魔王の望み
「やっと、ここまで来たな」
勇者アルベルトの言葉にわたしと魔法戦士であるナッズは顔を見合わせて頷きあう。
三年前、魔王討伐のために国から選ばれた当初は五人だった勇者パーティーも、今では三人となってしまった。
聖剣での接近戦をメインとする勇者、弓矢に魔法を仕込む遠距離攻撃が得意な魔法戦士、そしてわたしは防御魔法や回復を担当する聖女として最終決戦の地、魔王城に辿り着いた。
見上げるほど高いその城は、周囲に蝙蝠型の小さな魔物が飛び交い、不穏な空気を纏っている。鬱蒼と茂る草木を掻き分け、城の正面に立つ。
木で出来た大きな扉が『ギィ……』と音を立てて勝手に開く。
まるでわたしたちに中に入れと言っているかのようで薄気味悪い。
城の中は生き物の気配がなく、わたしたちは警戒しながらも奥へ奥へと入って行く。
飾り気のない城内の中、ひときわ大きな両開きの扉があった。
またもや扉は勝手に『ギィ』と不快な音を立てながら開いていく。
扉の向こうには大広間が広がっていた。
そして奥には玉座ともいうべき一段高い場所に、足を組んで優雅に座る男がいた。
一見すると若い青年男性のようだったが、よく見ると髪の毛に埋もれるように小さな角が見えているし、瞳は真っ赤なビー玉のようだ。
魔王だ。
これまで対峙してきた魔物たちとは比べ物にならないほどの威圧感を感じながら、わたしたちは彼がこの城の主、魔王であることを察した。
「勇者か」
わたしたちに気が付いた魔王は立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってくる。
瞬時に防御魔法を繰り出したわたしに、魔王は面白い物でも見るかのように目を向ける。
嘲るようにククッと笑って魔王は言った。
「我から攻撃はせん。我を殺してみよ」
その言葉に、アルベルトは剣を握り直し、ナッズは弓矢に魔法を込める。わたしは防御魔法を解除し、二人に身体強化の魔法をかけた。
駆け出したアルベルトが渾身の力で魔王に剣を振り下ろす。魔王の肩に当たったそれは『カキン』と音をたてて真っ二つに折れた。
間髪入れずにナッズの矢が魔王に飛ぶ。触れたもの全てを焼き払うはずのその矢は、魔王が右手で払うと威力をなくしてボタリと床に落ちた。
「勇者と言っても、こんなレベルか」
フンッと鼻で笑った魔王はこちらへの歩みを止めない。
ここに辿り着くまで、幾多もの魔族を倒して来たというのに、二人の攻撃が一切効かないとは。
「せめて、本来の力が出せれば……」
「本来の力? それはどうすれば出せる?」
わたしの言葉に興味を持ったのか、魔王が問いかけてくる。
「えぇと、ちゃんとご飯を食べてしっかり眠れたら、かしら?」
魔王の質問に戸惑いながらも答える。
魔王の本拠地である魔王城に近づくともちろん宿屋などなく、食料調達も出来なくなっていた。
野営には慣れていたが、魔王城に近づけば近づくほど魔物は増え、昼も夜も安息の時間はなかった。
言い訳かもしれないが、わたしたちは現在、空腹と寝不足で立っているのも辛い状況だ。
「ふむ。ではそれを整えてからでよい。我を殺せ」
魔王の言っていることが理解できないわたしたちの横を、魔王は通り過ぎていく。
「庭に果物がなっていたから採ってきてやろう。待っておれ」
そう言って部屋を出て行った魔王は、籠いっぱいにたくさんの果物を入れて戻って来た。
「食え」
そう言われても、魔王からの食べ物など信用してよいのか。逡巡しているとアルベルトが籠の中の果物を一つ取り、噛り付いた。
「うまい!」
「そうか! もっと食え」
勇者の言葉に魔王は嬉しそうにこれもあれもと果物を勧める。
結局、わたしもナッズも果物を貰って食べると、あまりの美味しさに手が止まらなくなり、満腹になるまで食べ続けた。
「じゃあ、次は寝ろ」
魔王はそう言って部屋に案内してくれたが、そこは何年も使用していなかったようで、部屋のあちこちに蜘蛛の巣がかかり、埃だらけで、シーツは黄ばんでいた。
「きたなっ!」
思わずわたしは言ってしまう。
「魔王、箒とか無いの? まずは蜘蛛の巣を払って。シーツも洗いたいから石鹸を出して」
魔王が探し出してきた箒とモップを男二人に渡して、わたしはベッドのシーツを剝がして魔王に渡していく。
「アルベルトとナッズは部屋の掃除をお願い。魔王は水場に案内して」
二人は覚悟を決めた目をして、マスク替わりに大き目のハンカチで口元を覆い「どりゃー」「うぉー」などと掛け声を上げながら埃だらけの部屋に消えていった。
魔王討伐の目的で出会った二人の家事能力がいかほどかはわからないが、検討を祈る。
魔王は台所らしき場所に案内してくれた。しかし、大量のシーツを洗うにはそこは狭すぎる。
「外で洗いたいわ。井戸はないの?」
わたしの明確な質問が良かったのか、魔王はどこか嬉しそうに台所の勝手口のような扉を開く。
「それならこっちだ。ついて来い」
勝手口から井戸までは石畳の道が続いていた。井戸周りは開けており、休憩できるようにだろうか、木製の素朴な椅子がいくつか野ざらしにされて置かれていた。
井戸の向こう側には果樹の木々が腰ほどまでに伸びた雑草に囲まれて好き放題に伸びているのが見える。
井戸の周りには大き目のたらいが二つ転がっており、わたしはそれを拾い上げる。
「魔王、水を汲んでちょうだい」
たらいにたっぷりと汲んでもらった水を、汚れが落ちやすくなるよう聖力を使ってぬるま湯程度に温める。そこに汚れたシーツと粉せっけんを入れた。
脱げないようにきつく縛っていたブーツの紐を緩め、靴下も脱ぎ、素足を出す。
たらいの中に足を入れ、ジャブジャブと踏んでいくと少しの泡と汚れが出てきた。
一度魔王に水を替えてもらうと、さきほどより泡は増えたが、まだ水の色は濁っている。
それでも、ステップを踏むかのようにジャブジャブとシーツを踏むわたしがよほど楽しそうに見えたのだろう。二度目に水を替えた後に、魔王はおずおずと言った。
「我も、やってみたい」
「いいわよ」
人間と同じ形の、けれど妙に光沢のある肌質のそれをたらいの中に入れて、魔王は遠慮がちにジャブンジャブンと何度か足踏みをした。
「こうか? これで合っているか?」
「わからないわ。わたしも今日が初めてだもの」
戸惑う魔王が面白くて、わたしは声をあげて笑う。
旅に出るようになって、自分の洗濯物を手洗いすることはあったが、たらいに足を入れて洗うなんて、したことがなかった。
わたしはこの世に生を受けたその瞬間から聖女と呼ばれ、神殿で暮らしてきた。
下働きの少女たちが天気の良い午前中に、楽しそうな笑い声をあげながらシーツを洗っていたその姿を真似ているだけだ。
「お、おぉお?」
不慣れながらも魔王が足踏み洗いをしていた三度目のたらいの中からは、まるで生き物のような真っ白な泡がモコモコと出てきた。
慌てる魔王の様子がおかしくて、わたしはまた声を上げて笑った。
洗濯を終えシーツを干していると、掃除が終わったというアルベルトとナッズがやってきた。
「あれ、さっき食べた果物の木か?」
アルベルトの言葉に自然に四人でそちらへと足を向ける。
「ジャムを作るのが趣味なやつがいて、そいつがジャムに向いている果物の木を植えたんだ」
魔王はそう言って手入れのされていないもはや野生の果樹を眺める。
「ふーん。あ、水が流れてる!」
水音を聞きつけたアルベルトが走り出す。後を追うと確かに川というには少し小さい小川が流れていた。
「この先にある湖に繋がっている。そこでは釣りもできるが」
「魚釣れるのか?」
「釣りしたい!!」
魔王の言葉に食い気味にナッズとアルベルトが返事をする。
釣道具がないと言う魔王に、各々釣り竿によさそうな細長い木の枝を探しながら湖へと向かった。
釣りにできそうな足場を見つけて、わたしたちはハッとした。
釣り餌がないことはわかっていたが糸が無いのだ。
それぞれ気に入りの木の枝を持ったまま周囲を見回すが、ちょうどよい頑丈な糸状の物など落ちていない。
「……わたしの髪は細いから、すぐ切れてしまうわよ」
無言でわたしの長い髪を見つめているナッズに釘を刺しておく。
魔王が突然、木々の間をきょろきょろと何かを探すかのような行動に出る。
「いたいた。ちょっと待っておれ」
魔王はそう言って、何かを見つけて一本の木のほうに歩いて行く。
魔王が立ち止まると木の枝からシュルシュルと糸を出して蜘蛛の魔物が下りてきた。
とっさに剣を構えようとしたアルベルトだが、あいにく掃除の際に邪魔だったようで聖剣はその腰にはない。ナッズもそれは同様で、二人は細長い木の枝を正眼に構える
しかし、蜘蛛の魔物は襲ってくる様子はなく、魔王が何やら交渉しているようだ。やがて、魔王はこちらに何かを持って戻って来た。
「この糸は頑丈で滅多なことじゃ切れぬぞ」
そう言って、透明な糸をわたしたちに渡してくれた。
「いいのか?」
「ああ。今度ちょうちょを見つけたらこの近くに誘導してやると約束したら快くわけてくれた。あの魔物の糸は釣り糸にちょうどよいと聞いたことがあるのだ」
わたしたちは魔王に礼を言い、それぞれ木の枝の先に糸を結ぶ。
アルベルトが大きな石を捲るとウジャウジャと虫が出てきたので、その中の長細い虫を糸の先に結んで、釣りに臨んだ。
それから約二時間、ナッズが釣った魚がなぜかアルベルトの服の中に入ったり、魔王が手掴みで魚を捕まえたが力が強すぎて臓物が飛び出たりしたものの、今夜の夕食を賄えるだけの釣果を上げることが出来た。
城まで戻る道すがら、食べられる草や、果樹の近くに野生化した野菜が生えているのも見つけ、食料を増やしながら帰った。
魔城の台所を借りて、湖魚の塩焼きと野菜スープ、という簡単な夕食を作った。
魔王に果物をお腹いっぱいごちそうになったとはいえ、その後、掃除や洗濯、釣りをしたわたしたちのお腹はぺこぺこであった。
「うまいな」
「本当、おいしいわ」
心地よい疲れのせいか、わたしたちの言葉は軽い。そんなわたしたちを、魔王は満足そうに見ていた。
「魔王も食べろよ」
「我も?」
「魔王は腹減らねぇのか?」
魔王は考えるように腕を組んで首を傾げる。
「人間と同じ食事は食べられるが、食べなくても平気だし、腹が空いた、という感覚はわからぬ」
「食えるんなら食え。うまいぞ」
ナッズが棒に刺さった焼き魚を魔王に渡す。
少しの躊躇の後、魔王がガブリとそれに嚙みついた。
「食物を摂取したのは何十年、いや、何百年振りか。うん、うまいな」
魔王はそう言って、ガブリガブリと残りの魚に勢いよく噛みつく。
「な、みんなで食うとうまいだろ」
ナッズはそう言ってガハハと陽気に笑った。
その夜はアルベルトとナッズとわたしと、なぜか魔王も同じ部屋のベッドで眠った。
洗濯をしてお日様の匂いのするシーツに包まれて、わたしたちは久しぶりに深く眠ることが出来た。
翌朝、昨日の残りのスープと果物を朝食にしてテーブルを囲んでいるとき、ナッズが呟く。
「風呂に入りてぇ」
わたしの聖魔法で体を清潔に保つことは出来るが、泥や血の汚れは実際に洗わないと落ちることはない。これまでも布で体を清めてはいたが、やはり温かなお湯に浸かりたいと、旅の間、何度考えたことか。
「湯が出る場所ならあるぞ」
目を輝かせたわたしたちを魔王は城の奥へと案内した。扉を開けたそこは遠くに渓谷が見える屋根付きの風呂場だった。
「露天風呂じゃないか」
風呂好きのナッズの目が輝く。
しかし、近くに寄ってみると石造りの風呂の中の水は汚く枯れ葉が浮いている。
「うげっ」
「汚いわね」
「ようし、掃除するか」
昨日の成功体験に気をよくしたのか、アルベルトは腕まくりをして掃除道具を探しに行く。
半日かけて綺麗にした露天風呂には近くで流れているという温泉が引かれていた。風呂には入らないという魔王に湯の見張りを頼んで、アルベルトとナッズはごきげんで服を脱ぎだす。
さすがに性別の違うわたしは後から入らせてもらうことにして、いったんその場を離れようとしたが「ギャーッ」というナッズの叫び声を聞き、慌てて風呂場の扉を開く。
「どうしたの!?」
ナッズが全身を真っ赤にさせて、風呂場の前に転がっている。火傷したことを瞬時に判断したわたしは彼に両手をかざし、集中する。
わたしの聖なる力で一命をとりとめたナッズは魔王にプンプンと怒りだした。
「魔王に湯加減どうか聞いたら『よい』て言うから入ったのに、熱くて火傷しちまったよ」
「手を入れて熱すぎなければよい、というから」
どうやら、人間と異なる感覚を持つ魔王は火傷するほどの高温も特に熱いとは感じないらしい。しかし、どうみても湯気を上げている風呂の湯を見れば熱いということは一目瞭然ではないかとナッズを冷めた目で見てしまう。
男性陣の後に入らせてもらった温泉は、体の芯まで温めてくれた。肌に良い成分も入っているのか顔も体もツヤツヤになった気がする。
翌日は雨が降った。
雨漏りとともに目が覚め、バケツや鍋を置きに走りまわる。城のあちこちで水が落ちる音がメロディになって響き渡った。
晴れた日に、手分けをして屋根に上って応急処置に板を張り付けていく。
ついでに、ギィギィ音を鳴らして勝手に開いてしまうドアの蝶番も直した。
アルベルトとナッズが大工仕事に精を出す間、わたしと魔王は城中のカーテンを洗濯していく。もう初めてではないので、二人とも慣れたものだ。
城から少し離れた場所に小麦畑を見つけ、それを収穫して粉を挽く。
小麦粉を手に入れたことで、食事のレベルはグッと上がった。
魔王城には使っていない部屋がたくさんあって、そのうちの一部屋をわたし専用にしてもらい、男性陣と別の部屋に眠ることになった。
旅の間、宿屋では男女別々の部屋を取っていたけれど、野宿になるとそうはいかず、狭いテントの中で一緒に寝起きする生活を送っていた。そのため、同じ部屋に眠ることにあまり抵抗はなかったけれど、改めて今夜から一人で眠ることになるとその静かさが落ち着かない。
神殿では広い部屋に一人寝起きしていて賑やかな生活には慣れていなかったはずなのに、いつのまにか彼らの賑やかさが日常になっていたのだ。
眠れないわたしはランプを片手に台所へ向かった。
「魔王?」
暗闇の中、台所の棚をゴソゴソと探し物をしている魔王の背中に声を掛ける。
「聖女か。どうした?」
「眠れなくて、ホットミルクを作ろうかと思って」
話しながら、わたしは小さな鍋にミルクを入れ、温める。
「魔王は何をしていたの?」
コトリ、と魔王は手のひら程の瓶をテーブルに置く。
「ジャム?」
そういえば、以前、ジャム好きな人(?)が果物の木を植えたと言っていたような。
「奥にしまってあったことを思い出してな」
瓶の蓋を開けた魔王は、わたしが差し出したミルク入りのカップにスプーンで掬ったジャムをボトリと入れた。
わたしが持っていたカップを魔王に差し出すと、わたしのカップにもジャムをボトリと落としてくれる。
スプーンでそれを混ぜて、コクリと一口飲む。
「おいしい」
ミルクのほのかな甘みとジャムの酸味と甘さが口の中に広がる。
「うん」
ビー玉みたいな瞳の魔王はただ頷いて、棚の中から他の果物のジャムも取り出す。
二人でパンにそれをつけて、食べて、紅茶を淹れて、それにもジャムを落として。
深夜に二人で食べて飲んで、お腹がいっぱいになって、わたしたちはそれぞれの部屋に帰っていった。
翌朝、台所で顔を合わせた魔王は、まるで二人の秘密みたいに小さな声で聞いてきた。
「昨晩はよく眠れたか?」
「全っ然! 眠れなかったわ」
魔王と別れ、自分の部屋のベッドで眠りに落ちかけた頃、わたしはひどい腹痛に見舞われた。慌ててトイレに駆け込み、そういえば、あのジャムはいったい何年前に作られた物だったのだろうと考え、ゾッとした。
何度も訪れる腹痛の波に耐えながらトイレへとその度駆け込む。
聖なる力で治療するよりも、これは出し切ったほうがよいと、わたしはその痛みに耐えながら夜を過ごした。明け方になり、やっと腹痛が落ち着き、魔王に文句を言ってやろうと台所で彼が起きて来るのを待っていたのだ。
魔王である彼のお腹には何の影響もなかったようで、子供のようなあどけなさでわたしの顔を不思議そうにのぞき込んでくる。
ため息を一つついて、出しっぱなしにしていたジャムの瓶に聖なる力を注ぐ。
アルベルトとナッズが旨い旨いとそのジャムをパンに乗せて平らげる様子を、魔王は頬杖をついて見ていた。黒くて長い尻尾をユラユラと嬉しそうに揺らしながら。
ある晴れた日に、みんなで髪を切り合うことになった。四人で庭に出て、首元に大きな布を巻いて、交代で椅子に座る。
思えば、旅に出てから三年、短髪だったアルベルトとナッズの髪は伸び、いつの間にか後ろで簡単に一本に結ぶようになっていた。
わたしの髪はいつもきつい三つ編みにしていて生活の邪魔にはならない。
「おぉー軽くなった」
「髪、洗うの面倒くさかったんだよな」
少し不格好な気はするが、アルベルトとナッズはお互いに切り合った短い髪を喜びあっている。粗暴な印象のわりに綺麗好きなナッズは、手入れがしやすい長さになって、ことさら嬉しそうだ。
ジャキンジャキンとわたしの手元では鋏が子気味の良い音を立てながら真っ黒な魔王の髪を切り落としていく。
「慣れているのか?」
迷いなく切っていくわたしに魔王が尋ねる。
「まさか! 髪を切るのは初めてよ」
聖なる力が宿るからと、生まれてからずっと切ることを許されなかったわたしの髪は、いつも三つ編みにしていて、ほどくと足首まである。
髪を切るどころか、神殿にいた頃は髪を洗うのも梳かして結うのもすべて、世話をされていた。魔王討伐の旅に出てからは聖なる力で清潔に保っていたので、洗うことすらなかった。
真っ黒なのに、光に当たるとキラキラと輝く不思議な髪の毛が、風に飛ばされていく。
背中の中ほどまでもっさりと覆っていた髪の毛を切っていくと、スラリとした体形が露になる。髪に埋もれていた乳白色の二本の角が現れた。
「おい、待て待て待て!!」
魔王の印象が変わっていくのが面白くて大胆に鋏を入れていくわたしをなぜかナッズが止める。
「このままだと坊主になっちまうぞ。貸せ」
そう言ってわたしは鋏を取り上げられてしまった。
魔王はきっと坊主になっても気にしないのに、そう思って恨めしく見ていたけれど、ナッズの手によって整えられた髪型は、魔王によく似あっている。
肩につかない程度に顔周りに髪を残したことでどこか陰のある雰囲気を残していて、ナッズのセンスはなかなか良い、とアルベルトが褒めちぎっていた。
気をよくした魔王の尻尾がまたユラユラと揺れている。
わたしは三つ編みにしている自分の髪を持ち上げ、ジョキン、と切り落とす。ボトンと重そうな音をさせて、それは地面に落ちた。
「我が切りたかったのに」
落ちた三つ編みを悲しそうに見ている魔王に鋏を渡す。
「じゃあ綺麗に整えて」
そう言って椅子に座る。少しすると優しく髪を梳かされ、チョキンチョキンと魔王が鋏を入れる音がし出した。
「ど、どうだ?」
肩より少し長めに整えられたわたしの金色の髪は下を向くと視界に入る。
「頭が軽いわ」
頭を思い切り左右に振って、その軽さに嬉しくてへへへと笑いが漏れた。
「笑った?」
「笑ったな」
アルベルトとナッズが目を見開いてわたしを見る。
「笑ったところ、初めて見た」
そう言われてみると、なるほど、そうかもしれない。
わたしは神殿にいた頃、笑うとか泣くとか怒るとか、そういった感情の起伏を表すことはほとんどなかった。
聖女が泣いたから雨が降ったとか、褒美に聖女の微笑みを、とか、周囲の反応がうるさくて、わたしはなるべく無表情に過ごすことを心掛けていたから。
「聖女はよく笑っておるぞ」
不思議そうに魔王が首を傾げた。彼の前では、確かに何度か声をあげて笑った気がする。
「へー」
「そうなんだ」
なぜかアルベルトとナッズがニヤニヤと笑って気持ちが悪い。
「昼食の支度をしてくるから、ここ片づけておいて」
わたしは三人を残して城へと足を向けた。
「照れちゃって」
「真っ赤な顔も初めてみたな」
からかうような彼らの声音に、わたしはなんだか恥ずかしくなって駆け出した。
パンとハムとチーズと果物を籠に入れて、わたしは庭へと戻る。
切った髪は片づけられ、以前は野ざらしに置かれていた椅子と、城の中で使っていなかった木のテーブルが用意されていた。
天気の良い日は時々、外で食事をすることがあるから準備は慣れたものだ。特別な物は何もないけれど、なぜか外で食べるご飯はいつもより美味しく感じられるから不思議だ。
各々が好きな食材をパンにのせる。口いっぱいにそれを詰め込んだアルベルトはニコニコと幸せそうだ。
「俺は小さい頃からずーっと貧乏だったから、腹いっぱいに食べるのが夢だったんだ」
アルベルトが勇者として認められたのは、勇者しか扱えないと言われて王国の裏山に放置されていた聖剣を抜いたからだという。辺境の村で暮らしていたアルベルトは、出稼ぎで王都に出てきて、そういった若者の通過儀礼として聖剣を抜く行列に加わっただけだったらしい。
いつの間にか勇者となり、働く以上につらい鍛錬を課されたアルベルトの才能は本物で、魔王討伐の旅に出る頃には剣で彼に敵う者はいなかったという。
「オレは、自分の魔法でどんなことが出来るのか試してみたかった」
ナッズが生まれた家は由緒ある騎士家系で、彼の父は剣を持たせたら右に出るものはいないと言われた伝説の騎士だったらしい。ナッズのお兄さんも優秀な方で、若くして騎士団幹部に名を連ねていた。
しかしナッズは人並みよりは剣を扱うことが出来たけれど、彼が得意としたのは弓だった。そしてそれに魔法をかけ合わせるという、難易度の高い技術を持ち合わせていたけれど、武力に重きを置く彼の家の中でナッズは落ちこぼれとして扱われた。弓も魔法も邪道だと認められることはなく、その実力を発揮する場がなかったという。
しかし、実践の場で遠くに見える恐怖を弓で射落とす彼の頼もしさといったらなかった。
「わたしの望みは、もう叶ったわ」
聖女としてしか生きてこなかったわたしは、普通に生活をしてみたかった。魔王討伐の仲間として出会った彼らと、この場所で、わたしは初めて普通の生活をというものを送っていると感じていた。
「魔王の望みは?」
わたしたち三人の視線が魔王に集まる。しばらく沈黙が続き、やがて魔王が口を開いた。
「我は、終わりたい」
終わりとは、どういうことだろうか。わたしたちは無言のままだ。
「我は生まれながらの魔王だ。これまで何度かお前たちのように我を倒しに来た人間がいたが、誰も我を倒すことは出来なかった。人間が切りかかってきても傷はすぐに修復する。病気になることもないし、年を重ねることもない。我はずっとここで、我のままだ」
魔王の周りの空気が一気に重くなる。
晴れ渡っていた空は暗く曇り、鳥のさえずりはピタリと止んだ。
「我を、殺せ」
地の底から聞こえてくるような低い声で、魔王が言う。
恐ろしいはずのその声は、しかし、どこか頼りなくて。
「魔王は、もう友だ」
魔王からの圧に耐えながら、アルベルトが絞り出すように言って首を横に振る。
アルベルトと魔王は睨み合う。
ビリビリと肌が痛むような圧が強くなる。
「愚か者がっ」
魔王は吐き捨てるように言って、シュンっと消えた。
暗雲が消え、太陽の光が戻る。いつの間にか鳥や虫の声が戻ってきていた。
わたしたちはまだハァハァと息を乱している。魔王が圧を込めただけで肌はヒリヒリと痛み、呼吸すら困難なほどだった。魔王は、存在するだけで確かに脅威だと体が声を上げる。
アルベルトとナッズはまだ苦しそうに起き上がれないでいるが、わたしは聖なる力を宿す聖女だからか、少し体に重みは残っているものの、起き上がることが出来た。
二人を残して、わたしは魔王を探すために歩き出す。
魔王城の周囲には多くの魔物が生息していて、時折見かけることがあった。
天気のよい日に木陰でまどろむ巨体な魔物、親子で湖で水浴びをしている魔物、朝方うるさいくらい鳴く魔物。
彼らは各々の生活を送っていて、わたしたちのことを警戒こそすれど、無暗に襲ってくることはない。
人間が食料や資材として魔物を狩ったり、彼らの生息地を奪おうとするから、彼らは人間に牙を剥いていたのだ。
魔王城にきて、わたしはそのことに気が付いた。
魔王城の裏にある鬱蒼と茂った森の中に、まるで墓石のようにいくつか石が並んでいる場所がある。
威圧的な黒い気を出したまま、魔王はそこにいた。
「昔は、我にも友と呼べる者がいた」
わたしの姿を見て、魔王はポツリポツリと語り出す。
ほとんどの魔物は知能の差はあれど、言葉を解することはない。しかし、まれに魔人と呼ばれる姿形が人間に近く、言語でのコミュニケーションが可能な生態が生まれることがある。
魔王は、生まれながらの魔王で、彼は存在するだけで魔物たちに安心感を与え、絶大の信頼を得る。彼はいつも魔人や魔物たちに囲まれていた。
釣りが好きな魔人とともに湖で釣りをして、湖の主を釣りあげて謝罪をした。人間が作るジャムが美味しかったからと、果物の成る木を育てるところから始める手伝いをした。
魔王城には趣向を凝らした風呂場があり、井戸の近くにはくつろぐために置かれていただろう椅子がある。魔王は食事が必要ないというのに、使い込まれた台所も。
魔王はこの城で、誰かと暮らしていたのだと、なんとなく気が付いていた。
「友だと思っていた魔人も魔物も、年を重ねた。事故や病気で亡くなったヤツもいた。人間に討伐という名目で葬られたヤツも。それでも、我が魔王である限り、我のそばには次から次へと新しい魔人や魔物が寄って来る」
小柄なわたしからは見上げるほど背の高い魔王は、肩を落としてなんだか小さく見える。
「我は、友がいなくなることが悲しい。寂しい。その気持ちが乾かぬうちに、新たな友が死んでいく」
魔王は悲しみに打ち勝つことが出来ず、いつしか魔人も魔物も近づけなくなった。
誰よりも強いのに、優しくて弱い魔王。
わたしは一歩、また一歩と、魔王に向かって足を進める。魔王から発せられる圧による風力で、髪も服もバサバサと揺れた。
「我はアルベルトが死ぬのを見たくない。ナッズが冷たく硬くなっていく姿など知りたくない。お前に、聖女にずっと傍にいてほしい」
魔王は、叶わぬ望みに絶望していた。
「聖女はね、魔王を滅ぼす特別な力があるんですって」
幼い頃から神殿で暮らし、聖なる力を持つ貴い方だと神官たちにかしづかれ、歴代の聖女たちが書き残した書をひたすら読みふけった。
ビリビリとまるで電気が流れているかのような魔王の体に手を伸ばし、抱きしめる。
「わたしが魔王を殺してあげる」
そう言って、歴代の聖女たちが魔王を倒すために使ったという特別な力を込める。
「うっ、ゔっあぁああああああーーーーー」
魔王がわたしの腕の中で苦しみの声をあげる。
魔王の体は膨れ上がり、わたしの背に尖った爪を立て、人間の赤い血と魔王の青い血が勢いよく飛び散る。
もがき苦しみ、血に濡れたわたしを離さぬまま、魔王はやがて静かになった。
こうして、この世から魔王は消えた。
「魔王と聖女は、どこに消えたんだ?」
「二人がいなくなってけっこう経ったな」
ナッズとアルベルトの寂しそうな背中に、わたしは声を掛ける。
「十分も経ってないでしょ。ほら、焼き立てのアップルパイよ!」
お腹が空いたからといって、何年も姿を見なかったかのように言うのはやめてほしい。ついさきほどまで一緒に編み物をしていたというのに。
待ちくたびれた二人の手には、靴下にもブランケットにもなれなかった毛糸たちが握られている。
「我が淹れた紅茶もあるぞ」
魔王は最近、紅茶を淹れるのに凝っている。確かに同じ茶葉だというのに、魔王が淹れてくれた紅茶は格段に美味しく感じた。
「休憩をしたら、また頑張りましょ。この調子では赤ちゃんが生まれるまで間に合わないわ」
わたしたちはもうすぐ生まれる子供のために小さな靴下や帽子、ブランケットにベストをそれぞれ贈りたいと意気込んで編み物を始めた。始めたのだが、今のところまだどれも形になってはいない。
「セイローとボンディエだ!」
仲睦まじく手を繋いで歩いてくる二人に気が付き、わたしたちは慌てて毛糸と編み棒を隠す。
「もうお散歩から戻ったのね。今あなたたちの分のお皿も準備するわ」
「たくさん歩いたほうが安産になるんですって」
そう答えてセイローは大きく膨らんだお腹を愛おしそうに撫でる。
エルフであるセイローとオークと人間のハーフであるボンディエは元々勇者一行のメンバーだったが、旅の途中で二人は愛を深め、子を授かった。
身重の彼女が魔王討伐の旅を続けることは難しく、二人とは途中で別れることになったのだが。
絶滅したといわれていたエルフの子供がこの国で発見されたのは十五年前。国で保護され成長したセイローは、肌も髪も瞳も透けそうなほどで、人間とは異なる次元の美しい姿に成長した。表向きは丁重に扱われていたが、実際は上流階級の貴族や他国からの客人への見世物のような存在だったらしい。
この国の第一王子が美しいセイローに心を奪われるまでは。
王族は種族が違う者と婚姻を結ぶことは認められなかったが、諦めようとしない第一王子はセイローを側妃にしようと画策を始める。王族にエルフの血が混じった子供を入れるわけにはいかないと、セイローは急遽、その時に集められていた魔王討伐メンバーに加えられることになった。
エルフは人間が使う魔法とは異なる不思議な魔法を使うことが出来ると言われていたが、幼い頃から人間の元で暮らしてきたセイローはエルフの魔法なんて知ることもなくて、ただの従順で綺麗な女の子だったというのに。
何もできない彼女を守ってくれたのが、ボンディエだった。
オークと人間のハーフだという彼の体は大きく、頑丈で、小柄なセイローをいつも包み込むように護ってくれていた。
どんな経緯で彼が生まれたのはわからないが、彼は田舎の孤児院で暮らしていたそうだ。そこがある時、魔族から襲撃を受けたが、まだ十歳そこらのボンディエが撃退したというのだ。
それから英雄となったボンディエは国の軍隊にスカウトされたと聞く。
魔物からの攻撃でもなかなか傷つくことのない頑丈な彼の体には、たくさんの古い傷跡があった。あまり話すことが得意でない彼がその傷について語ることはなかったが、穏やかな彼の表情が歪むのは驚異的な強さの魔族の前ではなく、人々の喧騒が響き渡る街中だった。
最低限の荷物と装備で旅を続ける中、セイローとボンディエは愛を育んでいった。
セイローのお腹が少し膨らみ始めた頃、二人は魔王討伐の旅から抜けることを決めた。
けれど、ひと月ほど前、二人は魔王城に現れたのだ。
セイローのお腹はもう大きくせり出していた。
わたしたちは何も聞かず、二人を受け入れた。幸い、ここには余っている部屋も食料もある。
城の主であるはずの魔王は、自ら使っていない部屋へ案内してくれた。
あの日、わたしは聖なる力を使って魔王の核を壊した。彼はもう、永遠の命を持つ魔王ではない。
まだ見た目の変化はないけれど、いずれ彼にも皴やシミが現われ、体力が衰える日も来ることだろう。
とはいえ、彼の存在は変わりないようで、あいかわらず魔族には好かれているし、ふざけて切りかかったアルベルトの剣はまたもやポキリと折れたのだけれど。
「聖女、名を教えてくれ」
魔王が核を無くして初めての言葉はそれだった。
「わたしは生まれた時、金色の温かな光に包まれていたんですって。修道院で取り上げられたわたしはすぐに神殿に連れていかれて、そこで育てられたの」
何度も何度も聞かされた、生まれながらに聖女だというわたしの誕生ヒストリー。
「生まれた時から聖女だったわたしに名前はないわ」
わたしが泣けば雨が降り、怒れば雷が落ち、笑えば花が咲いたという。
長く目を見つめれば、わたしの意のままに人は行動する。
だからわたしはいつも一人だった。
日々の世話をされる時は目を瞑り口を閉じ、人前に出る時はギリギリまでヴェールをつけられ、単語のみの簡単な会話しか許されない。
人の怪我を直すことは出来るが、制御しきれない聖女は人間にとって脅威でしかなかった。だから、魔王討伐という絶滅エンドの未来しかないメンバーに選ばれたのだ。
聖剣に選ばれた勇者アルベルト、人間の域を超えた弓と魔法を融合させることに成功したナッズ、エルフのセイローに半オークのボンディエ、彼らは普通の人間とは違った。
わたしの清浄の魔法や癒しの魔法は効いたけれど、聖女であるわたしの目を見て笑って怒って、普通に会話をすることが出来た。
わたしは初めて、普通に人と接することが出来るようになったのだ。
そうして、ここで魔王に出会って、わたしはいつしか声を上げて笑うようになっていたようだ。
「よかったら、あなたが名前をつけてくれる?」
魔王の顔が真っ赤に染まって、大きく頭を振って頷く。
「わ、我にも名前をつけてくれ」
「いいわよ」
軽く答えたわたしを、魔王は抱きしめた。
「もう永遠はないけれど、この命が続く限り、大切にすることを誓う」
名前を付けあうことで大袈裟だな、と思っていたわたしは、その時は変な顔をしていたと思う。
親から生まれない魔族は、名を持たない。彼らが名前を贈り合うのは生涯の愛を誓う時だと、何年か後に新しく魔王と友達になった魔人に教えてもらうまで、わたしは自分が魔王にプロポーズしたことを知らなかった。
魔王城はいつしか魔王と彼を慕う魔族や魔人、元魔王討伐メンバーたちの笑い声が絶えない場所になっていた。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
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