕を奮ってお食事の用意しますわ。覚悟なさいませ!」
広間の真ん中、よく磨き込まれた木の長テーブルは艶々と重厚感を出し、白いレースのテーブルセンターは母の力作だ。並ぶ食器もアンティークだが、どれ一つとして欠けていない。鶏の木苺のジャムソースがけ。家庭菜園でとれたカブのポタージュ、そのカブの葉を使った、野菜のゼリー寄せ。全粒粉のパン。古くから我が家に仕え、律儀に残ってくれたメイドと執事と共に食卓に並べていく。「お嬢様は、相変わらず、変わっていらっしゃる。」「あら、先を見込んでの事よ。計算高いの。」笑い合いながら準備をしていた時だ。「さあ、父様達をお呼びして。」と指示したと同時に、人の訪れを伝えるベルが鳴る。「…?こんな時間に?」「ご家族さまに、人と会うご予定はございませんが…。」執事とメイドと顔を見合わせる。再度、ベルが鳴る。「父をすぐに呼んできて。私も一緒に対応するわ。」メイドを走らせ、執事と共に玄関へと向かう。その間にもベルが鳴らされる。急を要するのだろうか。先に、執事が声をかける。「どちら様でいらっしゃいますか?」重い木の扉の向こうに人の気配がする。「ああ、急にすまない。聞いたんだ。帰ってきていると!」早口で喋る声は男性だ。しかし、名前も要件も言わない。「失礼ですが、お名前とお約束の有無を伺っても?」再び執事がたずねる。「私は!私はジルベスターだっ!」名前を聞いてまたしても執事と顔を見合わせる。ジルベスター?10年も前に婚約解消したジルベスター?困惑していると父がやってきた。「誰だったかね?」「父様、それが…。」説明する前に扉の向こうから違う声が届く。「グレッグ、すまない。アルフレッド・ランサーだ。急ぎ、セドリックに取り次いでくれ。」グレッグは執事の名前でセドリックは父様の名前だ。今度は父と顔を見合わせる。「「?」」とりあえず、関貫を上げて扉を開けようとした途端、凄まじい力で扉が引かれた。「ネリネっ!私のネリネっ!」叫びながらどかどかと入ってきた男、とその後ろにはアルフレッドが立っている。「ジルベスターか?」父様は混乱しながらも、なんとか応対する。「すまない。セドリック、息子が暴走して」「ローマン卿!ネリネはっ!?ネリネはどこにっ!」自分の父の言葉を遮り、ジルベスターは父様に詰め寄る。「…。ネリネなら。」すっと父様は外を指差す。その動きを目で追う男。その先には、扉が開く勢いに身体ごともっていかれて、玄関ポーチに投げたされたメイド。メイドは、ゆっくり立ち上がる。「…っ。」ジルベスターと、その父アルフレッドは息を飲んだ。数々の戦場で合い対峙した敵など、足元にも及ばないだろうその姿は、後に語り継がれる事になる。




